世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「ま、あいつから何か貰いたいならやる事は一つだ」
スピネルがエスメラルドの肩にぽんと手を乗せた。
「こっちからプレゼントを贈ればいいんだよ。そうすりゃ向こうも、お返しにって話に持っていきやすいだろ」
「むむ…しかし、お返しを期待して何か贈るというのは…」
「遠慮ばっかしてると進展しねえぞ。なあ?」
「そっすね。自分から行動するのは大事だと思うっす…」
ニッケルは自嘲気味に笑いながら言った。
彼はクラスメイトのペタラの事が気になっていたようなのだが、気持ちを伝えられないでいるうちにペタラは別の男と付き合い始めてしまったのだ。
まだそのダメージが抜けていないらしいニッケルの言葉には、切ない実感がこもっている。
「だが、何を贈ればいいんだ?リナーリアが魔術書以外のものを欲しがっているのを見た事がないんだが」
魔術のことはよく分からないし、魔術書というのは要するに実用書だ。贈り物としてどうなのだろうかと思う。
思わず悩みかけた所で、「僭越ながら」と口を開いたのはずっと話を聞いていた伯爵夫人だ。
「わたくしは、王子殿下が贈りたい物を贈ればよろしいかと思います」
「…?」
どういう意味かと見返すと、夫人は柔らかく微笑んだ。
「お相手の方に身に着けて欲しい物ですとか、手元に置いて欲しい物ですとか…そういう物をお選びになれば良いと思います。だって、大切な人が自分のために選んで贈ってくれたのならば、どんな物であれ必ず嬉しく思うはずですから…」
そこでニッケルが近寄ってきて、エスメラルドの耳にこそっと囁く。
「実はこの前母上は、父上から新しいネックレスをプレゼントされたんすよ。父上は新しい顔料が儲かりそうだからとか、社交に出るなら少しは見栄えを良くしろとか、あれこれ言ってましたけど…」
「…なるほど」
夫人が若返ったように見えたのは、ただ悩みが解決したからという理由だけではなかったらしい。
…伯爵夫人の言う「大切な人」に、自分が当てはまるのかどうかは自信がない。
彼女がエスメラルドを大切に思ってくれているのは間違いない。彼女が自分に向けてくれる親愛は本物だと思う。
しかしそこに自分と同じ種類の感情が含まれているかどうかについては、残念ながら全く分からないのだ。
彼女はいつも、友人としての立場を崩そうとしない。
けれど、いつまでも手をこまねいている訳にはいかないと思う。
「ありがとう、ペクロラス伯爵夫人。とても参考になった」
礼を言うと、夫人は嬉しそうに微笑んだ。
ニッケルもまた、やけに嬉しそうな笑顔になってエスメラルドを見ている。
「…なんだ?」
「あ、いえ。…失礼かもなんすけど、俺は殿下のそういうとこ、結構良いと思うんす」
「そういうとこ?」
「殿下って剣は強いし、頭もいいし、いつも落ち着いててかっこいいですし、尊敬してます。でもリナーリアさんの事になると、やっぱ普通に悩んだりヤキモチ焼いたりするんだなって…。なんかこう、親近感湧くって言うか。…えっと、俺は好きっす」
「…そ、そうか…」
好きだと言われているのだから、きっと喜ぶべきなのだろう。先程不機嫌な態度を取ってしまった事も、ニッケルは気にしていないようだ。
しかしエスメラルドとしてはかなり恥ずかしい。
特別気持ちを隠すつもりもなかったが、そんな風に思われていたのか。
「俺もいいと思うぜ。あんま完璧でもつまらないからな。ちょっと隙があるくらいの方が、周りから親しみを持たれるって言うぞ」
「さすが、スピネルさんが言うと説得力あるっすね」
「…ああん?」
「だって武芸大会で。あれ以来また女の子のファンが増え…」
「おう今すぐ外に出ろ。稽古付けてやるよ」
ニッケルの言葉を途中で遮り、スピネルが凄みのある笑顔を浮かべた。
「いやいやいや!結構っす!」
「遠慮しなくていいぞ?」
「スピネル」
さすがに止めようとした所で、扉の隙間からこちらの様子を窺っている小さな影に気が付いた。
「君は…」
「まあ、テルル!」
末娘の姿に、ペクロラス夫人が慌てて扉へ近寄った。
「一体どうしたの?」
「…あの、えっと、おにわ…」
ちらちらと恥ずかしげにスピネルの方を見るテルルに、夫人は「ああ…」と少し困った笑みを浮かべる。
「あのう、当家の庭では今、薔薇が咲いているんです。この子が毎日水やりをしているものもありまして…。お城の薔薇園の美しさには遠く及びませんが、よろしければ…」
「それは見てみたいな」
遠慮がちに申し出た伯爵夫人にエスメラルドがうなずくと、横でスピネルもにっこりと笑った。
「ぜひ案内してくれ」
テルルはぱっと頬を上気させ、スピネルの睨みから解放されたニッケルは安心してほっと息をついた。
ペクロラス伯爵邸の庭には、小ぶりだが一度にたくさんの花をつける品種の薔薇が多く植えられていた。
野生に近い品種で、丈夫なために少し寒い地方でも育てやすいものだとリナーリアから聞いた事がある。
そう言えば、ペクロラス領は少し寒い地方にあるのだったか。
「もしや、ペクロラス領でよく育てられているものか?」
そう尋ねると、伯爵夫人は少し目を丸くした。
「あっ、はい。領の屋敷から株分けをして持ってきたものですが…よくご存知でいらっしゃいますね」
「…王子さま、バラが好きなんですか?」
おずおずと見上げて来たのは、スピネルの隣を歩いていたテルルだ。
この少女から話しかけられるのは初めてだなと思いながら、「ああ」と答える。
それから、今の返事は少し素っ気なかっただろうか?とも思った。
引っ込み思案な少女がせっかく話しかけてくれたというのに。
「…俺の大切な人が、薔薇が好きなんだ。だから俺も少し、詳しくなった」
少々恥ずかしい気持ちでそう付け足すと、テルルはぱちぱちと瞬きをしてエスメラルドの顔を見つめた。
「大切な人…。それって、恋人ですか?」
「…いや。違う」
こればかりは、それ以上説明のしようがない。
だから簡潔にそう答えると、テルルはどこか考え込むような顔になってまた黙り込んだ。
その後は、ニッケルや伯爵夫人からカエルの描き方を教わったりして過ごした。
実はエスメラルド自身、カエルの絵は結構描くのだ。主に観察日記を書く時、スケッチを描いて添えている。
子供の頃からずっと描いているのでずいぶん上達したと思うのだが、やはり動くカエルを描くのは難しいし、できればもっと正確に描写をしたい。
画家から専門的な指導を受けた事もあるというニッケルや夫人のアドバイスをもらい、物体を立体的に描くための方法だとか、そういうものを少しだが教わる事ができた。
なお、その間スピネルはテルルや伯爵とお茶をしていたようだ。
女性の相手をするのが上手い印象の彼だが、子供の相手も得意だし、年上の男性の話し相手だって難なくこなす。相手を立てるのが上手いのだ。
以前どうやったらそう上手く話せるのかと尋ねた事があるが、彼の答えは「殿下は殿下のやり方でいいだろ。俺の真似なんかしなくていい」というものだった。
その言葉の意味はまだよく理解できないのだが、一つ分かるのは、彼もまた努力して相手に合わせているという事だ。
パーティーやらお茶会で様々な人間の対応をした後、げっそりと疲れた顔をしているのを見ればよく分かる。
だからきっと、彼が素のままで接する事ができる人間…つまり自分やリナーリアは、彼にとって「大切な人」なのではないだろうかと、そう思っている。
「…今日は楽しい一日を過ごせた。感謝する」
帰り際にそう言ったエスメラルドに、見送りに出た伯爵一家はほっとした顔で笑顔を浮かべた。
前回迷惑をかけた事をずっと気にしていたのだろう。
「伯爵と夫人が仲良くやっているようで安心した。…ニッケルは俺の大事な友人だ。これからもよろしく頼む」
「はっ!こちらこそ、息子をどうぞよろしくお願いいたします…!」
伯爵がかしこまり、ニッケルが照れたように頭をかく。
「それと、カエルの絵をありがとう。とても気に入った。顔料作りが上手く軌道に乗ると良いな」
「いえ!こちらこそありがとうございます!」
あの絵は丁寧に布に包み、既に馬車へと乗せてある。
すると、ニッケルの横にいたテルルがじっとエスメラルドを見上げてきた。
どうしたのかと首を傾げると、テルルは少しの間もじもじとしてから思い切ったように口を開いた。
「…あの、王子さま。…がんばってください」
一体何を、というのは訊き返すまでもない。
こんな小さな少女にまで応援されているのだから、頑張るしかないだろう。
「ありがとう。君も頑張ってくれ」
「…はい!」
テルルはニコニコと笑い、エスメラルドもまたそれに笑い返した。
まずは彼女に贈りたいプレゼントについて考えてみる事にしようと、そう思いながら。