世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第127話 水面下の動き

既に日が落ちて薄暗くなった寮の廊下を歩く。

見慣れたドアをノックすると、すぐに開いて中から黄緑色の髪が覗いた。スフェン先輩だ。

「こんばんは」

「こんばんは、リナーリア君。どうぞ中へ」

 

今日は後で部屋に遊びに来て欲しいと、先輩からメッセージが来ていた。

学院内は人目が多いので、二人だけで何か話がしたい時は、こうやって夜にどちらかの部屋を訪ねる事になっている。

「実は今日はちょっと、内緒話がしたいんだよね」

先輩はそう言って私の前にオレンジティーのカップを置いた。

私は小さくうなずき、無言のまま魔術を使う。

すぐに、部屋の中の空気がわずかに変わった。防音の結界を張ったのだ。

寮には沢山の生徒がいる訳だし、用心するに越した事はない。内緒話をするための防音結界は貴族の嗜みだ。

 

 

「じゃあまず、最初に報告を。ビスマス・ゲーレンの事だ」

「はい」

先輩はファンが多く顔が広い。その人脈を利用し、フロライアとビスマスについて少しずつ情報を集めてもらっていた。

「ビスマスの母は、フロライア・モリブデンの乳母をしていたらしい。元はモリブデン家傘下の男爵家の出だったそうだ」

「では、ビスマスはフロライアの乳兄弟…?」

「いや、どうも彼には妹がいるみたいだから、乳兄弟なのはそっちじゃないかな…この場合は姉妹だけど。その乳母を含め、彼の家族はずっとモリブデン領にいるようだから、詳しい事はよく分からない」

「ああ、なるほど」

 

母乳は元々栄養価が高いが、高魔力者の場合は特に魔力が豊富に含まれている。

貴族の赤ん坊は平民の赤ん坊に比べかなり死亡率が低いのだが、それは魔力の多い母乳を摂取する事で病気にかかりにくくなるというのが大きな理由なのだそうだ。

しかし、どんな高魔力を持っていようが、体質によってあまり母乳の出が良くない母親もいる。

そういう場合は、同じように子供を生んだばかりで母乳が出る女性を乳母として付ける事になる。

だから高い魔力を持つ貴族出身の女性は、乳母としての需要がとても高いのだ。貴族ならば教養もあるので、そのまま教育係などに就く事もよくある。

そうした乳母は当然厚遇を受けるし、乳母の子供も世話役と友人を兼ねて近くで育てられる事が多い。

 

ビスマスがモリブデン家の支援を受けているのも、その関係だろうか。

フロライアともきっと幼少時から面識があったろうし、親しくしていたのかもしれない。

ただのモリブデン家の一騎士という訳ではなさそうだ。

 

 

「そしてフロライアの方だけど、最近オットレと親しいというのは本当みたいだね」

「…私も、その噂は聞いています」

何ヶ月か前、休日に一緒に歩いているところを見かけた二人だが、それ以降もあの二人が会っているのを幾人かが目撃しているようだ。

近頃はご令嬢たちの間でも、その関係が少々噂になっているらしい。

「どうもオットレの方が彼女に入れあげているみたいだけど、彼女の方はどこまで本気かは分からないね。他にも彼女を狙っている男は多いし、モリブデン家は昔から顔が広い。それなりに仲の良い男子生徒は何人もいる。ただまあ、あくまでそれなりに、だね。今の所誰が本命なのかは分からない」

「ふむ…」

 

オットレがフロライアに入れあげる理由は分かる。オットレももう3年生で、そろそろ結婚相手を決めたい歳だからだ。

奴は非常に見栄っ張りなので、結婚相手には間違いなく美人で家柄の良い女性を選びたがるはず。

美人で成績優秀なだけでなく、由緒正しい騎士系貴族の名家であるフロライアは、その条件にぴったりなのだ。

 

 

今この学院で特に身分の高いご令嬢と言えば、カーネリア様、ヴァレリー様、それからミメットだが、オットレの父である王兄フェルグソンは、ヴァレリー様のブロシャン家やミメットのコーリンガ家と確執がある。

あくまで親や祖父の代の話だし、現在は表立って対立している訳ではない。努力次第で歩み寄る事も可能だろうと思うのだが、オットレはそんな殊勝な性格ではないのだ。

特にミメットからは嫌われており、何でも「お前の父親にはさんざん迷惑をかけられたが、お前が頭を下げるなら水に流してやってもいい」とか言ってきたらしい。

ミメットでなくとも嫌って当然である。

多分ヴァレリー様にも似たような事を言ったのだろう、一度それとなく聞いてみたところ、いつも愛想の良い彼女にしては珍しく嫌そうな顔をしていた。

 

カーネリア様のブーランジェ家とは特に仲が悪かったりはしないが、カーネリア様からも全く相手にされていない。

何度か誘われてはいるようだが、いつもの「お兄様に勝ったら付き合ってあげてもいいわ」で断っているそうだ。

オットレはそのたびに何かしら理由をつけて勝負を避けるので、あんな男は問題外だと彼女は言っていた。

奴の腕ではスピネルに勝てないのは当然だが、それよりも勝負から逃げる性根の方が許せないらしい。

 

…この三人を除けば、フロライアは学院で最も家柄が良いご令嬢だ。

侯爵家の中でも特に歴史が古く家格が高いのが、彼女の実家モリブデン侯爵家なのだ。

彼女と結婚してモリブデン家の支援を得れば、騎士として家を興し子に爵位を残す事もできるだろう。

前世でも、彼女には何度もアプローチをしていたはず。

そんな訳で、オットレが彼女に近付くのは全く不思議ではないのだが…。

果たして、それだけが理由なのだろうか。

 

 

「あと、彼女の父のモリブデン侯爵だけどね。どうやら王宮の文官…特に土木省の所によく連絡を取っているそうだ。今は領地に帰っているけど、その前には足繁く王宮に通っていたようだね」

「えっ?」

「なんでも、領に新しく人造湖を作りたがっているって話だよ」

これは初耳だ。

人造湖は治水や魔獣への備えのため、川をせき止めたり谷を掘ったりして造るものだが、私が知る限り前世でそんなものにモリブデン家が手を付けていた覚えはない。

 

王宮の土木省は道路だとか川だとか、そういうものの建設や管理を司る部署だ。領に人造湖が作りたいなら、まずそこに調査を依頼しなければならない。

各領の道や川、湖などは基本的にそれぞれの領地に管理を任せているのだが、湖を作ったり鉱山を開いたりと大規模な工事を行う場合は、事前に国の許可を取らなくてはならない決まりだ。

なぜなら地形を変えるような工事を無闇に行えば、周囲の動物や植物、土地に宿る魔力、あるいは魔獣の生息範囲などに大きな影響を与える恐れがあるからだ。

 

例えば昔ある貴族が自領に出没する魔獣を抑え込もうと考え、魔獣が多く棲む山を切り拓いてたくさんの木々を切り倒し、そこに近くの川から水を引いたことがあった。

貴族の狙い通り、それ以来その近辺の魔獣の出没は減った。魔獣は水を嫌うため、あまり川を越えようとしないからだ。

しかしその代わり、山の反対側にある別の領では一気に魔獣被害が増えた。行き場をなくした魔獣がそちら側へと向かってしまったのだ。

魔獣被害が増えた領は当然抗議をしたが、時間と大金をつぎ込んで行った工事だし、元に戻すことも難しい。

周辺の貴族まで巻き込んで長らく揉め、解決には苦労をしたという。

 

他にも、農地を増やすために川の流れを変えたら近くに生えていた貴重な薬草が枯れただとか、宝石を求めて鉱脈を掘ったら周辺の魔力が乱れおかしな霧が発生するようになっただとか、そういう事例はいくつもある。

そのため、大規模な工事の際には王国に申請し、問題がないか魔術師らが慎重に調査を行ってから許可を与えるという決まりができたのだ。

人造湖ともなれば周辺の山や川にかなり手を加える必要があるだろうし、そう簡単に許可は降りない。調査には相当時間がかかるだろう。

 

 

「これについては、もう少し調べてみるつもりだよ」

「そうですね…そういう名目で王宮に足を運んでいるとも考えられますし。お願いします」

モリブデン侯爵。

やや保守的な方針を持つ模範的貴族であり、騎士系貴族の中でも特に大きな発言力を持つ人物だ。

人格者としても知られ、自領においては名領主として領民に慕われているというが、あのフロライアの父なのだ。前世での殿下の暗殺に関わっていなかったとは考えにくい。

その侯爵が王宮に出入りしているのはとても気になる。

 

「先輩のお陰で、情報が集めやすくて助かります」

こういう情報をもらえるのは有り難いと、先輩に礼を言う。

従者だった前世とは違い、今の私はただの学生だ。大人たちの動きはどうしても耳に入りづらい。

「いいや。もっと大っぴらに動けたら良いんだけどね…。向こうに勘付かれても困るし」

「ええ…。十分に気を付けてください」

先輩は適当な理由をつけてファンの子たちに頼み、あくまで遠回しに噂を集めてくれているようだが、あまり派手に聞いて回れば向こうの耳にも入ってしまう。

情報提供をしてくれた人を危険に巻き込みたくはないし、慎重に動かなければならない。

 

 

「…そう言えば、王子殿下はそろそろ視察から戻ってくる頃かな?何事もなかっただろうか」

「あ、そうです。道中特に問題はなかったみたいで、明日には王都に到着しますね」

そう答えた私に、先輩が少し首を傾げる。

「そんな事が分かるのかい?王宮魔術師の先生に聞いたのかな?」

「あっ」

視察の細かな日程や道筋は表向き伏せられているし、時には悪天候で足止めを食らったりもするので、予定が多少前後する事もある。

だから殿下が王都に帰還する日など普通は分からないのだが…。

 

「…え、えへ」

私は笑ってごまかした。

実は殿下が心配すぎて、あれこれと細工をしてこっそりと動向を把握しているのだが、これは正直言ってギリギリアウト…いや完全にアウトだな…。うん…。

「リナーリア君…」

先輩はちょっとジト目になったが、細かく尋ねる気はないようで安心する。

できれば知らない方がいい。バレたら多分捕まるやつだし…。

 

 

私だって本当ならそんな事はしたくないのだが、視察は特に危険なのだ。

王都のようにたくさんの兵や魔術師に守られている訳では無いし、普段行かない場所を回るので、どう考えても狙われやすい。

前世でも、暗殺が行われたのは視察の時だった。

…あの場合、その方が逃げ出しやすいというのもあったかもしれないが。

 

少し考え込んだ私に、先輩が心配そうな表情に変わる。

「君もよく気を付けるんだよ。いくら殿下のためでも、危険な事はしないでくれ」

「はい。分かっています」

「あと、まあ…程々にね?あまり不審な行動をしていたら、君の方が怪しまれてしまうよ」

「え、えへへ…」

不審者として捕まるのだけは私も避けたい。

真面目な令嬢として今まで築き上げてきたものが全部終わる。

十分気を付けるようにしよう。

 

 

その後もいくつかの情報を先輩から聞きながら、明日は城に行こうと私は思った。

会うのは難しいかもしれないが、早く殿下の無事を確かめたい。




久しぶりに活動報告を更新しました。どうぞよろしくお願いします。
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