世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
しばらくしてから殿下の所に会いに行くと、すぐに取り次いでもらえた。
「リナーリア」
「殿下、スピネル、お帰りなさい。ご無事で何よりです」
「ああ、ただいま」
殿下もスピネルも元気そうだ。やはり特に変わった様子はない。
メイドが運んできた紅茶を飲みながら話を聞くことにする。
「今回はどのような所に行かれたんですか?」
「そうだな、まずサニジン領に行ったんだが…」
殿下は今回の視察も十分に満喫されたようだ。
見聞きしたことをスピネルと共に楽しそうに話してくれるのを、微笑ましく聞く。
もちろんただ楽しんだだけではなく、様々な知見を広げたり貴族たちと交友を深めたりもしているのだが。
「行程はいつもより短かったが、内容は充実していた。とても楽しかった」
「それは良かったです」
「雨が少なけりゃもっと良かったんだけどな。寒いし、馬車の中はじめじめするし、ブーツは泥で汚れるし…」
不満を垂れるスピネルに殿下が苦笑する。
「仕方ないだろう。天気ばかりはどうにもならん」
「俺は殿下と違って泥は嫌いなんだよ」
「俺だって別に泥など好きではないぞ」
心外そうに言う殿下を見て、そういえば前世では視察の時、よく池や沼の周辺を歩き回って靴を泥だらけにしていたなと思い出す。
それはカエルがいないか探したいからなのだが、すぐ水辺に近付きたがる殿下に周りの者はいつも困っていたっけ。
スピネルもきっと同じように手を焼いているんだろうなと思い、少し笑ってしまう。
…いずれ王位を継げば視察に行く事はなくなり、水霊祭の時くらいしか王都を出る機会はなくなる。
そして現国王のカルセドニー陛下はお体が弱く、政務はずいぶんと負担になっているご様子だ。恐らく、そう遠くない時期にエスメラルド殿下へ王位を譲られるだろうと、多くの者が考えている。
殿下がこうして王都の外を見て回れるのは今だけだなのだ。
その貴重な時間を共に過ごせるスピネルが羨ましい。
私も一緒に行けたらいいのになあ、などと益体もない事を思う。
前世で殿下と行った視察の思い出は今も私の胸に残っているけれど、それは今世の殿下は知らない記憶なのだ。
その事が、少しだけ寂しい。
「…リナーリア?」
「あっ、いえ、何でもないです」
怪訝そうな顔で名前を呼ばれ、私は慌てて首を振った。
こんな感傷などより、今眼の前にいる殿下の方が私にとってはずっと大切だ。
「あの、道中変わった事は何もありませんでしたか?困った事とか…」
話題が一段落したので、気になっていた事を尋ねる。
「ああ。雨で道のぬかるみに馬車が嵌ったくらいか。幸いすぐに出られたので良かった」
「魔獣は出ませんでしたか?」
「それは少し」
「ちらほら見かけたけどな、直接襲われる事はなかった」
スピネルが補足してくれる。
どうやら各領の騎士たちや護衛が頑張ってくれたようで、被害はなかったらしい。
命に関わるような危機はなかっただろうともう分かっていたのだが、二人の話を聞く限り小さな問題すらほとんど起こらなかったようだ。
もちろんそれは喜ぶべき事なのだが、敵に何の動きもないのはかえって不審だ。
好機であるはずの視察で何も仕掛けて来なかったのなら、次は一体どこで狙って来るのか予想ができない。
こちらが守る側である以上、常に後手に回らざるを得ないのが辛い。
少し不安になる私に、殿下は胸元を軽く抑えて微笑んだ。
「魔獣があまり寄ってこなかったのは、君がくれた護符のおかげかもしれない」
「…いえ、そんな」
ちょっぴり曖昧に笑い返したのは、良心が痛んだからだ。
色々と考えた末、殿下にはペンダント型の護符に守護の魔法陣などを書き込んだものを作って渡した。
たくさん効果を付けようとするとどうしても護符が少し大きめになってしまう。でもペンダントなら服の中にしまえるから目立たないし、持ち歩いてもあまり邪魔にならないだろうと思ったのだ。
この前贈られた服のお礼という名目で「できるだけ身に着けて欲しい」と言って渡したところ、殿下はものすごく喜んで受け取ってくれて、かなり罪悪感を感じた。
なぜなら護符には、守護の魔法陣が発動した時に私にそれを知らせる機能だとか、居場所を探知できる機能だとか、色々とこっそり付けておいたからだ。
この機能には、遺跡で手に入れた『流星』の鱗を使っている。
私はまず鱗を削って磨き、自分用の護符を作った。そして鱗を削った際にできた粉を塗り込み、殿下の護符も作り上げた。
一つの素材を分けて作られたものは共鳴しやすい性質がある。
それを利用し、護符に込めた魔力を辿る事で相手の状況を把握できるようにしたのだが…。
王族の居場所を逐一把握するなど、当然やってはいけない事だ。
もちろん純粋に殿下の身を案じて作ったものだし、決して悪用はしないと誓って言えるのだが、殿下には本当に申し訳ない。
殿下なら許してくれそうな気がするが、だからこそ黙ってそんな機能を付けたことが心苦しい。
でも「殿下が狙われているのを知っています。なぜなら前世の記憶があるからです」なんて言える訳ないしなあ…。
スピネルからは殿下が狙われている可能性を教えられているけど、あくまでこっそり教えてくれた事だし、確信のある話ではなかったし。
いつか、全部終わった時に正直に話して謝れたら良いんだけどな。
「…そういや、お前用の護符はどうした?ちゃんと作ったんだろ?」
「あ、はい」
思い出したように言ったスピネルに、私はうなずいた。そういえば完成した事を言ってなかったな。
「ちょっと見せてみろよ」
「良いですよ」
首にかけた紐を引っ張り、服の中から護符を取り出す。
加工の都合上、私の護符もペンダント型になった。
そのまま『流星の護符』と名付けてみたけれど、大して意味はない。何となくかっこいいだけだ。
守護や魔除けは既に持っている護符で十分だと思ったので、色々と変わった機能ばかりを盛り込んで作ってしまった。
どの程度役に立つかは自分でもよく分からないが、まあ殿下の護符と共鳴できるだけでも十分だ。
スピネルは護符を受け取ると、手のひらに乗せてじっと見つめた。
「どうかしましたか?」
「いや。ずいぶん地味なデザインだな」
「ああ、これは素材をできるだけそのまま使いたかったもので」
殿下の護符は加工した魔石を既製の台座に嵌めて作ったので、一応アクセサリーとしての体裁は整っているのだが、私の流星の護符は磨いた破片が紐にぶら下がっただけの素朴極まりないデザインだ。
私は職人ではないので、アクセサリーのオリジナルデザインなんてできないしな。飾り気は全くないし、色も黒なのでとても地味に見える。
ちっとも貴族令嬢らしくないので、見える場所に着ける事はできない。
「しかし変わった石だな。一見黒なのに角度によって赤く光る…こんな石は見た事がない」
殿下が横からスピネルの手元を覗き込んだ。「少し見せてくれ」と言ってスピネルから護符を受け取る。
さまざまな角度から眺め、それから指先で軽く触れて訝しむような顔になった。
「……?もしかして、石ではないのか?不思議な手触りだが」
「ええ、まあ…とても貴重なものなんですが…」
私は再び曖昧に笑った。
あまり突っ込まれるとまずい。素材自体もまずいが、二つの護符に施した細工は探知魔術を使えばすぐに分かるものなのだ。
殿下はそんな魔術は使わないだろうが、やたら勘が良い所があるので魔術なしでも何かを勘付いてしまうかもしれない。
何かおかしいと思ってそこら辺の魔術師に「ちょっとこの護符を調べてみてくれ」と言えば、私はそれでお縄である。
「…あの、私、そろそろお
「え?ああ」
そそくさと立ち上がった私に、殿下が慌てて流星の護符を返してくれる。
「視察のお話が聞けて楽しかったです。お二人共お疲れでしょうし、ごゆっくり休まれて下さい」
「!待…」
「すみません、ではまた学院で!ごきげんよう!」
何かを言いかける殿下に申し訳なさを募らせつつ、急いで挨拶をして部屋を退出する。
とりあえず無事は確認できたし、もう日が傾いているのは本当だ。早く寮に帰った方が良い。
護衛のヴォルツもずっと私を待っているだろうし。
残りの話は学院で聞かせてもらおうと思いながら、急ぎ足で城の廊下を歩いた。