世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「お嬢様、こちらの帽子も被って下さい。暖かいですから」
「はい」
コーネルが取り出したふかふかの毛皮の帽子を、私は大人しく頭にかぶった。
厚手のコート、手袋、マフラー、ブーツとかなりの重装備だ。正直ちょっと重いのだが、文句は言えない。
何しろ私は数日前まで、またもや風邪を引いて寝込んでいたのだから。
この年末年始、私はちゃんとジャローシス領に帰るつもりだった。
両親からは今年は帰って来いと念を押されていた。何しろ長兄のラズライトお兄様は結婚したばかりなのだ。
新妻のサーフェナお義姉様はジャローシス家の妻として初めての年越しで、新年の祝いでは改めて領民へのお披露目がされる。
不慣れな事も多いだろうし、義妹の私が一緒にいた方が心強いだろう。
王都のことは気になるが、この冬休みくらいは実家で過ごすべきだと、私もまた思っていたのだが…。
いざ冬休みに入り帰ろうとした所で、風邪で熱を出してしまったのである。
冬にしては妙に暖かい日が続いた後で急に気温が下がったので、その温度差が良くなかったのではないかと思うが、日頃からちゃんと身体を鍛えておけばと激しく後悔した。
元々さぼりがちだったランニングを、寒くなってから完全にやめていたのが悪かった。やはり体力はちゃんと付けておかなければならないのだ。
一応剣術もやっていた前世では、風邪を引いても高熱を出すような事はほとんどなかったし。
これにより、私の帰省は急遽中止となった。
数日で熱は下がったのだが、咳やら鼻水やらと言った症状がなかなか治まらなかったのだ。こんな状態で馬車旅などとてもできない。
冬休み中というのもあって、王都のジャローシス屋敷でゆっくり休む事になった。
もちろんコーネルと、私の護衛をやっているヴォルツも、去年に引き続き王都に居残りである。
二人共きっと家族に会いに帰りたかっただろうに、本当に申し訳ない。
年が明ける頃になってようやく咳や鼻水も無くなったのだが、毎年恒例の王家による新年パレードにはさすがに行かせてもらえなかった。
病み上がりであんな人の多い所に行くなんてとんでもない!とコーネルに怒られたのだ。
彼女の言う事は最もなのだが、かなり残念だった。せっかく王都にいるのに見に行けないなんて…。
風邪を引いてからは殿下の顔もずっと見ていない。
うつしてはいけないとお見舞いを断ったのは私なのだが、その代わり果物や花が届いたりした。
家族からも私の体調を案じる手紙が来ていたし、また皆に心配をかけてしまったと反省しきりだ。
どうして私はこうなんだろう。落ち込むしかない。
ちなみに、帰省の途中で領に立ち寄らせてもらう予定だったアーゲンからも、ちゃんとお見舞いの品が届いていた。
直前になってキャンセルをして、むしろこちらが迷惑をかけたというのに。相変わらずマメというか、振られた後でもその辺りの対応を変える気はないらしい。
以前は腹黒い野郎だと思っていたが、友人として付き合ってみると良い奴だ。
前世とは少し性格が違う気がするが、親しくなった事で本来の彼を知っただけなのか、それとも前世では起こらなかった事件や経験によって何か変わったのか。
何にせよ、帰ってきたらお詫びとお礼をしなければなと思う。
そんな訳で今年も王都で冬休みを過ごしている私だが、ずっと部屋から出られないので正直暇を持て余していた。
いつものように魔術の修業をしたり本を読んだりして過ごしているのだが、それが何日も続くとさすがに飽きる。
私の場合新しい本さえあればだいたい暇は潰せるのだが、年末年始は図書館も休みなのだ。すでに借りてある本はとっくに読み終わってしまった。
スフェン先輩は今年もまた王都に残っていて、時々様子を見に来てくれているが、先輩だってそんなに暇ではない。
せっかくまとまった時間が取れるのだからと、冬休み中は剣術修業に打ち込んでいるのだそうだ。
そんな中、ただ一人この時期の王都で同じように暇を持て余している人がいた。
殿下である。
学院は冬休みだし、年末年始ともなれば城の者たちも交代で休みを取るので、勉強や剣術修業も自習ばかりになる。
そして貴族や同級生の多くが王都を留守にしているので社交もお休みだ。
従者のスピネルはパレードが終わってから休みを取るのでまだ王都にいるはずだが、何やらここしばらく、暇な時は城を留守にする事が多いようだ。
どこに行っているのかは殿下にもよく分からないと言う。私も尋ねてみた事があるが、適当にはぐらかされた。
時々図書館や王宮魔術師団で見かけるとも聞いたが、私がそれらの場所で顔を合わせた事は一度もないし、スピネルらしくない話だ。
恋人ができたとかいう訳でもなさそうだし…。一体どうしたんだろう?
まあそれはさておき、私と同じく「やる事がない訳ではないが、何となく暇」状態の殿下からは「風邪が治ったらいつでも遊びに来て欲しい」という旨のメッセージが届いていた。
そこで新年パレードが終わった翌日、さっそく城を訪ねる事にしたのだ。
殿下の顔を見るのは久し振りなので楽しみだ。
スピネルは今日あたり実家のブーランジェ領に帰るはずだから、もしかしたら出発前に会えるかも知れない。
護衛のヴォルツの他、コーネルも同行してくれるというので、二人を連れて城へと向かった。
ずっと外に出ていなかったので、吹き付ける冬風がとても寒く感じる。
厚着を勧めたコーネルは正しかったようだ。まあ移動はほぼ馬車だから外を歩く距離は僅かなんだが…。
顔馴染みの門番に挨拶をし、城内へと入る。
ヴォルツとコーネルとはここで一旦お別れだ。城の中には登城した貴族の護衛や使用人が待機するための待合室があるので、二人は帰るまでそこにいる事になる。
この時期は利用者がほとんどいないのでほぼ二人きりのような気がするが、一人でいるよりはマシだろう。
「では、お嬢様。ごゆっくり」
「はい」
コーネルには帽子と手袋、マフラーだけを預けた。城内も結構寒いのでコートは着たままだ。
そして、殿下の所まで案内するためにやって来た衛兵の顔を見て私は目を丸くした。
「貴方は確か、アイキンの…」
「はい。カーフォルでございます。覚えていて下さって嬉しいです。その節は、本当にありがとうございました」
深々と礼をした男の名前はカーフォル。
昨年の水霊祭の時に立ち寄ったタルノウィッツ領、そこで出会った少年アイキンの叔父だ。
カーフォルは、タルノウィッツ領で行われていた非合法の魔術実験の被害者だった。
ちょっとした巡り合せにより、私や殿下の一行はその非道を暴く事になったのだが、事件後被害者たちは全員王都へ送られた。
事件の証言を取るためと、体内に埋め込まれた魔法陣の解除をするためだ。
さらに被害者の多くは実験の影響により衰弱しており、後遺症の心配もあったので、しばらくの間王宮魔術師団による保護と静養が必要と判断された。
カーフォルもまたアイキンと共に王都に留まる事になり、その際に二人には一度会って礼を言われたりしていたのだが…。
こうして再会するのはおよそ半年ぶりだ。まさか城の衛兵になっているとは思わなかった。
「アイキンは元気ですか?」
「はい。今ではすっかり王都にも慣れたようで」
事件の被害者は身寄りがいない者ばかりだった。
身体が回復してからも、嫌な記憶が残るタルノウィッツ領にはもう戻りたくないと言う者が半数以上で、そういう者たちは王国の支援を受けて別の領や王都へと移住したと聞いている。
カーフォルもアイキン以外の身寄りはいないし、王都で職に就き暮らすことを選んだんだそうだ。元騎士という経歴、それから若さとやる気を買われ、城の衛兵に採用されたのだという。
「王都は良い所ですね。田舎者の自分には慣れない事も多いのですが、皆さん良くして下さいます」
「それは良かったです」
私は嬉しくなってニコニコした。
王都にはたくさんの人々が暮らしているが、おおむね平和で豊かにしているのは国王陛下による統治が行き届いている証拠だ。
殿下にもまた、この治世を長く続けていただくのが私の望みである。
「それに、王都にはとても大きな図書館があるのが良いですね。衛兵の身分があるおかげで、いつでも本が借りられて嬉しいです」
「カーフォルさんは本がお好きなんですか?」
思わず問い返すと、カーフォルは照れたように少し笑った。
「はい。タルノウィッツにはあんな大きな図書館などなかったので、最初行った時はびっくりしました」
なるほど。普段から本に馴染んでいるなら、ある程度教養はあるのだろう。城の衛兵に採用されたのはその辺も理由の一つなのかもしれない。
城勤めなら、場合によっては貴族の相手をする事もあるしな。
「どんな本を読まれるんですか?」
「小説が多いのですが、最近読んだ中で好きだったのはあれですね。自分の身代わりとして人質になった親友のために、千里を走る男の物語」
「あっ、それは私も読みました。短めですが、とても良いお話でしたよね」
暴虐な王を斃そうと決意したが、目的を果たせずに捕まってしまった愚直な男が主人公の話だ。
男は処刑されることになったが、その前にせめて妹の結婚式に出たいと願い、親友を人質として残し故郷へと走り出す。
前世でも読んだ本だが、好きな話なので今世でも読み直してしまった。
「アイキンも文字は読めますし、読んでみるよう勧めてみたんですが、まだ難しかったようで」
「あら…」
苦笑いするカーフォルに、私も少し笑ってしまう。
彼は事件の時は無愛想な様子だったしほとんど話さなかったが、本来は話好きの男だったらしい。意外に愛想が良いし、本が好きだと言うのも私としては好感が持てる。
そのまま本の話を続けようとしたところで、私はふと気が付いた。
…何も考えずカーフォルの後について歩いていたが、いつの間にか王宮のずいぶんと奥の方まで来ている。