世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
小さな窓から差し込む夕日の赤い光がゆっくりと細くなっていくのを、ただぼんやりと見つめた。
また日が沈み、一日が終わる。
王宮から拉致されて7日、私はずっとこの小さな部屋の中で何をする事もなく過ごしている。
オレラシア城西側に立つ塔の中にあるこの部屋は、恐らく貴人を幽閉するためのものなのだろう。
古びたベッドとサイドテーブルにランプ、テーブルと椅子が一脚ずつ。それから小さなチェストと、暖房の魔導具。一通りのものが一応揃っている。
ただ、かなり高い場所に小さな明り取りの窓があるだけなので外の様子は全く見えないし、本だとか玩具だとかの娯楽の類は一切ないので、とにかく暇だ。
魔術は封じられているし、できるのは考え事くらいしかない。
オットレたちが宝物庫から盗み出したのは、『支配者の王錫』と『王護の腕輪』。
王家の秘宝とされるこの二つは、このヘリオドール王国が建国されるよりもはるか昔、今では失われた技術を使って作られたとされる貴重な古代の遺物だ。
どちらも王家の血を引く人間にしか使えない魔導具として国民に知られているが、実は「予め登録された人間しか使えない」というのが正しい。
登録を許されるのは王家の中でも高い王位継承権を持つ者のみなので、王家の人間にしか使えないというのも間違ってはいないのだが。
秘宝を身に着けて良いのは国王陛下のみだが、登録者自体はどの時代でも概ね5人以上いる。
新しく登録者を増やす際には既に登録されている者の立ち会いが必須なので、急死などによって使用者が途絶えるのを防ぐためらしい。
オットレも登録者のうちの一人なのは、スピネルに対し王錫を使用していたので間違いない。
ちなみに、その登録を行うための魔術が記された本は、王宮魔術師団の筆頭魔術師でなければ閲覧を許されていないものだ。宝物庫近くにある書庫に収められ、平時は封印が施されている。
秘宝はどちらも、現代の魔導具では再現不可能な強力な効果を持っている。
1つ目の秘宝、支配者の王錫の効果は「一時的に相手を従わせられる」というもの。
ただしどんな命令でも従わせられる訳ではない。強い忌避感を抱く事柄については効きにくいという。
「自害しろ」のような自分の生命に関わる命令はほとんど成功しないし、「人を殺せ」などという命令も、元からその相手を殺したいと思ってでもいない限り大きな抵抗を受ける。
命令が持続する時間はその内容によって変わり、これも支配された側が心理的に抵抗を感じる命令であればあるほど、効果時間は短くなるという。
効果範囲は半径20メートルほど。
同時に複数の人間を支配する事もできるが、その場合は効果が弱まる。
そして2つ目の秘宝、王護の腕輪の効果は「着用者へのあらゆる魔術を遮断する」というものだ。
どんな高威力の攻撃魔術でも完璧に防ぐし、眠りの魔術や精神に作用する術も効かない。
シンプルかつ非常に強力な効果だが、厄介なのは「他者が腕輪を奪い取ることはほぼ不可能」という点だ。
登録者が着用した状態の腕輪に他者が触れると、触れた者の身体には激しい電撃が流れる。しばらくの間身動きが取れなくなるほどの威力があるものだ。
このため、力づくで無理やり奪い取る事はできない。
欠点は、治癒魔術も効かなくなる点だ。着用者本人は魔術が使えるので、怪我をした場合は自分で治さなければならない。
これら二つの秘宝の力は、人間にだけ有効なものだ。魔獣だとか動物には効かない。
また、登録者同士にも効かないという。
オットレが王錫を使っても、殿下を直接操るような事はできないのがせめてもの救いだ。
秘宝が実際に使われる所は、私は今まで目にした事がなかった。
人同士が争っていた時代の王は、身を守るために常に着用していたそうだが、このベリル島がヘリオドール王国に統一されてから久しく、大きな戦というものは長い間起こっていない。
秘宝とはただ、宝物庫の奥に厳重に保管され、重要な儀礼の際に装飾品として当代の国王が身に着けるものになっていた。
それだけに、秘宝が盗み出されているという事実に誰かが気付くまでには、だいぶ時間がかかる可能性が高いだろう。
何せ秘宝はつい先日、新年パレードのために宝物庫から出されたばかりだったのだ。
次にチェックが行われるのは早くても1ヶ月後。それまでは気付かないのではないだろうか。
フェルグソンやオットレの目的は玉座の簒奪のようだが、そのやり方はいくつか考えられる。
まず1つ目は単純に武力によるクーデター。
国王陛下を捕らえて譲位を認めさせるか、あるいは殺害して城を乗っ取る。
実行の際のリスクがあまりに大きいし、成功した場合でも多くの犠牲が出る可能性がある。
貴族たちの反発も大きいだろうし、下手をすれば国内をいくつもに割る戦となる。国民の不満や反感も買うだろう。
賢いやり方とはとても言えない。
2つ目は、多くの貴族たちの支持を集め、エスメラルド殿下や王弟シャーレン様を追い落とし失脚させる方法。
最も血が流れないやり方だが、強い権力を持つ貴族家の協力が必須だ。五大公爵家のうち最低二つの支持は欲しいところだろう。
シャーレン様は気が弱く権力に興味がない方なので、オットレがこの方法を取る場合、実質的に障害となるのは殿下だけだ。
しかし殿下は優れた後継者だとすでに多くの貴族たちから支持されている。今からオットレが勝つのは相当難しい。
3つ目は、暗殺を用いた方法。
オットレよりも王位継承権の高い人間がいなくなれば、自動的に玉座が転がり込んでくる。
ただし王族の警護は非常に厳しい。前世の殿下だって、杯を差し出したのが婚約者の彼女でさえなければ、決して毒殺などされなかっただろう。
また、上手くやらなければ貴族たちから疑惑を持たれる。
特に、殿下を支持しているブロシャン家や息子を従者にしているブーランジェ家は、草の根を分けてでも犯人を探そうとするはずだ。後々に火種を残す事になる。
最もありそうなのは、1と2、あるいは2と3を合わせた方法だろう。
なるべく多くの貴族の支持を集めた上で、クーデターを起こすか殿下を暗殺する。
クーデターや暗殺を実行した時に起こるだろう貴族や国民からの反発や疑惑の目を、自分を支持する有力貴族の力で抑え込むのだ。
これが恐らく一番成功率が高い。
…どの方法を取るにしても、秘宝の力は確実に役に立つ。
そして、スピネルの存在は非常に重要だ。
彼が持っている情報は貴族たちの支持を集める上で有効だし、殿下の従者である彼とその父であるブーランジェ公爵がオットレを支持する事には、とても大きな意味がある。
かつて第一王子だったフェルグソンが失脚し、王位継承権を奪われる事になったきっかけは、奴がまだ学院在学中に起こした事件だ。
その当時フェルグソンは権力を笠に着て、横柄な振る舞いが目立っていた。また、女遊びも結構派手だった。
フェルグソンは既にゾモルノク公爵家の娘との婚約が決まっていたのだが、もし気に入られれば第二夫人や第三夫人の座に収まれるかもしれない。奴と関係を持っておいて損はないと考える令嬢は結構いたようだ。
そういう令嬢とだけ遊んでおけば何も問題はなかったのだが、ある時フェルグソンは婚約者がいる令嬢にまで手を出した。
その令嬢は大人しい性格で、フェルグソンに無理やり迫られ断れなかったらしい。何しろ相手は第一王子なのだ。
それは数ヶ月後、令嬢がフェルグソンの子供を身籠ってしまっていたために発覚した。
令嬢はブロシャン家派閥に属する魔術師系貴族で、その婚約者は騎士系の名門侯爵家アージロード家だった。
当時公爵だったブロシャン魔鎌公及びアージロード家は、フェルグソンに対して激しく抗議した。
しかも王家の血が流れる子供が生まれるとなると、問題は当事者間だけでは済まない。
王家の代理人も交えて何度か話し合いが持たれ、結局「生まれた子は王子として扱うが、王位継承権は第一夫人の子よりも下とする」という条件で、その令嬢をフェルグソンの第二夫人とする事が決まった。
令嬢の婚約者は激しく腹を立てていたが、相手が第一王子である事、王家が多額の慰謝料を支払った事から、矛を収めざるを得なかった。
しかしこの件は、それだけでは終わらなかった。
少しずつお腹が大きくなり始めていた令嬢は、ある日城の階段から足を滑らせて落ち、お腹の子共々そのまま亡くなってしまったのだ。
これを聞いた令嬢の元婚約者は、今度こそ絶対にフェルグソンを許さないと激怒した。
フェルグソンは彼女と生まれてくる子供を疎んじ、殺したのだろうと彼は思ったのだ。
真実がどうだったのかは分からない。
だが、魔術師への蔑視が激しいフェルグソンが「魔術師系貴族が母親の子供など欲しくない」と周囲に漏らしていたのも事実だった。
この事件は国王陛下まで乗り出してようやく解決したのだが、後に大きな遺恨を残した。
フェルグソンはブロシャン家を始めとする魔術師系貴族とは元から仲が良くなかったのだが、騎士系の名門アージロード家との間にも深い溝ができてしまった。
更に死んだ令嬢や元婚約者への態度が悪かった事もあり、フェルグソンの貴族内での評判は一気に下がった。
魔術師だけでなく、騎士系貴族に対しても傍若無人な振る舞いをするのだと思われたのも、大きな要因だろう。
それでも、ここで自らを反省し行いを改めていたら、フェルグソンは今頃ちゃんと玉座に座っていたはずだ。
しかしそうはならなかった。
周囲の者、特に娘をフェルグソンの婚約者としていたゾモルノク公爵などは「そろそろ次の王としての自覚を持つべきだ」と諌めようとしたらしいが、フェルグソンは耳を貸さなかった。
今までは許されていた行いが、急に冷ややかな目で見られだしたのが受け入れられなかったらしい。子供のような男だ。
やがてブロシャン公爵家は第二王子カルセドニーの支持を表明し、アージロード家などもそれに追随した。
それによって元から粗暴だったフェルグソンは癇癪を起こす事が増え、しまいには暴力事件なども起こした。
フェルグソンはどんどん貴族内での支持を失って行った。
コーリンガ家などはフェルグソン支持を続けたのだが、最大派閥であるパイロープ公爵家が第二王子派についたのがとどめとなった。
前国王陛下はフェルグソンの王位継承権を剥奪。第二王子カルセドニーを後継者としたのだ。
その頃にはフェルグソンはすでに結婚しておりオットレが生まれていたのだが、オットレの王位継承権は残すと決まったのは、ゾモルノク家への配慮が大きかっただろうと思う。
ゾモルノクは裕福だが、過去にも王家と少々いざこざがあった複雑な家だ。この上、更に冷遇するような事はしたくなかったのだろう。
ゾモルノク公爵はフェルグソンには激しく落胆しだろうが、曲がりなりにも娘婿である。
今回の事件に関わっているかどうかは分からないが、国王陛下やエスメラルド殿下に何かあった時には、フェルグソンやオットレを支持するだろう。