世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第135話 王家の秘宝(後)

今代で殿下とオットレの間に王位争いが起こった場合、五大公爵家がどちらにつくかについて、まとめるとこうだ。

ブロシャン家と、フェルグソンとは仲違い済みのコーリンガ家は殿下派。

ゾモルノク家がオットレ派。

パイロープ家が中立派。

そしてブーランジェ家は息子のスピネルを殿下の従者としているので、本来なら当然殿下派なのだが…。もしオットレ派につくとなれば、勢力図は大きく変わる。

 

 

…問題は、スピネルがちっとも殿下を裏切りそうに見えない事だ。

本人の性格的にもだが、スピネルはきちんと従者を勤めていれば将来の高官の座が約束されているのである。既に信用を得ている殿下を裏切る必要はない。

今フェルグソンに協力しているのは殺されないためであり、土壇場になったら確実に殿下側につくだろうと、どんなバカでも簡単に分かる。

実際、スピネルは口八丁で堂々とフェルグソンたちと渡り合っていたが、王錫の力を使ってなお疑われているようだった。

スピネルの事だから上手くやるだろうと信じたいが…。

 

そして、私についても問題だ。

我が家は一応侯爵家とは言え、新興の魔術師系貴族なので権力など微々たるものだ。私の価値は殿下の友人という一点に尽きる。

殿下に対しての切り札にはなるだろうが、逆に言うと殿下本人以外には大して効かない札なのである。

私を守ると言ってくれているスピネルにも効くだろうし、嫡男のアーゲンを救った貸しがあるパイロープ家などにもそれなりに効くと思うが…。

いざという時、殿下の周りの者は「あの娘は諦めて見捨てましょう」と言って殿下を説得にかかるだろう。私でもそうする。

今すぐ殺される事はないだろうが、生かしておいたら面倒だなとか、大して役に立たないなと思われたら、その時はあっさり殺されるだろう。

 

 

 

そんな事をあれこれ考えて憂鬱になっていると、遠慮がちなノックの音が部屋に響いた。

がちゃりと鍵の開く音がして、ゆっくりと扉が開く。

そこから顔を出したのは、メイド服を着た30代半ばほどの気弱そうな女性だ。

ここに囚われてからはこの女性がずっと私の世話をしているのだが、会話は一切交わしていない。

 

彼女はいくら私が話しかけてみても、首を振ったりうなずくか、困った顔をするだけだった。

始めは私とは口をきくなと命令されているのだろうかと思っていたが、諦めずに何度も話しかけたり名前を尋ねていると、彼女はあるものを懐から取り出した。

それは雑紙を束ねて作ったと思しき小さなノートだったのだが、彼女は無言で表紙に書かれた「デーナ」という文字を指さしたのだ。

「それが貴女の名前ですか?」と尋ねると彼女は黙ってうなずき、それでようやく理解した。

彼女は言葉を喋れないのだ。

 

 

デーナは背は高いがいつも猫背だ。彼女が背中を丸めつつテーブルの上に置いたお盆を、横から覗き込む。

水差しとコップ、それから野菜や鶏肉が浮いた黄色いシチューとパン。これが今日の私の夕食だ。

「今日はかぼちゃのシチューなんですね。美味しそうです」

返事はないと分かっているが、あえて話しかける。

何しろ彼女はこの7日間で、私が顔を合わせている唯一の人間なのだ。

 

一人で過ごすのには慣れているし、それなりに忍耐力もあるつもりだったが、これだけの時間誰とも話さずにいるというのはさすがに堪える。

彼女の持っているノートは筆談用だろうと思い、ちょっとした質問や世間話など様々に話しかけてみたのだが、今まで彼女がノートを使ったのは数えるほどの回数だ。

書いた文字を見て分かったのだが、彼女は読み書きが苦手らしい。きっと独学で覚えたのだろう、日常的に使うごく簡単な単語しか書けないようだ。

聾唖者用の手話というものも存在するが、残念ながら私はやり方を知らない。

 

「私、かぼちゃは結構好きなんです。デーナはかぼちゃは好きですか?」

そう尋ねると、デーナはちらりとこちらを見て小さくうなずいた。

私は「同じですね」と言って微笑む。

わずかな身振り手振りだけの反応でも、相手をしてもらえるだけで有り難く感じる。

 

 

それからデーナは部屋の隅へ行くと、今朝の朝食が乗せられていたお盆を持ち上げた。そのまま部屋を出ようとする。

「…ありがとうございました。また明日」

後ろから声をかけると、彼女は振り向いて申し訳なさそうな顔で一礼をし、ゆっくり扉を閉めた。

再びがちゃりと鍵のかかる音がして、ついため息が出る。

…これでまた、私は明日の朝まで一人きりだ。

 

 

 

あまり食欲はないが、木のスプーンを手に取って冷めたシチューを口に運ぶ。

食器類は全て木製な上に、ナイフやフォークは付いて来ない。隠し持って武器にしたり自害しないようにするためだ。本当に犯罪者のような扱いである。

まあ一日二食だが食事は出てくるし、衣類も替えが届けられている。二日に一度だがたらいの水を使って身を清拭もできるので、犯罪者よりは大分マシなのだが…。

スピネルの方はどんな感じなのだろう。あいつは結構きれい好きだし、殿下ほどではないがよく食べる。地下牢生活は堪えるはずだ。

上手く奴らに取り入り、ちゃんとした部屋に移動できていればいいのだが。

 

 

…殿下は。殿下はどうしているかなあ。

フェルグソンたちは、貴族たちを仲間に引き入れるための工作をしている間は殿下には手を出さないだろう。

そういう意味でも、有力貴族に関する情報を少しずつ流すというスピネルの策は有効だ。

しばらく時を稼ぎ、その間の殿下の無事を確保できる。

 

だがそれでもやはり心配なのは、フロライアの事があるからだ。

状況的にフロライアがフェルグソンと組んでいる可能性は十分考えられるが、全く別の勢力という可能性だってある。何しろ、彼女の動機が分からないのだ。

前世の彼女は王妃の座が約束されていた。わざわざフェルグソンやオットレ側につく理由がない。

実はオットレと恋人同士だったとかなら動機は生じるが、そんな様子はなかった。

それにあの時彼女が言った、「天秤を傾ける」という言葉の意味は未だに分かっていない。

何か別の理由で暗殺を企んでいるのだとしたら、フェルグソンが動いたこの機に乗じて殿下を狙おうとするかもしれないのだ。

 

 

服の上から、流星の護符を握り締める。

殿下に贈った護符と共鳴するはずのこれは、今は大半の魔力を失いただの飾りと化している。気が付いた時には、込めてあったはずの魔力がほとんど尽きていたのだ。

他の護符や護身用の武器などは取り上げられてしまったのに、これだけは隠し持っていると気付かれなかったのは、魔力が感じられなかったからだろう。

 

封印区画でオットレたちに出くわした際、急に光が輝き、カーフォルは倒れたのに私は何ともなかった。あれはもしかして、この流星の護符の効果だったのではないかと思っている。

眠りの魔術を防ぐような効果を付けた覚えはないし、封印区画なのに発動したというのも謎なのだが、他に考えられない。

おかげでスピネルが来るまでのわずかな時間を稼げたのは、良かったのか悪かったのか。

 

セナルモント先生だったら、殿下の護符から逆探知をして私の居場所も分かるかもしれないが…共鳴する護符を持っている事、殿下には伝えてないんだよなあ…。

やっぱり正直に話すべきだった…。

 

 

日が経つにつれ、会いたいという気持ちがますます募る。

傍近くで殿下をお守りしたいし、何より私自身が心細いのだと気が付いてしまった。

孤独がこんなに辛いなんて知らなかった。

せめて気を紛らすための何かがあればいいのに、この部屋には何もない。

人の声はなく、外の景色すら見えず、ただ冷たい石壁が私を囲んでいるだけだ。

 

殿下に、家族に、皆に会いたい。

私がいなくなったとどこまで表沙汰にされているかは分からないが、少なくとも殿下は知っているだろうし、家族にも知らされているだろう。母はまた卒倒しかけたかもしれない。

城に取り残されたコーネルやヴォルツ。セナルモント先生や、新年休みを取らずに王都に残っている先輩も、きっともう気付いている。必ず心配している。

 

あの古代遺跡に閉じ込められた時の事を思い出す。

無事に帰った私を見て家族は皆泣いていた。

それに殿下も。

「良かった」と言って抱きしめてくれた温かい腕を、今でもよく覚えている。

 

 

…何だか色々とこみ上げてきそうになり、慌ててそれを振り払った。

弱気になるな。気を強く持たなければ。

必ず無事に帰ると決めたではないか。

たかだか一週間で、心が折れそうになるなんて情けない。

 

止まっていた手を動かし、もう一度シチューを口に突っ込む。

しかし、かぼちゃの味がするはずのシチューは何の味も感じられず、飲み込むのにかなりの努力を必要とした。

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