世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
新学期が始まった。
護衛の騎士と一緒に校門を通り抜ける。
いつもなら隣を歩いているはずのスピネルも、真っ先に自分を見つけ歩み寄ってくるリナーリアもいない。
それでも、エスメラルドはあくまで普段通りの顔で登校した。
一言だけ挨拶をして去っていく者がほとんどだが、遠巻きにこちらを見てこそこそと噂話をしている者もやはりいる。
努めて気にしないようにしていると、堂々と笑みを浮かべて近付いて来る者がいた。
「あけましておめでとうございます、エスメラルド殿下」
「ああ。あけましておめでとう」
アーゲンだ。いつものようにストレングを連れている。
「僕はこの冬休み、テニスというものをやってみたんですよ。バドミントンと似ているんですが、これがなかなか面白くて」
「ほう」
近頃すっかりスポーツにはまっているらしいアーゲンは、教室までの短い間、新しく覚えたスポーツについて話してくれた。
彼はこのところ、ずいぶんと大人びたように見える。外見よりも内面がだ。
以前はどこか人を試すような言動や本音を隠すような態度を取る事が多かったのだが、心情を真っ直ぐに表に出す事が増えた。それでいて、本当に重要な事柄については見事に煙に巻く。
つまり、とても手強くなった。
「ああいうスポーツは、反射神経や動体視力を鍛えるにはとても良いですね。剣術にも役立っています」
「それは俺も思った。剣術修業の中に組み込んでもいいかもしれない」
雑談に応じながらエスメラルドは、アーゲンの気遣いはとてもありがたい、と思った。
リナーリアとスピネルの二人が既に王都内にいないのは確実と見られ、人相書きと共に二人に関する情報を求めている旨が各領には通達されている。あまり事を大きくはしたくなかったのだが、手がかりが見つからないからだ。
アーゲンとてそれを知っている。その上でわざとこうして人目につく場所で、何の関係もない雑談をしているのだ。
きっと駆け落ちだ、あるいは誘拐だなどと、無責任に噂する者は多い。「それが一番面白い筋書きだからだ」と護衛騎士の一人が憤慨していた。彼らはスピネルの事もリナーリアの事もよく知っている。そんな訳がないとちゃんと理解してくれている。
アーゲンもまた、そうして理解してくれている者の一人なのだ。エスメラルドと同じくあえて普段通りにしてみせる事で、そんな噂は取るに足らない物だと態度で示してくれている。
噂自体を消すことはできないが、パイロープ公爵家の嫡男がそういう態度でいるというのは、他の生徒に対しある程度の抑えにはなる。
これはきっと、リナーリアのためでもあるのだろう。
アーゲンは卒業パーティーの時彼女に振られたのだという噂を聞いたが、それでもなお彼女の味方をしたいと思っているようだ。
アーゲンとは別クラスなので、教室の前で別れた。
「あっ、殿下!あけましておめでとうございます!」
教室に入ってすぐ声をかけてきたのはニッケルやその友人たちだ。
彼らもやはり二人の件には触れようとはせず、エスメラルドを励ますように笑いかけてくれた。
そう言えば、ニッケルと親しくなったのもリナーリアの言葉がきっかけだったな、と思い出す。そして、その時協力して背中を押してくれたのはスピネルだった。
今まで自分が歩いてきた道には、確実に二人の影響がある。
…必ず取り戻さなければ。
昼休みになり、食堂に向かってニッケルたちと歩いていると、廊下に立ち塞がるようにしてこちらを待っている者たちがいた。
「よう、エスメラルド」
「オットレ…」
ニヤニヤと笑うオットレの後ろには、いつも一緒にいる取り巻きが数人いる。皆エスメラルドを見ている。
「ちゃんと学院に来てるとは意外だったぞ。裏切り者の従者と女を探さなくて良いのか?」
「裏切り者などではない」
そう言い返すと、オットレはバカにしたような表情になる。
「なんだ、信じているとでも言う気か?大事な女を寝取られた癖に相変わらず甘っちょろいな。…それとも、あんなあばずれにはもう興味がなくなったか?」
「…やめろ。侮辱は許さない」
怒りを滲ませて低く言うと、オットレは愉快そうに笑った。
「図星か?やっぱり心当たりがあるんだろう」
「…す、スピネルさんとリナーリアさんはそんな人じゃないっすよ!」
横から声を上げたのはニッケルだった。
彼は人と争う事を好まない。普段は誰かに食って掛かったりしないので、エスメラルドは少し驚く。
「なんだ、貴様」
オットレは不機嫌な顔に変わるとニッケルを睨んだ。そこでニッケルの名前を思い出したらしく、鼻で笑う。
「ああ、ペクロラスの倅か。田舎貴族風情が、この僕に向かって偉そうな口を」
「……」
ニッケルがわずかに怯む。エスメラルドは再び口を開こうとしたが、それよりも早く後ろから声が飛んだ。
「へえ。下世話な噂を真に受けて王子殿下に絡むのが、洗練された貴族のやる事だとでも?そいつは知りませんでしたね」
振り向くと、面白くなさそうな顔で腕組みをしたヘルビンが立っていた。彼は別クラスだがニッケルの友人であり、エスメラルドとも親しい。
目立たないように生きるというのが彼の信条だったはずだが、どうやら口を挟まずにはいられなかったようだ。
「貴様…!」
「オットレ様」
顔を赤くして激昂しかけたオットレを止めたのは、柔らかく涼やかな声だった。
「お待たせして申し訳ありません。授業の道具を片付けるのに手間取ってしまいまして」
「…ああ、フロライア」
オットレは途端に相好を崩し、彼女の方へ笑いかける。
フロライア・モリブデン。名家の出である美しい少女だ。エスメラルドとはクラスメイトで、近頃オットレとは親しいと聞いている。
フロライアはエスメラルドの方に軽く会釈をしつつ、オットレへと歩み寄った。
「急ぎましょう。食堂が混んでしまいますわ」
「ああ、そうだな。そうしよう」
…どうやらこれ以上は絡まれなくて済みそうだ。
そう思ったエスメラルドを、もう一度オットレが振り返る。
「…せいぜいそうやって、信じて待っているといいさ。そのうちきっと思い知る羽目になる」
捨て台詞を吐くと、オットレはフロライアと共に歩いて行った。
その後ろ姿を黙って見送る。
「…殿下!あんな奴の言う事、気にしなくていいっすよ!」
「そうそう。嫌味ったらしいったら…って、何してるんですか」
突然廊下の隅に向かってしゃがみ込んだエスメラルドに、ヘルビンが怪訝な声を出す。
「いや…今、何か…」
小さな影のようなものがオットレの髪から飛び出したような気がしたのだ。辺りの床を見回してみる。
視界の隅で何かがぴょんと跳ね、咄嗟に両手を伸ばした。
「…これは」
「え?何?何すか?」
ニッケルたちは訳が分からず戸惑っている。
エスメラルドはポケットに手を突っ込みながら立ち上がると、皆の顔を見回した。
「すまないが、急用を思い出した。俺は早退したと先生方に伝えておいてくれ」
「え!?で、殿下!?」
驚く声を置き去りにし、廊下を小走りで駆け出す。
…これはきっと手がかりだ。自分の勘がそう叫んでいる。
護衛も伴わずに大急ぎで城に帰ってきたエスメラルドに、兵士たちはずいぶん驚いたようだった。
しかしセナルモントやスタナムを呼べと命じると、すぐに表情を引き締め走っていった。
幸い、二人はちょうど城にいる所だったらしい。ほんの10分ほどで、防音結界の魔導具が置かれた会議室へと集まってくれた。
「…殿下、一体どうなさったのですか?」
尋ねられ、エスメラルドはポケットからそれをそっと取り出した。
「これを見て欲しい」
「…これは…ずいぶん小さなカエルですね。しかも変わった色だ」
エスメラルドがテーブルの上に載せたのは、体長わずか2cmほどの小さなカエルだ。鮮やかな黄に黒の斑が入った珍しい色をしている。
スタナムは怪訝な顔をしたが、セナルモントはすぐにそれの正体が分かったらしい。
「使い魔ですね。こんな派手な色のカエルとは珍しいですが…」
使い魔とは、魔術師がさまざまな物体を媒介とし、自らの魔力を込めて作り上げる生物の事だ。
その姿は千差万別だが、鳥や蝶などの空を飛べる生き物や、小さな鼠などの形を取る事が多い。
人では入りにくい場所の偵察をしたり、人目につかないようにメッセージを送りたい場合などに使用する。
使命を果たすか魔力が切れたら消滅してしまうもので、どんなに長くても一週間ほどの寿命しかないという。
「これはきっと、リナーリアが送ってきたものだと思う」
確信を持ってそう言ったエスメラルドに、スタナムが少し驚く。
「なぜですか?魔力の波長がお分かりに?」
「いや」
エスメラルドは首を振る。
魔力の波長は人によって違い、熟練した探知魔術があればその差を見分けられると言うが、自分にはそんな術など使えない。
「この寒い季節に、動き回っているカエルなどそういるものではない。それにこのカエルは、ミナミアカシアガエルと言って…」
そう言った瞬間、カエルがいきなりバシャン!と音を立てて弾けた。
「!?」
テーブルの上に真っ赤な血が広がる。
ぎょっとして見守るエスメラルドたちの前で、その血がゆっくりと動き、文字の形を作っていく。
やがて浮かび上がったのは、ごく短い単語。
…『秘宝』。
「…スタナム!!今すぐ宝物庫を調べろ…!!」