世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「父上、母上。これより出発いたします」
ベッドの上に身を起こした父王カルセドニーと、その横に付き添う母サフィアに向かい、エスメラルドは出立の挨拶をした。
「どうか、気を付けて。貴方なら必ずできます」
「必ず事を成し遂げ、大切なものを取り戻してきなさい」
「はい」
両親の激励に、まっすぐ前を見て答える。
エスメラルドはこれから、数百の兵と共に王家直轄領のオレラシア城に向かう。
無論、リナーリアとスピネルの救出のため。
そして、王家の秘宝である支配者の王錫と王護の腕輪の奪還のためだ。
…リナーリアが放った使い魔のカエルによって、『秘宝』というメッセージが届けられてから数日。
密かに、そして迅速に行われた調査により、様々なことが分かった。
事件当日、宝物庫の警備に当たっていた兵士の記憶が消されていた事。
消されたのはわずか1時間ほどの記憶で、かなり巧妙な魔術によるものだったため、本人もその記憶がないと気が付いていなかったらしい。
それから、フェルグソンが少しずつ兵を集め増やしているらしい事。有力な貴族たちへ金をばらまいている事。
オットレが事件当日城内にいて、「王宮魔術師ゲルマンから魔術指導を受けていた」と証言していた事もだ。
このゲルマンは近年フェルグソンと親しく、「魔術兵への魔術及び戦術指導のため」としてよく直轄領に招かれていた。結界に関する魔術が得意で、封印区画の魔法陣には関わっていないが、かなりの知識は持っているという。
続いて、セナルモントの逆探知魔術の結果が出た。
リナーリアが所持していると思われる護符の反応は、王家直轄領オレラシア城周辺にあった。
オレラシア城からは気付かれない距離を保った上で調べたもので、城内のどこにいるかまでは分からない。
しかし城に野菜を納入している商人によると、数日前に西側の塔の方から若い女性の悲鳴のようなものが聴こえたという。
フェルグソンとオットレが今回の事件に関与しているのは、ほぼ確定だと思われた。
兵を集め、金をばらまき、秘宝を盗む。様々な状況が、一つの可能性を示していた。
…王国への反逆だ。
エスメラルドはスタナムとアメシストを伴い、父王カルセドニーへ全てを報告した。
カルセドニーはしばらくの間瞑目していたが、やがて直轄領へ兵を送る事を決定した。
それからただちに主要な騎士や魔術師が集められ、作戦会議が始まった。
作戦の中核を担うのは、少数精鋭の騎士と王宮魔術師による突入部隊だ。
人質と秘宝を無事に奪還するため、被害を最小限に抑えるため、作戦は秘密裏のうちに開始されなければいけない。
残りの多く兵は、万が一にもフェルグソンたちを逃さないようオレラシア城の周辺を包囲するために配置される。
「なりません、殿下!突入部隊に参加なさるなど!!」
…自分も騎士たちと共に城内に突入する。
会議室の中、居並ぶ騎士や魔術師たちの前でそう言ったエスメラルドを、スタナム始め多くの者が止めた。
だが、エスメラルドは絶対に引かないという決意を込めて首を振った。
「向こうには王錫と腕輪がある。しかし、俺ならば秘宝の力は効かない」
オットレは現在王都にいるが、フェルグソンはオレラシア城にいる。秘宝はどちらもフェルグソンの手元にある可能性が高いだろう。
既に王位継承権を持たないフェルグソンだが、秘宝の使用権は残っている。使用権を登録する魔術はあっても、抹消する魔術は伝わっていないためだ。
王弟シャーレンやブロシャン公爵夫人など、エスメラルド以外にも使用権を持つ登録者はいるが、シャーレンは荒事が苦手だし、公爵夫人を作戦に参加させるなど論外だ。
「それはそうですが、危険です!殿下の身に何かあったら…!」
「せめて、包囲部隊の方へ。突入は危険すぎます」
「…俺が自らを鍛え、剣の腕を磨いてきたのはこういう時のためだ。使うべき時に使えないのであれば、剣などただの飾りでしかない」
口々に止める者たちに対し、エスメラルドは毅然として言い放った。
近衛騎士団長であるスタナムとて、エスメラルドの剣の腕は知っている。時には共に訓練する事もあったからだ。
生まれ持った才能を、たゆまぬ努力と研鑽によって高めてきた。その実力は近衛騎士と比べても決して遜色ないだろう。
だが、それでも。第一王子の命というものは、決して騎士などと同等に並べて良いものではない。
「殿下。どうか」
「スタナム」
なお止めようとしたスタナムを、エスメラルドが制した。
「秘宝の力は強力だ。欲望のままに使えば、国に、人々に、必ず災いをもたらす。俺はあれを受け継ぐ者として、取り戻す義務がある」
「…殿下」
「それに、あの二人もだ。絶対に取り戻す。俺はそのために戦わなければならない」
…事件が起きてからもう2週間が経つ。その間、片時も頭を離れなかった。
「スピネルは俺の大切な従者で、無二の親友だ」
気を紛らそうとして剣を取れば、彼の顔が。
「そして、リナーリアは…」
城で一番のお気に入りの場所、裏庭の池に行けば、彼女の顔が。
多くの時を共に過ごし、様々な彼女の表情を見てきた。
だけど、どうしてだろう。彼女がいなくなった今脳裏に浮かぶのは、ただ笑顔ばかりなのだ。
「…大切な女性がそこに囚われているというのに!!後ろで指を咥えて見ていられるものか!!!」
しん、と会議室の中が静まり返る。
エスメラルドは普段あまり表情を変えない。
良く言えば落ち着いている、悪く言えば何を考えているのか分かりにくい。
そんな王子が内に秘めた激情を、ほとんどの者が初めて見た。
しばしの沈黙の後、スタナムがゆっくりと口を開いた。
「…そうまで言われては…。承知するより他、ありますまい」
そう言って苦笑を浮かべる。
「…殿下」
「殿下!」
騎士が、魔術師が、次々に立ち上がる。
「やりましょう、殿下!」
「我々の手で、必ず取り戻しましょう…!!」
「皆…」
彼らの表情には決意と意気込みが満ち溢れている。
…皆に、自分の思いが伝わったのだ。
胸の奥から熱く湧き上がる何かを、束の間エスメラルドは噛み締めた。
「…では、行って参ります」
そう言って、エスメラルドは父と母に一礼をした。
父の寝室を辞去し、マントを翻して兵たちの元へ向かう。
隠密行動のため、身に着けているのは動きやすい鎖帷子とタバードだ。脇には兜を抱え、腰には父から贈られた愛剣が下がっている。
エスメラルドが到着すると、すでに全員が整列を終えていた。
「準備は完了しました。魔術師による転移魔法陣の設置も済んでおります。現地に到着し、速やかに配置についた後、作戦を開始致します」
「うむ」
スタナムに一つうなずくと、エスメラルドは前に進み出た。
兵たちを見回し、高く剣を掲げる。
「…行くぞ!!必ず、全てを奪還する…!!」