世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
翌朝、朝食を取ったあとジャローシス侯爵領の視察に出た。
ゴトゴトと馬車に揺られながら窓の外を眺め、ラズライトお兄様があれこれと説明してくれるのを聴く。
「あちらの遠くに見える緑の塊がスペリーの森です。ほとんどが湿地帯になっていて、ミナミアカシアガエルなどの固有種も多く棲んでいます」
「む」
思わず反応した殿下に、お兄様が優しく笑う。口の堅いこの兄にだけは、殿下の趣味を話してあるのだ。
「明日は湿地帯にも行きますので、その時よろしければ御覧ください」
「そうか」
時折、馬車から降りて様々なものを案内する。
私は今日は余計な口を挟まずに、ほとんど付いて行くだけだ。たまに話を振られた時だけ、軽く補足したり話したりする。
「こちらの石碑はジャローシス家の祖先、フェナカイトを祀ったものです。とても優れた魔術師で、その魔術で千の民を守ったと伝わっています」
「ジャローシス家伝来の水魔術だな」
殿下が興味深げに刻まれた碑文を読む。
その横顔を眺めながら、懐かしいな…と強く思う。
前世でも毎年こうやって殿下と共に視察をして回ったのだ。年に一回のこの行事を、殿下も私もとても楽しみにしていた。
…最も、最後の視察はあのような事になってしまったのだけれど。
お昼は見晴らしの良い草原に敷物を広げ、屋敷から持ってきた軽食を取った。
殿下は城や屋敷でいただく豪華な食事には慣れているので、あえてのピクニックスタイルだ。
案の定、殿下は小ぶりなパンで作ったサンドイッチと魔術で軽く温めたスープなどの食事を大変気に入ったらしい。
「こうして眺めのよい場所で食べる食事というのも良いものだな。このサンドイッチもうまい」
「バッファローの肉を挟んだものですね。このあたりには多いので」
「ほう…普通の牛肉とはまた少し風味が違うんだな」
両手に持って食べる殿下の様子をニコニコしながら見守っていると、急に背後からスピネルの声が聴こえた。
「お前は本当に殿下の好むものがよく分かってるな」
「…いきなり背後に回らないでください」
「ちょっと近くを見てきただけだよ」
どうやらスピネルは騎士たちと共に、午後から行く道の安全を軽く確認してきたらしい。
予めジャローシス侯爵家の方で近くの魔獣は討伐してあるし、昨日もしっかりとそれを確かめてある。
当日の安全確認は本当に確認するだけの意味しかないので騎士たちに任せても問題ないのだが、意外と真面目なところがあるのだ。この男は。
「お疲れさまです」と言ってサンドイッチを手渡すと、彼は大きな口を開けてそれにかぶりついた。
「ん、うまいな、これ。ちょっと癖があるけど、それがソースとよく合ってる」
「そうでしょう」
故郷の料理を褒められれば私も悪い気はしない。思わず得意げになってしまう。
「これ、王都でも食べられないか」
「うーん…。輸送が難しいですね」
「魔術で何とかならないか?」
スピネルはよっぽどバッファロー肉が気に入ったらしい。
ふむ。エサ代がかかる上に気性の荒いバッファローそのものを運ぶより、一度さばいてから魔術で氷漬けにして肉だけ運べばいいか…?距離があるので、一定時間ごとに魔術をかけ直す必要があるが…。
そんな事を考える私の横で、スピネルはさらに一つサンドイッチを手に取って食べていく。
「ちょっと、そんな急いで食べなくてもいいですよ。まだたくさん…あ」
ちょうど最後の一つを殿下が取ったところだった。他の具のサンドイッチはまだ残っているが、バッファローのものはもうない。
「…殿下。そいつをよこせ」
「む…」
ジト目になるスピネルに、殿下がたじろぐ。
「それもう3つも食べただろ。俺はまだ2つだ。不公平だ」
「……」
残念そうな顔で殿下がサンドイッチを差し出す。
それを受け取ると、スピネルは満足そうにかぶりついた。
「でも、向こうから来たのになんで食べた数が分かったんですか?見えてたんですか?」
ちょっと首をかしげる。食べてるのは見えても、どの具だったかまでは近付くまで見えない気がするのだが。
「いや。適当にかまをかけただけだ」
「何!?」
「当たってたんだから同じことだろ!」
やれやれ。二人共こういう所は子供っぽいのだ。
「全くもう…。分かりました。そのうち王都に肉を持っていきますので今日のところは我慢して下さい」
「本当か!」
二人が嬉しそうにこちらを見る。
「上手く行けば高級食材として販売を始めようかと思いまして。その時はお二人共、宣伝に協力してくださいね」
「お前ちゃっかりしてんなあ…」
「しっかりしてると言って下さい」
そう言って、3人で笑いあった。
午後からは、予定通りに火竜山の麓近くにある温泉に向かった。
明らかに人の手によって作られたこの温泉は、古代神話王国時代のものだという説が有力だ。
だがここに来るためには魔獣の棲み着く森を越える必要がある。温泉が作られた当時には遠く川向こうにあっただろう森が、数千年の時を経て温泉の周辺まで覆ってしまったのだ。
危険な森を越えてまでわざわざ温泉に足を運ぶ者はおらず、長い間ほぼ伝説のような存在になっていたが、この地に着任した初代ジャローシス侯爵はその話を聞き大変惜しいと思ったらしい。屋敷の庭の件といい、なかなか変わった人物だったようだ。
魔獣を倒しながら少しずつこつこつと森を切り開き、道を作り、当代になってようやくその道が完成した。
足湯は底につるつるとした白い石が敷き詰められていて、腰掛けるのに丁度良い大きさの岩が縁を囲っている。周りの板壁と屋根は今年建てられたばかりのものだ。
すぐそばにはちゃんと全身が浸かれそうな温泉もあるのだが、そちらはまだ壁も屋根もない。
近々ちゃんとした施設を作り、数年後には立派な温泉として貴族向けに開業する予定だ。
今日殿下を案内したのも、その宣伝という意味がちょっとある。ジャローシス侯爵家は商魂たくましいのだ。
「なるほど…。これはとてもいいな」
「疲れが取れる感じだな」
足湯に素足を浸けながら、殿下とスピネルが感心し合う。
「気持ち良いでしょう?体の中の血や魔力のめぐりが良くなると言われてます」
そう答える私もまた素足だ。少々はしたないかも知れないが、あくまで膝下だけなのでまあいいだろう。
「確かに元気が出る気がする。足だけなのに不思議だ」
「この湯の成分によるものかもしれません。どうやらただの水とも少し違うようなので」
また説明してくれたのはお兄様だ。足湯はそれほど広くはないのもあり、今入っているのは私達4人だけである。
殿下の提案で、このあと護衛の騎士たちにも交代で足湯を味わってもらう予定だ。
「…ん?近くに川があるのか」
濡れた足を拭き、ブーツを履いていた殿下が言った。その視線の先、ここから数百メートルほど離れた場所には小川がある。
温泉の周辺はいずれ建物を立てる予定で、広く開けているのでここから川原の様子がよく見える。
「ええ。少し見てみますか?」
騎士たちが足湯に浸かっているあいだ手持ち無沙汰なので、私はそう提案した。
「すぐそこですし、川なら魔獣は近付いてこないので大丈夫でしょう」
森まではやや距離があるし、もし鳥型の魔獣などが出てきて川を越えたとしても魔術で十分迎撃できる。
私たちだけではなく、既に魔術師として一人前の認可を受けているラズライトお兄様もいるし。
「行ってもよろしいでしょうか?」
お兄様に尋ねられ、すでにブーツを脱いでいた護衛の騎士が川への距離を確認してうなずく。
「一人連れて行っていただければ構いません。必ず目の届く所にいて、川の中には入らないようにお願いします」
「おわっ。なんだこの魚。すごい模様だ」
スピネルが川の中を覗きこみ、たくさんの斑点を持つ魚を見て声を上げる。
「アカマダラプレコ、ナマズの仲間です。温泉のせいか水温が高いので、少し変わった魚が棲んでいるんですね。個体によって色が違うんですが、それはすごく真っ赤ですねえ。スピネルの頭みたいですよ」
今度は私が説明した。この手の話はやはり兄より私の方が詳しい。
しかし髪の色をナマズに例えられたスピネルは憮然とした顔だ。
「褒めてるんですよ?綺麗な色じゃないですか」
「嬉しくねえよ!」
「ジャローシス領は本当にすごいな…」
殿下の方はいたく感心した様子だ。私もその通りだと思う。
前世ではこのようにジャローシス領の自然に触れ合う機会はあまりなかったが、その事を惜しく思ってしまうほどだ。
それからもあれこれ言いながら川を眺めていたのだが、ふとある大岩を見上げてスピネルが言った。
「この岩だけ、やけに大きいな」
確かに、この川の岸は数十センチほどの大きさの岩や石で埋まっているのに、この一つだけやたらと大きい。高さ2メートルを軽く超えている。
「……?」
「殿下?どうしました?」
「いや…この岩、何かおかしくないか?うまく言えないが…」
「え?」
私は首を傾げて岩を見つめる。見た所、大きさ以外は何の変哲もないただの岩だが…。
そして、ふと思いついて岩に探知魔術を流してみる。
「…本当だ。何かおかしな気配がします」
「どういうことだ?」
眉を寄せた私に、スピネルが怪訝な顔をした。私達の後ろに周り、少し下がって岩全体を眺める。
「普通の岩にしか見えないぞ?」
「巧妙に隠蔽されてされていますね。うーん…」
目を閉じて集中すると、一瞬ものすごく複雑な構成の魔法陣が見えた。
「えっ?」
慌てて探知魔術を解除し、手を引く。
「リナーリア、どうかしたのかい?」
離れたところで私達を見守っていたお兄様が、魔術の気配に気付きこちらに寄ってくる。
「あ、はい。それが…」
お兄様に話そうとしたその時。
突然、足元を大きな揺れが襲った。
「わっ…!?」
立っていられないほどの大きな揺れ。低い地鳴りがあたりに響く。
地震だ。しかも、とても大きい。
転びそうになり咄嗟に目の前の大岩にしがみつくと、いきなり岩の一部がぼうっと光った。
同時に、足元に複雑な円と線が絡み合った不思議な模様が浮かび上がる。
「え!?」
慌てる暇もなく、私と横にいた殿下の身体が宙に浮いた。地面の揺れから開放され、全身を浮遊感が包む。
覚えのある感覚だ。この現象が何を差すのかをすぐさま理解し、私は愕然とする。
転移魔術だ。
「殿下!リナーリア!!」
揺れのために地面に膝をついていたスピネルが叫んだ。
足元が定まらない中、無理矢理立ち上がり身体強化を使って大きくこちらへと踏み出す。
「スピネル!!」
私と殿下の声が重なる。
「リナーリアを!」
「殿下を!」
驚愕に染まった殿下の翠の瞳が私を振り返る。
必死の形相でスピネルが手を伸ばし、殿下の腕を掴む。
そして、私は二人の目の前から消えた。