世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
翌朝、私は用意された客間のベッドで目を覚ました。
久々にすっきりした目覚めだ。救出された事で安心したのか、短時間だがぐっすりと眠れたらしい。
ベッドから下りてカーテンを開けると、眩しい朝日が差し込んだ。と言っても少し遅い時間のようで、もうすっかり日が昇っている。
直接陽の光を浴びたくなり窓を開けると、日差しと共に冷たい空気が吹き込んだ。
こうして太陽を見るのは何日ぶりだろうか。しみじみと喜びが湧き上がる。
しばらくそうやって感動していたが、さすがに寒くなってきてくしゃみが出た所で窓を閉めた。
そう言えば寝間着のままだったな…と自分を見下ろすと、軽くドアがノックされた。
「はい」
「おはようございます。お着替えをお持ちしました」
ドアの外から聴こえてきたのは女性の声だ。「どうぞ」と答える。
「失礼いたします」
一礼して入ってきたのは若い女性の騎士だった。顔にどこか見覚えがある気がするので、多分城の騎士の一人だろう。
女騎士が持ってきてくれたのはシンプルだが仕立ての良い厚手のスカートと揃いの上着、それからブラウスだった。少しサイズが大きいが十分着られそうだ。
「お着替えをお手伝いいたしますか?」
「いえ、大丈夫です」
「では、扉の外におりますので、支度が整いましたらお声がけ下さい。朝食の用意ができております」
「分かりました」
女騎士の案内で食堂に行くと、殿下とスピネルが既に来ていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「おはよう」
二人共顔色が良さそうで安心する。殿下はやはり頬が少し腫れているが…。
席につくと、すぐに朝食が並べられ始めた。兵が作ったものなのかパンとスープにソーセージだけの質素な朝食だが、湯気が上がる温かいスープは久しぶりなので嬉しい。
「…殿下、それやっぱり治さないんですか?」
パンをちぎりながら、殿下の顔を見て尋ねる。
「ああ。大丈夫だ」
「でも私の予想が当たっていれば、悪夢を見たのは精神に害を及ぼす魔術のせいです。スピネルを疑ったというのも、それの影響が大きいと考えられます。…今日はきちんと眠れたんですよね?」
「そうだな。とてもよく眠れた」
殿下は、悪夢を見せる事によって少しずつ精神や体調に影響を与え、ゆっくり心を蝕んでいく魔術をかけられていた。私はそう思っている。
このような精神干渉系の魔術は犯罪に使われやすいのもあり、魔術師の間ではあまり好まれない。精神を高揚させたり、逆に落ち着かせたりする術が戦闘や医療などで使われる程度だ。
人間に直接悪影響を与えるようなものは、特殊な場合を除き王国の法で使用を禁止されている。
私もまたこの手の術に興味はないし得意でもないのだが、近頃は私自身も夜うなされる事が多かったため、夢に関する魔術について少々学んでいる所だった。お陰ですぐにその可能性に思い至れたのだ。
まあ私の方は結局原因不明のままなのだが、殿下は恐らく間違いないと思う。
元々、殿下は非常に寝付きの良い方だ。もちろん心配事があれば眠れなかったり悪夢を見る事だってあるだろうが、毎日ずっと似たような悪夢を見るというのはおかしい。私からの使い魔が届き、多少の安心材料ができてからも続いたのならなおさらだ。
…何より、このタイミング。殿下が最も信頼し、誰よりも先に相談するだろうスピネルが不在の時を狙ったのだとしか思えない。
パンを齧っていたスピネルが肩をすくめる。
「俺もそれはおかしいと思うが、今頃は王宮魔術師が調べてくれてるだろ。すぐに結果が出るから、それまで待て」
「そうですね…」
あの場ですぐ先生に王都に戻ってもらうのは、さすがに酷いと私も思ったのでやめた。代わりに遠話で王宮魔術師団に連絡してもらい、調査を依頼したのだ。
恐らくは魔法陣を使った術なので、どこかに痕跡が残っている可能性が高いだろう。
「…しかし本当に魔術の影響なら、殿下は悪くないので殴られ損ですよ」
そう言うと、スピネルはちょっと気まずそうに目を逸らしたが、殿下は首を振った。
「そうだとしても、魔術に付け込まれたのは俺の心に油断があったからだろう」
「でも不公平じゃないですか?やっぱりこう、スピネルにも一発がつんと行っといた方が良くないですか?」
「お前は何でそんなに殿下に俺を殴らせたがるんだよ!俺は頼まれてやっただけだぞ!」
「あっ、もしかして私に殴られる方が良かったですか?」
「お前関係ないだろうが!特に理由のない暴力やめろ!!」
「二人共、本当に元気だな…」
私たちのやり取りを聞いていた殿下がどこか安心したように苦笑する。
「殿下や皆さんが助けに来て下さったおかげです。これでやっと王都に帰れます」
「帰れるのはいいが、俺は憂鬱だ…うちの親父絶対カンカンに怒ってんぞ…」
「え?どうしてですか?」
「親父なら、『敵に捕まるなど騎士の恥だ!鍛え方が足りん!』って言う。絶対」
その様子を想像したのか、スピネルはげっそりした顔だ。確かに、ブーランジェ公爵なら言いそうだな。厳しい人だし…。
「…分かりました。では私がきちんと証言します!スピネルは捕まってなお私を守ってくれていたと」
任せろと胸を叩くと、スピネルはジト目になって私を見た。
「何ですかその目。これでもちゃんと分かっているつもりです。貴方には感謝しています。本当に、ありがとうございました」
スピネルは本当によく頑張っていたと思う。フェルグソンに取り入っていたのは、自分の命を惜しんでいたからではなく、私や殿下を守ろうとしていたからだ。
「……。まあ、程々に説明頼むわ…」
スピネルはプイッと横を向いた。うーん、全然信用してないなこれ。解放された喜びで少しふざけすぎたか?
ちょっと反省する私に、殿下が言う。
「王都では君の両親も待っている。無事は既に知らされているだろうが、君の帰りを心待ちにしているだろう」
「ああ…やっぱりそうなんですね…」
きっと凄く心配してただろうな…。
「学院の皆も、君やスピネルの事をとても心配していた。…俺の事もだ。とても良い友人を持ったと思う」
殿下はどこか感じ入るように言った。
…王都ではおかしな噂が流れているという話だったけど、そんな事は関係なしに心配してくれた人もたくさんいたのかもしれない。
早く帰って、皆を安心させたい。
それから食後のお茶を飲んでいると、一人の騎士が入ってきた。
「失礼いたします。王子殿下、スタナム団長が報告をしたいとの事です」
「ではここに呼んでくれ。…二人も話を聞きたいだろう」
殿下がそう言って私とスピネルを見る。もちろん、揃ってうなずいた。
スタナムはすぐにやって来た。先生も一緒だ。どうやら今回先生は、魔術師たちをまとめる立場にいるらしい。
まず最初に、先生が小さな鍵のようなものを懐から取り出した。
「スピネル殿、リナーリア君、こちらへ。魔術封じの首輪の鍵をフェルグソンから押収したので、外します」
「本当ですか!?お願いします!」
小さな鍵を差し込むと、かちりと音を立てて首輪が外れて前に落ちた。受け止めると、手のひらほどの大きさの輪へと縮む。
「はあ…、やっとすっきりしました…」
「着けてる間、すげえ落ち着かなかったもんな。身体強化すら使えなかったし」
「ええ…」
全くもって同意だ。魔術が使えないのが、こんなにも落ち着かず心細いものだとは思わなかった。
「無性に大きな魔術を撃ちまくりたい気分です。今ならこの城だって吹っ飛ばせそうな気がします」
「いや、やめろよマジで…」
スピネルが顔を引きつらせる。
「冗談ですよ、そんな事する訳ないじゃないですか。この城自体には恨みはありませんし。…でも、フェルグソンとオットレの事は、本当に吹っ飛ばしたいですね…今すぐにでも消し炭にしてやりたいです…」
特にオットレだ。絶対殺したい。
すると、スタナムが何だか厳しい表情になった。
…何だろう。嫌な予感がするな。