世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「あの、すみません。帰還準備が整うまでの間、少し歩き回ってもいいでしょうか?」
聞き取りが終わって部屋を退出する前、私はそうスタナムに尋ねた。
「ずっと狭い部屋に閉じ込められていたので、身体を動かしたくて…。皆様の邪魔にはならないようにしますので」
時間まで、どうせ何もする事がない。だったら少しでも動きたいと言うと、スタナムは数秒考えてから許可を出してくれた。
「それでしたら、少々寒いかもしれませんが庭の方へどうぞ。城内は所々戦闘で破壊されていますし、兵や魔術師たちが尋問や調査を行っておりますので…。城壁の外にさえ出なければ、庭を自由に歩いていただいて結構です」
「ありがとうございます!」
良かった。外の空気を吸いたかったので、庭に出られるのは嬉しい。
「なら、俺も共に行こう。この城に来るのは久しぶりなんだ」
殿下がそう言い、二人で庭に出る事になった。
扉の外で待機していた女騎士に頼み、暖かいコートとマフラーを用意してもらった。
同じくコートを着込んだ殿下と共に表に出ると、空は青く晴れ渡っていた。日差しが暖かい。
外に繋がる門はしっかりと閉められていて、そこに立っている見張りの兵以外、誰の姿も見当たらない。こんな状況ではあるが、ゆったり庭を見て回れそうだ。
少し歩き、厳かな雰囲気を持つ白い彫像の前で立ち止まる。
「噴水はやっぱり止めてあるんですね」
「そうだな。夏ならとても美しい噴水が見られるんだが」
この城は水霊神の像が立つとても立派な噴水がある事で知られているのだが、残念ながらこの季節は動いていないようだ。ただ彫像の足元に、少し緑色に濁った水が湛えられているだけである。
「前回ここに来られたのはいつだったんですか?」
「11歳の時だったかな。…まさか、こんな風に訪れる事になるとは思わなかった…」
殿下が少し悲しげに笑う。
フェルグソンは許しがたい罪人だが、殿下にとっては血の繋がった伯父だ。
いかに敵視され憎まれていようとも、このような形で戦いたくはなかっただろう。
王都に移送されたフェルグソンは厳しく取り調べられ、その企みを余さず白状させられる事になる。
どのような刑罰を与えられるかは、その時に出て来る余罪次第だろう。
秘宝は無事取り返せたし、犠牲者も現在のところいなさそうではある。しかし、私の想像通りに暗殺やクーデターを企んでいたならば、王族と言えども極刑もあり得るだろう。
私が特に気になるのは、誰がフェルグソンに協力していたのかだ。
そこにフロライア…あるいはモリブデン家の名前があればいいのに、と思ってしまう。
そうすれば、前世での殿下の暗殺の後ろにいたのもフェルグソンだったと推測できる。今回の事件で、その元凶をもまとめて断てた事になる。
殿下のお気持ちを考えるととても心苦しいのだが、そうだったらと願わずにはいられない。
しかしそんな思いは表に出さないようにして、私は殿下に笑いかけた。
「大丈夫です。またそのうちここに来られますよ。今度は夜中にこっそりじゃなく、ちゃんと昼間に表門から」
冗談めかしてそう言うと、殿下もまた笑ってくれた。
「ああ、そうだな」
でも、誰がここを管理する事になるんだろう。王弟のシャーレン様は王宮の土木省で働き、重要な立場に就いているはず。誰か適当な代理を置くしかないが、パッと思いつかない。
「それにしても、暖かくて気持ちが良いですね。塔の中では風の音ばかり聴こえていたので、ずいぶん風が強い場所だと思っていたんですが、今日はそうでもないようです」
何の気無しにそう言ったのだが、殿下はまた表情を曇らせてしまった。
「…君には、本当に辛い思いをさせてしまった。すまない。君はそうして元気に振る舞ってくれているが、どれほど心細かっただろうかと思う」
「そんな、殿下が謝ることなんて何もありません!」
殿下は責任を感じておられるようだ。私は慌てて首を振る。
「しかし俺と親しくしていなければ、君が攫われる事はなかっただろう」
確かに、私に「殿下と親しい」という価値がなければ、カーフォルたちと同じようにあの場で記憶を消され放置されただけで済んでいたかもしれない。でも。
「…で、でも。私は、殿下が助けに来て下さって、本当に嬉しかったです」
…そう言ってから、ふと気が付いた。
そうだ。私は嬉しかった。
助けに来てくれた事そのものも嬉しかった。しかし、それ以上に。
殿下はそれほど私を大事に思ってくれているのだと、その事を何より嬉しく感じてしまったのだと、気が付いてしまった。
思わず血の気が引く。
私は、なんてバカなことを。私は喜ぶより先に、殿下に謝るべきだったのだ。
結果的に上手く行ったとしても、私がもっと慎重に行動していれば、上手く立ち回れていれば、もっと早く解決できていたかもしれない。
殿下が自ら出陣するなどという危険を冒す事もなかったかもしれないのに。
「…も、申し訳ありません…私、殿下にとても…ご、ご迷惑を」
「違う、そうじゃない。君こそ何も悪くない」
殿下は私の両肩を掴むと、目を見据えて言った。
「君がいてくれたおかげで、こうして無事に秘宝を取り戻しすぐに解決できた。君は、辛く苦しい状況の中で本当によくやってくれた。それは誇るべきことだ」
「殿下…」
殿下は本当に優しく、真っ直ぐな方だ。
前世でもそうだ。私は不出来な従者だったろうに、いつも励まし信じてくれた。それに何度救われてきただろうか。
でもそれに甘えていては、殿下を守る事など、とても。
「…むしろ、迷惑をかけているのは俺の方だ。君はいつも俺の事を考えてくれているのに、俺はとてもそれに応えられていない。今までも、今回も…」
殿下が悔しげに唇を噛む。
「でも、今回の事でやっと分かった。俺には、そんなものは関係ないと」
「…で、殿下?」
翠の瞳が、真摯な光を湛えて私を射抜いた。
「リナーリア、俺は、君が…」
言いかけた殿下が、ふいに言葉を止めた。
後ろを振り向き、怪訝な顔で遠くの空を見る。
「……?」
私もまた、はっとしてそちらの方角を見た。
豆粒のような小さな黒い点が、青い空の中に浮かんで見える。
「…殿下!!リナーリア!!」
「スピネル!?」
城の入口の方からスピネルが姿を表した。
「中に戻れ!早く!!」
しかし、私はその場から動けなかった。
「リナーリア、どうしたんだ」
殿下が腕を掴むが、みるみる近付くその影から目を離せない。
「…あ…」
少しずつ鮮明になる、鳥のように翼を広げた黒い影。それを私は知っている。
「…ああ、クソ」
駆け寄ってきたスピネルが忌々しげに呟き、殿下が私を背後に庇う。
剣を抜き姿勢を低くしたスピネルがその前に立った。
「もう来た」
…そして、それは私たちの前に姿を表した。
羽ばたきの音と共に中空からこちらを見下ろす、黒い髪に赤い瞳をし、首から赤い宝玉を下げた男。
塔で見たあの幻影の男にどこか似ているが、その褐色の肌と蝙蝠のような黒い翼、額から生えた角が、男が人間ではない事を如実に示している。
殿下が信じられないといった様子でその男を見つめる。
「…竜人…?」
ああ、知っている。どうして忘れていたんだろう。
その男を、私は知っている。
「ライオス…」
『…ほう。さすがだな。我を覚えているのか』
竜人の男…ライオスが私を見て目を細める。
古代語だ。なのに、何故か言葉の意味が分かる。
『しばらくそなたの魔力を感じ取れなかった。囚えられてでもいたのか。…人はやはり度し難い』
そう言ってライオスは、縦に割れたその瞳孔でじろりと私の前に立つ殿下を睨みつけた。その圧力に私は思わずびくりと肩を揺らしたが、殿下は歯を食いしばって耐えているのが分かった。
「…お前だな。こいつに呪いをかけたのは」
剣を構えたスピネルが、低く唸るように言う。
ライオスが、ほんの数秒スピネルを睨んだ。
『…亡霊。やはり貴様か。だがこれは呪いなどではない。契約だ』
「それのせいで、こいつは人を殺しかけた!」
『己の身を守ろうとしただけだろう』
「てめえ…」
『無駄な干渉はやめろ。そうして人の中に身を隠すのがせいぜいなのだろう。貴様には何もできない』
…スピネルとライオスが、一体何の話をしているのか全く分からない。
混乱する私を、ライオスが再び見下ろす。
『人の間に置くのはやはり危険だ。我と共に来い』
「……!」
殿下がこちらを振り向くが、その目を見ることはとてもできなかった。
ただ、絞り出すように言う。
「…まだ、あと3年あります。約束は守りますので、どうか…」
声が震えそうになるのを必死で堪えた。
ライオスが静かにこちらを見下ろす。
『良いだろう。…だが、また何かあればもう一度迎えに来る』
「待て…!!」
そうして、竜人の男は再び羽ばたいて飛び去っていった。
「…一体どういうことだ」
殿下が私とスピネルを交互に見る。
「スピネル。あの竜人を知っているのか」
「…あんなのと知り合った覚えはねえ。少し聞いた事があるだけだ」
「リナーリア。君は」
「……」
思わず視線を彷徨わせる。
何と答えたら。どう説明したらいいのか。ギュッと目を瞑る。
「…すみません。少し、考える時間を下さい…」