世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「もう一度やり直したい。…ライオスは、私のその願いを叶えたんです。気が付いた時には私は子供になっていて、かつての自分とはまるで違う、二度目の人生を歩み始めていました」
殿下とスピネルはしばらくの間、衝撃を受けた顔で沈黙していたが、やがて口を開いた。
「…では、今の君はそのやり直しの最中という事か」
「ずいぶん無茶苦茶な願いだな。…あいつ、そんな事までできるのか…」
「えっと、はい…多分」
何だか意外にすんなり信じてもらえた。ちょっと拍子抜けだ。
「あの、もっと疑うかと思ったんですが…」
頭は大丈夫か?とか。まあ実際にその目で竜人を見た後だからだろうが…。
「驚いてはいる。だが、君が何か隠しているのはずっと前から分かっていたからな」
「そうだな。むしろ納得したって感じだ。どうりで変な奴だった訳だ」
「……」
隠しているつもりでも、案外バレていたという事か。
「だがそもそも、何故やり直したいと?」
殿下に尋ねられ、それに答えようとして、私はただ唇を動かした。
言わなければならない。だが、どうしても言葉が出てこない。
…殿下にそれを告げるのが、恐ろしくて仕方ない。
何とか言葉を絞り出そうと苦心する私を見て、殿下がぽつりと呟く。
「…俺か?」
「!」
はっとして顔を上げると、殿下がやはりという表情になった。
「俺が、何か関係あるんだな」
「……」
それ以上目を合わせることができず、下を向く。
忘れもしない、あの日。最後の日。
血を吐き、床に倒れた殿下を見つけて、…そして、私は。
「リナーリア」
殿下の静かな声がする。
「ゆっくりでいい。落ち着いて話してくれ」
「……」
言われて、握りしめた手にじっとりと汗をかいている事に気付く。動悸も激しい。
ゆっくりと呼吸をし、できる限り気持ちを鎮める。
「…あ、あの日。で、殿下が。ど、ど、毒を…毒を、盛られて…」
それでも、声が震えてしまった。
「そ、そのまま、…私の目の前で、お亡くなりに…」
殿下がどんな顔をしているのか、怖くてとても見られない。ぎゅっと目を瞑る。
「す、すみません。私、ずっと一緒にいたのに、殿下を守れなかったんです。…ごめんなさい。すみません。ごめんなさい…!」
いくら謝ったとしても許されるものではない。しかし、謝らずにはいられなかった。
「リナーリア」
殿下が椅子を蹴り、私の傍に駆け寄ってくる。
「…ご、ごめんなさ…」
「もういい、リナーリア。謝らなくていい」
その温かい手が背中を撫でるのが分かり、目から涙が零れた。
「…すみません、もう大丈夫です…」
しばらくして、ようやく落ち着いた私は二人にそう言った。
「本当に大丈夫か?」
「はい…」
ずいぶん取り乱してしまったし、結構ひどい顔になってる気がするが、そこはもう気にしないでおこう。話の続きをしなければ。
「殿下は、私が見つけた時には倒れていて…。どうやら、毒入りのワインを飲まされたようでした。…必死で手を尽くしたのですが、間に合いませんでした」
すぐに医術師を呼び、私自身も解毒の魔術を試みたが、既に毒が回った後だった。
部屋には多分、防音の魔術がかけられていたのだろう。倒れた殿下の声は、外には届かなかった。
「私は、犯人を追うために飛び出しました。…ですがやっと追いついた犯人たちは、罠を張ってこちらを待ち構えていたんです。戦いになり、私もまた致命傷を負って倒れました。…そこに現れたのが、あの竜人…ライオスです」
やっと思い出した。朦朧とする意識の中、空に浮かぶ月の中に現れた鳥のような影。
ライオスは、死にかけている私を宙から見下ろしていた。
「ライオスは私に問いかけました。『叶えて欲しい願いはあるか』と」
初めて会った時と同じ問い。
だが、私の答えはその時とは変わっていた。
「…私は、全てを悔いていました。どうして気付かなかったのか、殿下の傍を離れなければ、ちゃんと注意していれば。…何より、彼女を、犯人を、殿下に近付けたのは私でした。あんな事勧めなければ良かった…。…私は、たくさんの事を間違えてしまいました。だから、やり直す事を願ったんです」
もう一度全てをやり直す事ができれば。
今度は間違えたりせず、殿下の命を守るために生きたいと願った。
「ライオスは言いました。『お前の願いを叶えてやろう。その代わり、お前は我が妻となれ』と。私は、藁にもすがる気持ちでその通りにすると誓いました」
冷静になって考えると全く意味が分からない。
そもそも前世の私は男だったのだ。それを我が妻だとか、竜人はアホなのかも知れないと真剣に思う。世の中に女性はいくらでもいるだろうに。
私も平時だったらまずそんな馬鹿げた誓いはしなかっただろうが、その時の私は死にかけていて、ろくにものを考える力も残っていなかった。何より、少しでも殿下を助けられる可能性があるのなら何でも良かった。
「なるほどな…。予想はしてたが…ずいぶんとまた、気に入られたもんだな」
スピネルが嘆息する。その横で、殿下がぎりっと歯ぎしりをした。
物凄く低い声で呟く。
「…では、君は。俺を助けるために、あの竜人に自らを捧げると、そう誓ったという訳か」
「ひぇ…」
私はびくりと身を竦ませた。
…殿下が見た事もないくらい、凄まじく怒っておられる。
完全に目が据わっているし、握り締めた拳の下でテーブルがなんかミシミシ言っている。
「おい殿下、落ち着…」
「これが落ち着いていられるか!!!!」
叫んだと同時に今度はバキッ!という音が聞こえた。テーブルの寿命が近い。
「あ、あの、でもですね。おかげで本当に人生をやり直せたわけで…そ、それに、殿下が助かるのと同時に私も助かりましたし…あのままだと私死んでたので…」
「だからと言って!!」
「いや本当落ち着けって!今こいつに怒ったってしょうがねえだろ!」
「……っ!」
立ち上がりかけた殿下は、スピネルに止められ何とかもう一度座り直した。うつむいて頭を抱え、苛々とした仕草で髪をかき回す。
…こんなにも取り乱し、腹を立てている殿下を見るのは初めてだ。
私はオロオロしながらスピネルの方を見たが、スピネルは無言で首を振った。余計な口は挟むなという事だろう。
しばらくハラハラとしながら見つめていたが、やがて殿下が口を開いた。
「…すまない。リナーリアは悪くない。悪いのは、あの竜人だ」
「え…」
でも、ライオスは確かに私の願いを叶えてくれたのだ。人では絶対に叶えられないだろう願いを。
その結果、私は今こうして殿下と話せている。
そんな私の考えを見透かすように、殿下はきっぱりと言った。
「一度死んだという俺がこうして生きているのは、確かにあの竜人のおかげかもしれない。だが君は、最初会った時には願いなどないと言って断ったのだろう?それなのに、君が死にかける時まで待ってからまたやって来て、願いを叶える代わりに妻になれと言う。…人の弱みに付け込むそのやり方は、あまりに卑怯だ」
「俺も殿下の意見に賛成だな。奴は多分、契約を持ちかけるチャンスを狙ってお前の事を見張ってたんだよ。気色悪い野郎だ。本当は、死にかける前に助ける事だってできたんじゃないのか?」
スピネルが嫌悪感を滲ませて吐き捨てた。
「……」
…確かに、二人の言う事も最もだ。
そんな状況でもなければ、私がその契約を受け入れる事などなかっただろう。
殿下が再び私を見る。
「…君はあの竜人に、あと3年と言っていたな。それはつまり…」
「はい。私がやり直し終えたら迎えに来る、そういう契約です。私が願いを叶えてもらったのは20歳の時だったので、それが期限だと…」
今なら思い出せる。遠ざかる意識の中、確かにライオスがそう言ったのを聞いた。
ライオスが迎えに来るその前に、必ず目的を達成しなければならない。
「契約を反故にする事はできないのか?」
その問いに答えたのは何故かスピネルだった。
「こいつにはもう、契約が刻み込まれてる。こいつが恋愛にやたら鈍かったり、たまにおかしな反応をするのも、多分それの影響だ。…いずれはあの竜人の妻になるんだって暗示をかけられてるんだよ」
「お前が呪いと言っていたのはそれか?…人を殺しかけたとも言っていたが」
「あー…」
スピネルがしまったという顔で目を逸らした。私は思い切り睨みつけたが、スピネルはしぶしぶという感じで口を開く。
「…捕まってる時、オットレの野郎がこいつを襲おうとしたんだよ。それでこいつは、多分無意識だろうが、自分の身を守ろうとしてオットレを半殺しにした」
…ライオスの事を思い出した時点で、そうではないかと思っていたが。
やはりあの時オットレの首を絞めていたのは、私の意志ではなかったらしい。思わず唇を歪める。
「正直、契約とか関係なく全殺しにしたかったですけどね…」
したかったと言うか、今でもしたい。くそ。殿下には絶対知られたくなかったのに…。
「……。なるほど」
殿下は完全な無表情になっていた。
怖い。
しかし、私が恋愛に鈍いのも竜人の仕業だったのか。おのれライオス…と思いかけて、ん?と首を捻る。
「あれ?でも私、ライオスに会う前からしょっちゅう鈍いって言われてましたよ?」
「何?」
言われたのは主に同級生からだったが、殿下からも言われた時はさすがに落ち込んだ。
あれは確かミメットとの約束の時間に遅刻し、「もう帰って!」と怒られてすごすご帰ってきた時だったか…。今思えば、ミメットのあの冷たい態度もツンデレだったのかも知れない。悪い事したなあ…。
「…お前バカだもんなあ…」
スピネルは心底から残念なものを見る目で言った。
腹立つ。言わなきゃ良かった。
「でも、前にやたら頭痛がってた時あったろ。あれは多分契約のせいだぞ」
「ええと…」
何だっけ。そう言えばそんな事があったような。急に頭がぼんやりしてくるのを振り払い、思い出そうと試みる。
「…確か、バドミントンをした時と…、あと、ギロルの所に行った帰りに…」
「あーーー!!!」
いきなりスピネルが叫んだ。
「!?」
「いや、いい、思い出すな。また頭が痛くなるぞ」
「…そう、ですね…」
多分スピネルの言う通りだ。考えようとすると頭が痛くなる。
自分の思考が操られているのだと思うと、ひどく気持ちが悪い。