世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第151話 私の主

 長く話をして疲れたし、頭の整理をするためにもこの辺りで一旦休憩を入れる事になった。

 スピネルは「ちょっと外の空気吸ってくる」と言って席を立ったので、部屋にいるのは私と殿下だけだ。

 

「……」

 沈黙が流れる。

 殿下は無口な方なので、二人でいる時このようにお互い無言でいるのは割とよくある事だ。いつもなら特に気にしないのだが、今日に限っては妙に気まずい。

 一気に色々話したが、殿下はどう思っているんだろう。さっきはだいぶ怒っていたしなあ…。

 

 

「リナーリア」

「は、はい!」

 不意に話しかけられ、慌てて顔を上げた。

「君の、以前の名前は」

「はい?」

「前は男だったんだろう。なら、名前が違ったんじゃないのか」

「ああ…、はい。違いました。リナライトです。リナライト・ジャローシス」

 

「リナライト…」

 …殿下にその名前を呼ばれるのは、本当に久しぶりだ。

 もう二度と呼ばれる事はないかと思っていたのに。

 涙が出そうなほど懐かしくて、だけど、何だか不思議な気分だった。

 

 

「君はずっと、俺の知らない所でも俺を守ろうとしていたんだな」

 静かにそう言われ、私はつい下を向く。

「…申し訳ありません」

「どうして謝るんだ」

「殿下の許可もなく、勝手に…」

「別に構わない…とは言えないな。だが、責める事もできない。君には助けられてきた」

 ひどく複雑そうに、殿下が小さくため息をつく。

 

「しかし、どうしてそうも俺に尽くそうとしてくれるんだ?…君が俺の死について悔やみ、やり直したいと願った気持ちは分かる。親しい人間を喪った時、取り戻せるものなら取り戻したいと願うのは誰もが同じだろう。だが、己を犠牲にしてまで何故願ったんだ。…罪悪感か?それとも、従者だったという責任感からか?」

「いいえ」

 私は首を振った。罪悪感は確かにあったが、私が願った理由はそれではない。

 

 

「…殿下に生涯お仕えして、殿下と共にこの国のために働き、より良い国を作るのが私の夢でした。殿下なら必ず良き王となられる。私もまた、殿下を支えるために力を尽くせる。国へ、民へ貢献できるような人生を歩めるのだと、そう信じていました。殿下の従者である事は、私の誇りでした…」

 

 良き主を得られた事が幸せだった。その隣に立てる事が嬉しかった。その立場にふさわしい自分になるために努力する事は、何一つ苦ではなかった。

「殿下は私の夢であり、希望そのものでした。だから、どうしても取り返したかった。今度こそちゃんと守って、…夢を、託したいと…」

 思わず声を詰まらせる。

 

 

「…すみません。分かっているんです。今の私はもう従者ではないし、殿下の臣でもない。こんなのは、私の勝手な願望に過ぎません」

 殿下さえ無事でいてくれれば、たとえ私がそこにいなくても、私の夢はきっと叶う。殿下が作る未来を夢見て、わずかでもそこに貢献できたと信じて去る事ができる。

 …だがそんなものは、自己満足にすぎない。私はただ、自分の夢を殿下に押し付けているだけだ。

 

 今までずっと前世の事を話せずにいたのだって、本当はただ怖かったからだ。

 お前の夢など知らない、そんな期待をかけられても困ると、そう突き放される事が。

 殿下はお優しい方だからそんな事言わないかもしれない、でもきっと困惑する。ただの貴族令嬢がどうしてそんな望みを持つのか、もっと分を弁え、相応の夢を持てばいいではないかと思われたら。

 

 頭の中で、もう一人の私が囁く。

 …一度失敗したくせに、また同じ夢を見る資格などお前にあるのか、と。

 

 

 

 殿下はしばらく沈黙していたが、やがて私を見て言った。

「…俺は、君が知る前世の俺とは違うんだろうか」

「え?そ、そうですね…」

 急に尋ねられ、私は少し考え込む。

 

「所々違います。今の殿下の方が少し明るいと言うか、表情豊かです」

「表情豊か」

 殿下が何だかちょっと変な顔をしたのは、そんな事を人に言われたのは初めてだからだろう。無口で無表情というのが多くの人から見た殿下の印象だ。

 だが普通の人に比べるとささやかで分かりにくいだけで、私にはその表情の変化がちゃんと分かる。わずかに唇を曲げて眉毛を下げた、今のその顔こそが表情豊かな何よりの証拠だ。

 

「きっとスピネルの影響なんでしょうね。前世の殿下はもっと落ち着いた感じでした。あ、スピネルの影響と言えば、剣の腕前もです。同じ17歳の時で比べたら、きっと今の殿下の方がお強いです」

「そうなのか」

「はい。あ…でも、魔術は前世の殿下の方がお上手でした。訓練では私がお相手を務めておりましたので!」

「む…」

 殿下と私は、幼い頃は同じ魔術師から魔術を習っていた。10歳くらいからはより専門的に習うため、私だけセナルモント先生の弟子になったのだが、殿下の魔術訓練にもたいてい随伴していた。

 殿下は大変な負けず嫌いのため、一緒に習う者がいた方が良いとの判断だったようだ。

 

「あと、今世の方がお友達が多くていらっしゃいます。でも、女性からは前世の方がモテてましたね…あっ、いえ、今世でもモテていらっしゃいますが!」

「いや、別にそんなフォローはしなくていい。特に気にしていない」

「そ、そうですか?」

 つい顔色を窺うが、本当に気にしていないようだ。何かちょっと複雑だな…。

 

 

「あとは…そうですね、ちょっとだけ成績が落ちてるとか…ピーマン嫌いを克服できていないとか…犬派だったのに猫派になっているとか」

 好みだとか癖だとか、結構細かい違いがあるんだよな。取り立てて言うほどのものでは無いんだが。

 それを聞いた殿下が少しだけ眉を寄せる。

「どうかなさいましたか?」

「……。カエルは?」

「あっ、そこは同じです。殿下は前世でもカエル好きでしたよ。いつも、あの裏庭の池でカエルを見ていました」

 池の畔にしゃがみ込み、熱心にカエルを目で追う姿は、前世でも今世でも全く変わらない。

 

 それを聞き、殿下はどこか安心した顔になったが、私は少し申し訳なくなる。

「今世では、殿下と仲良くなるためにカエルを利用してしまいました…すみません」

 ちょっぴりズルをしてしまった。あのきっかけがなければ、私は殿下と友人にはなれなかったかも知れない。

「でも、前世の私が従者に選ばれたのも、カエルがきっかけだったんですよ。それは本当に偶然で」

 言い訳がましいかなと思いつつ言うと、殿下は少し首を傾げた。

「どういう事だ?」

 

 

「従者を選ぶ時、書類審査の後にお城で面接をするでしょう。殿下も同席して」

「ああ…、そうだな。確かやっていたと思う」

 まだ幼い頃の事なのでうろ覚えらしい。でも私は、生まれ変わった今でもよく覚えている。

「私もその面接に行ったんですが、途中で休憩になった時、一旦外に出たんです。私はお城の庭が珍しくて、つい裏庭の方にまで行ってしまって…。そこで、初めて殿下に出会ったんです」

 

 とても懐かしい思い出だ。辺りに気を取られているうちに、つい奥の方まで入り込んでしまった。

「私はうっかりカエルを踏みつけそうになり、それを殿下に注意されました。私はちょっとびっくりしたんですが、カエルを殺さなくて済んだことに安心して、殿下にお礼を言いました。その時は殿下が王子だとは分からなくて、てっきり私と同じように面接に来た子供だと思ったんです」

「…ふむ」

 

「それで、池にいたカエルはクロツメアマガエルだと教えてもらいました。私は家に帰ったらその名前を図鑑で調べてみると約束し、そこで別れました」

「クロツメアマガエルは、あの池によくいるカエルだな」

「はい。…その後面接に行ったら殿下が座っていて、第一王子だと紹介されたので本当にびっくりしましたね」

 驚きで固まっている私を、大人たちは緊張しているのだと思ったらしい。幼い殿下は無言で、私の顔をじっと見ていた。

 私はアワアワしながら、しどろもどろで面接を終えた。

 

 

「では、君を従者に選んだのは…」

「ええ。殿下です」

 私は微笑んだ。そこはちゃんと、胸を張って言える。

「大人たちは他の子供…多分スピネルとかですね。そちらを推薦したけれど、殿下は頑なに私が良いと主張したと、後から聞きました」

 その話を教えてくれたのは殿下の教育係だったな。

 教育係は頑固で融通の利かない人だったが、私の事は割と認めてくれていたらしい。「殿下はやはり見る目があります」と言っていた。

 

「池での短いやり取りで、どうしてそんなに気に入っていただけたのか分かりませんが。私を従者に指名したのは、殿下でした」

「…そうか。なるほどな」

 殿下は何か納得したかのように深くうなずくと、少し嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

「もう一つ聞かせてくれ。前世の俺…君の主は、君にとってどんな男だった」

「それはもちろん、とても素晴らしい方でした!!」

 私はグッと拳を握りしめて答えた。

「いつもお優しくて、寛大で、聡明で、曲がった事が嫌いで、とても強くて…」

 瞼を閉じれば、はっきりと思い出せる。ささやかだが優しい笑み、真っ直ぐに伸びた背筋、大きな背中。

 私の大切な主。

 

「…私はあんまり出来の良い従者ではありませんでした。失敗したり、殿下にご心配やご迷惑をかける事も多くて」

 頑張って努力はしていたが、それが上手くいくとは限らなかった。むしろ上手くいかない事の方が多かった。その度に落ち込んだし、とても辛かった。「無理をしすぎだ」と注意される事もよくあった。

「でも、殿下はいつも私を労り、励まして下さいました。…私を、信じて下さっていたんです…」

 …私は、その期待に応えられなかったけれど。

 

 

 

 殿下は少しの間じっと何かを考えた後、「よく分かった」と呟いた。

 そして、私の目を正面から見る。

「リナーリア」

「は、はい」

「俺は、君の主ではない。同一人物でも、決して同じではない」

「……。はい」

 私は唇を噛み締めた。

 

 記憶が違う。経験した出来事が違う。人間関係も、考えている事もきっと違う。

 …殿下は、私の主だった殿下ではない。

 同じ顔、同じ名前、同じ魂だとしても、別の存在なのだ。

 分かっていたが、認めたくなかった。

 

「だが、一つ言える事がある」

 そう言われ、私は再び顔を上げた。翠の瞳が私を見ている。

 

 

「…前世の俺は、『リナライト』を従者に選んだ事を決して後悔などしなかったはずだ。最期の、その瞬間まで」

 

 

「……」

 私は目を見開いて、殿下の顔を見つめ返した。

 前世とよく似ていて、少し違っていて、でもやっぱりよく似たその微笑み。

 二つの笑顔が、私の中で重なる。

 

 …ああ、そうだ。今でもはっきりと目に焼き付いている。

 最期のあの瞬間、必死で縋り付いた殿下は、まるで私を安心させるかのようにかすかに微笑んだのだ。

 

 

 私はとても許されない失敗をした。間違いを犯した。大切なものを失った。

 だが、それでも。あの時の殿下が、私が従者として隣にいた日々に思うのは、決して後悔などではなかっただろうと。

 …殿下は、そう言ってくれるのだ。

 

 

「…殿下は、私の主は。許してくれると思いますか。私の事を」

「ああ。必ず、許すだろう」

 

「……っ」

 両目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。

 とても堪えることはできず、私は嗚咽を漏らした。

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