世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
昔、このヘリオドール王国があるベリル島には2柱の神がいた。
島の守護神である水霊神と、島の周辺の海を守る海の女神である。
この2柱の神は夫婦だったが、奔放な神に対して女神は嫉妬深くわがままだった。
神は島に住む人間たちを愛していたが、女神は人間たちが神の寵愛を受ける事が面白くなかった。
ある時大きな喧嘩をし、腹を立てた女神は海底深くへと潜ってしまった。
神は女神を迎えに行こうかと思ったが、その前に少しだけ羽根を伸ばしたいと考えた。
女神がいない今こそがチャンスだ。神は、人に化けて人里へ下りた。
そして、そこで一人の女と恋に落ちてしまった。
いつまで経っても神が迎えに来ない事を不審に思った女神は、島へ様子を見に行った。
だがなんと、神はそこで人として振る舞い、人の女との間に子供をもうけていたのだ。
女神は激怒した。
策を弄して神を女から遠ざけると、その隙に殺し、女の魂を遠く島の外へと追放してしまった。
妻である人間の女を殺されたと知った神もまた、激怒した。
2柱の神は怒りをぶつけ合い、激しく戦いを始めた。
戦いは7日7晩続き、8日目の朝にようやく神は女神を倒した。
しかし、その際に女神の憎しみと怨念が島の周囲の海へと撒き散らされてしまった。
戦いの後、神は女の魂を探しに行きたいと考えた。
島には女との間に生まれた子がいる。神は子に尋ねた。
「共に、お前の母を探しに行くか?」
しかし、神の血を引きながらも人の血が色濃いその子は答えた。
「この島には、たくさんの友や仲間、愛する人がおります。私は、人と共にここに残りたい」
女神の呪いにより、島の周辺の海からは人を襲っては殺す魔獣が無限に湧き出すようになっている。
魔獣は島に住む人間の生命力を糧として発生するものだった。人の数が増え、豊かになるほど、魔獣もまたその数を増やす。
だが子孫を増やし、豊かさを求めるのは人の本能だ。神が何もしなくとも、人は自らそういう道を選び歩んでゆく。
神が島を離れその守護がなくなってしまえば、人はいずれ、増えゆく魔獣によって滅ぼされてしまうだろう。
そこで神は、自分の代わりとなる守護者を創り出した。
神はミーティオによく言い聞かせた。
「島の外は呪いが溢れ、危険が広がっている。決して人を外に出してはいけない。人を守り、人の願いを叶えよ。それがお前の使命だ」
そして神は島に祝福をかけ、水に自らの加護を残すと、島の外へと旅立って行った。
初めのうち、ミーティオは巣である火山の中に在り、神に与えられた使命をただ真面目に果たしていた。
魔獣から島を守り、人々を見守る。
人は愚かで、しかし賢かった。邪悪さもあったが、その本性は善良なものであるとミーティオは感じていた。
特に神の血を引く者たちは賢く、魔力が強く、他の力なき人間たちをよく守り導いていた。
そういう者の中には、稀に普通の人間とは違う特殊な能力を発揮し、人々のために尽くす者もいた。
そのうち、ミーティオは人に化けては人里に降り、人と交わる事を覚えた。遠くから眺めているだけでは退屈だったからだ。
さらにミーティオは人に勝負を持ちかけ、人の力を試し始めた。
勝負はどんなものでもいい。剣士との勝負ならば、剣技で競う。老人との勝負ならば、その知識を競う。子供が相手なら、かけっこやかくれんぼだ。
ちゃんと、相手に合わせた姿に化けて勝負をする。
自分に勝つ事ができれば、その人間の願いを叶える。
それがミーティオの定めたルールだ。
人の願いを叶える事は、神から与えられた使命でもあるから丁度いい。
何より、願いを叶えた人間は皆、とても喜んだ。中には不幸になってしまう者もいたが、幸せを掴む者も多かった。
使命は、ミーティオにとって楽しいものになった。
人は弱かったが、時に思いがけない強さを見せたりもした。
真剣勝負と、それを通して交わす会話。そこから垣間見える人生。
対立、絆、友情、愛、死。
さまざまな人々との出会いと別れは、神に作られたゆえに親も兄弟も持たないミーティオに、多くの感慨をもたらした。
そうして長い年月が過ぎたある日、ミーティオはとある町のチェスの大会に出る事にした。
100年以上も前に、ミーティオが勝負をしたチェスの名人がいた町だ。その名人はミーティオに勝った時、こう願った。
「儂はもう老いた。後は衰え、死にゆくばかりだ。今更叶えたい夢などない。だが願わくば、この町に生まれる若者に、チェスの面白さと夢とを教えてやってくれ」
ミーティオは大会で勝ち上がり、優勝した。
町の者たちはなかなかに手強かったが、名人ほどの腕を持つ者はいなかった。
優勝トロフィーを手渡してくれたのは、銀の髪をした若く美しい娘だった。娘はトロフィーを受け取ったミーティオを見て不敵に笑った。
「貴方は、私が見てきた中で一番強いわ。私と勝負をしてくれない?エキシビションマッチよ」
娘はセレナと名乗った。この町の長の娘であるらしい。
何でも、彼女のチェスの腕前はこの町で並ぶ者がいない程なのだという。昨年も一昨年も優勝して、それで今年は出場を辞退したらしい。
ミーティオはその勝負を受けた。そして、とても感心した。
名人が試行と思考を重ねて辿り着いた戦い方に、彼女の打ち筋はよく似ていた。それでいて、どこか独創的だった。
尋ねた所、名人が著した本を読み一人で研究したのだという。
勝負にはミーティオが勝った。
セレナはその感情を隠すこともなく悔しがり、ミーティオとの再戦を求めた。
ミーティオはそれに了承した。彼女に興味を覚えていたからだ。
ミーティオはその町に留まり、週に2、3度ほど彼女と対戦した。そして、チェスをしながら色々な話をした。
彼女は人並み外れて賢く、そして知識に貪欲だった。あらゆる書物を求め、さまざまな分野にその知見を広げていた。
特に今、彼女が最も興味があるのは、海から現れ島に棲み着く魔獣についてらしい。
「魔獣は海から現れ、人を殺す。とりわけ、海に近付く人間を執拗に攻撃する。どうしてなのかしら?それが当たり前だと皆は思っているけど、私はとても不思議」
彼女は駒を動かしながらそう言った。
「…昔、風の魔術を使った魔導具で、空を飛ぼうと考えた魔術師がいたそうよ。だけど空を飛び始めた途端に鳥の魔獣が集まってきて、その魔術師は地面に落とされてしまった」
銀の髪をかき上げ、彼女はため息をつく。
「その後何度試しても、やはり同じ結果だったそうよ。そのうち、魔術師は空を飛ぶ事を諦めてしまった。でも、鳥の魔獣ってとても珍しいでしょ。めったに見かけるものじゃない。どうして魔術師が飛び始めた途端に、そんな珍しい魔獣が集まってくるのかしら?…まるで、人が空を飛ぶ事を誰かが禁じているみたいだわ」
「……」
ミーティオは静かに駒を動かす。
その答えを、ミーティオは知っている。女神の呪いのためだ。
女神はこの島に住むあらゆる人間を憎んでいる。決してこの島から逃しはしない。だから、海に出る者も空を飛ぶ者も許さないのだ。
「…私はね、ミーティオ。この島の外に出てみたい」
そう言って、彼女は窓の外を見つめた。
神の守護が及ばない島の外へ、人間を出すことは禁じられている。
そしてミーティオ自身もまた、島の外へは出られなかった。
以前試してみた事があるが、まるで見えない鎖に繋がれているかのように、島から離れる事ができなかったのだ。
どうやら、神が与えた「この島の守護者」という使命に反するような行動はできないらしい。
ミーティオはセレナに尋ねた。
「なぜ、島の外に出たがる。海には恐ろしい魔獣がたくさんいるし、その海を越えた所で何があるのかも分からない。何のために、そんな無謀な挑戦を望むんだ?」
「だってね、ミーティオ。ツバメは春になるとこの島にやってきて、秋にはまた南へと去っていくのよ。島の外には、ツバメが住める大地が必ずある証拠じゃない。私は、そこを見てみたい」
「…鳥が住めても、人にとっては危険な場所かもしれない。その大地だって、この島と同じように魔獣が現れ、人を襲うかもしれないじゃないか」
それは半分嘘だと知りつつ、ミーティオは言った。
人を魔獣が襲う呪いはこの島のものだ。外の大地がどんな場所なのかはミーティオも知らない。
「でも、危険を恐れていては永遠に前に進む事はできないわ。そうでない可能性があるのなら試してみるべきよ。…ミーティオ、人間はね、前に進みたがる生き物なのよ。時には後ろに下がったり、道を間違えたりもするけれどね。今の私みたいに」
彼女はそう言って、小さく肩をすくめて駒を倒した。投了らしい。
チェスは今日も、ミーティオの勝ちだ。