世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第164話 春の足音

 髪染めに使った道具を片付けて鞄にしまっていると、部屋の扉がノックされた。

「はい」

「やあ、スピネル、僕だよ」

 明るい男の声が聞こえ、スピネルが扉を開けた。レグランドだ。すぐ後ろに殿下もいる。

 

 自分そっくりの髪色になったスピネルを見て、レグランドが感心する。

「へえ、綺麗に染まってるじゃないか。リナーリアさんにやってもらったのかい?」

「ああ」

「あの髪染めの魔法薬、魔力制御が下手だと色にむらができるんだよ。やっぱり君、良い腕してるね」

 にっこり笑って褒められ、私は「ありがとうございます」と頭を下げた。まあこのくらい朝飯前だ。

 

「すごいな。こうして同じ髪色をしていると、本当によく似ている。さすが兄弟だな」

 殿下はスピネルとレグランドを見比べながら言った。

 次男と四男であるこの兄弟は結構年が離れていたと思うが、確かに似ている。レグランドの方がタレ目で女たらしっぽい雰囲気があるが…あれ、並ぶとスピネルの方が身長高いんだな。

 

「この髪だと、何だかいつもより賢そうに見えますよね」

「喧嘩売ってんのかてめえ!」

「ああ、すみません、間違えました。いつもより知的に見えます」

「全く同じ意味じゃねーか!!」

「あはは」

 笑っているレグランドと殿下を、スピネルが睨みつける。

 

 

「レグランド様は髪を染めなくていいんですか?」

「うん。僕は実家でゆっくりするだけだしね。行き帰りにカツラを被るだけで十分だよ」

「どこからカツラを借りてきたんだ?」

「ギロルの伝手でちょっとね」

「ああ…なるほど」

 レグランドの友人のギロルは挿絵師をやっていて、ポスターなどの仕事で劇団と繋がりがある。劇団なら、色々なカツラを持っているだろう。

 

「で、何しに来たんだよ。まさかこれ見に来たのか?」

「俺はそうだな。なかなか面白かった」

 殿下は悪びれる事なくうなずき、再びスピネルが睨んで、レグランドが少し笑った。

「僕は明日からの打ち合わせに来たんだよ。ちゃんとすり合わせておかないとまずいだろう?」

「あ、なら私はこれで失礼しますね」

 細かい打ち合わせには、私がいては邪魔だろう。用事は済んだし退室する事にする。

 

「スピネル、気を付けて行ってきて下さいね。先生の事もよろしくお願いします」

「分かった。任せとけ」

 見送りには行けないので、今のうちに挨拶をしておく。スピネルは真面目な顔に戻って返事をしてくれた。

「俺は後でもう一度来る。また後でな」

「ああ」

 殿下も退室するらしい。扉を開け、一緒に廊下に出る。

 

「リナーリア、今から時間はあるだろうか」

「はい。大丈夫です」

 この後は先生の所に寄る予定だが、少し顔を見るだけのつもりなので別に急いではいない。

「なら、少し寒いが外を歩かないか?」

 散歩のお誘いだ。私はにっこり微笑んだ。

「ええ、喜んで」

 

 

 

 行き先はいつもの裏庭だった。と言っても、冬はあまり庭を歩かないので結構久しぶりだ。

 暗い緑色をした池の水面を覗き込む。

「さすがにカエルが出てくるには早いですね」

 寒さは少しずつ緩んできているが、カエルが冬眠から目覚めるにはまだもう少しかかりそうだ。

「早く春になるといいんですが」

「……」

 殿下もまた池のほとりに立つと、黙ってその奥を覗き込む。

 

「…初めてだな」

 やがて、殿下がポツリと言った。

「何がですか?」

「初めて、春が来なければいいと思っている」

 

 私は少し瞬きをして、殿下の横顔を見つめた。

「期限まではあと3年。絶対に君を渡すつもりはないし、出来る事は全てやるつもりだ。…だが、もし上手く行かなかったらと思うと…。時間など流れなければいいと、そう思ってしまう」

 強く拳を握りしめるのが見え、何と答えればいいのかとしばし迷う。

 

 

「…すまない。君を困らせたい訳ではないんだ。ただ少し、自分が不甲斐なかっただけだ」

 殿下はこちらを振り返ると、軽く苦笑した。何か言わなければ。考えをまとめきれないまま、口を開く。

「あ、あの、殿下」

「なんだ?」

「私、春用の服を頼んだんです。前、殿下と一緒に行った仕立て屋で」

「?」

 急に変わった話題について行けなかったのだろう、殿下が少し目を丸くする。

 

「カーネリア様や先輩、ヴァレリー様、ミメット様と一緒に行きました。私、そんな風にたくさんの友人と買い物をするのは初めてでした。前世から合わせても初めてだったんです。私、友達がいなかったので…」

「そうなのか」

「はい。私は前世より、ずっと多くの人と親しくさせていただいています。おかげで本当に色々な事を知りました。かつては気付かなかった事も、たくさん。それで思ったんです。生まれ変われて良かった、ライオスには感謝したい…と」

 

 

 殿下はただじっと私の顔を見つめ、話を聞いている。

「…ライオスとは和解したいという殿下のお言葉、私もようやくちゃんと分かった気がします。よく考えて思いました。ライオスは人間を嫌っている素振りをしているけれど、それは本心ではないのではないかと」

 

 竜人は人に愛想を尽かして姿を消したとおとぎ話では書かれていたけれど、ライオスは60年ほど前、人の前に何度か姿を現していた。

 特に攻撃する訳でもなく、ただ姿を見せたのだそうだ。その気になればいくらでも姿を隠せるのに、わざと人前に出た。

 それは、再び人間に関わろうとしたからではないのか。

 

 前世で私を助けた時だってそうだ。

 私が彼の仲間ではなく、人間なのだと答えた後も、嫌な顔こそしたもののすぐに立ち去ろうとはしなかった。

 …彼の行動は、人間に何かを期待していたように思えるのだ。

 

 

「願いの代償として私を妻にしたところで、ライオスは幸せになれるんでしょうか。家族ができれば確かに孤独ではなくなるのでしょうが、彼が人間に利用された事で負った傷や、抱いた失望は悲しみは、果たしてどれだけ癒せるんでしょうか」

 彼が求めているものは、本当にそれで手に入れられるものなのだろうか。

 

「私は、ライオスに命を救われました。彼が願いを叶えてくれたおかげで、たくさんのものを手に入れています。その恩を返すためにも、彼にはもっと様々な人と出会い、広い世界を知って欲しい」

 彼には幸せになる権利がある。遠い昔に人を守っていたという彼は、本来もっと大きな対価を得るべきだ。

 しかし私一人を連れて行けば、きっとそれを得られないまま、彼の世界は小さく閉じてしまう。その未来は、決して正解ではないように思うのだ。

 

 人というのはとても色々な人がいて、優しさも持っているのだという事を、ライオスにも知って欲しい。

 私がこうして生まれ変わり、それを知ったように。

 人と関わる幸せを、彼にも知って欲しい。

 

 

「…ただ、そのためには多くの人の協力が必要になります。色々と迷惑をかける事も多いかと思います。だから…」

「…うん。俺はいいと思う」

 言い淀んだ私に、殿下は小さく微笑んだ。

 

「君は人に迷惑をかける事をずいぶん気にしているが、別にいいと思う。君の周りの人は、君に迷惑をかけられてもきっと気にしない。いや、迷惑とも思わないだろう。むしろ君が頼ってくれる事を嬉しく思うはずだ」

「…そ、そうでしょうか?」

「ああ。俺がそうだから、分かる」

 再び池に目を戻しながら言う。

 

 

「俺も今まで、色々な事を気にしていたんだ。君にとって迷惑ではないだろうかとか、まだ自分にはそれだけの力がないだろうとか…。意地もあったと思う。自分が未熟で、力が足りないと知っていて前に進むのは、とても勇気がいる。実際、俺は君に迷惑をかけているんだ。俺に関わらなければ巻き込まれなかった危険がいくつもある。君は本当なら、もっと平和に暮らせていた」

「…で、殿下。それでも、私は」

「ああ。分かっている」

 殿下は私の言葉を静かに遮った。

 

「未熟でも、手探りでも、前に進まなければいけない時はあると思う。手をこまねいていてはきっと後悔する。…いや、これも言い訳かもしれないな」

 そう言って首を振り、もう一度私を見つめる。

「つまり俺は、自分の気持ちを正直に伝えようと思う。…リナーリア」

「は、はい」

 

「俺は、君にどれだけ迷惑をかけられても構わない。そして、君に迷惑をかけてしまうとしても、譲れはしない。どんな困難があったとしても、それでも…」

 ゆっくりと、噛みしめるように、沁み込ませるように。

「この先もずっと、君に傍にいて欲しいんだ」

 

 

 その翠の瞳に、ただ私だけを映して紡がれた言葉に、顔が熱くなるのが分かった。

 …な、なんだろう。何か、すごく恥ずかしい事を言われている気がする。

 さっきまで寒かったはずなのに、やけに暑くて、手のひらに汗が滲む。ひどく頭が混乱する。

「リナーリア」

 殿下の手が私の方へと伸ばされる。

 

…しかしそれは空中でぴたりと止まり、引っ込められた。

「…この先は、君の呪いを解いてからだな」

 殿下がちらりと私の足元を見た。

 土の上についた細い足跡。

 自分でも気付かないうちに、一歩後ろに下がっている。いつの間に…?

 

「少し寒くなってきたな。中に戻ろう」

「は、はぇ、はい」

 何故か声が裏返ってしまった。羞恥心を抑えながら、微笑んで歩き出した殿下の横に並ぶ。

 理由の分からない焦りのようなものが、もやもやと胸の奥に湧き上がる。頭が痛い。

 

 

 歩きながら、殿下が庭木を見上げた。

「春用の服を頼んだと言っていたな」

「あ、はい」

「俺も見たい。春になったら、一緒にどこかに出かけよう」

「…!はい!」

 

 思わず嬉しくなり、それで胸のもやもやは吹き飛んでしまった。

 私もまた、殿下の視線の先にある庭木を見上げる。

 その枝の先からは、萌黄色の若葉がわずかに芽吹き始めているようだった。

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