世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
翌日セナルモントと共にモリブデン侯爵屋敷に行くと、すぐに立派な応接室へと通された。
つややかな革張りのソファに、セナルモントと二人並んで座る。
『行ってくる』
スピネルにだけ聴こえる声を残し、ミーティオの気配がすっと遠ざかった。
セナルモントの探知魔術によれば、モリブデン屋敷には侵入者を防ぐ結界が張られている。
それは貴族ならば特別珍しい話ではないが、地下にもう一つ重ねる形で、さらに強固な結界が敷かれているようだという。
地下に宝物庫を作るのもまた、よくある話だ。この屋敷に天秤があるなら、そこに置かれている可能性が高い。
ミーティオは幽霊のようなもののくせに、見える人間には見えてしまうという欠点があるが、壁などの障害物はすり抜けて移動できるという利点も持つ。そして、壁や地面の中に入り込んでしまえば誰にも見えない。
暗い地中でも結界の位置は感じ取れるそうなので、早速床下に沈んで見に行ったのだ。
素知らぬ顔でそのまま待っていると、一人の男が使用人を連れてやって来た。
この屋敷の主、アンドラ・モリブデン侯爵である。娘のフロライアとよく似た蜂蜜色の金髪に、柔和な笑みを浮かべた男。
「我が領までわざわざ調査にお越しいただき、ありがとうございます。セナルモント殿のご高名はかねがね伺っております」
まさか侯爵が自ら応対するとは思っていなかったので、スピネルは少し驚いた。
セナルモントが「念のため」と言って顔に幻影の魔術をかけてくれていて良かった。侯爵はスピネルの顔を知っているので、髪色だけではきっと誤魔化せなかっただろう。
使用人が置いた紅茶のカップにどばどばと砂糖を入れながら、セナルモントは笑顔で侯爵に応じる。
「いやあ、恐縮です。僕のような若輩者の名をご存知とは」
「秘宝をめぐる事件の話は、既にこの領まで届いているのですよ。セナルモント殿は解決に大いに貢献されたと聞き及んでおります」
「とんでもない、僕などほんの少しお手伝いをしただけですよ。解決はエスメラルド殿下の優れた指揮と決断力、武勇あっての事です。…あとは、僕の弟子のリナーリア君の奮闘ですね。殿下が助けに来てくれると信じ、苦境の中じっと耐え忍んだそうです。殿下もまた、彼女を助けるために懸命でした。二人の強い絆がなければ、今頃一体どうなっていた事か…。我が弟子ながらリナーリア君は、殿下を支えるにふさわしい資質を備えているのではないかと思います」
…この魔術師、とぼけた顔をしてなかなか大胆だ。
わざわざ王子とリナーリアの仲を強調するような言い方をするセナルモントに、スピネルは内心でひやひやした。はっきり言って煽っている。
侯爵は同じ年齢の、美しく優秀な娘を持っているのだ。しかも家柄はリナーリアのジャローシス家よりも上。周囲からの評判も良く、十分に未来の王妃たる資質は持っている。
目の前で別の令嬢を褒めちぎられれば、面白い訳がない。
「ええ、もちろん、リナーリア嬢のご活躍も聞いておりますとも。彼女のような素晴らしいご令嬢がいる事は、我が国にとって幸運と言えるでしょう。全くもって感嘆するばかりです」
侯爵は柔和な笑顔を崩さずに、ごく自然な口調で応じた。やはり、この程度で揺さぶれるほど甘くはないらしい。
物腰柔らかで人当たりが良いが、食えない男。それがスピネルから見たモリブデン侯爵の印象だ。
それから、スコレスという名の小太りの中年の魔術師を紹介された。モリブデン家お抱えの魔術師の一人だという。
この魔術師の他に騎士が一人、さらに兵士が二人ほど、今回の調査に同行するらしい。
人造湖建設許可のための追加調査というのはここを訪れるためのただの名目だが、怪しまれないように調査そのものもちゃんとやらなければならないのだ。
スコレスと軽く打ち合わせをしていると、ふっとミーティオが戻ってきたのを感じた。地下から帰ってきたようだ。
(どうだった?)
心の中でそっと話しかける。
『あった。感知されるかも知れないから中に入ってはいないが、あの気配は間違いない』
…やはりそうか。これで仮説が一つ裏付けられた。
恐らく侯爵は、天秤が何たるかを知った上で隠し持っている。
そして、その傾きを操るために王子の命を狙っているのだ。
調査地点は建設予定地の近くにある川だった。
屋敷を出て馬車に乗り、スコレスたちの案内ですぐに出発する。片道2時間ほどの道のりだ。
道中、セナルモントとスコレスは何やら魔術の話で盛り上がっていたが、スピネルにはさっぱり分からなかった。
もう一人の騎士は寡黙なタイプらしく、ほとんど口を開かない。あまり話しかけられてボロが出ても困るので、その方が良いのだが。
窓から遠くの山を見つめ、天秤について考える。早くセナルモントに話したいが、今は無理だ。
調査は滞りなく終わった。移動時間の方がよほど長かった。
書類に何やらガリガリと書き込んだセナルモントがスコレスに告げる。
「調査内容は持ち帰って王宮魔術師団で精査します。後日結果をお知らせしますので、しばらくお待ち下さい」
「わかりました」
周囲を警戒していた騎士や兵と共に、再び馬車に乗る。
「…では、この後はモリブデン領の考古学調査をなさるんですか」
「ええ。この辺りは歴史が古くて、文献やら遺跡やら色々残ってますからねえ。僕の専門は古代神話王国時代なんですが、もっと新しい時代のものでも、とても研究の参考になるんですよ」
帰りの馬車の中でも、セナルモントたちは魔術師らしい話をしている。
「それでしたら、カラミン図書館の方にも行ってみると良いですよ。何年か前に収集家の方が貴重な古文書をいくつも寄付してくれましてね。読むのには少々骨が折れますが、セナルモント殿ならば問題ないでしょう」
「ほほう!それは良い事を聞きました。ぜひ寄らせていただきます」
そんな会話を聞きながらぼんやり外を眺めていると、ふいに呼ぶ声が聴こえた。ミーティオだ。
『…スピネル。何か妙な気配がする』
(なんだ?)
『北西の方角だ。そちらに大きな町などはあるか?』
「すまない。あっちの方角に町などはあっただろうか」
こういう事は現地の人間に聞く方が早い。北西を指差しながら、斜め向かいに座ったスコレスに尋ねる。
突然話しかけられた魔術師は、少し目を丸くしつつ答えた。
「いいえ?あちらは海の方角ですから…ここからだと見えませんが、あの小さな山を越えたらすぐ海になっているんですよ。それがどうかしましたか?」
「あちらに向かう人影が見えた気がしたんだ。だがそれなら、見間違いだったかもしれないな」
適当にごまかしておく。ミーティオは何も言わないが、訝しんでいるのが何となく伝わってくる。
「もしかしたら猟師かもしれませんね。モリブデンは猪猟が盛んでして、腕に覚えがある者はこの辺までやって来たりもするそうです」
「ああ、そう言えば昨夜は猪料理を食べたな。よく煮込まれていて柔らかくて美味かった」
「そうでしょう!奴らはすぐに畑を食い荒らすので困るんですが、香草をたっぷり使い、時間をかけて煮込むとこれが美味い」
小太りの魔術師はニコニコと嬉しそうにしてうなずいた。どうやら食べ物の話も好きらしい。
そのままスコレスがモリブデンの郷土料理について話すのに相槌を打ちながら、ミーティオに話しかける。
(どういう事だ?)
『…よく分からない。後で詳しく話す』
何かを感じ取ったようだが、危急の話ではないらしい。
気にはなるが、ここでミーティオとの会話に集中すると、スコレスや他の者に不審がられるだろう。一旦は棚上げし、大人しくカラミンまで戻ることにした。