世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「そう考えると、何か不思議な気持ちになるな。普段こうして何気なく口にしている物も、長い時間をかけ、多くの民の手を経て、俺の元に届けられている訳か…」
深く感心したように、殿下も指でつまんだクッキーを見つめた。
『貴様は未来の王なのだろう。それなのに、民が作っている事を知らなかったのか?』
ライオスの言葉には、わずかに嘲るような色が含まれている。王というものにあまり良い印象を持っていないのだろう。
だが殿下は気にする素振りを見せず、真面目な表情で考え込んだ。
「知識としては知っていたが、ちゃんと理解していなかった…というのが正しいだろうか。恥ずかしい話だが。目の前にどれだけ沢山あっても、自ら意識を向け、考えようとしなければ、真には理解できないようだ」
それから、私の方を見て微笑む。
「俺たちの暮らしが多くの民に支えられていると、決して忘れてはいけない。…リナーリアはいつも、こうして俺に大切な事を教えてくれる」
「そ、それほどでも…。殿下が、常に学ぼうとする心をお持ちだからですよ」
私など大した事はしていない。そう思いつつ、殿下に褒められるとやっぱり嬉しい。
ちょっぴり照れながら微笑み返す私を、ライオスがじっと見つめていた。
そうして会話が一段落した所で、ライオスは言った。
『お前たちは、こんな話をしたくて我を呼んだのか』
「それは…」と言いかけた私を殿下が遮る。
「すまない、リナーリア。俺に話をさせてくれ」
「…はい」
私は素直に殿下へと譲った。私自身、殿下がどのようにライオスと話し合うのか知りたい。
宝玉の事は一旦置いて、まずは私の願いの対価について解決しようと、皆で相談して方針はすでに決めてある。こちらの方が時間的猶予が少ないからだ。
だからきっと、私の事について話すつもりだと思うのだが…。
殿下は真剣な表情でライオスへ語りかける。
「こちらの目的を伏せたまま近付こうとするのは卑怯だと、俺は考える。だから正直に言おう。ライオス、俺たちは君に対し、一つの願いを持っている」
『どんな願いだ』
「君とリナーリアが交わしたという契約。それを解除し、彼女を連れて行くのをやめて欲しい」
「っ……!」
瞬く間に室内の空気が一変した。先程までの和やかな雰囲気は消え失せ、怒気が周囲を満たしている。
産毛がちりちりと逆立ち、額や手のひらに脂汗が滲む。
恐ろしくて顔が上げられない。呼吸さえままならない。今すぐここから逃げ出せと本能が訴える。
歯を食いしばって耐えるが、指先が震えるのを止められない。
「…スピネル。座れ」
ひどく長く思える数十秒の沈黙を破ったのは、殿下の声だった。
反射的に身体が動いたのだろう、立ち上がりかけ腰に手を伸ばしていたスピネルが、ゆっくりと椅子に座り直す。
『契約は絶対だ。貴様が口を挟めるものではない』
「分かっている」
ライオスから放たれる威圧に抗うためか、血の気が失せるほどに拳を強く握りしめ、殿下は答えた。
「それでもなお、願う。リナーリアを連れて行かないで欲しい。彼女はこの国に必要な人間であり、皆が彼女を愛している」
『我は願いを叶えた。願いには、対価が必要だ』
「それも分かっている」
殿下ははっきりと、竜人の目を見据えて言った。
「彼女が何物にも代えがたい宝である事は、俺自身がよく知っている。どんな財宝を積み上げても、彼女には遠く及ばないだろう。…それでも、だからこそ、願う。彼女を契約から解放して欲しい。そのためなら俺はどんな事でもする。どんな対価でも払う。代わりに俺が…、いや」
そこで言葉を切り、私たちの顔を見回す。
「俺たちが、君の願いを叶えよう」
『…願い?』
ライオスはその瞬間、虚を突かれたような表情をした。
『…我には願いなどない。契約通りの対価さえもらえば、それで良い』
そう言いながらも、ライオスはどこか動揺しているように見える。
「いいや、あるはずだ。君には確かに、人間の部分がある。人間とは願いや望みを持たずにはいられないものだ」
『貴様…』
「ライオス!」
再び怒りを露わにしたライオスに、私は思わず呼びかけてしまった。
ライオスがこちらを振り向く。その表情に一瞬怯んでしまいそうになるが、先程までのような身動きできないほどの恐ろしさは感じない。
「私は貴方に、私たち人間について知って欲しい。…それはきっと、貴方自身について知る事にも繋がると思うんです」
『…我自身について?』
「はい」
竜人は古代の人間たちが作った、恐らくこの世で唯一人の存在だ。
しかし、だからと言って、孤独でなければならないなんて事はないはずだ。
今日こうして一緒にお茶を飲んで確信した。表情こそ分かりにくかったが、お菓子に喜び、辿々しく会話に応じる様子はどう見ても人間だ。
異形の姿を持ち、その身の半分が竜であろうと、彼は間違いなく人間でもあるのだ。その事に気が付いて欲しい。
「今すぐ分かってくれとは言いません。ですが、きっと何かを得られます。どうか、またこうして私たちとお茶を飲んでくれませんか。…少なくとも、人間の食べ物は美味しかったでしょう?」
『……』
ライオスは無言で私の顔を見つめ、それから目を逸らした。
その仕草もまた人間らしいと、私は思った。
その後すぐ、お茶会はお開きとなった。
庭に出たライオスへと小さな巾着袋を差し出す。
「この飴玉はお土産です。後で食べて下さい」
ライオスは袋を受け取ると、その中から飴玉をつまみ上げじっと見つめた。
『…違う。これではない』
「えっ?」
私は戸惑ってしまった。あの時と同じ、苺味の飴のはずだ。
『包んでいる紙が違う。もっと赤かった』
「あ…」
そう言えばそうだ。あの時の飴玉は確か淡紅色の紙に包まれていたが、これは縞模様が入った紙だ。
コーネルに頼んで用意してもらったものだが、作っている工房が違うのかもしれない。
味は同じ苺味のはずなんだが…。いや、やっぱり味も違うんだろうか?
お菓子にはこだわりがないので、そこまで考えなかった。
『そなたの願いを叶える時、あの紙は持ってこられなかった』
「え?紙を?」
『そうだ。我はそなたを連れ、魂だけで時を遡った。物質まで移動させる事はできなかった』
うぅーむ?つまり世界の時間そのものを巻き戻したのではなく、私とライオスの魂だけが時を遡って移動して来たのか?
肉体は置いてきたから包み紙は持ってこられなかったのか。
…って、じゃあもしかしてライオスは、私の願いを叶えたあの時まで、飴玉の包み紙を大事に持っていたのか?3年も…?
何か色々衝撃を受けつつも、とりあえず謝る事にする。
「すみません、全く同じものは用意していなくて…。でも必ず用意しますので、どうかまた来てください」
『オチャカイにか』
「はい。次も、美味しいお菓子を並べて待っていますので」
『……』
「来週…7日後に、また呼びます。きっと来てくださいね!」
再び翼を生やし、大きく広げたライオスへ呼びかける。
「僕たちも待ってるよ~!絶対来てね~!!」
「また話をしよう!」
「俺も待っている。必ず来てくれ」
「…次は別の紅茶も用意させる」
ライオスはそれらの呼びかけには答えなかった。
しかし宙に浮いた後、一瞬だけこちらを振り返り、それから飛び去っていった。
みるみる小さくなっていくその影を黙って見送っていると、誰かが私の隣に立った。…殿下だ。
「彼はまた来てくれるだろうか」
「分かりません。…でも、信じます」
そう答えると、殿下は小さく微笑んだ。