世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
5月の初め、王都の人々に見送られながら、私たちは予定通りに水霊祭の祭礼に出発した。
今年に入ってから国王陛下の体調が安定しないため、今回は陛下も王妃様も同行しない。殿下と私たちだけだ。
昨年と同じように転移魔法陣と馬車を併用した旅程で、1日目はランメルスベルグ領に宿泊。2日目がモリブデン領で、3日目の夕刻には目的地であるゾモルノク領に到着する予定だ。
…特に何も起こらなければ、だが。
殿下の馬車に同乗するのは、スピネル、私、スフェン先輩。気の置けない面子で、皆くつろいだ雰囲気である。
「他の領へ行くなんて久し振りだな。つい心が浮き立ってしまうよ」
私の隣で先輩が楽しげに笑う。
大きな目的を秘めた旅ではあるが、先輩は年末休みでも実家に帰っていないから、王都を出るのはきっと3年ぶりくらいだ。気分が弾むのも当然だろう。
もしかしたら、緊張気味の私のためにあえて明るく振る舞っているのかもしれないが。
「卒業後は白百合騎士団入りが内定してるんだろ?このまま王都住まいか?」
尋ねたスピネルに、先輩は「ああ」とうなずいた。
「騎士団員向けの寮に入れてもらう予定だよ。部屋も空いてるそうだし」
そう、先輩は王宮で抱える白百合騎士団の入団テストに無事合格し、来年からは晴れて見習い女騎士となるのである。
合格の報せが来た時には、先輩のファンクラブの方々と一緒に盛大にお祝いをした。
これでまた一つ先輩の夢の実現に近付き、私もとても嬉しい。
「ゲータイト伯爵は何と言っているんだ?」
「一応祝ってくれましたね。渋々とではありますが、前よりはずいぶん態度が丸くなりました。さすがの父も、白百合騎士団入りが決まったとなれば認めざるを得なかったようで…。王子殿下のおかげですよ」
殿下に父親の事を訊かれた先輩は、苦笑を浮かべながらもどこか嬉しそうだ。弟のヘルビンともたまに話しているようだし、家族関係がだいぶ改善されたのだろう。
「ただ卒業後、一度は実家のゲータイト領に帰ろうと思っています。知り合いとの約束もありますので」
「良い報告ができますね」
先輩の約束とは、「たまには弟の墓参りをして欲しい」と、私の義姉で先輩の幼馴染でもあるサーフェナ様から言われていた件だろう。
私が笑いかけると、先輩は「そうだね」と答えて柔らかく笑い返した。
次に殿下は、私へと話しかける。
「ライオスの様子はどうだ?前回は参加できなかったが、お茶会にはちゃんと来たんだろう?」
「はい」
あれから、週に一回あの屋敷にライオスを招き、お茶会を開いている。
私と先輩、セナルモント先生は必ず出席しているのだが、殿下やスピネルは忙しいので毎回というのは難しい。春になって王都には貴族たちが戻って来ているし、私の所にばかり来る訳にもいかないので、二人は前回は欠席していた。
最初のお茶会では少し怒っていたライオスだが、次呼んだ時もちゃんと来てくれて、お茶とお菓子をたくさん飲み食いして帰っていった。
とりあえず、お菓子の対価として当たり障りのない質問や会話をする分には問題ないらしい。
大急ぎで探してきた前世と同じ飴玉を渡すとずいぶんと満足げにしていたし、良くも悪くも素直なのだなという印象だ。
「君の両親も招いたんだろう。大丈夫だったか?」
「はい。最初は戸惑っていましたが特に問題なかったようです」
何度か呼んでみて、ライオスは充分に会話が可能な相手だと分かった。向こうも少しずつ私達に慣れてきているようだ。
そうなれば次は他の人間にも慣れてもらおうという事で、前回ついに私たち以外の者も招いてみたのだ。
誰を呼ぶかは色々と考えたのだが、私は結局、両親を呼ぶ事にした。
信頼できて口止めもできる人間だというのが主な理由だが、私と同じく竜の血が濃いという母なら、ライオスも親しみやすいのではないかと考えたのだ。先輩や先生もそれに賛成してくれた。
両親を呼ぶに当たって、ライオスには大きなローブを着せ、フードを目深に被ってもらった。
そして両親には、「秘宝事件で私を助けてくれた人だが、機密なので詳しくは話せない。今も秘密の任務についているため、顔は見せられないし声もほとんど出せない」と説明しておいた。
いくらローブを着た所で褐色の肌がちらちら見えているし、フードは角の形に盛り上がっているし、はっきり言って怪しいことこの上ない。
しかし「ライオスは命の恩人で、大切な客人だ」と、事前によくよく訴えておいたおかげだろうか。
両親は初めこそ驚いていたものの、それらに何一つ突っ込む事なく、ちゃんとライオスに向かってにこやかに話しかけ「娘を助けてくれてありがとう」と礼を言ってくれた。
初めはフードを被る事をひどく鬱陶しがっていたライオスだが、両親と話している間は驚くほど大人しかった。
特に母に対しては明らかに様子が違った。何と言うか、
いつものような尊大さは見せず、あれこれとおしゃべりをする母に戸惑いながらもうなずいたり首を振ったりして応えていた。
ライオスは古代語しか話せない。謎の力で私たちに意志を伝える事ができるが、それをやれば人間ではないとバレてしまうので、両親と会った際は極力声を出さないように頼んでいた。
そんな頼みを聞く必要など彼にはないので、正直どうなるか不安だったのだが、ライオスはちゃんと従ってくれた。きっと母を怖がらせたくなかったからだと思う。
母の世間話は彼には半分くらいしか理解できなかったのではないかと思うが、最後までしっかり付き合っていたので、退屈という訳でもなかったようだ。
「両親を呼んで正解でした。両親は呑気で大らかな性格なので余計な詮索はしませんし、ライオスはやはり、母には何か特別なものを感じるようです。和やかなお茶会になりました」
「なるほど…。それに君の母上は、穏やかで自然と相手の警戒心を解くような雰囲気を持っているしな。人間へ親しみを持ってもらうには、適任なのかもしれない」
「ええ、これからもできるだけ母を呼んでみようと思っています」
母は私よりはるかに社交能力が高い。結構天然なのだが、あのおっとりと柔らかな物腰のおかげか、どんな相手とでもたいてい上手くやっている。とても尊敬している部分だ。
「それと、私の使用人のコーネルもですね。今回両親と共に来てもらったんですが、やはり給仕をしてもらえると楽なので」
私もやってみて初めてわかったのだが、お茶会で主人をやりつつ適度なタイミングでお茶のお代わりを出すのは結構大変なのだ。
話をしながら常に皆のカップの様子に気を配り、空になる前にお湯を沸かし、てきぱきとお茶を淹れなければならない。
「コーネルは紅茶を淹れるのも私よりずっと上手ですしね。…あ、でも、ライオスは私が淹れた紅茶の方が好きだそうです!」
やはり淹れた後少し冷ますのが良いのだろうか?気遣いが通じたようでちょっと嬉しかったので、えへんと胸を張りつつ言うと、殿下は何故か一拍置いて「…ほう」と呟いた。
「どうかしましたか?」
「いや。…俺も、リナーリアが淹れた紅茶の方が好きだ」
「そうなんですか?」
私の紅茶はどうも味が安定しない。美味しく淹れられる時もあればそうでない時もあるのだが、そこが逆に新鮮に感じるとか…?
そんな事を考えて首を捻っていると、先輩とスピネルが何やら笑いを堪えていた。
「…何ですか?」
「何でもない。気にすんな」
「うん。微笑ましいと思ってね」
「???」
理解できない私の向かいで、殿下はただむっつりとした表情を浮かべていた。
その後しばらくして、昼食の時間になった。
日程短縮のため、道中の川辺での簡易的な食事だ。広げた敷物の上で、サンドイッチと温かいお茶をいただく。
曇り空なのが残念だが、そよ風が吹いていて意外に暖かく、周辺は開けていて眺めが良い。
「やあ、これは気持ちが良いね。まるでピクニックだ」
あたりを見渡した先輩に、殿下が懐かしげに微笑んで言う。
「昔ジャローシス領に視察に行った時、こういう野原で昼食を用意してもらったんだ。それが気に入ったから、できそうな時は日程に入れてもらっている」
「まあ、そうだったんですか?」
懐かしいな。あの時は遺跡事件のせいで色々大変だったが、その前はとても楽しく過ごせていたのだ。
「あ、そうだ!あの時のバッファロー肉のサンドイッチ、この前ライオスにも食べさせたんですよ」
流れで思い出し、私はつい笑顔になる。
「両親が手土産に持ってきてくれたんですが、ライオスも相当気に入ったみたいで。ようやく甘いもの以外で彼の好物が分かりました!また一歩前進です」
今度はお茶会ではなく食事に招いてみるのもいいかもしれないな。食事マナーなど分からないだろうし、メニューは考える必要があるが。
「…ふむ。そうか」
うなずいた殿下に、私はあれ?と思う。
先程もそうだったが、どことなく面白くなさそうに見える。
するとスピネルが、小さくため息をついた。
「…あのジャローシス領の視察の時、昼食を野原で取ろうっつったの、どうせお前だろ?」
「え?それはもちろん!」
私は胸を張って答えた。
「殿下は屋敷での豪華な食事なんて食べ飽きていらっしゃいますからね。簡素なものでも、開放感のある場所での昼食の方が、きっと喜んでいただけると思ったんです」
その目論見は当たり、殿下は楽しそうに昼食を取っていた。今世での大切な思い出の一つだ。
「殿下もあの時の事を覚えてくださっていて、とても嬉しいです」
そう笑いかけると、殿下は何故か片手で顔を覆った。
「殿下?」
「…少し自分を恥じている…」
「え?どういう事ですか?」
思わずオロオロする私の横で、先輩が「はっはっは!」と笑い声を上げる。
「ははは、いや、失礼。大丈夫だよリナーリア君、君の気持ちは、ちゃんと王子殿下に伝わっているよ」
「えええ?」
殿下は顔を覆ったまま、こくこくと首を縦に振った。先輩の言う通りだと言いたいようだ。
「すまない、リナーリア」
「…?はい」
何だか分からないが、問題はないらしい。皆美味しそうにサンドイッチを頬張っている。
だったら良いかと思いつつ、私たちは川辺での昼食を終えた。