世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「うう、疲れた…」
私は自室に戻ると、たまらずにベッドの上へと倒れ込んだ。
大勢に囲まれ、昨日の出来事について説明をするのはとても緊張した。まだ魔力が回復しきっていないのもあり、体がだるい。
それでも聴取の相手がセナルモント先生だったおかげでずいぶん助かったと思う。前世でよく知った相手だったし、先生自身が緊張感の薄い人物なので、かなり気が楽だった。
最も今世では、向こうは私の事など知らないのだが。
…せっかくの殿下の視察なのに、とんだ事になってしまったな。
ごろりと寝返りを打つと、机の上にきらりと光る小瓶が乗っているのに気付いた。
「あっ!これ…」
慌てて起き上がり手に取る。黒い破片入りの小瓶。間違いない、あの遺跡にあったものだ。
朝はバタバタしていてこれの存在に気付かなかった。すっかり忘れていたけれど、ポケットに入れたまま帰ってきてしまったのか。
その時、コンコンとノックの音が聞こえた。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
「コーネル!あの、この小瓶…」
思わず勢い込んで尋ねると、コーネルは「はい」とうなずいた。
「気を失ったお嬢様のお着替えをする際、スカートのポケットに入っていたものです。大切なものかと思い、取り出して置いておいたのですが…」
他の皆は手に持っていた鍵の方に気を取られ、こちらには気付かなかったらしい。
私は少し迷ったが、これはこのまま無かったことにして隠しておくべきだと思った。
事情説明の際にも、倉庫にあった本の内容はある程度話したけれど、小瓶やら道具やらについては「見てもよく分からなかった」で通してあった。
セナルモント先生は個人としては良い人間だが、こと古代神話王国の事になると人が変わり暴走しがちになる。申し訳ないけれど、伏せておいた方がいいだろう。
「…これの事は、誰にも話さないでください。お願いします」
私がそう頼むと、コーネルはごく当たり前のように「わかりました」とうなずいた。
彼女は昔から、こうして私の少しおかしな行動を何も聞かずに黙って受け入れてくれる。それがとても有り難かった。
「それで、私に何か?」
「はい。…王子殿下が、お嬢様と話がしたいと。いつでもいいので部屋に来て欲しいそうです」
やはりそうか。会議室ではほとんど喋らなかったが、きっと色々言いたい事があるんだろうな。スピネルも何か言いたそうな顔でこっちを見ていたし。
「分かりました。すぐに行きます。コーネル、お茶をお願いします」
「はい」
私は小瓶を机の引き出しの奥にしまうと、すぐに踵を返した。
コーネルが3人分のお茶を用意してその場から下がると、殿下はおもむろにソファから立ち上がった。
そして、私に向かって大きく頭を下げる。
「リナーリア。すまなかった」
「で、殿下!?」
ぎょっとして私も立ち上がる。
殿下の性格からして私に謝るのは予想していたが、王族がこのように頭を下げるのはいくら何でもやりすぎだ。
「やめて下さい、そんな」
スピネル、見てないで殿下を止めろ…と思ったら、いつの間にか立ち上がったスピネルもまた頭を下げている。お前もか!
「殿下は何も悪くないじゃありませんか…。スピネルもです」
私が困り果てているのに気が付いたのだろう、二人は顔を上げてうなずき合うとソファに座り直した。
良かった。今の姿勢はあまりに心臓に悪い。
「君があのような危険な目に遭ったのは俺のせいだ」
「転移は偶発的な事故だと、先…セナルモント様もおっしゃっていたでしょう」
「違う。俺が何かおかしいなどと言わなければ君はあの岩に近付かなかったかもしれないし…何より、魔法陣が発動した時すぐに反応して退避していれば、君は転移に巻き込まれる事はなかった」
それはそうかも知れないが、突然起こった地震の中、咄嗟にそれを実行できる者などほとんどいないだろう。
殿下は今まで転移を使う機会はあまりなかっただろうから、あれが転移魔法陣だとすぐには分からなかっただろうし。
殿下は横のスピネルへと視線を動かす。
「…スピネルも。あの時は怒鳴ってすまなかった。お前は俺を助けてくれたのに」
…え、怒鳴った?殿下が?
思わずびっくりしてスピネルを見ると、スピネルは落ち込んだ顔で「…いいや。謝らないでくれ」と俯いた。
殿下は普段穏やかだしあまり感情を表に出さないが、大切な者を傷付けられた時には恐ろしく怒る。その事を私は前世で知っていたけれど、一番の腹心であるスピネルにまでそんなに怒ったのか。
「殿下が怒るのも当然だ。一番悪いのは俺だ。俺にもっと力があれば、殿下もリナーリアも両方助けられていた」
膝の上で組んだ自分の拳を見下ろしながら、スピネルが呟く。
あの状況で殿下だけでも助けられたのは大したものだろうに…と思うが、私はフォローできる立場ではない。
そして殿下はスピネルの言葉に小さく首を振った。
「違う。俺が悪い」
「いや、俺が」
ええええ…。
どうしようこの状況。物凄くいたたまれないんですが。
「あの、二人共やめてください。私はこうして無事ですし、そんなに気にされることはありません。私は気にしてませんし」
「俺は気にする。…リナーリア」
殿下が私を見据える。
「どうして君はあの時、スピネルに助けを求めなかったんだ」
…はい…やっぱりそうなりますよね…。
分かっている。殿下は怒っているのだ。
私を助けなかったスピネルにではない。「殿下を助けてくれ」とスピネルに言った私にだ。
「君が帰ってくるまでの間、本当に生きた心地がしなかった。もし君がこのまま戻らなかったらと考えると、目の前が闇に包まれたようだった」
「……」
「君が俺を助けたいと思ってくれた事は分かる。その気持ちはとても尊いとも思う。…だけど、俺はそんな事は望まない」
きっぱりと言い切るその強い瞳が眩しくて、私は思わず目を逸らした。
この方はそういう方だと私はよく知っている。
優しく、強く、そして誰にも曲げることのできない強い矜持を持っている方だと。
「リナーリア。二度とあんな事はするな。…その時は、俺は君を許さない」
分かっている。分かっていたけれど、聞きたくはなかった。
殿下がこんな事を言うのは、
これが従者のリナライトであったなら、殿下はこんな事は言わなかっただろう。自分の力不足を嘆きはしても、「俺を助けるな」などとは言わない。
王子を守り助けるのが従者であると知っているからだ。
…だけど、今の私は殿下にとっては守るべき民の一人。
ただの貴族令嬢でしかないのだ。
その事実を改めて突きつけられたのがひどく悲しく。
私は努めて感情を出さないようにして「…承知しました」とだけ言って頭を垂れた。
殿下はしばし沈黙した後、またスピネルを振り向いたようだった。
「スピネルもだ。…次は必ず、俺ではなく彼女を選べ」
「…はい」
スピネルもまた、神妙な声で返事をする。
「無論、俺とてお前たちに二度とこんな思いをさせるつもりはない。次はと言ったが、その時が決して来ないようにする。危機の際には必ず自分の身を守り、その上でお前達も守ってみせる」
力強く宣言した殿下に、スピネルが応えた。
「俺だって、二度とこんな事はごめんだ。次は必ず、両方を助ける」
二人の声を聞き、私は泣き笑いのような気持ちで顔を上げた。
二人共ちゃんと前を見ている。
ならば私も、しっかり前を向いていくべきだろう。
「私だって、こんなのもう嫌ですよ。もっと勉強して、あんな魔法陣なんてすぐに見破れるようになります」
便乗して鼻息荒く言った私に、殿下が少し微笑む。
「そうだな。そうしてくれると、俺も安心だ」
「そもそもお前は危なっかしすぎるんだよ。もうちょっと後先考えて行動しろ。生命がいくつあっても足りない」
「私は慎重に考えて行動していますが」
「…慎重という言葉の意味を間違えていないか?」
「考えてこの行動だとしたらもっと最悪なんだが」
「二人共酷くないですか!?」
私は二人を睨み、やがて誰からともなく笑い出した。
殿下が言う。
「…俺たちは皆、まだ足りないものばかりだ。三人で、もっと強くなろう」
「…はい!」
「ああ」
そうして、私達はようやく3人で笑い合い、無事を喜びあう事ができたのだった。