世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

223 / 292
第175話 モリブデン侯爵邸・3

 …カエルの鳴き声がする。

 エスメラルドはぼんやりとそう思った。

 まぶたが重い。何か夢を見ていたようだが、内容を思い出せない。

 

 窓の外から聞こえるカエルの声はかなり賑やかだ。きっと何匹もいるのだろう。

 城でよく聞くものとは違う。なんというカエルだろうと考え、ここがモリブデン侯爵邸である事を思い出した。

 窓から見たモリブデン邸の裏庭には、確か池があったはずだ。きっとあそこにカエルが棲んでいるのだろう。

 この地方によくいるカエルといえば、ヌマガエルの仲間だっただろうか。

 

 少し気になるが、それよりも頭が重い。

 もう一度眠ろうとごろりと寝返りを打つと、控えめなノックの音が聞こえた。

 うっすら目を開け時計を確認する。時刻は夜半過ぎだ。

 こんな時間に?と疑問に思うより早く、もう一度ノックが聞こえる。

 

 

 もぞもぞと起き上がり、静かにドアへと近付く。

「…誰だ?」

 低く問いかけると小さく返答があった。

「殿下。私です」

 耳馴染んだ涼やかな声。少し戸惑いつつ、思い切ってドアを開ける。

 

「リナーリア…」

 そこにいたのは銀の髪の少女だった。寝間着の上に青いショールを羽織り、困ったような表情でこちらを見上げている。

「こんな時間に申し訳ありません。何だか眠れなくて…もしかしたら、殿下も起きていらっしゃるのではないかと思って」

 

 それから彼女はちらりと窓の外を見た。

「…よろしければ、一緒にカエルを見に行きませんか?」

 遠慮がちに微笑んだ肩を銀の髪が一房滑り落ちる。

 無防備なその仕草に、咄嗟にうなずいてしまった。

「分かった。行こう」

 

 

 重厚な扉を開け、庭へと出た。

 眠気はすでに飛んでいる。庭草を踏みしめ、彼女の後に付いて歩く。

「池はこちらですね」

 時折エスメラルドを振り返りながら歩く彼女の髪を、かすかな月明かりが照らしている。夜空に浮かぶ細い月と庭木の黒い影の中、その銀色だけがはっきりとよく見える。

 

 屋敷をぐるりと半周し、裏庭まで来た所で彼女は足を止めた。

 カエルの鳴き声はうるさいほどに辺りに響いている。

「ほら、殿下。あそこにいますよ」

 彼女は生い茂った草を指さした。その奥に黒い水面が見えている。

 

「…このカエルは、なんという名前だろうな」

「きっとミツモヌマガエルですよ。この地域に多いはずです。…ああ、あそこにもいますね。間違いありません。ほら」

 手を伸ばし近くへと誘う彼女に、エスメラルドは静かに微笑みかける。

「よく勉強しているんだな」

「殿下の好きなものは私も好きになりたいですから。殿下と一緒にいたくて、たくさん勉強したんですよ」

 

「ああ」

 にっこり笑った彼女を見て、ゆっくりと首を振る。…とても残念だ。

「…君は、リナーリアとはまるで違う」

 

 音もなく、彼女の背後の黒い池が大きく膨れ上がった。

 

 

 

 

 

 激しく地面を叩く水音の中、いくつもの鈍い金属音が響いた。

 池の中から現れた影が投げつけた刃物を、走り込んだスピネルの剣と私の水球とが弾き飛ばしたのだ。

 刃物のうちの一つが地面に刺さるのが見えた。投げナイフだ。刃が黒ずんでいるのは、毒でも塗ってあるのか。

 さらに木々の間から、黒っぽい服を着た男たちが幾人も現れる。剣を手にした者ばかりだ。…その中には、あのビスマス・ゲーレンもいる。

 

「殿下…!!」

「落ち着いて、リナーリア君。大丈夫、味方が来たようだよ」

 思わず叫びそうになった私の肩に、先輩が手をかける。

 見ると、次々と塀を乗り越えて誰かが庭へと侵入してきているようだった。あの紋章は王宮の騎士だ。

 

「殿下!今のうちに下がれ!」

 敵に向かって油断なく剣を構えたスピネルが叫び、そこに数人の騎士が加勢した。

 丸腰の殿下は、彼らを盾に後ろへと下がる。

 

 

「殿下、大丈夫ですか!?」

 私もまた、身を潜めていた木陰から飛び出した。

 かすかに眉をしかめた殿下が私の近くへと走り寄ってくる。

「君も外に出ていたのか…スフェンも」

「はい。部屋のドア越しに睡眠の魔術をかけられそうになったので、おかしいと思い様子を見ていたんです。そうしたら殿下が誰かと外に出たようだったので」

 説明しながら、私の姿をした誰かを激しく睨みつける。

 

 私に睡眠の魔術をかけたのは、私の姿に化ける都合上、万一にも目を覚まされたくなかったからだろう。

 かなり強力な術だったが、念の為に干渉遮断の護符を使っておいたお陰で何ともなかった。使い捨てな上に恐ろしく高価な護符なのだが、およそ丸一日の間、睡眠や麻痺、精神操作などの状態干渉系の魔術をほぼ完璧に防ぐことができる物だ。

 

 あまり寝付けずにいた私は、この護符が反応したのに気付いてベッドから出た。

 ドア越しに廊下の様子をそっと窺い、誰かが外へ向かったのを確認して追いかけようとした所、先輩に捕まえられた。

 先輩は隣の部屋だったのだが、どうやら私の部屋の様子を見張っていたらしい。それでほぼ同じタイミングで廊下に出てきたのだ。

 二人で姿隠しの魔術を使い外に出たところ、殿下となんと私の偽者がいた。そこですぐにでも止めに入りたいのをこらえ、じっと物陰からその様子を見ていたのである。

 

 

 池の近くにいた『私』は、後ずさりながら悔しげな顔でこちらを見ている。

「…よくも。よくも、私に化けて殿下を誘い出しましたね…!!」

 正体はきっとフロライアだろう。クラスメイトである彼女は私の事をよく知っている。

 しかし、よりによって私に化けるなんて。怒りで血が沸騰しそうだ。

 

「違います、私がリナーリアです、殿下!!」

 叫ぶ『私』に、殿下が厳しい表情で答える。

「君が偽者だということは歩き方で分かった。リナーリアはこういう場所を歩く時、もっと慎重に足を運ぶ。草花や生き物を傷付けたくないからだ。…だが君は、迷わず真っ直ぐな足取りで池へと向かっていた。こんなに暗いというのに、何も気にする事なく」

 

 数名の護衛騎士がこちらへ寄って来て、そのうちの一人が「これを!」と言って剣を差し出した。

 殿下はそれを受け取り、引き抜きながら言葉を続ける。

「リナーリアは俺のことなど関係なく、元々生き物が好きだ。だから大事にしようとする。君とは、違う」

 迷いなく言い切る横顔に、思わずじんとする。殿下は、私を間違えたりはしないのだ。

 

 

 そう言っている間にも、白刃が閃いている。スピネルや護衛騎士たちと、ビスマスたちとの戦いが始まっているのだ。

『光の壁よ!』

 突然目の前に光の壁が現れ、激しく何かを弾く音が響いた。夜闇に紛れてどこかから風の刃が飛んできていたようだ。

 光の壁を張ったのは先生の声だった。姿は見えないが、どこかに隠れているらしい。

 

 その時、背後から大声が聞こえた。

「侵入者だ!!お前たち、応戦しろ!!」

 モリブデン侯爵だ。息子のダンブリンもいる。

 さらに、背後の屋敷からは兵たちがぞろぞろと出て来ている。…数が多い。

 

「こちらはヘリオドール王宮騎士団だ!大人しく投降しろ!!」

「お、王宮騎士…!?」

 黒服たちと戦っている王宮騎士が叫び、モリブデン家の騎士のうち幾人かが動揺したように足を止めた。

 が、すぐさまモリブデン侯爵が否定する。

「惑わされるな!奴らは偽者だ!!王子殿下一行を幻惑し誘拐しようとしている!!」

 その声に、騎士たちは我に返ったように再び動き出した。剣を抜き放ち、王宮騎士たちへ向かっていく。

 

 

「幻惑しようとしたのはどっちだよ…!!」

 スピネルが怒りに任せて敵を斬り捨てる。

 モリブデン家の騎士たちには何の罪もないが、抵抗してくる以上は戦うしかない。

 向こうにしてみれば、顔もよく知らない王子や王宮騎士を名乗る者達よりも、主人の命令の方を信じるのは当たり前なのだ。

 

『光よ!闇を照らせ!』

「明かりを消せ!!」

 先生が照明の魔術を使ったが、侯爵の指示により敵の魔術師がそれを打ち消した。一瞬明るくなりかけた庭が、また夜闇に沈む。

「しっかり隊列を組んで攻めろ!容赦はするな!魔術師は敵魔術の阻害と防御が最優先だ!」

 どうやら向こうは薄暗い月明かりだけで戦うつもりらしい。なるべく町の住民に知られたくないからか。

 隊列を固めているのは、暗い中での同士討ちを防ぐためでもあるだろう。

 

 こちらも屋敷の周辺に兵を伏せていたようだが、向こうの方が数が多い。しかも見るからに練度が高い精兵だ。苦戦は必至に違いないと少し焦る。

「セナルモント!それと後ろにいる魔術師はこっちに来い!!」

 殿下が叫ぶと、暗がりから慌てたように先生が顔を出した。更に数人の魔術師がこちらに寄ってくる。王宮魔術師が二人、魔術兵が三人だ。

 

 続けざまに殿下が周囲に指示を出した。

「セナルモントや魔術師はここで騎士たちの援護に集中しろ。騎士は前に出て戦闘に参加、各隊長の指示に従え。討ち漏らした兵がこちらに近付いた場合は、俺とスフェンで対処する。リナーリアはここにいる者への支援と防御を頼む。…皆、行け!」

「はっ!!」

 

 私たちの守護についていた騎士たちがさっと周囲に散っていく。

 先生と支援魔術師である私の役目は逆の方が良いのではないかとちらりと思ったが、すぐに考え直した。今の私はただの学生で、王宮の騎士たちと共に戦ったのはあの巨亀戦の時くらいなのだ。騎士への援護は王宮魔術師である先生が行った方が、彼らも安心するだろう。

 やはり、さすが殿下はよく考えておられる。

 

 一つ深呼吸をし、意識を集中させ魔力を練る。

 視界は広く、判断は素早く。それが鉄則だ。

「お任せ下さい、殿下…!!」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。