世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
『紅焔よ爆ぜよ!炎の雨となりて降り注げ!!』
『水よ護れ!』
敵魔術師が炎の雨を放ったのを見て、すぐに周辺に散らしておいた水球を呼び集め打ち消す。
モリブデン家の兵は始めのうち、殿下がいるこの辺りには遠慮がちに攻撃していたのだが、こちらの魔術師たちがあまりに厄介だと悟って容赦がなくなってきている。
「王子殿下!!目をお覚まし下さい!!」
そう叫びながら斬りつけてきた敵騎士の剣を受け止め、殿下が叫び返した。
「目を覚ますのはお前たちだ!お前たちはモリブデン侯爵に騙されている!!」
「くっ…!!」
もはや問答は無用だとばかりに、騎士が刃を滑らせ剣を突き出そうとする。
しかし殿下はやすやすとそれをいなして騎士の体勢を崩すと、その胴へと剣を打ち込んだ。
ドサリと音を立て、騎士がその場に倒れ込む。
「殿下!!皆さん!!もうやめて下さい…!!」
奥の方で叫んだのは『私』だ。
戦っているビスマスの後ろで、おろおろしたふりをしながら時々魔術で周りのモリブデン兵の援護をしている。
最初は王宮騎士の数名がそれに動揺していたようだが、今はもう皆無視をしている。殿下の隣にいる私の方が本物だと分かっているからだ。
しかし偽者は一体いつまでその臭い演技を続けるつもりなのか。怒りを通り越して殺意すら覚える。
ここの防御を任されていなければ今すぐにでも吹っ飛ばしてやるのに…。
目の前の戦闘に意識を集中させ、なんとか必死で我慢する。
戦闘が始まってから、もう数十分ほど経っているだろうか。
不利に思えた戦況は、今や五分五分と言っていいだろう。苦しい戦いなのには違いないが。
モリブデン家も精兵だが、こちらの兵は王国でも選りすぐりの精鋭なのだ。
それに王宮魔術師が3人もいるのが大きい。向こうの魔術師が放つ魔術を、こちらの魔術が上回っている。
これほどの実力を持つ魔術師が何人もこの場にいる状況に、一部の冷静な判断力を持つモリブデン兵は疑問を持ち始めているようだ。
何より、殿下がずっと何度も呼びかけている。
「投降しろ!!悪いようにはしない!!こちらはただ、戦いを止めたいだけだ!!」
そのよく通る声は、この庭で戦っている者たちの全員に届いているだろう。
モリブデン侯爵もまた「王子は騙され幻惑されている!我々がお救いするのだ!!」とか叫んでいるが、少しずつ迷いを生じさせる者が出て来ているように見える。
このまま油断せずに戦い続ければ、充分に勝機はある。そう思った時、戦場の一角が大きく動いた。
『土よ!崩れて砂と化せ!』
『水よ!うねり渦を巻け!』
『…泥濘となりて、敵を捕らえよ!!』
モリブデン侯爵の前方にあった地面が広く陥没し、泥沼と化した。こちらの魔術師数名が力を合わせて使った大規模な魔術である。
侯爵の周辺を守っていた騎士たちの半数以上が泥濘に足を取られ、陣形が崩壊する。
「今だ!行くぞ!!」
叫んで駆け出したのはスピネルだ。近くにいた騎士数名がそれに追随する。
泥沼を飛び越え、あるいは転んだ敵騎士たちを踏み台にし、モリブデン侯爵に迫る。
「させるかっ…!」
魔術の影響範囲から逃れた敵騎士たちがその前に立ち塞がった。
「俺が相手だ、小僧!!」
スピネルに斬りかかったのは、薄茶の髪をした一人の壮年の騎士だ。
鋭いその一撃をスピネルは難なく躱した。すかさず閃いた反撃の刃を、壮年の騎士がゆらりと躱す。
そのまま数合斬り結ぶと、騎士は口の片端を持ち上げにやりと笑った。
「…良いな。数年ぶりに楽しめそうだ。俺はグラファン・ギブスだ」
纏う空気が明らかに他の者と違う。低く剣を構えたその姿だけで、卓越した手練なのだと分かる。
「スピネル・ブーランジェ。…悪いが、俺はあんたに付き合う気はねえよ!!」
スピネルは連続で剣を繰り出した。その速さは、もはや目で捉えるのが難しいほどだ。
「なかなかの速さだ!だが軽い!!」
全てを受けきったグラファンの剣が、スピネルの肩を切り裂く。
思わずひやりとしたが、深手ではなかったようだ。スピネルは一旦グラファンから距離を取り、落ち着いて剣を構え直す。
「本当にすばしっこい小僧だ」
「あんたが遅いだけじゃないのか?」
「言ってくれる!」
再びグラファンが攻め立てる。
…やはりスピネルは強い。
グラファンはきっとモリブデン家でも屈指の実力者だろう。しかしスピネルは一歩も引かず、ほぼ互角に立ち回っているように見える。
他の王宮騎士はこの男の相手をスピネルに任せ、その間に侯爵周辺の騎士を掃討するつもりのようだ。
魔術師の援護も飛び、幾人もの敵兵が倒れていく。
「…リナーリア君!」
突然先輩が叫びながら、私の目の前で剣を振るった。
高い音を立てて何かが弾かれ、あらぬ方向へ飛んでいくのが目の端に映る。
どうやら、風の刃が闇に紛れて飛んできていたのを見落としていたらしい。いけない、ちゃんと自分の戦いに集中しないと。
「すみません、先輩。ありがとうございます!」
「言ったろう、僕は君を守る騎士だと!」
「もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ!」
先輩がぱちりとウィンクを飛ばし、殿下も私の方を振り返って励ましてくれる。
「…はい!」
もう一度気を引き締め直し、再び水球に魔力を循環させる。
飛んでくる炎を打ち消し、刃を受け止め、水球を飛ばして敵の気を逸らす。
殿下や先輩は守りに専念しながらも既に幾人かの敵を倒しているし、先生や魔術師たちは王宮騎士への援護を続けている。
皆消耗はしているが、まだ充分に持ちこたえられそうだ。
もう一度戦場を見回した時、スピネルが大きく剣を振りかぶったのが見えた。
「これで終わりだ!!」
「やはり若いな、小僧…!!」
必殺の一撃に思えたそれを、グラファンは力いっぱいに弾き返した。
体勢を崩され無防備に晒されたスピネルの胴に、追撃の刃が振るわれる。
「……!!」
思わず呼吸が止まりそうになる。
しかし胴を切り裂かれるよりも一瞬早く、スピネルの身体が大きく仰け反った。
跳ね上げられた左足がグラファンの手元へと吸い込まれるかのように当たり、その剣を弾き飛ばす。
「…ぐぅっ…!?」
グラファンがうめき声を上げる。
スピネルは蹴り上げた勢いのまま身体を半回転させた。剣に力を溜めた必殺の構えだ。
胴から肩口へ、まるで稲妻のように剣が疾った。
「……、やるな…」
グラファンが仰向けに倒れ込んだとほぼ同時に、一人の王宮騎士が大声を上げた。
「…モリブデン侯爵を捕らえました!!」
見ると、後ろ手に拘束された侯爵が地に両膝をついてうなだれている。
先程まで侯爵自ら勇猛に剣を振るっていたはずだが、やはり王宮騎士には敵わなかったらしい。
それでも逃げる事を選択しなかったのは、逃げた所で生き延びる道などないと分かっているからか。
「モリブデン侯爵家の者は武器を捨て、速やかに投降しろ!!抵抗しなければ危害は加えない。罪の有無を明らかにし、厳正な裁きをすると、エスメラルド・ファイ・ヘリオドールの名において保証する!!」
殿下の大音声が響き渡る。
ほとんどのモリブデン兵が、驚き戸惑ったように動きを止めた。
一瞬で静まり返った庭の中、スピネルがモリブデン侯爵へと歩み寄る。
「兵に投降を勧めろ。…主としての矜持があるのなら」
モリブデン侯爵は歯ぎしりをしたようだった。だが、うつむいたままで叫ぶ。
「…皆の者、投降しろ!…私の、負けだ…」