世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第178話 モリブデン侯爵邸・6

「…これでもう大丈夫です」

「あっ、ありがとうございます!!」

 治癒魔術を終えて微笑みかけると、まだ若い王宮騎士は勢い良く立ち上がった。

 さっきまで血を流していたのに、急にそんなに動いて大丈夫かとちょっと心配になるが、顔色は良さそう…というか、むしろ良すぎるくらいだ。

 あんな激しい戦いの後だというのに元気だなあ。

 

 周囲を確認するが、ほぼ全員の手当てが終わったようだ。

 重傷者への処置は外で待機していたという医術師が行っていたが、モリブデン兵ばかりだったようだ。こちらの兵はしっかり装備を固めていたのに対し、モリブデンの兵は突然駆り出された様子の軽装の者もいたからだろう。

 何だかやりきれない気持ちになる。罪なき犠牲者がいない事を祈るばかりだ。

 

 

 

「先生、お疲れ様です」

「ああ、リナーリア君。君もお疲れ様」

 同じく負傷者への治癒を行っていたセナルモント先生の元に歩み寄ると、ちょうど殿下とスピネルも連れ立ってこちらに近付いてきた。

 全員で先生の足元を見る。

 

 そこに横たわっているのはビスマス・ゲーレンだ。

 フロライアが私の水球に捕らわれた直後、王宮騎士たちによって引き倒され拘束されたビスマスは、そのまま意識を失ってしまったらしい。

 殿下が先生へと尋ねる。

「この男の様子はどうだ?」

「傷は塞いだんですが、結構血が出ちゃってるので助かるかは五分五分ってところですかねえ」

「そうか…」

 

「このまま死んだとしても殿下のせいじゃねえよ。こいつは自分から刺されに行ったんだから」

「それはそうなんだが…」

 スピネルはあえて冷たく言ったが、殿下は複雑そうな顔だ。理屈では分かっていても、そう簡単には割り切れないのだろう。

「この男が言っていた言葉も気になる。きちんと事情を知りたい」

「ええ…」

 全てを明らかにするためにも、この男には助かってもらわなければ困る。

 

「まあ、かなり鍛えてる様子なので恐らく大丈夫でしょう。まだ若いし」

 先生がいつものとぼけ顔でそう言い、私もそれにうなずいた。

「そうですね」

 あの気迫によるものが大きいと思うが、ビスマスは殿下と互角に渡り合っていたのだ。

 生まれついての剣才があったとしても、並大抵の修練は詰んでいないだろう。体力だって人よりもずっと多いはずだ。

 

 

 

 その時、後ろから小さくうめき声が聞こえた。

 ずっと気を失っていたフロライアが目を覚ましたらしい。うっすらと目を開け、それからガバっと上半身を起こす。

「…ビスマス!ビスマスは…!」

 必死に辺りを見回し、倒れているビスマスを見付けた彼女は、無理やり立ち上がろうとした。

 だが、横で彼女の様子を見ていた先輩がその肩を抑える。

「まだ動かない方がいい。大丈夫だ、彼には魔術師たちが治癒を施した」

 

「……」

 フロライアはしばらく呆然としていたが、がくりとうなだれるとぼろぼろと両目から涙をこぼした。

「…ビスマス…」

 小さく呟いたその弱々しい声に、形容しがたい複雑な感情を抱く。

 …フロライアにとってあの男はきっと、父親よりも大事な人間なのだろう。

 モリブデン侯爵が投降を命じた後も共に戦おうとし、こうして目を覚ましてからも真っ先に身を案じたのだから。

 

 二人はどんな関係なのか。ビスマスは何故ああも必死に戦おうとしたのか。

 それを聞き出すのは私の仕事ではない。

 …それに、今はまだ聞きたくない。何もかも一度に受け入れられるほど、私は心の広い人間ではないのだ。

 嗚咽を漏らすフロライアから、ただ無言で目を逸らす。

 殿下とスピネルは、何も言わなかった。

 

 

 

 せっかく勝利したというのに何だか重たい空気になってしまったので、私は気を取り直してスピネルに話しかけた。

「スピネルは大丈夫ですか?その肩」

 肩口が切り裂かれている服を指し示すと、スピネルは何でもないというように肩を動かして見せた。

「かすり傷だったからな。一応治癒もしてもらったし何ともねえよ」

 

「何だか楽しそうですね?強敵と戦えたからですか?」

「ああ!?んな訳ねーだろ!!…まあ、あのグラファンっておっさんが手強かったのは認めるが…」

「そうだな。俺の目から見ても、あの男は明らかな猛者だった」

 試合ならばともかく、あれ程の実力者相手の実戦というのはきっとスピネルも初めてだったろう。

 人間相手の戦いというのは、魔獣を相手にするのとはまるで違う。場合によっては命を奪うことだってあるのだ。はっきりとした覚悟、そして胆力が必要となる。

 しかしスピネルは、終始冷静に戦っていたように見えた。

 

 

「…本当に強くなったんですね。貴方も」

 そう言って微笑むと、スピネルはちょっとだけ目を丸くした。それからニヤリと片頬を持ち上げる。

「まあな」

 カッコつけているが、内心嬉しそうな様子だ。ついからかいたくなってしまう。

 

「去年からずっとブーランジェ公爵にしごかれてた甲斐があって良かったですね?」

「やな事思い出させるんじゃねえよ!あんなのもう絶対ごめんだからな!!」

 横で殿下が吹き出す。

「そうだろうな。毎回疲れ切って帰ってきて、ある時など夕食の最中に居眠りをしてスープの皿に顔を」

「おいやめろ!」

 

 すると、フロライアを兵に任せた先輩がこちらへとやって来た。にやにやと笑いながら言う。

「それは僕もぜひ聞きたいな。スピネル君が、皿に顔をなんだって?」

「だから!やめろっつってんだろ!!」

 

 

 ひとしきり笑いあった後、殿下がふと自分の姿を見下ろす。

「…しかし、少し疲れた。とりあえず今は着替えて休みたいな」

 私もまた自分の姿を見下ろした。白い寝間着には、そこら中に泥がはね薄汚れてしまっている。

 昼間に降った雨で湿っている庭の中、戦い続けたからだろう。

 

 すると、一人の騎士が近寄ってきた。

「周辺の宿の部屋をいくつか取ってあります。すぐにご案内しますので、そちらでお休み下さい」

 この屋敷は一旦封鎖して人を退去させ、徹底的に調査をするつもりのようだ。

「分かった。行こう」

「だな。俺も疲れたわ」

「温かい湯で手足を拭き、柔らかいベッドに潜り込みたいね」

 殿下がすぐにうなずき、スピネルも先輩も同意した。

 

「……」

「リナーリア君?どうかしたかい?」

 少し黙っていると、先輩が不思議そうに首を傾げた。

「いえ…やけに準備が良いなと思いまして…。宿もそうですが、王宮騎士も魔術師もずいぶん数が多いですね。警備を厳重にするとは言っていましたが、ずっと屋敷の周囲に伏せていたようですし…」

 そう呟くと、何故かスピネルが目を泳がせた。近くで話を聞いていた先生もわざとらしく知らん顔を作る。

 

 

「…スピネル。先生。どういう事ですか」

 低くそう言って睨みつけた私に、二人共やたらと気まずそうな顔になる。

 やがて観念したように先生が口を開いた。

「えー…つまりね、わざと王宮騎士の間に噂を流したんだよね。『モリブデン侯爵は違法な魔導具を所持し、反逆を企んでいるらしい』って。それで、不確かな噂だけど念の為って事で兵を動かした」

 先生の説明に私は少しだけ納得し、「…それで?」と続きを促した。それだけなら、そこまで気まずそうにする理由がない。

 

「…侯爵側にも噂を流したんだ。『王子殿下はモリブデン侯爵と、侯爵が所有する魔術研究所に不審を抱いている。祭礼で立ち寄るという名目で、密かに探りを入れるつもりだ』って…」

 私は一瞬沈黙した。それはつまり。

「…侯爵が動くよう、わざと噂を流して刺激した、という事ですか」

 先輩が少しだけ目を丸くする。

 

 

「…よくも、殿下を囮にするような真似を…!!」

 怒気を発しながら両手に水球を召喚した私に、スピネルがひどく慌てる。

「いや待て落ち着けって!向こうに情報が漏れるリスクを考えたら、こっちからわざと情報を流した方が良いと思ったんだよ!そりゃ確かに、ついでに尻尾を出してくれたら楽だとは思ってたが、まさかここまでするとは…」

「言い訳は無用です!!!」

 

「待て、リナーリア!!」

 容赦なく水球を放とうとした私を止めたのは殿下だ。

「俺が許可を出したんだ。あの卵をいつまでも放置するのは危険だし、上手くすれば早期に解決できるのではないかと思って」

「なっ…!?」

 驚く私に、殿下が申し訳無さそうにする。

「すまない」

 

「ど、どうして私にも教えて下さらなかったんですか」

「君に心配をかけたくなかった。何も仕掛けてこない可能性だって高かったし…」

「…つーかお前、顔に出しそうだったからだよ。ただでさえやたら緊張してたじゃねーか。あれ以上変な態度取ってたらばれるだろ」

 スピネルがぼそっと呟き、殿下もそっと目を逸らしたので、私は途轍もなくショックを受けた。

 それは確かに、緊張して色々ぎこちなかったかも知れないが。黙ってるなんてあんまりだ。

 

 

「まあまあ、リナーリア君…彼らも君の事を思ってやったんだよ。許してあげたまえ」

「でも、先輩!」と言いかけ、私はふと疑問に思った。いつもなら私の味方をしてくれる所なのに、どうして止めるんだろう。

「…もしかして先輩も知ってたんですか?」

「え?いやいや、知らなかったよ?」

「ならどうして目が泳いでるんですか」

 ジト目で先輩を睨む。

 

「……。スピネル君から、君の事をくれぐれも頼むと、今日は特に念を押されていて…。何かあるのかなと…。いやでも、はっきり聞いていた訳じゃないからね?知らなかったんだよ?本当に」

「薄々気付いてたやつじゃないですか!!」

「そうとも言うかな?あっはっは」

 先輩は笑って誤魔化そうとした。しかしもう遅い。

 

「…ぜ、全員、許しません!!!!」

 私は思い切り叫んだ。

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