世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
ベゼリ・カブレラはモリブデン家に仕える騎士である。
年は45歳。妻と息子が一人いる。
現侯爵がまだ跡継ぎだった頃から護衛を勤め、毎年王都とモリブデン領を行き来する暮らしをしていたが、2年前に同じくモリブデンの騎士となった息子にその役目を譲った。
と言っても騎士を引退した訳ではない。モリブデン騎士団の一員としてカラミンの町を守っている。
護衛だった時に比べ魔獣と戦う機会が増えたが、今の生活は気に入っている。
長い間、妻キュリーとは年の半分を離れて過ごす生活をしていたが、領勤めになった事でようやくずっと一緒にいられるようになった。
あと数年もすれば騎士団を引退し、孫の面倒でも見ながらのんびり暮らそうかと考えている。
一人息子は、今年の秋には同僚の娘と結婚する予定なのだ。
だが、数ヶ月前からベゼリの生活は変わった。
きっかけは主であるモリブデン侯爵にとある任務を命じられた事だ。
妻と二人で密かに、さる御方の護衛と身の回りの世話をして欲しいというのである。期間は最低1年。場合によっては延長もあるという。
何やら妙な任務だと思ったが、主は「お前にならば任せられる」と言った。断れる訳がない。
…その「さる御方」と引き合わされ、ベゼリは衝撃を受けた。
オットレ・ファイ・ヘリオドール。いや、既に王位継承権を剥奪されているはずだからオットレ・ヘリオドールか。
侯爵の護衛として何度も会っているから間違いない。恐らく向こうはベゼリの顔など覚えていないだろうが。
オットレの父である王兄フェルグソンが起こした事件のことは、何日も前にこのモリブデン領にまで届いていた。王家の秘宝を盗み、第一王子と懇意の貴族令嬢を誘拐したのだと。クーデターを企んでいたという噂もある。
それでフェルグソンは捕まり、息子のオットレも共犯として指名手配を受けたはずだ。
ベゼリは動揺した。これはつまり、オットレを匿えという任務だ。
フェルグソン親子とモリブデン家が良好な関係だった事は知っている。特にオットレとフロライアは親しいと息子から聞いていた。
しかしこれほど重大な罪を犯した者を匿うのは国への反逆に等しい。
…一体何故、何のために。
その理由を、侯爵は説明してはくれなかった。
ベゼリとキュリーはオットレを伴い、モリブデン領のはずれにある小さな田舎町に向かうことになった。
騎士を引退したばかりの裕福な夫婦が、病にかかった息子の療養のためにやって来た…という筋書きになっているらしい。息子は病のためにあまり出歩けない、と。
用意されていたのは町の端にあるやや古びた家だ。大家だという恰幅の良い男が上機嫌に案内してくれた。
大家が用意していた家具や調度品は、それなりに値が張りそうなものばかりだった。侯爵はずいぶんと気前よく準備金を渡したようだ。
ここでの生活費も、ベゼリたちの給料とは別に潤沢に与えられてる。しかも足りなければ要求して良いそうだ。貴族であるオットレのためだろう。
ベゼリは人目がある場合を除き、オットレに対し慇懃に接した。
護衛対象であり、仮にも王家の血筋であるからだ。
キュリーにもそうするように命じた。大人しい妻は、少し不安げにしながらもそれに従ってくれた。
だがオットレはベゼリたちに対し、尊大で、傲慢で、しかも粗暴だった。
オットレは今の自分の状況がとにかく不満のようだ。服が気に入らない、料理が気に入らない、シーツの手触りが気に入らないと言っては怒鳴り散らす。
ここは華やかな王都とは比べるべくもない、本当に何もない田舎町だ。しかも家からほとんど出ることができないのでは、憤懣が溜まり苛立つのも無理はないだろうと思う。
しかし物に当たり散らして家具を壊したり、壁を蹴るのには辟易した。
そんなある日、ベゼリが買い出しから帰ると、キュリーはうなだれて椅子に座り、その腕を濡らした布で冷やしているようだった。
一体どうしたのかと尋ねると、オットレにスープの皿をひっくり返され火傷をしたのだと言う。
「昨日はスープがぬるいと怒ってらっしゃったから、今日は熱くしてみたのですけれど…」
肩を落とす妻に、急いで治癒魔術をかけた。騎士であるベゼリは、初級の治癒ならば使えるのだ。
「…すまない、キュリー」
そう言って謝ると、妻は困ったように微笑んだ。
「良いんですよ。これもお仕事ですものね」
理解を示してくれる妻に、ベゼリはますます申し訳ない気持ちになる。
「どうして侯爵様は、あの方を匿うのかしら…」
妻がぽつりと呟く。
「…侯爵様には、侯爵様のお考えがあるんだろう」
口ではそう答えたが、内心では自分も同じ疑問を抱いている。
モリブデン侯爵は良い主だ。尊敬できる立派な主だとずっと思ってきた。少なくとも、護衛を勤めている間はそうだったのだ。
侯爵は厳しい所もあるが温厚で、護衛であるベゼリに対しても寛大に接してくれていた。
また領の統治にも熱心だ。
モリブデン領は果実類の生産を主な産業としているが、およそ十数年に一度は暴風雨で果樹に大きな被害が出る。だが侯爵は普段から備蓄をし、防災のための植樹や設備の拡充もこつこつと行っていた。
実際に7年前の暴風雨の時は従来よりも被害を抑えられ、復興も迅速だった。
当代の領主様は本当に素晴らしい方だ。民は皆そう褒め称えていたというのに。
スープの件以来、キュリーはオットレを強く恐れるようになった。
そのため、オットレの部屋に食事を運ぶのはもっぱらベゼリの仕事となった。
とにかく退屈しているオットレは、そうしてベゼリが部屋に来るたびにしばらく愚痴をこぼす。ベゼリはただ、黙って聞くしかない。
「こうなったのも全てエスメラルドのせいだ。あいつは王子という立場を鼻にかけ、僕の事を馬鹿にしている」
オットレはエスメラルド王子が憎くて仕方ないらしい。毎日のように恨み言を言い、罵倒している。
王子が今ああして「大きい顔をしている」のは、ただ運が良かったからに過ぎないとオットレは言う。
たまたま父が王となったから、あのような地位にいて手柄も立てられているのだと。
未来の王となるべく整えられた環境。揃えられた人材。与えられる贅沢な品々。周囲から注がれ続ける憧れと畏敬の視線。
それらは本来自分のものだ。もしも自分に与えられていたならば、自分だってエスメラルドと同じようなことはできていた。
オットレは繰り返しそう主張した。
オットレが不遇の生まれである事はベゼリも知っている。
生まれたばかりの頃に父フェルグソンは王位継承権を剥奪され、母は物心つく前に亡くなった。
世が世なら、彼こそが王子だったというのも間違いではないのだろう。
しかし、侯爵の護衛として何度か顔を合わせたエスメラルド王子は、謙虚で誠実な心根の少年のように見えた。
噂として聞こえてくる人柄も、立てられた武功も、王としてふさわしいものに思える。
対してオットレの行動と言えば。
毎日ただ悪態をつき、ベゼリや妻に辛く当たり、剣を振って身体を鍛える事もろくにしない。
…それらは果たして、立場や環境の違いによるものだろうか?
そうして過ごしていたある日、ベゼリの元に一台の馬車が届けられた。
馬車を持ってきた男たちは侯爵からの書状をベゼリに差し出した。
そこに書かれていたのは、「行商人に化け、今すぐこの馬車でオットレを連れて領を出ろ」という命令だった。
荷台にある積荷はとても大事な物だから丁重に扱う事、できるだけ人目につかないようにする事なども書かれている。
行き先は2つ隣の領。それからどうするかは追って指示するとの事だった。
オットレはまた文句を言うかと思ったが、久々に町の外に出られるからか案外上機嫌だった。
…しかし、それも途中までだ。
待機先として指示されていた宿。1日経ち、2日経ち、3日経っても、来るはずの連絡が来ない。
そうして4日目、町の住民から噂を聞いた。
モリブデン侯爵が、王子への暗殺未遂で捕らえられたと。
ベゼリは慌てて宿を引き払い、町を発った。
行き先はとりあえず王都方面だ。モリブデン領には戻れないと思ったからだ。
王子の暗殺未遂。本当にそんな事を侯爵がやったのか。何かの間違いではないのか。
ベゼリの顔色から何かを感じ取ったのだろう、キュリーはずっと無言で、オットレは苛立っている。
この先どうすればいいのか。
このまま王都に行った所で中には入れない。行商人を装ってはいるが、そんな嘘はすぐにばれる。何しろオットレがいるのだ。
どこかに身を隠す?隠した所でどうなる?いずれ誰かに怪しまれ、捕まってしまうだろう。
自分もまた反逆者にされてしまうのだろうか。自分だけではない、妻もだ。
ようやく夫婦一緒に暮らせるようになったというのに。一体どうしてこうなってしまったのだろう。
ひたすらに考え込んでいると、後ろの荷台から何かを倒すような大きな音が聞こえた。
続けて、ガツンと何かを叩きつけるような音が聞こえる。
オットレが暴れているのだ。
御者台で隣に座るキュリーが怯える顔を見て、ベゼリは仕方なく一度馬車を停めた。
「オットレ様…」
荷台を覗くと、中はすっかり散らかっていた。積荷の箱の一つをオットレが蹴り飛ばし、ひっくり返したらしい。
何かの魔導具だろうか、赤い卵のような形をした何かがそこら中に転がっている。
「オットレ様、この積荷は大切なものです。丁重に扱えと侯爵から言われて」
「その侯爵からの連絡はどうしたんだ!!一体どこに向かっている!!」
「……、とりあえず王都の方へ…」
「とりあえずとは何だ!?どういう指示を受けているんだ!!」
ベゼリはちらりと妻の方を見た。
侯爵が捕まったらしいなどと正直に言えば、オットレはますます激昂するだろう。どんな行動に出るか分からない。
「…何か問題が起きたようで、連絡が来ないのです。なのでとりあえず王都の近くまで行き、こちらから連絡を取るつもりです」
オットレは何かを考え込んだようだったが、やがて「…良いだろう」とうなずいた。
ベゼリはほっと胸をなでおろした。これ以上暴れる事はなさそうだ。
「その変な卵をさっさと片付けろ。邪魔だ」
顎で荷台の中を示したオットレに、内心で激しく苛立つ。散らかしたのは自分だろうに。
妻と共に手分けをし、赤い卵を箱の中に詰め直す。
「あなた…、これ」
キュリーがそのうちの一つを差し出してきた。何故かそれだけ赤黒い色をしている卵には、大きなヒビが入っている。
きっとオットレが床に叩きつけたのだろう。かなり硬いもののようなのに、よほど力を入れて投げたのか。よく見ると、荷台の床にはそれらしき傷ができている。
「…仕方がない。気にするな」
壊れているからと言って勝手に捨てる訳にもいかない。ヒビが入った卵を一番上に乗せ、箱の蓋を閉める。
「おい、早くしろ!!」
「…はい」
ふんぞり返ったまま怒鳴るオットレに、ベゼリは感情を消して返事をした。
これが本当に、世が世なら王となるはずだった人間の姿だろうか。いいや、違う。こんな男が王になるなど、そんな事があっていいはずがない。
侯爵の命令は、ベゼリの中でもはやどうでも良くなりつつあった。
自分は忠誠を捧げる相手を間違えてしまったのだ。今だ混乱する頭のまま、それを確信する。
…いざという時は、妻を守る選択をしよう。
ベゼリは、静かにそう決意した。