世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
ゾモルノク領での祭礼を終えた私たちは、無事に王都へと帰ってきた。モリブデンで起こった事件のため、予定よりは一日遅れの帰還だ。
モリブデン侯爵やフロライアなど関係者の王都への移送はもう済んでいるはずだ。
侯爵邸やハックマン魔術研究所への調査も始められているが、それらの進捗状況は戻ってから聞くことになっていた。
だがまずは、城で国王陛下と王妃様への謁見だ。今回の旅の報告である。
まあ報告するのは主にエスメラルド殿下で、私たち同行者は後ろに控えているだけなのだが。
謁見の間に入ると、陛下と王妃様が既にお待ちになっていた。
お加減が悪く出発の時はお顔を見せられなかった陛下だが、今は少し回復されたらしい。
事件についてはほとんど触れず、概ね型通りの報告を終えると、陛下は私たちに労いの言葉をかけてくれた。
「道中色々とあったようだが、無事に務めを終え帰還してくれた事を喜ばしく思う。皆よくやってくれた。今宵はゆっくりと休み、旅の疲れを取るとよい」
「ありがとうございます」
皆で声を揃えて礼を言い、頭を下げてかしこまる。
「エスメラルド。スタナムから報せがあるようだ。対応はお前に任せるが、相談がある時はいつでも来なさい」
陛下は最後にそう付け足した。
その表情に、なんだか嫌な予感を覚える。…あまり良い報せではなさそうだ。
謁見の間を出ると、言葉通りに近衛騎士団長のスタナムが待っていた。
私たちに向かって一礼した後「少しよろしいでしょうか」と殿下へと近付く。
何事かを耳打ちされた殿下は驚いた表情になった。目を瞠り、スタナムを見返す。
「それは本当なのか?」
「現在確認中ですが、付近から似たような目撃情報が上がっていました」
「…その者から直接話を聞きたい。良いか」
「問題ありません。私も詳しい話はこれから聞く所だったのです」
「よし」
殿下はこちらを振り返り、私の顔を見る。
「…もう隠し事はしないと約束した。君も一緒に来てほしい」
殿下やスピネルとその足で向かったのは、城の中にある会議室だ。
「共に話を聞いた方がいいだろう」との事で、セナルモント先生とスフェン先輩も一緒である。
少しの間待っていると、スタナムの案内で40代半ばくらいの男女が一人ずつ入ってきた。
「お、王子殿下…!」
男は殿下の顔を見てぎょっとした様子で立ち止まると、居住まいを正した。女も慌ててそれに倣う。
「私はベゼリ・カブレラと申します。モリブデン家の騎士で、2年前まではモリブデン侯爵の護衛をしておりました故、何度かお目にかかった事がございます。こちらは妻のキュリーです」
なるほど、男の方に見覚えがある気がしたのはそのせいか。
全員が席についた所で、スタナムは私たちを見回し、重々しく口を開いた。
「…実は、オットレが見つかったようなのです」
「え…!?」
私は驚愕し、声を上げてしまった。
秘宝事件以来行方をくらましていたオットレが、ついに見つかった?
「い、一体どこに?」
「王都からおよそ1日半ほどの距離にある川の近く。そこが最後にオットレを見た場所のようです」
「…ようです、というのは?はっきり確認できていないのですか?」
どうにも曖昧な表現だと尋ねる私に、スタナムが答える。
「オットレは潜伏先から王都へと向かおうとし、その途中で魔獣に襲われたそうなのです。現在、確認と捕縛のため現場に兵を向かわせています」
スタナムはさらにカブレラ夫妻の方を見た。
「この二人はモリブデン侯爵の命令を受け、一昨日魔獣に襲われるその時までオットレと共にいたと言っています」
「…はい。確かに私たちは、オットレ様と共にいました」
緊張しきった面持ちで答えるカブレラ夫妻。彼らが呼ばれた理由がようやく分かった。
…やはり、モリブデン侯爵がオットレを匿っていたのだ。
殿下が二人に声をかける。
「いつから共にいて、何をしていたのか。始めから話を聞かせてくれ」
そしてベゼリは話し始めた。
彼と妻は秘宝事件の後からずっと、モリブデン領の田舎町でオットレと親子のふりをして暮らしていたのだという。
その生活ぶりについて詳しくは語らなかったが、彼らの表情を見るに苦労の多いものだったようだ。あのオットレの事だから、多くの理不尽なわがままを言って彼らに面倒をかけたのだろうと容易に想像できる。
彼らは反逆者であるオットレを匿う事に疑問を抱きつつも、命令に従い正体を隠して暮らし続けていたらしい。
それが10日ほど前、突然オットレを連れて領を出るように命令が来た。彼らはそれに従い旅立ったが、道中の噂で侯爵が殿下への暗殺未遂で捕まったと知った。
「私は王都に向かおうとしました。…命令に背く事になると分かっていましたが、衛兵に名乗り出て、オットレ様の身柄を差し出す事も考えておりました…」
ベゼリはうつむき、拳を握りしめながら言った。その良心と、長年仕えた侯爵への忠誠心の間で葛藤があったのだろう。
「しかし、王都に着く前に馬車が魔獣の群れに襲われたのです。私は必死に馬を走らせ逃げようとしました。何とか川の近くまで行ったのですが、そこで追いつかれ、馬車は横倒しになりました」
「…それで、どうなったんだ?」
「私と妻は御者台に座っており、揃って地面に投げ出されました。幸い下は草が生い茂っていて柔らかく、大した怪我はしませんでしたが、これほどの魔獣に囲まれれば逃げられないだろうと覚悟しました。…しかし魔獣たちは私と妻には目もくれず、オットレ様のいる荷台の方へと襲いかかったのです」
「……?」
魔獣は見境なく人を襲うものだ。それが何故、オットレの方にばかり向かったのか。
「起き上がった私は、無我夢中で妻を抱え、川へと飛び込みました。…そうしてしばらく泳ぎながら流された所で、対岸で漁をしていた人たちに救われ、ようやく岸に上がったのです。彼らは私たちを介抱すると、自分たちの村まで運んでくれました。もはやどうする事もできないと思った私たちは、村に常駐している衛兵に事の次第を話し…そうして、この王都まで連れて来られたのです」
「…オットレがどうなったかは分かるか?」
「…いいえ。全く分かりません…」
大体の事情は理解できた。オットレの現在の様子が分からない理由も。
…正直、生存は絶望的に思える。
言いようのない複雑な感情が湧き上がるが、無理やり抑え込んだ。それより気になる事がある。
「どうして魔獣がオットレの方に集まったのかは、分かりますか?」
「いいえ」
夫妻が揃って首を横に振る。
「荷台には他の人物は乗っていなかったのですか?あるいは、何か荷物を載せていませんでしたか?」
「乗っていた人間はオットレ様だけです。ただ、大きな箱が3つほど荷台に載せられていました。私たちの元に届けられた時から置いてあり、大事な物だから丁重に扱うようにと、侯爵様の命令書には書いてありました」
「箱の中身については?」
「封がされていたのですが、一つだけ中身を見ました。道中オットレ様が癇癪を起こし、箱をひっくり返したからです。赤い色をした、卵の形の魔導具のようなものが箱いっぱいに入っていました」
「…死神の、卵…」
息を呑み、呟いた私にスタナムが怪訝な顔をする。
「……?何ですかそれは?」
私の代わりに説明してくれたのは先生だ。
「モリブデン侯爵が密かに生産させていた違法な魔導具です。詳しい説明は省きますが、使用すれば魔獣の群れを引き寄せる事ができる代物です」
「何!?」
顔色を変えたスタナムが、夫妻の方を振り返る。
「わ、私たちは知りません!そんなもの、聞いた事がありません」
「本当です!あれを見たのも、あの時が初めてで」
ベゼリが必死に首を振り、妻キュリーも恐怖の表情で同意する。彼らは使い方どころか、死神の卵という名称自体初耳のようだ。
「では、オットレは?魔獣に襲われたのは、死神の卵を発動させたからなのでは」
「…わ、分かりませんが…あれが何なのか知っているようには見えませんでした。ずいぶん粗雑に扱って、そ、そう、一つ壊していました」
「壊した!?」
「はい。どうも床に叩きつけたようで、大きなヒビが…。他はどれも真っ赤な色でしたが、それだけは少し黒ずんでいました」
「…死神の卵は元々黒い色をしていて、赤いのは人の生命力…魔獣を引き寄せる源となる力を、たっぷりと溜め込んだものだと思われます。赤黒く変色するのは、力を放出している証拠。つまりヒビが入った卵は、意図せず発動し魔獣を強く引き寄せる状態になっていた…」
先生の説明を聞きながら、恐ろしい想像が頭をよぎる。
箱には赤い卵が大量に詰め込まれていた。そこに魔獣が襲いかかった。
…もし全てが破壊され、溜め込んだ生命力が辺りに放出されていたら。
「スタナム!!その場所には何人向かわせた!?」
「じゅ、10人ほどです。万一周辺に魔獣が留まっていたとしても、それで十分対処できるだろうと…」
厳しい表情で顔を上げた殿下に、スタナムが答える。先生がそれに首を振った。
「…恐らく足りないでしょう。それどころか、場合によっては数百人…数千人の兵が必要になる可能性があります」
「そ、そんな…!?」
「彼らに急ぎ連絡を取ってください。すぐに逃げられるよう準備し、十分に距離を取って様子を見るように。決して近付かないようにと」
さらに、スピネルが立ち上がる。
「俺とセナルモントでその現場に急行する。俺なら卵の状況を見分けられるし、セナルモントなら周辺の魔獣の気配を詳しく探知できる」
ミーティオは人の生命力を感じ取る事ができる。卵が大量に発動しているなら近くに行けば分かるはずだ。
「すぐに動ける兵を集め、同行させます」
事態の深刻さを理解したらしく、スタナムが答える。
「周辺の町や村に戒厳令を出し、魔獣の襲来に備えさせろ。王都の兵にもいつでも出られるように準備の通達を」
「はっ!」
殿下が命令を下し、スタナム、スピネル、先生は慌ただしく会議室を出て行った。
あっという間に静かになった会議室の中、殿下が私を振り返った。緊迫した翠の瞳で私を見つめる。
…嫌な予感がする。
もしかしたら、最悪の事態が進行しつつあるのではないか。
私はただ、祈るようにその目を見つめ返すしかできなかった。