世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
翌日、私は王都の外れにある屋敷へとやって来ていた。
今日は2週間ぶりにライオスとお茶会をする予定になっているのだ。
参加者は私とスフェン先輩、それから私の両親とコーネル。
スピネルとセナルモント先生は、オットレと死神の卵の件で来られない。殿下もきっと来られないだろう。
卵の事が気がかりで、正直に言うとあまりお茶会という気分ではない。
しかしライオスには尋ねたい事があるのだ。竜人である彼になら、魔獣の気配が分かるかも知れない。今は魂の存在となっているミーティオよりも、もっと詳細に。
待ちきれず庭に出た私の隣に、先輩が無言で立った。灰色の雲が立ち込める空を二人で見上げる。
やがて遠くの空に小さな影が見えた。
みるみるうちにこちらに近付き、羽音と共に庭へと降り立った姿に少し安心する。ちゃんと今日も来てくれた。
「ライオス。お待ちしていました」
黒い翼を畳んだライオスは、いつも通りの表情で私を見て言った。
『ここから逃げなくていいのか?』
「そ、それはどういう意味ですか!?」
思わず勢い込んで尋ねた私に、ライオスが少し怪訝そうにして後ろを指差す。
『向こうの方に魔獣の気配が膨らんでいるだろう。気付いていないのか』
やはりライオスには、魔獣の気配が分かるのだ。
「私たちは、魔術が届く範囲でしか気配を感じられないんです」
『そうなのか』
私は更に尋ねる。
「どのように魔獣の気配を感じたのか教えてもらえませんか?膨らんでいるとは?」
『数日前、あの近辺で突然人の生気が爆発的に増えた。どうも妙な様子だったが、それに引き寄せられどんどん魔獣が集まり、今は魔獣から放たれる瘴気が周辺を覆い始めている。気配が膨らんでいると言ったのはそういう意味だ。…あれは、特に大きな魔獣が出現する前兆だ』
ただの大群ではなく、大型も出てくるという事か。かなりまずい事態だ。
「特に大きいというのは、どれくらいの…」
そう言いかけた時、後ろからのんびりとした高い声が聞こえた。
「ごめんなさいリナーリア、時間には少し早いのだけど、来ちゃっ…」
…お母様だ。
まずいと振り返った時には、お母様はライオスを見つめ、目と口を大きく開けて固まっていた。
「はっ、わ、ひゃぁ、ひぇ…」
「り、り、りゅう、竜人」
意味不明な声を上げながらアワアワとするお母様の横で、お父様が腰を抜かしてへたり込んだ。その後ろでコーネルが、手に持っていたバスケットをどさりと落とす。
「えっ、えっ、あっ」
私もひどく慌てた。どう誤魔化せば。そう思った瞬間、肩に何かが触れてぎょっとする。
ライオスだ。なんと私の背中に隠れようとしている。
いや無理だろ。そのでかい図体じゃ無理だろ。
身体だけでも無理があるのに、更に翼がはみ出ている。無理すぎだろ。
「な、何してるんですか」
思わずそう言うと、ライオスは焦ったように手を離して後ずさった。
『いや、これは、その…』
つい咄嗟に隠れようとしてしまったが、自分でも何故そんな行動を取ったのか分からない、という感じだ。
一体何だこの状況は。
とにかく何か言い訳をしようと必死で頭を回転させるが、何も思い浮かばない。ひたすらにオロオロする。
ど、どうしたらいいんだ?
すると私の前に、ばっ!と先輩が飛び出た。両腕を広げ、堂々と叫ぶ。
「…大丈夫です、ジャローシス侯爵、ジャローシス夫人!!ライオス君は危険な存在じゃない!!」
「先輩!!」
さすが先輩だ。どんな時でも落ち着いている。
先輩ならこのまま上手く誤魔化してくれるのではないか。
そう期待して見上げると、先輩は「あー…彼は…」とちょっと視線を彷徨わせた。
「…そう!!ただの善良な…いちごの飴が好きな竜人です!!」
…先輩もまあまあ混乱していた。
しん、と庭が静まり返る。
「…ら、ライオスさん、なのね?そちらの方…」
お母様が呆然と呟き、ライオスを見る。
「…いちご味、お好きなの?」
『あ、ああ。あれは、美味い』
こくこくとうなずくライオス。
「まあ…!そうなのね!」
何が嬉しいのか、お母様は満面の笑顔になった。
「美味しいですものね、いちご味!ねえ、あなた」
「う、うむ、そう、だな。うむ」
同意を求められ、お父様はへたり込んだままうなずいた。
「ごめんなさいね、私ったら、ライオスさんが竜人だなんて知らなかったものだから、驚いちゃって」
お母様は恥ずかしそうに頭を下げている。
…よく分からないが、混乱は止められた…らしい。
「そ、そうだな。少し…ちょっと驚いてしまったが…」
お父様もなんとか気を取り直したらしく、立ち上がって咳払いをした。
コーネルは無表情で落としたバスケットを拾い上げ…無表情っていうより、もう考えるのをやめた顔だな、これ。
「私もいちご味は好きなんですのよ。ねえ、リナーリア」
「あっ、はい、そうですね。わ、私も好きです。いちご味」
「いちご味が好きな人に悪い人はいないわ。うふふ」
どういう理屈だと思いつつ、やはりお母様は凄いと深く感心する。
以前から天然だと思っていたが、もはや天然を超えた大物だと思う。
そして先輩は、腰に手を当て何やら高笑いをしていた。
「うん、うん!分かり合えたみたいだね!はっはっは!!」
…先輩も、本当に凄いなあ…。
きっと私もコーネルと同じ表情をしているだろうなと思いつつ、とりあえずこの場が収まった事に感謝した。
いつまでも立ち話をしているのも何なので、いつも通りにお茶会を始める事にした。
「…ええと…じゃあライオスさんは、ずっと昔に生まれた竜人さんなのね?」
「はい。そうみたいなんです」
頬に手を当てながら言ったお母様に、私はうなずいて答えた。
お父様はまだ少しびくびくしているが、お母様の方はやけに感心した顔だ。
お茶を運んでくれているコーネルは相変わらず無表情だった。もう反応した方が負けくらいに思っていそうだ。
お母様からの視線を受けたライオスは、平静を装っているがどこか居心地悪げにしている。
「実はライオスと同じ竜の血が、少しだけ私やお母様にも流れているらしくて…。それでライオスは、私を助けてくれたんです」
「あら、まあ。じゃあ、親戚みたいなものなのね?どうりで親しみを感じると思ったわ…」
お母様は得心がいった様子だ。やはり私と同じように、ライオスには懐かしさのようなものを感じていたらしい。さすがにいちご味だけが理由ではなかったようだ。そりゃそうだよな。
「し、親戚?そうなのか…」
お父様も、それを聞いて少し安心したようだ。ほっとした表情になってライオスを見る。
「さっきはちょっとびっくりしちゃって、みっともない所をお見せしてごめんなさいね。ライオスさんはリナーリアの命の恩人だというのに」
『…別に気にしていない。人は皆、我を見れば驚く』
ライオスはもう、隠すことなく古代語で会話をしている。
古代語なのに何故か意味が分かるという謎の感覚に、最初は驚いていたお母様たちだが、あっという間に慣れてしまったようだ。
「そうでしょうねえ…。初めての人はきっとびっくりするでしょうねえ…。でも、失礼だったのには変わりないわ。本当にごめんなさい」
「私からも謝罪する。…それと、娘を助けてくれた事に改めて感謝します」
お母様とお父様、それからコーネルにも頭を下げられ、ライオスは戸惑った様子で黙り込んだ。
「それで、さっきの話の続きを聞きたいんですが…」
紅茶を一口飲んでから、私は口を開いた。
ここで話せばお母様たちにも魔獣の事を知られてしまうが、本当にライオスが言った通りの状況ならば、いずれは二人の耳にも入る事だろう。
「もうすぐこの近くに、大型を含む魔獣の大群が発生する…そういう事ですよね?」
『ああ』
うなずいたライオスに、お母様たちが「え!?」とぎょっとする。
「どんな魔獣が、どのくらいの数出て来るか分かりますか」
『恐らく、とても大きいのが1体。細かいのがどれくらい出るかは分からない』
「とても大きい…例えば、どれくらいの大きさですか?」
ライオスは少し考え込む。
『そなたと再会した時、小城にいただろう。あれくらいの大きさだろうな』
「……」
思わず言葉を失う。昨年の水霊祭で戦った巨亀どころの騒ぎではない。とんでもない大きさだ。
「…大災害級の魔獣だね。それは」
先輩が呟く。
大災害。この島の全土を蹂躙し、人口が激減するほどに魔獣が溢れ出す現象だ。
過去に何度か起こったと言われている大災害の時には、そのような超大型の魔獣が何体も現れたらしい。
『人の身であれを倒すのには時間がかかるだろう。それにあれは、更に多くの魔獣を呼び寄せては周辺に散らす。この都でも、多くの死人が出るだろう』