世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
大災害級の超大型魔獣が発生する。しかもそれが呼び寄せる魔獣の群れが、王都にまで来る可能性が高い。
お母様たちは初めただ驚いた顔をしていたが、だんだんと事態を理解してきたのだろう。今は蒼白な顔色になっている。
「…それは、いつ頃発生するか分かりますか?」
『あと3、4日という所だろう』
そう答え、ライオスは私の顔を見た。
『あの妙な生気が何かは知らないが、あまりに強いせいで島中で魔獣が活発になり始めている。逃げるなら早くした方がいい。そなたの事は我が守るが、ここは人が多すぎて難しい。もっと遠くへ行くべきだ』
それから、お母様や先輩たちの方もちらりと見る。
『…そなたの家族や友も、ついでに守ってやっても良い』
「……」
私は無言で考え込んだ。
ライオスは私を守ろうとするのではないかと、それは予想していた。私が死んだら、彼は私の願いの対価を受け取れなくなるからだ。
…だが彼は、私の家族や友もついでに守ってもいいと言う。
彼自身は気付いていないかも知れないが、その「ついで」という言葉には、大きな意味があるはずだと私は思う。
「…ライオス。私は逃げる事はしません。魔獣と戦いに行くつもりです」
「り、リナーリア」
真っ先に反応したのはお父様だ。
「ごめんなさい、お父様、お母様。まず話を聞いてください」
真剣に訴えた私に、二人は口をつぐんだ。その心配げな表情に申し訳なさを感じるが、今は譲れない。
『何故だ。そなたが戦う必要があるのか』
そう尋ねられ、私はテーブルの上に置かれたクッキーを一つつまみ上げた。
「…以前お話ししましたね。このクッキーはたくさんの人の手を経て作られ、ここにあるのだと。クッキーそのものはこの国でたくさん食べられていますが、これはその中でもとても高級な品です。精製した小麦と、たっぷりの上質なバターや砂糖などが使われています。この国の多くを占める平民たちは、もっと粗末なものを食べているはずです」
この国にも貧富の差はもちろんある。
身分、職業、あるいは住んでいる土地。様々な理由でそれらは発生する。
作れる農作物が限られている山間や、北の端の方にある寒冷な領に住む者などは特に余裕がない。そういう土地は税も低めなので何とか暮らしてはいるが、作物が不作だったり疫病や災害が起こった時はずいぶん苦労している。
もちろん領主だとか国だとかが手を差し伸べはするのだが、貧しさや寒さがそれを上回り、病死者や餓死者が多く出る年もある。
私は手に持ったクッキーをそのまま口に入れた。さくさくとして甘くて、とても美味しい。
…これは決して、当たり前のものではない。
「私が今着ているこの服や、住んでいる屋敷もそうです。私たちは普段、平民よりもずっと贅沢で安全な暮らしをしています。そして、ずっと高度な教育を受けています。多くの事を学び、魔術や剣術の修練を積んでいます。それらは全て、この国を治め、守る人間となるためです。統治者として、守護者として、私たち貴族はいざという時に国のために戦わなければならない。その義務を背負っているんです」
『…つまりそなたは、今まで民から対価を受け取って生きてきた。だから戦う義務があると言うのだな』
「まあ、そんなところですね」
『我が知る王族や貴族は、そのような事は言わなかった。安全な所にいて、他の者が戦うのをただ見ていたぞ』
「それは自らの価値を履き違え、
理解しにくいのか、ライオスは難しい顔になって言った。
『なら、そなたも残る方に入れば良いだろう。それでも義務は果たせるのではないか?』
「私は戦う力を持っています。人よりも多い魔力を持ち、それを活かすための修練もずっと積んできました。…それに、前線で戦っている人たちがいるというのに、安全な所にいて守られるだけというのは性に合いません。私は自ら戦って、大切なものを守りたいのです」
『…大切なもの』
繰り返すライオスに、私は「そうです」と真剣に言う。
「私には大切なものがあり、大切な人たちがたくさんいます。その人たちが住むこの国を守りたい。ただ義務だから戦う訳ではないんです。私はもっと…そうですね、貴方風に言うのなら、もっと大きな対価が欲しいんです。そのために戦いたい」
『どんな対価だ?』
私は微笑みを浮かべた。
「この国の平和を。ここに住む人たちの無数の笑顔を。…それを、私は望みます」
人々が平和に、豊かに暮らせる幸せな国。それを殿下と共に作るのが私の夢だ。
リナーリアとして生まれ変わった今でも変わらない、私の夢。
ライオスは呆れたような、驚いたような顔で私を見つめた。
『笑顔。そんなものに価値があるというのか』
「はい。どんな宝よりも」
『…そなたは欲がないのか、それとも誰よりも強欲なのか分からない』
「強欲なんだと思いますよ。私は望みを叶えるために手段を選ぶつもりはありませんので。…ですから、ライオス」
『なんだ』
その赤い瞳を、正面から見つめる。
「私たちに手を貸してください。私たちと共に、魔獣と戦ってほしいのです」
『…我は既に一度、そなたの願いを叶えている。この上さらに願おうというのか』
ライオスは眉を険しくして言った。
「言ったでしょう。私は強欲なんです。この国を守りたいし、私自身も死にたくありません。そのためには貴方の力が必要なんです」
竜人であるライオスは、私たち人間よりも遥かに強大な力を持っているはずだ。彼が共に戦ってくれれば、きっと犠牲者の数を大きく減らせるだろう。
『…対価は?』
「貴方が望むものを。できる限り用意します」
『我には望みなどない』
「……」
にべもなく言われ、私は唇を噛んだ。
こうして会話を交わすようになってからは短いが、ライオスの好きなもの、嫌いなものは分かってきた。その本当の願いも。
彼はやはり、孤独なのだ。本心では人間に受け入れられたがっている。
だから口ではあれこれ言っても人間の文化に興味を示すし、「ついで」と言って自分に好意的な者たちに手を差し伸べようとする。
…だが今の彼は同時に、人間へ不信感も持っている。私たち人間側だって、彼を受け入れる準備などできていない。この問題を解決するには、長い時間がかかるだろう。
しかし私たちは、今こそライオスの力を必要としている。
今、彼を動かせる対価とは何だ。
彼の言う通り私は既に一度願いを叶えてもらっている。これ以上何を差し出したら良いのかなど分からない。
「…僕からも頼む、ライオス君!一緒に、この国の人々を守るために戦ってくれないか」
私の隣で声を上げたのは先輩だ。
『対価は?』
尋ね返したライオスに、先輩は間髪入れずに答えた。
「ヴィクトリアケーキだ!!」
「……は?」
思わず先輩を振り返った私の横で、ライオスが怪訝な顔をする。
『ヴィク…なんだそれは』
「苺ジャムを挟んだケーキのことさ。ふわふわとして、甘くて美味しい。これを好きなだけ君に食べさせよう!!」
『…ふむ』
ライオスは真面目な顔で考え込んだ。
えっ…?考えるの?えっ?
「だ、だったら私は、このバッファロー肉のサンドイッチをライオスさんに差し上げるわ」
「お、お母様!?」
お母様は皿に並べられたサンドイッチを手に持ち、ライオスに差し出した。コーネルが落としたバスケットに入っていたものなので、少し形が崩れているが。
お母様もまた私の話を聞いて、背中を押してくれようとしているのだ。
「これを、いつでも好きなだけ差し上げます。ライオスさんが求める限り、何度でも差し上げます」
『……』
これにもライオスは考え込む顔になった。
いや、悩むの?そんな対価ありなのか?竜人にとって魔獣との戦いはおやつレベルなのか?
もしそれでOKなら、真剣に悩んでいた私は一体?
でもそういえば、最初に助けてもらった時の対価は苺味の飴玉だった…。
『…お前たちは皆、同じ願いを持っているのか?』
衝撃を受けている私などお構いなしに、ライオスはお母様たちを見回した。
「もちろんだ!僕たちもこの国を守りたい。彼女と同じように」
先輩が身を乗り出す。
「娘の願いは、私の願いでもある」
お父様が重々しくうなずき、その後ろに控えているコーネルもまた頭を下げる。
「…ライオスさんは、きっとお強いんでしょう。その力で、この子を助けて欲しいの」
お母様はそう言い、縋るようにライオスを見つめる。
「リナーリアは本当に、無茶ばかりするの。魔獣と戦って川に飛び込んだり、足を折ったり…。この間なんて、誘拐されてしばらく行方が分からなかったのよ。生きた心地がしなかったわ。今回の祭礼の旅だって、なんだか戦いに巻き込まれてたみたいだし…」
「……」
耳が痛い。両親にはずっと心配ばかりかけている。本当に申し訳ない。
「本当は戦いになんて行ってほしくないの。でも、この子はきっと行ってしまうわ。頑固な子なの、昔からずっと。どんなに危険だろうと行ってしまう。…そこに、大切な人が…あの方がいるから…」
お母様は困ったような、悲しげな目で私を見る。止めても無駄だと分かっているというように。
私を思う気持ちが痛いほどに伝わってきて、胸が締め付けられる。
「…だから、お願いします。サンドイッチだけじゃない、ライオスさんの好きなものをなんだって用意するわ。この子を、助けて…」
深々と頭を下げたお母様に、ライオスはしばらく黙り込んだ。
ライオスは再び、私の目をじっと見る。
『…それほどに、そなたは戦いに行きたいのか?』
「はい」
私は迷いなくうなずいた。
『この国の民の笑顔とやらには、それだけの価値があると言うんだな』
「はい」
守り通したいもの。このままではきっと失われてしまうもの。
殿下は言った。「未熟でも、手探りでも、前に進まなければいけない時はあると思う。手をこまねいていてはきっと後悔する」…と。
私も後悔はしたくない。だからどれだけ危険でも戦いたいし、取れる手段は何でも取る。
強欲な願いと知っていても、諦めるつもりはない。
『そなたは以前言ったな。人について知る事で、我にも何か得られるものがあるはずだと』
「はい。言いました」
『…良いだろう。それがそなたからの対価だ、リナーリア』
ライオスは、初めて私の名前を呼んだ。深紅の瞳で、私の顔を覗き込む。
『共に戦ってやろう。…一体何を得られるのか、楽しみだ』