世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第183話 キマイラ・1

「報告します!東のラパー山より新たな魔獣群の襲来を確認、現在第3軍が対処に向かっております!」

「南側、第4軍は魔獣群の撃退に成功。負傷者はわずかです!」

 天幕の中には伝令兵から定期的に報告が入ってくる。今の所それほど緊迫した報告はなく、戦況は安定している。

 

 ここは、オットレが大量の死神の卵と共に消息を絶った場所のすぐ近くにある草原だ。

 現在この周辺には、王国に所属する兵の大部分が集結している。近くの領から動員されて来た兵たちもだ。

 もちろん、大量発生を始めた魔獣を討伐するためである。既に戦いは始まっており、兵たちが魔獣と交代で戦っている。

 私がいるのは少し離れた後方に作られた陣地の中、司令本部となっている天幕だ。周辺には負傷者を救護したり士官たちが使うための天幕がいくつも張られている。

 

 

 

 …王宮の調査によると、モリブデン侯爵は密かに製造した死神の卵を王都のあちこちに隠しては回収し、人間の生命力を集めていたらしい。

 そうして力を溜めた卵は有事の際に利用しようとして保管していたが、その事を殿下や王宮魔術師団に嗅ぎつけられたと思い、馬車に積み込み別の場所に移動させようとした。

 しかし同乗していたオットレが卵の一つを壊したせいで、移送中の馬車は魔獣に襲われてしまった。

 

 現場周辺は瘴気が渦巻いていて、オットレがどうなったかははっきり分かっていない。

 ただ使い魔を飛ばして偵察した魔術師によると、バラバラに破壊された馬車の残骸と、黒ずんだ血の痕がわずかに確認できたという。

 近くまで行ったスピネル…ミーティオは、周辺にはおよそあり得ないほど大量の生命力が漂っていると言った。

 その証言により、馬車に積まれていた多数の卵は、襲ってきた魔獣によってほぼ全てが破壊されたのだと推測された。

 

 人がただ生きているだけで少しずつ放出される生命力は、魔獣を引き寄せてしまう。遠い昔に海の女神がこの島へかけた呪いのためだ。

 女神の呪いは、島に人が増え、生命力が溢れるほどに強くなる。

 突如として出現した大量の生命力は、女神の呪いをも刺激してしまったらしい。島のあちこちで魔獣が活性化し始めた。海から新たに発生する魔獣も増えているという。

 卵から放出された生命力は1~2週間ほどで薄れ消えるらしいが、出現した魔獣は人が倒さない限り消えない。

 

 …このヘリオドール王国は今、大きな危機に晒されていた。

 

 

 

「周辺の町や村に被害は出ていないか?」

「今の所ごく軽微のようです。各領から送られた援軍が働いてくれています」

 殿下の質問に答えたのは、この戦場の総指揮を任されているフェナスという男だ。スタナムは王都の守備についているため、前線には来ていない。

 フェナスは片頬にある大きな傷が特徴の、50を過ぎたベテランの指揮官だ。騎士としても卓越した実力を持っていて、魔獣との戦闘経験も豊富。沈着冷静で、頼りになる人物だと聞いている。

 

「住民も落ち着いているようです。炊き出しなどを行い、兵の支援をしてくれている所が多いと報告が来ています」

「昨年、国全体が豊作だったのは幸いだな。食糧の備蓄に余裕がある町や村が多い」

「ええ。そちらの心配をしなくて良いのは助かります。おかげで兵の士気が維持しやすい」

 今では島のほぼ全域で魔獣が活性化しているため、各領地でもそれぞれ対応に追われているのだが、兵に余裕がある領は王都への援軍も送ってくれている。

 兵が増えればその分食糧も必要になるが、今の所は問題なく賄えているようだ。

 

「中央の様子はどうだ?」

「次々に魔獣が湧いてきていますが、今の所完璧に抑え込めています。しかし、瘴気は濃くなる一方のようです」

「…やはり、もうじき出て来そうだな。超大型が」

「ええ…」

 

 

 …ライオスとお茶会をしたあの日から、既に3日経つ。

 先生を始めとする王宮魔術師たちの分析でも、今日あたりに大型の魔獣が出現する可能性が高いという結果が出ている。

 場所は遠目にも瘴気が濃く渦巻いているのが分かるあそこで間違いないだろう。背後に大きな川があるおかげで、出現後の進行方向を限定できるのは幸運と言える。

 

 決戦の時は刻一刻と近付いている。

 天幕の隅でただそれを待っている私に近付いてきたのは、からかうような表情を浮かべたスピネルだ。

「さっきからずいぶん大人しいな。借りてきた猫みたいになってるぞ」

「…仕方ないでしょう。これだけ大規模な戦いは、さすがに初めてですし」

「俺だって初めてだぞ、こんなの。…気持ちは分かるが、あんまり気を張りすぎるなよ。今から緊張したってしょうがないだろ。お前の役割は決まってるんだからな」

「はい…」

 

 スピネルの言う通りなのは分かっているが、どうにも落ち着かない。

 そもそも私一人がこの場で浮いている気がするのだ。殿下やスピネルはともかく、私はただの貴族令嬢なのだから。

 天幕を守っている騎士や出入りする兵士たちも、きっと私の存在を不思議に思っているだろう。実際こちらを見て「えっ?」という顔をする者もいる。殿下やフェナスたちが当たり前の顔をしているので何も言わないが。

 ちゃんと守護のかかった戦闘用ローブを着て、魔術師らしい格好はしているんだけどな…。

 せめて王宮魔術師のローブを着たかった。でも、私はまだ弟子なのであれに袖を通すことは許されていない。

 

 

 私がここにいるのは、超大型魔獣が出現した時にライオスを呼ぶためだ。

 竜人という伝説の存在が突然やって来れば皆驚くだろうが、その時は速やかに混乱を収められるよう、各部隊の隊長にまではライオスの事を知らせてある。国を揺るがすこの危機に、竜人が助けに来てくれるのだと。

 一般の兵士には話していない。言った所でにわかには信じがたいし、下手に教えれば浮足立つ者もいるだろうとの判断だ。

 教えられた隊長たちも皆、きっと半信半疑でいるだろう。

 

 それに、殿下はこうも言った。

「これはこの国の人間が引き起こした災いだ。竜人が力を貸してくれるとしても、初めから頼ろうとするのではなく、俺たち自身も戦わなければならない」…と。

 私もそう思う。

 ライオスがどれほどの力を持っているのかは分からないが、できる限り私たち人間の力で魔獣を倒す努力をするべきだろう。

 

 

 私は例えライオスを説得できなくとも戦場に出るつもりだったのだが、その場合殿下やスピネルを始めとしたほぼ全員から反対されていただろうから、ライオスのお陰ですんなり参戦が認められて良かった。

 もちろん来たからには、私自身も役に立つつもりだ。その覚悟は既にできている。

 密かに魔術の腕を磨き続けて来たのは、こういう時のためなのだから。

 

 先輩なども来たがっていたのだが、さすがに学生までは動員できないと却下されていた。

「僕は君を守る騎士だというのに。一緒に行けないだなんて…」

 出発前、そう言って悔しがる先輩に、私は笑いかけた。

「大丈夫です。離れていても、先輩の声はきっと届きます。…それに、この学院には先輩を必要としている方々がたくさんいますから。どうか先輩の力で、皆さんを励ましてください」

 魔獣の大量発生を受け、王都でも戒厳令が敷かれている。学院には不安な顔をしている者が多い。彼らはまだ若く、訓練以外で魔獣と戦った事がない者ばかりなのだ。

 

「そうだったね…。どんな場所だって、やれる事は必ずある」

 先輩は大きくうなずいてくれた。

「また君に教えられてしまったね。…分かったよ、この学院の事は僕に任せてくれ。君は後ろを気にせず、思う存分戦ってきてくれ!大切なものを守るために!!」

「…はい!!」

 

 

 がっちりと私の手を握り、応援してくれた先輩の力強い言葉を思い出していたら、つい表情に気合が入りすぎたらしい。スピネルが半眼になって私を見る。

「…おい。あんまり余計な事考えるなよ?ここにいる以上それなりに働かなきゃいけないのは当然だが、防御だとか治癒で十分なんだからな。絶っっっっ対に、前に出たりするなよ」

「わ、分かってますよ。私は魔術師なんですから、後ろで支援するのが仕事です」

「絶対」の部分を物凄く強調して言うスピネルに、思わず口を尖らせる。

 

「くれぐれも注意するんだ、リナーリア」

 そう言って歩み寄ってきたのは殿下だ。

「相手はかつて戦ったことがないほどの大きさになると予測されている。十分に距離を取ったつもりでも、その想像を超えて攻撃が届く事だってあるかもしれない。絶対に安全な場所などないと、そう思って身を守ってほしい」

 

 殿下の言う事は最もだ。

 私には魔術があるとは言え肉体も運動能力も脆弱だし、相手は未知の魔獣なのである。

 小城ほどもある超大型魔獣などここ200年以上出現していない。戦った事がある人間は誰もいないのだ。

 どれだけ注意してもしすぎることはない。

「…分かりました!よく注意し、必ずやお役に立ちます!!」

 ぐっと両の拳を握った私に、殿下とスピネルが苦笑する。

 

 

 …その時、天幕の中に入ってきた人影があった。

 伝令の兵とは明らかに違う、若干よたよたした動き。

 セナルモント先生だ。珍しく引き締まった表情をしている。

「中央に動きがありました。瘴気が凝り固まり始めています。…もうすぐ、超大型魔獣が姿を表します」

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