世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第184話 キマイラ・2

 急いで天幕を出ると、空に向かって渦巻くどす黒い瘴気が見えた。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、低い地鳴りが聞こえ始める。

「全員姿勢を低くしろ!近くのものに掴まり、足を踏ん張って支え合え!!」

 フェナスが大声で叫んだ数秒の後、地面が大きく揺れた。

 

 たまらずによろめいた私の肩を殿下が支える。反対側からスピネルも支えてくれているようだ。

 揺れが激しく、まともに顔を上げられない。歯を食いしばって足を踏ん張るだけで精一杯だ。

 地鳴りのせいで周囲に何が起こっているのかも分からない。

 そうやって必死に耐えていると、少しずつ揺れが収まっていくのが分かった。

 いつの間にか閉じていた目を開ける。

 

 …瘴気の中に、巨大な異形の影が出現していた。

 

 

「でけえ…」

 スピネルが呟く。想像以上に大きい。本当に小城くらいの大きさがある。

 獅子の首に山羊の胴体。背中からは曲がりくねった角を持つ山羊の首も伸びている。二本ある尻尾はどちらも蛇だ。鎌首をもたげ、舌を伸ばしている。

 

「グオオオオオオオオ!!!!!」

 魔獣が吠えた。かなり距離があるのに、びりびりと震えるほどの音圧に身が竦む。

 その巨体の周りに大きく瘴気が渦巻き、黒い山羊と鴉が無数に飛び出してくる。眷属を呼んだのだ。

 特に黒山羊は身体が大きそうだ。ここからでは遠くて分かりにくいが、牛くらいの大きさがありそうに見える。

 

「隊列を整え、攻撃にかかれ!まずは眷属を減らすんだ!!」

 すぐさま指示が飛び、前線の兵士たちが動き始める。

 

「…眷属に鳥型もいるのは厄介だな」

 殿下が前方を睨みつけ、剣を抜き放つ。

「あれだけ数がいてはとても落としきれまい。きっとここにも飛んでくる。気を付けろ!」

「ああ!」

 同じく剣を抜いたスピネルが力強く答えた。

 

 それから殿下は、私の方を振り返る。

「リナーリア。彼を」

「はい。…ライオス!来てください!」

 精神を集中させ、空に向かって呼びかけた。

 

 

 

 

 羽ばたく翼の音。背後からだ。

『やはり現れたな。あれはなかなか手強そうだ』

「ライオス!」

 早い。魔獣の気配を感じ、私が呼ぶ前から近くに来ていたのかもしれない。

 振り返った私の前で、ライオスが地に降り立つ。

「竜人…本当に来たのか…」

 フェナスが目を瞠り、周囲の騎士たちも仰天して固まっている。やはり実物を目の前にすると、驚かずにはいられないらしい。

 

「ライオス、あの魔獣の事を知っていますか?」

『あれはキマイラと呼ばれる魔獣だ。あれほど大きいのは初めてだが、同型と戦ったことがある』

「どんな特徴を持っているんでしょうか」

『獅子の頭が炎を吐く。山羊は魔術が使える上、傷を治し他の頭を再生させる力を持っている。尻尾の蛇は毒を持っていて、かなり長く伸びる。思わぬ所から攻撃してくるから厄介だ』

 

「本体は獅子の頭…という事でよろしいですか?」

『ああ。あの獅子を落とさなければ倒せない。しかし獅子も蛇も、山羊がいる限り何度でも生えてくる。それゆえ山羊を先に倒さねばならん』

 私はキマイラの姿を見た。

 山羊の頭は獅子の後ろ、背中の部分から伸びているので、地上からの攻撃を届かせるのは難しそうだ。

 

 

「兵たちが周りの眷属を倒しつつ、できるだけ獅子や蛇の気を引きキマイラの足を止めます。その間に、空から山羊を倒すことはできますか」

『構わん。しかしあれはかなり堅い上に、眷属の鴉も邪魔だ。我とて倒すのには時間がかかるだろう』

「分かりました。…これは私たちの国を守るための戦いです。それまで必ず耐え抜いてみせます」

 ライオスはうなずき、それから尋ねた。

『そなたはどうするつもりだ。離れているが、ここも危険だぞ』

「もちろん戦います。私は魔術師なので、後方から支援をします」

 

 すると、すぐ傍で話を聞いていた殿下が一歩前に出た。

「大丈夫だ。リナーリアの事は俺たちが守る」

『……』

 ライオスはじっと殿下の目を見つめた。見つめていると言うより、ほとんど睨んでいるに近い。

 かなりの圧力だと思うが、殿下は目を逸らさずにただじっと見つめ返す。

 

『…良いだろう』

 やがてライオスはそう言って殿下から視線を外した。もう一度私の方に向き直り、翼を広げる。

『何かあれば呼べ。では、行ってくる』

「分かりました。…あっ、ライオス、どうかお気をつけて!」

 宙に浮かび、魔獣へ向かおうとするその背に声をかけると、ライオスは一瞬だけこちらを振り返った。

 ちょっと驚いていたように見えたが、どうしたんだろう。

 

 

 

「超大型魔獣の名はキマイラだ!上空からの攻撃に注意しつつ、兵を展開させて囲め!!左右の兵はまず眷属を掃討、中央はキマイラの足元を狙って動きを止めろ!!眷属が減ったら回り込んで尻尾の蛇を攻撃!蛇は見た目より長く、毒も持っているから十分に注意しろ!!」

 フェナスの指示はすぐに前線へと伝えられ、数百人の兵士たちが動き出した。

 さらに、兵の後ろに布陣している魔術師部隊への指示が飛ぶ。

「獅子は炎を吐くそうだ!魔術師はまず耐炎結界を張れ!その後は敵からの魔術攻撃を防ぎつつ、鴉の翼を狙え!地に墜とすだけで良い、止めは兵が刺す!攻撃より防御を優先、できるだけ魔力を温存しつつ戦うんだ!!」

 

 その間に、空を飛んだライオスは瘴気から召喚された鴉魔獣の群れと対峙している。

 まずはあれを倒さなければキマイラには近付けない。

『邪魔だ』

 片手をかざすと、瞬く間にそこに力の塊が生まれる。

 

「……!!」

 炸裂した光に、思わず目を庇う。

 ライオスが軽く腕を振った直後に、光の帯が鴉の群れを横に薙いだのだ。

 次々に地へ落ちていくのは、()()()直撃を免れた魔獣たちだろう。直撃したものは恐らく、一瞬で消滅したはずだ。

 

 

 …凄い。あれが竜人の力なのか。

 魔術構成のようなものは広げていたが、複雑すぎてとても読み取れなかった。そもそも込められた魔力量がとんでもない。

 だがあれはほんの小手調べだろう。竜人の持つ力の恐ろしさに、改めて背筋が冷える。

 

「…な、なんだあれは」

「魔獣…?いや、違う」

「りゅ、竜人…!?」

 突然現れた、翼と角を持つ人影に兵士たちが動揺する。

 

 

「大丈夫だ!!竜人は我々の味方だ!!」

 殿下が大声で叫んだ。

「彼は我らの危機を救うべく来てくれた!!共に力を合わせ、魔獣を倒す!!」

 

「…竜人は味方だ!!共に戦うぞ!!」

 各部隊長たちが殿下の声に呼応した。呼びかけが前線へと届けられていく。

「お、応ー!!」

 兵士たちがあちこちで鬨の声を上げる。

 彼らは恐らく何が何だか理解できていないだろうが、そう言っている間にも魔獣が襲いかかってきているのだ、あれこれ考えている暇などない。

 

 

 そして、ここにも羽音が近付いて来ている。鴉魔獣の一部がこちらにも飛来しているのだ。

 精神を集中させ、周囲に水球を呼び出す。

「皆の者、油断するな!行くぞ!!」

「…はい!!」


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