世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
それから、借りたエプロンを身に着けてアイシング作りを始めた。
さらさらとした粉砂糖に卵白を入れ、ひたすら泡立てる。
「こ、これ、腕がだるくなりますね…魔術で何とかならないかな…」
「お嬢様でしたらできるかもしれませんが、もし失敗したら捨ててやり直しになりますよ」
「むむ…、ではこのまま頑張ります…」
眉を寄せるリナーリアの横で、ユークレースも腕を動かす。実は自分も腕がだるいのだが、言うのも格好悪いので黙っている。
しばらく混ぜてから、ウッディンがボウルを覗いた。泡立て器を持ち上げると、ゆっくりとアイシングが垂れていく。
「そろそろ良い感じですね。では色を付けていきます。何色が必要ですか?」
「私は緑と青と白、あと黄色が少し」
「僕は赤と緑、水色とピンク、白」
「分かりました」
ウッディンはアイシングを小さめのボウルに小分けすると、いくつかの小瓶を取り出した。耳かきほどの小さなスプーンを使い、着色料らしきものを入れていく。
数滴垂らして混ぜると、真っ白だったアイシングがあっという間に鮮やかな色に染まった。
「きれいな色ですねえ」
「友人から分けてもらったものです。作り方は秘密だそうですが」
「…あ、その赤はもう少し鮮やかにできるか?少しだけ黄色がかった感じで」
「では、黄色を入れて…こんな感じでしょうか?」
「ああ。それでいい」
色がついたアイシングをコルネという円錐形に巻いた紙の中に入れ、準備は完了だ。
まずはウッディンが一つ、実演で作ってくれた。先を切って細く絞り出し、クッキーに絵を描いていく。
小さなクッキーの上にみるみる緻密な絵が出来ていく様は、まるで魔術のようだ。
「…こんな感じですね。丁寧にやるのはもちろんですが、思い切って素早く動かしていくのも大事です」
最初はできるだけ簡単な絵柄からという事で、ユークレースはまず、小さな花をいくつも散らしたクッキーを作る事にした。
自分で描いた絵を見ながら水色とピンクで柄を描いていく。レース編みの図案集を参考にしたものだ。
絞り出す力加減が分からず最初は苦労したが、慣れてくるとなかなか楽しい。
5枚ほど完成した所で、ユークレースはちらりと横のリナーリアを見た。
深い青の瞳に真剣な光を宿し、無心で手を動かしている。よほど集中しているようで、瞬きすらほとんどしていない。
高い集中力は魔術師に必須とされるものだ。優秀な魔術師である彼女も、当然それは備えている。
初めて彼女に会ったあの時の事を思い出す。
魔術戦での苦くて恥ずかしい敗北と、恐ろしい大型魔獣との戦い。
大の大人すら尻込みする巨亀の魔獣を相手に、彼女は一歩も引いていなかった。
その冷静で果敢な戦いぶりも、凛とした横顔も、今でもはっきり目に焼き付いている。決して忘れられない記憶だ。
あの時から自分の世界は変わったと、ユークレースは比喩ではなくそう思っている。
飛び級をしてまで学園に入ったのも、彼女という魔術師に憧れたからだ。
姉が言うには、彼女は貴族の間では有名人らしい。あれだけの魔術の才能を持っていれば当然だと思ったが、ちょっと想像と違っていた。
王子妃候補の美少女だとか、学院のテストは毎回トップだとか、魔獣と勇敢に戦い、川に飛び込んでパイロープ公爵家の嫡男の命を救っただとか。
むしろ魔術以外の部分で有名なようだった。もちろん、巨亀戦の武勇伝も広まっている。
しかも、観戦に行った学院の武芸大会では優勝までしていた。自分より遥かに大きい男相手に、女2人でだ。
魔術には自信があるユークレースだが、あの大会に出て優勝しろと言われたらとても無理だ。想像していたよりもずっとレベルが高い。
自分では、王子と従者のコンビのあの剣を掻い潜り勝利するイメージなど浮かばなかった。
何だかショックだった。
闘技場の上、生徒や観客たちから拍手喝采を浴びる彼女の姿はやけに遠く、あの夜「王都は悪いところではない」とユークレースに言ってくれた彼女とは別人のように見えた。
彼女はここで、誰もが認めるほどの立場をちゃんと築いている。
その事を初めて実感し、自分との違いに愕然とした。ただ魔術の才能だけを誇っていた自分が、恥ずかしくて仕方なかった。
…そんな訳で、ユークレースはいざ入学した時には正直かなり気が引けていた。
勢いでやって来たはいいものの、リナーリアは自分の事など相手にしないのではないか。
手紙をくれたりもしていたが、なんだか意地になってしまい返事をしていなかった。気を悪くしているかも知れない。
自分は天才魔術師だ。大人も皆その才能を認めている。亡くなった偉大な祖父も、そう言ってくれていた。
だがそれだけでは何もできはしないのだと、今のユークレースはもう知っている。
知らない人間ばかりの学院はあまりに心細かった。
何しろユークレースには友達が一人もいない。姉も一緒に入学しているが、頼るのは絶対に嫌だった。格好悪すぎる。
周りでひそひそ何かを噂しているのがひどく癇に障った。それでいて誰も話しかけて来ない。別に話しかけられたくなどないが。
とにかく、ただ苛々する。早く帰りたいと、そんな事ばかりが頭に浮かんだ。
しかしそこにやって来たのが、カーネリアだった。
「ユーク!久し振りね!!」
大声でいきなり教室に入ってきた赤毛の少女に、クラス中がざわつく。
「もう、どうして早く教えてくれないのよ。言ってくれれば迎えに行ったのに!」
「は、な、なん、なんで」
思わずどもるユークレースが面白かったらしく、カーネリアは口元を押さえて噴き出した。
「今、隣の教室でヴァレリー様に会って来たところなのよ。それでユークの事聞いたの」
腰に手を当て、むふっと偉そうに胸を張る。ポニーテールに結われた明るい赤毛が、肩からふわりと広がった。
「ユークはどうせ学院の事なんて全然わからないでしょ!私が全部教えてあげるわ!!」
…その笑顔は、目を逸らせないくらいに眩しかった。
そんな事を思い出している間に、リナーリアは作業が一段落したらしい。「ふう」と一つ息を吐いて額を拭う。
その手元にあるクッキーを見て、ユークレースは驚愕した。
「何だそれ!???」
「えっ!?」
ぎょっとしたリナーリアが、改めて自分の作ったクッキーを見下ろす。
「えっと…、カエルの顔…ですけど…」
「どこがだよ!?四角いしなんか角みたいなのが飛び出てるし!しかも目が3つある!!」
「ちっ…違うんです!これはちょっと手元が狂ってですね」
「ちょっと!?それがちょっと!?それ3枚目じゃないか!!」
ユークレースが指さした3枚のクッキーには、あの集中力から生み出されたものとはとても思えない、グロテスクな緑色の何かが描かれている。
「お前…、絵が下手くそすぎだろ!!!」
「…!!」
リナーリアは衝撃を受けたように一歩後ずさった。手に持ったコルネを示して見せる。
「…しょ、しょうがないじゃないですか!こんなの使い慣れてないので上手く描けないんです!!」
「鉛筆で描いた絵の方だって酷いじゃないか!!」
そう、よく見たら紙に描かれた図案も酷い。クッキーの怪物ほどではないがかなり歪んでいて、見るからに下手だ。あんなに簡単な絵なのに。
「…お嬢様は、少々不器用でいらっしゃいますので…」
コーネルが何のフォローにもなっていない事を言う。それ以前に、とても少々と言える範囲ではない不器用さだと思うのだが。
「……」
銀の髪を揺らしながらしょんぼりと肩を落とした彼女に、ユークレースはまた呆れる。
自分が憧れを抱いた、才能溢れる魔術師の正体。それがこの少女なのだ。
入学してみて色々と分かった。
とても遠い存在ではないのかと思いかけたリナーリアは、あの時と何一つ変わらない態度で自分に接した。
優しく穏やかな笑みはいかにも上級生という素振りだったが、案外間抜けな所があると気付くまでにはそう長くかからなかった。
生徒会の勧誘だとかで、一人の女子生徒の元に足繁く通ってはしょんぼりしながら帰っていく姿を何度も見た。
王子の従者と廊下でぎゃあぎゃあと言い合いをしたり、筋肉女神とかいう謎のあだ名で呼ばれて必死で否定している姿も。
あの落ち着いた振る舞いは、どうも年上ぶりたいだけだったらしい。
年頃の少女らしく、王子相手に顔を赤らめたりもしていた。その表情を見ると何だか面白くない気分になったが、彼女も完璧ではないのだと思うと安心もした。
カーネリアによると、恐ろしく鈍かったり激しく感性がズレていたりもするそうだ。
ついでに言えば運動神経があまり良くない。あれでよく武芸大会で優勝できたものだと思う。
…そして今日また一つ、残念な一面を知ってしまった。
「魔術師のくせに何でこんなに絵が下手なんだ…これじゃ魔法陣が描けないだろ…」
「そっちはちゃんと描けるんです。絵になるとだめなんです」
「何で」
「私が聞きたいです…」
こんな所を見たら、クラスメイトたちは何と言うだろうか。
彼女は男子の間で結構人気がある。ついでに言えばカーネリアもだ。
「でもあの二人に近付くとスピネル先輩が超怖いらしくて、高嶺の花なんだよ。お前すげーな」と謎の尊敬をされたりもした。
その高嶺の花は今、眉間にシワを寄せてクッキーとにらめっこをしている。
「…お前、王子にプレゼントしたいんだろ?だったらハートマークでも描けば良いんじゃないのか」
「は!?ハートマーク!?」
「それくらい簡単な絵柄ならお前でも描けるだろ」
「あ、そ、そうか、そうですね。なるほど…」
リナーリアは顔を赤らめながらぎくしゃくとうなずいた。
「こっちのピンクのやつ、分けてやるから使え」
「…ありがとうございます」
クッキーに向かうその手は明らかにぷるぷる震えていて、ユークレースは吹き出しそうになるのを必死で堪える。あれではまともに描ける訳がない。
「もうちょっと落ち着いて、肩の力を抜いて描くと良いかと…」
「は、はい、ウッディンさん」
正直気になって仕方ないが、あまり人に構ってばかりもいられないとユークレースは思った。自分も作業をしなければ。
コルネを手に取り、クッキーに向かい合う。
「…よし。こんなもんだろ」
「ユーク、すごく上手ですね…」
「ふん。このくらい当然だ」
鼻を鳴らし、リナーリアのクッキーを見下ろす。
「…お前のもまあ、最初のやつよりはマシじゃないのか」
色々言いたい気持ちを抑える。実際最初よりはマシだ。歪んではいるが、一応ちゃんとハートに見える。
「はい。頑張りました」
リナーリアは疲れた顔だ。やる前は「できるまでやる」などと堂々と宣言していたが、結局適当な所で妥協したらしい。
やはり彼女だって、できないことはあるのだ。
少なくとも絵の腕前は自分の方が遥かに上だなと、内心で少しだけ勝ち誇る。
「あとは包むだけですね」
「はい。殿下のはこれと、これと…」
いくつかのクッキーをつまみ上げ、横に分けていく。
なるべく出来の良いものを王子用に選んでいるらしい。残りをあの従者やら家族にやるつもりなのだろう。
あんな無表情な王子のどこが良いんだと思いつつ、ふと気が付いて言う。
「…あの従者には、失敗作だろうとハートのはやるなよ。そっちのおぞましい怪物のやつとかにしとけ」
「え?何故ですか?というか今、おぞましいって言いました?」
「男心の分からない奴だな」
「な…!?」
何故か今の一言がやたら刺さったらしく、リナーリアは衝撃を受けて固まっている。
「いいから言う通りにしろ。一番特別なやつとはちゃんと差を付けとくものだろ」
「あっ、そうか、義理と本命というやつですね?バレンタインの事、よくご存知ですね」
「いや知らないけど」
「あ、じゃあユークのそれも、一番特別なやつなんですね?」
数枚のクッキーを指さされ、ユークレースは思わず黙り込んだ。何となく認めたくない。
ただ無言で、その数枚だけを横に避けた。
翌日の昼休み、食堂に行ったユークレースは辺りを見回した。
目当ての人物はすぐに見つかった。あの明るい赤毛のポニーテールはよく目立つ。リナーリアと姉のヴァレリーも一緒にいるようで丁度いい。
「カーネリア」
「あっ、ユーク!一人なの?なら一緒にランチしましょ」
「いや、いい。それより、これ」
きれいにリボンを掛けた包みを差し出すと、カーネリアは少し首を傾げた。
「…おい。バレンタインがどうのこうの言ったのはお前だぞ」
思わず睨みつけると、カーネリアは「まあ!」と叫んで笑顔になった。
「もしかして、本当にプレゼントを用意してくれたの!?」
本当に嬉しそうに包みを受け取る。そういう顔をされると、こちらとしても悪い気分ではない。
「こっちはお前の、それから姉上も」
それぞれ色の違う包みを、リナーリアと姉に手渡す。
「あら、私の分もあったんですか?」
「ユークが何かくれるなんて、珍しいわ」
「…世話になってるからな、一応」
それを見て、カーネリアは一瞬だけ唇を尖らせた。だがすぐにまた笑顔に戻る。
「そうよね、ユークはお二人にもお世話になってるものね。…ありがとう、ユーク!とっても嬉しいわ!!」
「…ああ。それじゃあな」
カーネリアは声が大きい。何だか視線を集めている気がして恥ずかしくなり、そそくさとその場を後にする。
…カーネリアは気付くだろうか。
あの赤い包みにだけ入っている。真っ赤なカトレア。
植物図鑑を見て、すぐにこれが良いと思った。
眩しい太陽の下で輝くのがよく似合う花。あの日見た笑顔みたいな花だ。色も、あの髪の色と同じ。
一番丁寧に、一番時間をかけてクッキーに描いた。
別に、気付かなくたって良い。
あの日、あの瞬間、あの孤独な教室の中。
その笑顔がどれだけ眩しかったかなんて、誰も知らなくて良い。
だからどっちだって良いのだと思いながらも、何だかやはり、そわそわとした。