世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第187話 キマイラ・5

『…持久戦は可能だ。しかしキマイラが力の大半を失うまで、恐らくまる3日以上かかる』

 ライオスはすぐにそう答えた。

『それだけの時間戦い続けるのは我でも無理だ。休みながら戦う必要がある。だが奴は、攻撃が弱まればここから移動しようとするだろう。あの吹き飛んだ後ろ足もいずれは再生する。人の多い場所を目指し、襲いに行くはずだ』

 この周辺で最も人が多い場所と言えば、もちろん王都だ。それだけは絶対に避けたい。しかし無理に足止めを続ければ、兵の損耗は恐ろしい数になるだろう。

 

『尾蛇を倒せば大きなキマイラに痛手を与える事ができるが、そうすればキマイラはまた姿を変えるだろう。より攻撃的になるか、逆に守りを固めるか…我にも予測できん。どちらにせよ、更に手強くなる』

 ダメージそのものは与えられても、戦況が苦しくなってしまう可能性が高いという事だ。しかもキマイラが姿を変えれば、それによってまた対応策を考え直さなければならなくなる。

 

「では、獅子頭を狙い、一気に決着をつけるのは?山羊頭の時と同じように、できるだけ私たちが動きを止めます」

『我でも充分に力を溜めた全力の攻撃でなければ、あの獅子頭を落とす事はできん。だが我が力を溜めようとすれば、奴はそれに気付き暴れ出すだろう。そうなれば、お前たちの力で奴の動きを止められるとは思えん』

 

 今まで戦場をライオスが支えてきたのは明らかだ。ずっと、山羊頭と尾蛇をほぼ同時に相手にしていた。

 キマイラもライオスこそが最も脅威的な存在だと見做しているはずで、彼が力を溜め始めれば、間違いなく全力で阻止にかかる。かつてない激しい攻撃が周囲に降り注ぐだろう。

 しかもライオスは、もうすぐまた眷属の召喚が始まると言った。

 そんな中で、私たちがどれほどキマイラを抑え込めるのか。今まで私たちは、キマイラに大したダメージを与えられていないのだ。

 魔術師たちの全力の攻撃でようやく足を一本吹き飛ばしたが、あのような大魔術は準備に時間がかかる。連発できるものではない。

 

 

「……」

 皆が悩む顔になる。

 どの案も問題がある。第一の案は消耗と被害が激しく、第二の案は危険が大きい。第三の案は実行自体が難しい。

 

「…貴方ならどうしますか?」

 試しに尋ねてみると、ライオスは即答した。

『奴が消耗し、弱るまで耐えて待つ』

 つまり、最初の案だ。

 しかしそれを勧める事をしないのは、私たちが国を守るための戦いをしていて、周辺の町や村への被害が大きい戦術はなるべく取りたくないとちゃんと理解してくれているからだと思う。

 

 

 

「…少しの間、時間を稼ぐ方法はあります」

 後ろから聞こえた声に、私たちは全員振り返った。

「セナルモント先生!」

 先生はずっと探知魔術を飛ばし、キマイラの様子を調べていたはずだ。

 

「何か分かったのか?」

「はい。あの獅子頭の額の目です。新しく生えてきたあの目が鬼火を操作しています。あれを潰せばしばらくの間、キマイラは鬼火を操る事も新しく召喚する事もできなくなるでしょう。それからもう一つ、キマイラは背中…さっきまで山羊頭が生えていたあたりの防御がやや薄いようです。あそこを狙えば、より大きなダメージを与えられるかと」

 

 きっと山羊頭を失ったせいでそこが弱くなっているのだろう。しかしあの巨体の背中を攻撃するには、空から狙うか、完全に転倒させ横倒しにするしかない。

 考え込んだ時、前線の方からまた大きな咆哮が聞こえた。

 …まずい。上空に瘴気が広がっている。眷属の召喚が始まろうとしているのだ。

 

 

「では、こういうのはどうでしょうか。まずライオスに背中を狙って雷を落としてもらい、キマイラの動きを止めます。その隙に魔術師部隊で力を合わせて氷槍の魔術を使用し、額の目を潰します。獅子の顔面部分は燃えていませんし、貫通力のある氷槍なら威力も充分でしょう。その後は兵たちで総攻撃。ライオスが獅子頭を落とす力を溜める時間を稼ぎます」

 私はやや早口になって言った。

 氷の魔術は水と風の複合魔術になるのでやや魔力の消耗が大きいが、その分効果も高い。傷の周辺を凍らせることで、対象の動きや治癒速度を遅らせる事もできる。

 

「ライオス、貴方の負担が大きくて申し訳ないのですが、できますか?」

『できる。奴の身体を数秒痺れさせる程度の雷でいいのだろう?それなら大して消耗もしない』

 フェナスとビリュイが一瞬考え、それからすぐにうなずき合う。

「その作戦で行きましょう」

 

 

 話はまとまった。もう一度ライオスの方を振り返る。

「ライオス、離れていても私の声が聞こえるんですよね?こちらの準備が整ったら教えますので、そうしたら雷を落としてください」

『分かった』

 ライオスはそう言いながら翼を広げ、宙に浮かび上がった。

 

「お気を付けて!」

『…そなたも気を付けろ。また眷属が来るぞ』

 一瞬だけこちらを振り返ってからまっすぐに戦場へ戻っていく。

 その黒い翼を見送りながら、少しだけ唇を噛んだ。

 …彼に頼りきりな事が心苦しい。今はそうするしかないと、分かってはいるのだが。

 

 

 

 ライオスの言った通り、すぐに眷属の召喚が始まった。

 黒山羊は変わらないが、鴉の方は先程までより巨大化した上に、火球の魔術を放ってくるようになった。

 空からの魔術攻撃は避けるのが難しい。どこから飛んできても良いよう周辺を囲むように防御結界を張る事になるが、部分的に壁を作る防御魔術に比べ、結界は魔力消費が大きい。

 だがここには負傷者が収容された大きな天幕がいくつもあるのだ。これに火をつけられる訳にはいかない。絶対に守らなければ。

 

「また1羽来たぞ!」

「動きを止めます!」

「右からも黒山羊が来る!気を付けろ!」

 目まぐるしく変わる状況に、ひたすら頭を回転させ魔術を行使する。次々に魔獣が襲来してきて、息をつく暇もないほどだ。

 後方ですらこれなのだから、前線はまさに死物狂いだろう。

 

 どうもキマイラは、こちらが何かの準備をしている事に気が付いて攻勢を強めているようだ。

 先程魔術師部隊に手痛い攻撃を受けたせいで、警戒しているのかもしれない。鬼火を操るだけでなく、火炎を吐いたり尾蛇を振り回して兵たちを蹴散らそうとしている。

 それでもなんとか持ちこたえているのは、ライオスが光弾や冷気を飛ばしてキマイラを攻撃し、注意を引き続けているからだろう。

 

 内心でひどく焦る。

 さっきから負傷者が運ばれて来ていない。この状況ならばむしろ増えているはずなのに。

 前線にはもはや、負傷者を運ぶだけの余裕がなくなっているのだ。

 攻撃準備はまだなのか。急がなければ、犠牲者が増えてしまう。

 

 

 更に1羽落とした所で、殿下の声が聞こえた。

「…リナーリア!」

 はっと顔を上げる。

「フェナスが呼んでいる!」

「!!」

 フェナスの方を振り向く。フェナスは大きくうなずくと、私に向かって叫んだ。

「準備が整いました!!竜人殿に合図を!!」

「はい!!」

 

 空に向かい、祈るように叫ぶ。

「…ライオス!雷を…!!」

 

 

 遠くでライオスが、天に向かって片手を掲げるのが見えた。先程からあの辺りに暗雲が広がっていたのは、いつでも雷を落とせるように彼が準備していたからだろう。

 キマイラを囲んでいる兵たちが、鬼火を避けながら一旦後ろに下がる。

 ライオスが腕を振り下ろすのと同時に、激しく轟く雷光がキマイラの背を打ち据えた。

 

「グォ……!!!」

 キマイラの巨体が痙攣し、ぐったりとした尾蛇がズシンと音を立てて地に落ちる。雷撃で身体が痺れ、動かせないのだ。

『清らかなる水よ集え、大いなる風を受け、その時を止めよ!!』

 間髪入れず、魔術師たちの詠唱が重なった。

 上空に圧倒的な冷気が吹き荒れ、巨大な氷の塊が形成されていく。

 

『天地万象を貫く槍となり、敵を討て…!!!!』

 氷槍の魔術が完成した瞬間、私のすぐ前にいた殿下が叫んだ。

「待て!!止めろ…!!!」

 

 

 

 それは一瞬だった。

 地面の上、力なく倒れていたはずの2匹の尾蛇が突然恐ろしい速度で動き、獅子頭の前で交差したのだ。

 蛇に激突した巨大な氷槍が、はるか後ろの河岸に命中し轟音を響かせる。

 

 

 …残ったのは、半ばで吹き飛び、千切れた2匹の蛇の残骸。

 そして、無傷のまま爛々と輝く3つの獅子の瞳。

 

 

「は…、外れた…」

 誰かの絶望的な呟きが耳に届く。

 勝利のための大事な一手、魔術師部隊の総力を挙げた攻撃、それが外れた。いや、逸らされてしまった。

 キマイラはライオスの雷の効果で身動きが取れないように見せかけ、実は尻尾の蛇だけは動かす事ができたのだ。

 魔術師たちが氷槍を撃った瞬間に跳ね上がり、最も大切な部分…獅子頭を庇った。

 

 

「オ、オ、オ、オ、オ…!!!!」

 身の毛もよだつような咆哮を、キマイラが上げた。

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