世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「皆しっかりしろ!!反撃に備えるんだ!!!」
殿下の鋭い声が耳を打ち、はっと我に返った。
そうだ、呆然としている場合ではない。
獅子頭を庇った尾蛇は魔術で吹き飛んだ。その影響を受け、キマイラがまた何らかの変化を起こす可能性が高い。
息を呑んで見つめていると、キマイラの全身を包んでいた炎が一瞬でかき消えた。
さらに、周辺を漂っていた大量の鬼火がキマイラの元に集まっていく。獅子頭が大きく口を開けた。
「鬼火を飲み込んだ…!?」
大量の鬼火は、一つ残らず口の中に吸い込まれてしまった。その直後、ミシミシと音を立ててキマイラの身体が変形を始める。
3本しかない足がみるみる太くなっていく。地響きが鳴り、巨大な
背中はボコボコと盛り上がり、煙突のようなものが何本も生えていく。
獅子頭の額の瞳が金色に光った。
不吉な予感が走る。
「…ガアアアアアアッッ!!!」
キマイラが大きく咆哮を上げ、爆発音が轟いた。
「…!岩だ!こっちにも飛んでくるぞ!!」
「撃ち落とせ!!天幕を守るんだ!!」
「リナーリア…!!」
殿下に手を引かれ、腕の中に抱え込まれる。咄嗟に周囲に防御結界を張った。
いくつもの轟音と衝撃が重なる。
吹き飛んだ土砂が、ばちばちと結界の壁に当たるのを感じる。
…やがて土煙の向こうに、恐ろしい光景が見えた。
吹き飛び、血まみれで倒れ伏した兵たち。
そこら中の地面に穴が穿たれ、煙が立ち上っている。
キマイラが背中の煙突のようなものから岩石を大量に撃ち出し、周辺一帯に落としたのだ。
この辺りにまでいくつか飛んできた。なんて攻撃範囲だ。
岩はかなり重量がある上に高温らしい。遠くから飛来する勢いと相まって、凄まじい破壊力になっている。
「リナーリア、大丈夫か」
「は、はい。ありがとうございます」
大急ぎで辺りを見回し、ここの状況を確認する。
天幕は無事だ。魔術師たちが必死で迎撃したのだろう。
この司令本部はキマイラからは距離があるので、岩が落ちてくるまでに少しだけ時間に余裕があった。破片に当たった者もいるようだが、軽傷だ。
だが、防御や迎撃が間に合わなかったのだろう前線ではかなりの被害が出ている。目を背けたくなる惨状だ。
さらに獅子頭が火炎を吐こうとしているのが見えたが、ライオスの放った光弾が鼻のあたりに直撃して寸前で阻止した。苦しげに開かれた獅子の口の中から炎が散る。
また低い地響きが聞こえた。ひどく嫌な音だ。
セナルモント先生が叫ぶ。
「…キマイラの蹄だ!あそこから土や石を吸収し、噴石として撃ち出しているんです!!」
足が太くなり、蹄が地面にめり込んだのはそのためか。
「じゃあ、この地鳴りは体内に土砂を吸収している音…!?」
「そうです!恐らく、すぐにまた飛ばして来ます!!」
「急いで迎撃準備!結界で止めるには負担が大きすぎます、攻撃魔術で撃ち落として!!」
「天幕や物資の周辺が優先だ、騎士はできるだけ自分で避けろ!!前線からの被害報告急げ!!」
ビリュイとフェナスが大声で指示を飛ばす。
兵の警告が聞こえた。
「…前方より大鴉の群れが襲来!!」
空を飛ぶ大鴉の魔獣は移動速度が速い。もうこちらにまで来てしまった。
急いで臨戦態勢を取った瞬間、遠くから轟音が聞こえた。
「噴石の第二撃、来ます!!」
飛来する岩の一つがこちらに向かってくるのが見えた。咄嗟に叫ぶ。
「私が撃ち落とします!…『水よ土よ、圧縮し弾丸となれ』!!」
一瞬で手元に水が生まれ、渦巻く。
『発射!!』
高速で撃ち出された水の弾丸が、飛来する噴石を打ち砕いた。
「……!」
ばらばらと破片が降り注いでくるが、目の前に翻った殿下のマントがまたもや私を守る。
すぐ横では、スピネルが大鴉を斬り捨てている。噴石が翼をかすめたせいで地面近くにまで落ちてきていたらしい。
どうやらこの噴石攻撃はまともに狙いを付けられないもののようだ。眷属の大鴉や黒山羊が何体も巻き込まれているし、人がほとんどいない場所にもいくつも落下している。
キマイラは噴石を飛ばしている間に、千切れ飛んだ尻尾のうち1本を再生している。
もう蛇の形はしていないし、前よりも短くて動きも単調だが、兵たちを襲う武器としては十分だ。足を攻撃しようと集まっていた兵たちが幾人も弾き飛ばされる。
そして、また地響きが聞こえ始めた。
「くそ!攻撃の間隔が短い…!!」
スピネルが舌打ちをする。
「…フェナス殿!これ以上は損耗が増えるだけです、撤退しましょう!!」
「だめだ!!」
ビリュイの進言を、フェナスは即座に否定した。
「逃げ出した所でどうなる。こちらが軍を立て直すよりも早く、超大型はこの周辺の蹂躙を始める。あの巨体なら移動だって早い。すぐに王都にまで到達する。絶対に、ここで倒さねば…!」
「……っ!」
ビリュイが唇を噛む。
「…もう一度、同じ作戦をやりましょう。獅子頭の額の目を潰すんです。あの目は今でも、キマイラの体内で鬼火を操作している」
少し離れた所で尻餅をついていたセナルモント先生が、立ち上がりながら言った。
「恐らく蹄から取り込んだ土砂を、鬼火の炎で押し固めて撃ち出しているんでしょう。つまり、あの目が噴石を作り出している」
「潰せば、この噴石攻撃を止められる訳か」
私もすぐに賛成した。
「キマイラの周辺には、今もライオスの呼んだ雲が残っています。あの雲があれば、またすぐに雷を落とせるはず。再生した短い尻尾ではもう頭を庇う事はできない。今度こそ、確実に目を潰すんです」
それに答えたのは、魔術師たちを束ねるビリュイだ。彼女は使い魔や遠話を駆使し、一足早く前線の様子を把握している。
「…もう一度氷槍を撃つのは可能です。しかし、氷槍の準備をしている間はあの噴石から身を守れない。今までの攻撃によって魔術師の数も減っていて、防御や迎撃に割ける人員が少ないのです。確実に多くの者が死にます」
ビリュイは平静を装っているものの、その声には悲痛が滲んでいる。
大規模魔術のために集中に入った魔術師では、飛んできた噴石を避ける事などとてもできない。そして、あれが直撃すれば魔術師の脆弱な身体などひとたまりもない。確実に死ぬ。
兵たちだってそうだ。彼らはキマイラの周辺で密集して戦っている。魔術師の援護がなければ、逃げ場がなく死ぬ者がきっと多く出る。
思わず全員が黙り込んだ時、再び兵が声を上げた。
「噴石、また来ます!!」
「くっ…!」
またかと身構えるが、今度はこちらには飛んでこなかった。
しかしそこら中から噴石が落ちたり迎撃する激しい音がいくつも響き、びりびりと振動が伝わってくる。
「…やるしかない。もう一度、獅子頭を落とすための作戦を実行する」
噴石が一旦収まった所で、フェナスは厳しい目で戦場を見回しそう言った。
「魔術による防御は全て、魔術師部隊を守るのに回せ。兵にどれだけ犠牲が出ようとも構うな。必ず氷槍を撃て。目を潰し、噴石を止められれば勝機は見える」
「……」
冷徹に命じたフェナスに、ビリュイは一瞬だけ目を閉じ歯を食いしばったようだった。殿下とスピネルが顔を強張らせ、先生が沈痛な表情を浮かべる。
ビリュイが決然とした表情で顔を上げた。
「分かりました。すぐに準備にかかります」
…私もやらなければ。自分にできる事を、全て。ビリュイが踵を返す前に、大声で叫ぶ。
「待ってください!私も魔術師部隊のところに行きます!!」
「リナーリア!?」
皆が驚きに目を瞠るが、私は「聞いてください」と言って続けた。
「先程私が噴石を撃ち落とした魔術、あれは水球の魔術に土魔術を複合させアレンジしたものです。咄嗟だったので一つしか撃てませんでしたが、事前に準備しておけばもっと大量に、同時に撃つ事もできます。多くの噴石を迎撃できます」
水球は私の最も得意な魔術だ。その精度も速さも、決して誰にも負けない自信がある。
「できるだけ魔術師たちを一箇所に密集させてください。私が彼らを守ります」
私が魔術師部隊を守る。そうすれば、防御担当の魔術師には兵を守る余力が生まれる。犠牲者の数を確実に減らせるはずだ。
「…危険すぎる!」
すぐに反対したのは、やはりスピネルだ。
「魔術師部隊が布陣している場所はここよりずっとキマイラに近い。噴石が飛んでくる速さだって違うし、眷属の魔獣だって多くいるんだぞ!!」
「ここにいたって危険なのは同じです!それに獅子の目を潰した後も、兵たちはライオスが力を溜める時間を稼がなければならない。私が行く事で少しでも多くの魔術師や兵を守れれば、それだけキマイラを倒せる確率が上がります。…もし作戦が失敗したら、たくさんの人が死ぬんです!!」
「だからって…!」
「今この瞬間も、皆が戦っています!!」
何か言いかけたスピネルの言葉を、大声で遮る。
「兵たちだけではありません、ライオスもです。彼は本当は人間のために戦う必要なんてないのに、私たちの願いを聞いて戦い、守ってくれている」
遠くから見ているとよく分かる。ライオスは何度もキマイラの攻撃を止め、注意を引いて牽制し、兵たちを助けてくれている。それは決して、勝利のためだけではあるまい。
「私はライオスに言ったんです。この国を守るため戦いに行きたい、だからどうか力を貸してほしいと。しかし、私はまだ全力を尽くして戦っていません。これでは彼に顔向けできない。私を送り出してくれた両親や、友人たちにもです」
皆はきっと今も、私たちの無事を願ってくれているだろう。
だけどそれは私も同じだ。大切な人たちに無事でいてほしい。そのために、全力を尽くしたい。
今まで後ろで戦って温存してきた力を、今こそ発揮する時だ。
絶対に引けないという決意を込め周囲を見回す。
殿下。スピネル。先生。フェナスに、ビリュイ。皆の顔を見る。
「行かせてください。できる限り多くの命を守るために、私はここに来たんです」
最初に口を開いたのは殿下だった。
「…分かった。行こう、リナーリア」
「殿下!?」
皆がぎょっとして殿下を見た。もちろん私もだ。
「い、行こうって…?」
まさか、私と一緒に行くという意味だろうか。
恐る恐る尋ねると、殿下は当たり前のような顔で私を見返した。
「君自身は行こうとしているのに、俺には行くなとでも?ここにいても危険なのは同じだと、そう言ったのは君だ」
「そ、そうですが、しかし…」
殿下はこの国の王になる方なのだ。その命の重さは、私などとは比べ物にならない。前に出て良いはずがない。
「俺は次こそ必ず、君を守ると決めた。そのためには君の傍にいるのが一番良い。俺が隣にいれば、君は絶対に防御の手を抜けなくなるだろう?」
「……」
思わず絶句してしまう。
それは確かに、その通りではあるのだが。
殿下は翠の瞳に揺るぎない意志を宿し、私を真っ直ぐに見つめる。
その両手が、私の手を力強く握りしめた。
「約束しただろう。いつか必ず、君の望むような王になると。そのために俺は君を守り、俺自身も守り、この国を守る」
…あの時。昨年のブロシャン領での水霊祭、巨亀を倒したあとのパーティーでした約束だ。
どう答えれば良いのか分からずただ見つめ返した私に、殿下は少しだけ微笑んだ。
「…しょうがねえなぁ…」
肩をすくめ、呆れたように言ったのはスピネルだ。
私たちの顔をそれぞれ見て片眉を上げ、にやりと笑う。
「分かったよ。やろうぜ。もちろん俺も付いていく」
「ああ。頼りにしている」
殿下が大きくうなずいた。
「…お、お待ち下さい、殿下、それは」
フェナスが動揺した様子で言いかけた瞬間、また轟く音が聞こえた。
「噴石、来ます!!」
「……!!」
激しい破壊音。誰かが迎撃し、噴石を打ち砕いたのだ。
噴石の破片が降り注ぐ中、殿下が私の手を引いて走り出す。
「大丈夫だ、フェナス!!俺を信じろ!!」
「殿下…!!」