世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
…空気が完全に凍りついた。
「ど、どういう…?どういう事だリナーリア…?」
蒼白になったお父様がガタガタと震え出した。
卒倒しかけるお母様を、慌てて殿下が支える。
ほぼ全員が驚愕の表情で私とライオスを見ている。スピネルと先輩だけが「あちゃー」という顔だ。
「ら、ら、ら、ライオス、なんで今、それを言うんですか」
『そなたの家族には伝えておいた方が良いのではないのか?』
「それはどうもお気遣いありがとうございます!!!!」
だが今じゃない!!…と言いたいのを必死で抑える。
「え…?え…?」
クリードは何故か、大口を開けて私と殿下の方を交互に指さしている。
「…寝取られじゃん!!?」
「寝てませんが!??」
何を言ってるんだこいつは!!ただでさえ混乱してるってのに!!
「ま、待ってくださいリナーリア殿…!!それはあんまりです!!」
何故か血相を変えて割り込んできたのはスタナムだ。
「あんな…あれだけイチャイチャとしておいて…他の男と結婚するなど酷すぎます!!」
「は!?い、イチャイチャ!?」
「そ、そうだよ!あれだけ見せつけておいて!!」
「殿下がかわいそうだわ…!!」
「な、何の話ですか!?」
「殿下!!殿下はそれで良いんですか!?」
「良い訳がないだろう!!」
スタナムに詰め寄られた殿下が咄嗟に叫び返す。
「いや、しかしだな、これには複雑な事情があってだな…」
「どんな事情だって言うんですか!?」
まるで蜂の巣をつついたかのような大騒ぎになり、私は思わず意識が遠のきそうになった。
私たちは晴れ晴れしく凱旋をしたはずなのに、何でこんな地獄になってるんだ…?
先輩が「困ったねえ」と言いながらライオスを見る。
『どうした。人間たちは何をそんなに騒いでいる』
「うーん…つまりね、僕たち人間の多くは、愛する相手と結婚するのが一番の幸せと考えているんだよ。皆はリナーリア君に、誰よりも愛する相手の妻になって欲しいと思っているのさ」
『……』
先輩の言葉に、ライオスは少し考え込んだ。それから、私の方を見つめる。
『そなたは我を愛していないのか?』
…それ訊く?
「あー…いや…何と申し上げますか…」
どう答えたものかと言葉を濁すと、皆がこちらに注目している事に気が付いた。私たちの話が聞こえていたらしい。
「えー、ライオスには感謝していますし好感を抱いていますが、愛とは少し…だいぶ…違うというか…」
『?』
ライオスはよく分からないというように眉間に皺を寄せた。
彼に嘘をつきたくはないし、ここは正直に答えよう。
「…つまり、貴方の事は好きですが愛してはいません。正直な所、妻になりたいとは全く思っていません」
『……!?なんだと…!?』
願いの対価だとかそういうものを抜きにして、個人的な感情だけで言えば、妻など絶対にごめんである。
ライオスとはあくまで友人として親しくなりたいというのが本音だ。
「…うわぁ…きっつぅ…」
「もう少し言い方ぁ…」
クリードやスパーがボソボソと呟き、ライオスに同情的な視線を送る。おい、まるで私が悪いみたいじゃないか。遠回しに言っても理解できないんだからしょうがないだろ。
でも実際ライオスはショックを受けている。まさか愛されてると思ってたのか…?
いや、彼はきっと愛の意味がよく分かってないのだ。彼の境遇では無理もないのだろうが。
「…大丈夫よ、ライオスさん。ライオスさんは素敵な方だもの、きっと貴方を愛してくれる人が現れるわ」
お母様がライオスの手を取り、握りしめた。いつの間にか復活していたらしい。
『し、しかし、我はこの者と契約をした』
「契約って?」
それに答えたのは殿下だ。
「俺の命を救いたいという願いを叶える代わりに、彼の妻になるという契約だ。…俺はその時の事を覚えていないが、本来ならそこで、俺も彼女も死んでいたらしい」
「はい…。その通りです」
今更ごまかしようもないので正直にうなずく。
「でも、殿下のせいではありません。私が勝手にやった事なんです。殿下はそれを知った時、とても怒っておられました…」
今でも複雑な気持ちなのだろう、殿下は少し困った顔をした。
「じゃあ、ライオスさんが命の恩人だと言ったのはそういう…」
お母様とお父様が衝撃を受けた顔で黙り込む。
「そ、そんな…」
「本当に…?」
「殿下を助けるために…」
そんな複雑な事情だとは思わなかったのだろう、周りの皆も困惑している様子だ。
「…ライオスさんには、心から感謝しています。だけど、どうしてもこの子を妻にしなければいけないの…?」
『それは…』
目を潤ませたお母様に見つめられ、ライオスはひどく狼狽したようだった。助けを求めるように私を見る。
いや、オロオロされてもこっちが困るんだが。
そもそも何で私は大勢の前でこんな話を暴露されているんだ…。私だって泣きたい。
…だが、こうなっては仕方がない。本当はもう少し、ライオスが人間に慣れてから話をしたかったのだが。
「ライオス。貴方に提案があります。契約の内容を少しだけ変えていただけませんか?」
『変える?』
「はい」
きっぱりとうなずき、前々から考えていた事を口にする。
「…私を貴方の妻ではなく、姉にしていただきたいのです」
『…何…姉…?』
ライオスが驚愕に目を瞠った。
「そうです。私の弟として、私の家に来ませんか?そうすれば貴方は姉だけではなく、父も母も兄もいっぺんに手に入れられます。私の家族全員を、貴方の家族にするんです。賑やかできっと楽しいと思います」
ずっと思っていた。彼が欲しいのは妻というより家族なのだと。
そして、夫婦以外にも家族になる方法はある。養子だ。
私は成人していないので養子は取れないが、お父様とお母様に養子にしてもらえば弟にできる。まだ一切相談していないが、両親や兄たちならきっと受け入れてくれると信じている。
ライオスはきっと子供が欲しくて私をわざわざ女にしたのだろうけど、この方法でもたくさんの家族を作る事はできるのだ。
後ろのスピネルがぼそりと言う。
「いや、お前が姉なのかよ…」
「人間の社会…この国においては、私の方が先輩なんですから当然です!」
それに兄なら二人いる。兄弟が増えるなら弟の方がいい。
「…そうよ、そう!うちの息子にしましょう!それがいいわ!」
ぱっと顔を輝かせたお母様が、お父様を振り返る。
「ねえあなた、良いでしょう?」
「あ…ああ。勿論構わないとも」
お父様は慌ててうなずいた。やっぱり二人共賛成してくれるようだ。
周りのクラスメイトたちは、ほとんどがぽかーんとしている。話についていけていないのだろう。
だが、後ろにいる大人…貴族たちは、私の提案を別の意味で捉え始めているようだ。
「…ジャローシス家が竜人を家に迎える…?」
「そんな事が許されるのか。魔獣との戦いでは、凄まじい力を使っていたと聞いたぞ」
「だが、竜人は既にジャローシス家と親しそうだ…」
ひそひそと囁く声が聴こえる。
…まずい。警戒されている。
こんな事、他の貴族が良く思うはずがない。
竜人の強大な力は超大型魔獣との戦いで証明されている。それを一侯爵家が保有するなど危険すぎると、そう考える者がいるのは当然だ。
やはり貴族たちに十分根回しをしてから提案するべきだったか…。
すると、人垣の奥から間延びしたとぼけ声が聴こえてきた。
「あ~、すみません、通して!ちょっと通してくださ~い!」
だいぶヨレヨレになりながら、私たちの元に進み出てきたのは先生だ。先生も話を聞いていたらしい。
「え~。僕はセナルモント、王宮魔術師で、このリナーリア君の師匠でもあります。考古学を研究していて、竜人についても詳しいと自負しています。既に何度かこのライオス君とも会い、話をしています」
場がしん…と静まり返った。王宮魔術師の権威は、貴族にも通用するのだ。
「先程国王陛下は、ライオス君と友誼を結びたいと仰られました。そのためには、この国における竜人の立場をはっきりさせておく必要がありますが…実はこのライオス君は、ジャローシス領にある火竜山の生まれです」
貴族たちが少しどよめく。そうか、そういう意味ではライオスはうちの領民と言えなくもない。
「そしてジャローシス家の人々は、ライオス君の遠縁でもある。ライオス君がリナーリア君を妻にと求めたのも、それが理由のようです。婿にせよ養子にせよ、竜人が我々人間との交流を望むならば、ジャローシス家が彼の身元引受人となるのは自然であり、最善でもあると考えます」
一同を見回し、先生は大きく両手を広げて言った。
「僕は竜人とこの国の人間とが良い関係を築けるよう、全力を尽くします。この王宮魔術師セナルモント・ゲルスドルフが、全責任を持って監督、補佐し、支援する事を、皆様方に誓いましょう!!」
「せ、先生…!」
凄い。先生は理路整然と、うちがライオスを引き取る理由を説明してしまった。しかも自分が責任を持つとまで言ってくれたのだ。
本当に素晴らしい師匠だと感激してしまう。その本音は「研究がしたい」のような気もするが、もちろん私やライオス、両親の事だって考えてくれているだろう。
殿下も、自らの胸に手を当て周りの者たちを見回した。
「俺もセナルモントの意見を支持する。ジャローシス侯爵は高潔で仁徳に溢れた人物だ。ライオス殿を預けるにふさわしい。無論俺もこの国の第一王子として、それをできる限り支援し、近くで見守っていくつもりでいる。そう父上にも申し上げるつもりだ」
さらに、堂々と声を張り上げて宣言する。
「竜人は我々にとって友となり得る存在だ。彼の力を悪用する事を、俺は決して許さない。誰も彼を傷つけず、彼もまた誰一人傷つける事がない。そういう関係を目指すと、エスメラルド・ファイ・ヘリオドールの名において誓おう!!」
曇りのない目。その誠実さを疑う者など誰もいないだろう。実行できるだけの強さを持っている事も。
殿下が今まで努力して積み上げてきたものが、それを証明しているからだ。
…いつも殿下はこうして、私に力を貸してくれる。
昔の私はそれが悔しかった。
本当なら私が殿下を支えるべき立場なのに、私の力が足りないから、頼りないから、殿下は手を差し伸べようとするのだ。そう思っていた。
だけど、今は違う。
殿下は私を頼りにしてくれている。信じてくれている。
足りない所は補い合えば良い。困った時は助け合えば良い。信じ合える人がいれば、それができる。
支え合う事は信じ合う事でもあるのだ。
大切な人が背中を押して支えてくれるのは幸せな事なのだと、今の私は知っている。
どこからか、ぱちぱちぱち…と拍手の音が響いた。
スパーの斜め後ろにいる黒髪の生徒。アーゲンだ。笑顔を浮かべ、拍手をしてくれている。
それからカーネリア様、ペタラ様、クリード、スタナムなども拍手をし始める。
クラスメイト。友人。それだけではなく、貴族たちも拍手を始めた。辺り一帯に広がってゆく。
…よ、良かった…。
最終的には国王陛下の許可を頂かなければならないが、とりあえずは貴族たちも納得してくれたらしい。
ほっと安心し、大きく胸を撫で下ろす。このままでは私どころか両親まで吊るし上げられてしまう所だった。
感謝の気持ちを込めてアーゲンの方を見ると、軽くウィンクを返してきた。気取った奴だが、彼と友人になれて良かったなと改めて思う。
大きな拍手に包まれる中、先輩が一歩前に出る。
バッ!とかっこいいポーズをつけ、ライオスへ呼びかけた。
「さあ、後は君が了承するだけだ、ライオス君!!」
…そうだった。勝手に話を進めていたが、まだライオスの返事を聞いていないんだった。
「ライオスさん、お願いします。ライオスさんが息子に…家族になってくれたら、きっと素敵だと思うの。もちろん、お嫁さん探しだって手伝うわ!」
「私はリナーリアには、愛する人と一緒になってもらいたいんだ。大丈夫、我が家の一員になれば、リナーリアにもいつでも会える」
母が、父が、口々にライオスに言う。
『……』
ずっと呆然としていたライオスが、迷うように私を見る。
…彼の本質は善良なものであると、私はもはや疑っていない。
彼は素直で、嘘が嫌いで、本当はきっと寂しがり屋だ。
しかし私は彼を好ましい存在だとは思っても、男性として愛している訳ではない。これから先も、多分そうだ。
でも、家族として、姉弟としてなら愛せるのではないかと思う。
これは私の正直な気持ちだ。
願いを叶えてもらったのにとても申し訳ないけれど、心に嘘はつけない。
それに、これはきっとライオスのためでもある。我が家に迎え入れれば、彼は人間たちの中に居場所を作れる。
心から彼を愛し、子供を生みたいと願う女性だって、いつかは現れるはず。
その時こそ彼は、愛というものをちゃんと理解できるのではないかと思うのだ。
ライオスの赤い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「ライオス、私は貴方の妻にはなりたくありませんが、貴方が弟になってくれたらとても嬉しいです。私、ずっと弟が欲しかったので」
そう、末っ子の私は前世からずっと弟が欲しかった。妹も悪くないが、できれば弟が欲しかったのだ。
「それに、夫婦は離婚したりしますけど、姉弟なら死ぬまでずっと姉弟でいられます。いつまでも、ずっと」
私のこの言葉に、ライオスは大きく目を見開いた。
『…ずっと。本当に、ずっとか』
「はい。本当に、ずっとです」
『…我が、戦わなくてもか?』
「はい。…あ、いえ…」
答えてから、これはちょっと約束できかねるかもしれない、と私は思った。また彼の力を必要とする時が来るかもしれない。
「すみません、もしかしたらまた、お願いしてしまうかもしれません。私たちには手に負えない魔獣が出ることも考えられますから…。でも、できるだけ貴方が戦わなくても良いように努力します。これは絶対にお約束します。貴方が平和に暮らせるよう、力を尽くします」
『……』
ライオスは少しだけうつむいた。
その目にさまざまな感情がよぎるのを、ただじっと見守る。
やがて彼は、ぽつりと言った。
『…分かった。そなたとの契約を破棄する。その代わり、そなたの弟になるのが、新たな契約だ』