世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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挿話・28 竜人と苺の味・1

 初めて意識が覚醒したのは、薄赤く生ぬるい水の中だった。

 

「覚醒したぞ…!」

「やった!成功だ…!!」

「早くデータを取れ!」

 外が騒がしい。いくつもの影が忙しなく行き交っている。

 

 やがて、影の一つがこちらへ近付いてきた。

 透明な壁越しに覗き込んでくる黒い瞳。

「初めまして、ライオス。僕はネオトス、お前の父親だ」

 

 

 

 白衣から伸びた手が、紙に描かれた絵を指し示す。

「これは何か分かるか?」

『…リンゴ』

「じゃあこっちは?」

『キツネ』

 

「うん、正解だ。素晴らしい。ライオスはとても物覚えが良い」

『ありがとう、父さん』

 そう答えると、ネオトスは口の両端を持ち上げて笑った。

「知能も高い。肉体を急成長させたから心配だったが、ちゃんと身体に追いついてきている。お前は間違いなく成功例だ」

『成功』

 その言葉はこの前覚えた。物事が上手く行ったという意味だ。

 

『…なら、失敗もあったのか?』

 成功例と言うなら、失敗例もあったのではないか。

 尋ねるライオスに、ネオトスは再び笑った。

「そうだな。お前の兄弟たちの犠牲があるから、お前はこうして成功したんだ」

 

 

 

 手のひらの先に広げた構成に、軽く魔力を流し込む。

 大きな炎が生まれた。わずかに念じれば、それは的に向かって高速で飛んでいく。

 轟音を立てて消し飛んだ的に、ネオトスが歓声を上げた。

「凄い!本当に凄いぞ、ライオス…!!」

 笑顔で、同じ白衣を着た研究者たちと喜び合っている。

 

「魔力量だけじゃない、構成を編む速度も我々人間とは桁違いだ。これが神の生み出した守護者の力なのか…。ああ、本当に素晴らしい」

 ライオスはこの魔術の実験が好きだった。

 別に破壊が楽しいわけではない。この力を行使すれば、父はとても喜ぶからだ。

 よくやった。凄い。そう褒められると、胸の奥が温かくなるような不思議な感覚がした。

 

「よし、次はもっと大きな的だ!」

『わかった』

 ライオスは素直にうなずいた。

 父の言葉には必ず従う。そういうものだと教えられていたし、特に疑問も抱かなかった。

 

 

 

「ライオス、本当によくやった!あれ程大きな魔獣を一人で仕留めるとは。数値上は十分可能だったとは言え、良い経験になっただろう!これでもう、実戦に投入できる…」

『……』

 喜ぶネオトスを、ライオスは座り込んだまま黙って見上げる。

 

 魔獣と戦い始めたのは1ヶ月ほど前からだ。

 初めは小型の魔獣だった。上手く倒せば褒めてもらえた。

 それから魔獣の数は少しずつ増え、大きく、手強くなっていった。

 そして今日はついに、大型と呼ばれる魔獣相手に一人で戦った。

 

「どうした、ライオス?大型を倒せたのに嬉しくないのか?」

『…とても、痛い』

 今までも多少の傷や打撲を負うことはあった。だが今日の魔獣は今までで一番大きく、その鋭い爪を避けきれずに太ももを大きく切り裂かれてしまった。

 傷口からは今もまだ血が流れている。ずっと座っているのはそのせいだ。

「ああ、そうか、治療をしないと。でも大丈夫、お前の回復力ならこの程度の傷、すぐに塞がるさ」

 

 

 

 それからほどなく、ライオスは毎日のように魔獣と戦いに行く事になった。

 これが自分の仕事なのだと言う。そのために生まれてきたのだと。

 ネオトスはめったにライオスの部屋を訪れなくなった。以前のように、言葉や勉強を教えてくれたりもしない。

 戦いの前と、帰ってきた後、わずかに顔を合わせるだけだ。

 それもただ報告を受け取るだけで、「よくやった」と言われる事も少なくなった。

 

 代わりによく会うようになったのは、クトナという女だ。小太りで、くしゃくしゃした髪をしていて、ネオトスよりも少し歳を取っている。

 どうやらライオスの世話をする者らしい。食事を運んだり、部屋の掃除をしたり、傷の具合を確かめて包帯を取り替えたりする。

「ライオス様はたくさん戦って偉いですねえ」と褒めてくれるが、時々悲しそうな顔をしていたりもする。

 戦いがない日には話し相手になり、ライオスの知らない童話を聞かせてくれたりもした。

 

 

 ある日の昼、クトナが持ってきた食事はいつもと少し違っていた。見た事のない食べ物が載っている。

「この前もっと違うものが食べたいと言っていたので、デザートに苺のゼリーをつけてもらいましたよ」

 それは赤くて透明で、ふるふるとして柔らかそうに見える。

『ゼリー』

「はい。スプーンで掬って食べてみて下さいな」

 

 苺のゼリーはひんやりと甘くて滑らかで、とても美味しかった。

『…もっと食べたい』

 そう言ったライオスに、クトナは表情を曇らせた。

「すいません、それはできないんですよ。ライオス様の食事はきちんと管理されているからって…。でも、またつけてくれるように頼んでおきます」

 

 

 ライオスが食事を終えたのを確認した後、クトナはベッドのシーツを替え始めた。彼女の仕事の一つだ。

 その丸い背中を見ながら、ふと問いかける。

『クトナは、我の母なのか?』

「えっ!?」

 クトナは驚いた顔で振り返った。

 

『生き物は、父親と母親がいて生まれてくる。そして母親は、子供の世話をするものなんだろう』

 それはネオトスが与えてくれた本から得た知識だ。父親はネオトスだが、では母親は誰なのだろう。ネオトスに尋ねても「お前は特別な存在なんだ」と言うだけで教えてくれなかった。

 クトナはこうしてこまごまとした世話を焼いてくれるし、ネオトスよりずっと長い時間一緒にいてくれる。それは母だからではないのだろうか。

 

 ライオスの問いに、クトナは何か悲しいような、困ったような顔をした。

「…あたしは、ただの雇われの雑用係です。ライオス様の母親ではないんですよ」

『そうなのか』

「はい。あたしは家に旦那も、息子もおりますし」

『…そうか』

 

 少しだけ落胆したライオスに、クトナはしばらく迷ってから付け足した。

「…研究の事はよくわかりませんが。ライオス様は、人間と竜から生み出されたんだって、そう聞いてます」

 

 

 

 ライオスはそれから、竜について調べた。

 研究員と呼ばれる白衣の者たちはひどく饒舌だったり、あるいは全く何も喋らなかったりしたが、少しずつ分かってきた。

 クトナの言った通り、自分はネオトスが竜と呼ばれる生き物を使って生み出したものらしい。

 その竜とやらは、ライオスが今住んでいるこの場所のずっと地下に眠っているようだ。

 

 以前から遠く足元の方に、何か大きなものの気配は感じていた。

 どこか引かれるその気配こそが、きっと母に違いない。

 ライオスは、その竜『流星(ミーティオ)』に会いに行くことを決意した。

 

 …だが、しかし。ミーティオの答えは、ライオスの期待したものではなかった。

 ミーティオは母などではなかった。それどころか、ライオスは人間に騙されているのだと言った。

 いつかきっと人間に、大切なものを奪われるだろうと。

 それはライオスには受け入れがたい言葉だった。

 父ネオトスのため、人間のため、魔獣と戦う。それがライオスにとって全てだった。それ以外何も知らない。

 

 

 

 魔獣との戦いは日に日に激しくなっていき、それは決して楽しいものではなかった。

 最初こそ褒められた。「お前はよくやっている」「父や人間のために尽くしてくれている」と。

 ライオスは人間にとって必要な存在なのだとネオトスは言い、それを誇らしく思ってもいた。

 

 しかしだんだんとそれは当たり前になり、褒め言葉はかけられなくなっていった。

 他の人間たちは、恐れるような目で遠巻きにこちらを見てくるばかりだ。

 クトナ以外、誰も褒めてくれない。

 

 ライオスは人間を守っているというのに、人間はライオスを守ろうとしない。

 どれだけ傷付き血を流しても、それが癒えきらないうちにまた次の戦いへと駆り出される。

 魔獣を吹き飛ばしとどめを刺したその瞬間、ほんの少し胸がすっとするが、それはすぐに虚しさに変わってしまう。

 

『お前は人間に騙されている』

 ミーティオの言葉が蘇る。

 本当は、あの竜が言った通りなのではないのか。少しずつ、そんな考えが心を蝕んでいく。

『そんな事を繰り返していれば、お前は遠からず死ぬだろう』

 

 …死ぬ。

 死ぬという言葉の意味は知っているが、よく分からない。

 魔獣との戦いには人間も加わる。武器を持ち、必死な顔をした者たちだ。それらが戦いの中、血を流し倒れて動かなくなる姿は何度も見た。それが死だ。

 だが、言葉も交わしたことがない、ただそこにいるだけの存在が死んだ所で、何も感じない。

 

 

 

 迷いを抱きながらも戦い続けていたある日、クトナが言った。

「…ライオス様。実はあたし、今日でお別れなんです」

『何…?なぜだ?』

 驚くライオスに、クトナは少し寂しげに笑った。

「あたしも、もう歳なので。ここのお仕事は辞めることにしたんですよ」

 その口元には、出会った頃よりもずっと深い皺が刻まれている。それは老いと呼ばれるものだと、知識では知っていた。

 

「それに、近頃は魔獣がずいぶん増えました…。ライオス様が頑張って退治してますけど、やっぱり、子供や孫たちが心配なんです。田舎に引っ込んで、家族と静かに暮らすつもりです」

『……』

「…これ、ライオス様の好きな苺のゼリーです。最後なんで、頼んでつけてもらいました」

 

 赤く透明なそれをそっとスプーンで掬い、口に入れる。

『美味い』

「それは良かったです」

 クトナは笑った。

「今までお世話になりました。…ライオス様もどうか、お元気で」

 

 

 

 

「…西南の山の近くに、超大型の魔獣が現れた。油断していたな。それほど人口の多い地域ではないから、あんな化け物が急に生まれるなんて想定外だった」

 ネオトスが報告書を睨みながら言う。

 壁に映された大きな地図の一箇所を指差し、ライオスを振り返った。

「現在の魔獣の位置はここだ。周辺の町や村を蹂躙しながら、西へと進んでいる。今すぐここに向かい、足止めをしてくれ。応援の兵は後から向かわせる」

『分かった』

 

 ライオスは研究所から飛び立った。ネオトスが示した位置はかなり遠い上に、今も移動しているという。

 ひたすらに飛び続けるうち、それらしき魔獣の気配を感じた。

 今まで戦った中でも一二を争うほどに強大な気配だ。相当に手強いに違いない。

 

 

 更に飛んでかなり近付いた所で、ライオスは一旦休憩を取ることにした。

 休みなく長時間飛び続けたせいで、ずいぶん疲れている。相手は強敵なのだ、万全を期した方がいい。

 足元には、魔獣に襲われたと思しき村が見えた。建物の半数以上が崩れたり燃えてしまっているが、身を隠すくらいはできるだろう。

 

 煙の燻る地面へと降り立った時、焦げ臭い匂いの中に、ふと知っている匂いを感じた気がした。

 ライオスはその匂いの方向へと足を向けた。

 ひどく嫌な予感がする。

 

 

 崩れた瓦礫の下に見える、くしゃくしゃした髪と小太りの身体。

『…クトナ!!』

 駆け寄ったクトナはあちこち擦り傷だらけで、身体の下に赤黒い血の染みができている。

 瓦礫をどかして手をかざし、必死で治癒をかけた。自らの傷を治すために覚えたもので、他人に使うのは初めてだ。

 

 うっすらとクトナが目を開ける。

「…ライ、オス、様…来て、くれたん、で…」

『いい、喋るな、今癒やすから』

「あたしは、いいんです…それより、ま、孫を」

 よく見ると、クトナは何かを庇うかのように腕に抱え込んでいる。

『しかし』

「おねがい、しま、す…。あたしの、大事な、かぞ…く…」

 

 そのまま、クトナは動かなくなった。

 その瞳はもう、何も映していない。

 ライオスは呆然としたまま、クトナが腕の中に抱いたものへと手を伸ばした。

 …彼女とよく似たくしゃくしゃした髪のその子供は、息をしていなかった。




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