世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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挿話・28 竜人と苺の味・2

「ライオス。国王陛下が、超大型の魔獣を倒したお前に勲章を授与したいそうだ」

 あれから何日経っただろうか。ライオスはずっと、部屋に籠もり続けている。

 

「どうした、まだ傷が痛むのか?もうほとんど塞がったはずなんだが」

 ネオトスの言う通り、傷口はもう塞がっている。かなり大きな負傷だったために傷跡は残っているが、動きに支障はない。しかし。

『…胸が痛い。むかむかとして、吐きそうだ』

「あの魔獣を倒すのにずいぶん消耗したから、その反動だろうか…。数値上は何ともないんだが、やはりまだ未知の要素が…」

 ネオトスがぶつぶつと呟く言葉を、ライオスは意識から追い出した。何故だろう、今は聞きたくない。

 

 

 クトナの、その孫の、虚空を見つめるあの瞳が忘れられない。

 ぐったりと力を失った身体。流れる赤黒い血。冷たくなっていく手足。

 もう二度と動くことも、言葉を交わすこともない。

 

 やっと本当にわかった。…これが、死というものなのだ。

 胸が苦しく、激しくかきむしりたくなるような衝動が何度も繰り返し襲ってくる。何故、どうしてこうなったと、意味のない問いが頭の中をぐるぐると回る。

 ライオスは強いと、誰よりも強いとネオトスは言った。研究者たちもだ。

 だが、クトナを守れなかったではないか。その大事な家族も。

 

 そして、自分もいつか。いつか、ああやって死ぬ。

 傷付き、血を流し、瞳から光を失い、冷たくなって地に横たわる。誰もその手を取ったりはしない。

 やはりミーティオが言った事は正しかったのだ。

 自分はそのうち、魔獣と戦って死ぬ。

 

 …たまらなく、恐ろしかった。

 

 

 

 

 数日後、ライオスは白亜の巨城の中へとやって来ていた。

「…そなたが竜人か。なるほど…人間離れした威容をしておる」

 王を名乗ったその男は、ライオスをじろじろと見て言った。

 ごてごてと飾り付けられた玉座の上、でっぷりと太った王は、尊大な態度で白髪交じりの髭を撫でている。

 

 ここに連れてきたのはネオトスだ。ライオスはどこにも行きたくなかったのだが、それでは駄目だと言われてしまった。

「王の威厳を示すために」だとか「竜人を表に出す事で民の不安を和らげる」だとか色々言っていたが、要するに「王の言うことには逆らうな」という事らしい。

 だが、この大広間に足を踏み入れた瞬間から、ライオスはそれを後悔していた。

 何かとても不快な匂いを、この王とやらは発している。

 

 

「そなたはよくやった。あの大きな魔獣を倒すとは。十分な報奨を与えるゆえ、これからも余のために尽くすがよい」

『…報奨とは、なんだ?』

 ライオスが問い返すと、王は少し面白がるかのような表情になった。

「ふむ、何か欲しい物でもあるのか?何が欲しい?財宝か、女か?申してみよ」

『それは…』

 咄嗟に頭に思い浮かんだのは、苺のゼリーだった。

 クトナが持ってきてくれたもの。甘くて、赤くて、透き通っている。

 

 …だが、あれはもう存在しない。

 昨日、研究員が運んできた食事には同じ苺のゼリーがついていたが、ちっとも美味いとは思わなかった。

 ひどく味気なくて、何も感じない。いくら口に入れても、以前のような嬉しさや喜びは湧いてこない。

 クトナが運んできたあれと同じ味を感じる事は、きっと二度とないのだ。

 

 

 胸の奥が重く、冷たくなる。

 周りの全てが色褪せて見える。

 どうして自分はこんな所にいるのだろう。

 やりたくもない戦いを褒められるために?

 また次の戦いに行くために?

 それでいつか、死んでしまうと言うのに。

 

 

 …その時、ふと王が首から下げている宝玉が目に入った。

 赤く、透き通った宝玉。あの苺のゼリーによく似ている。

 

『それをくれ。その赤い宝玉を』

 指さして言うと、王ははっきりと顔色を変えた。

「貴様、何のつもり…」

 言いかけて、ごほんと咳払いをする。

「…これはこの国の宝だ。何物にも代えがたい、大切な宝玉だ。やるわけにはいかん」

 そして王は、にたりと笑いを浮かべた。不快な匂いがする。

「だが、これよりもっと大切な、この国に一つしかない貴重な魔剣をそなたにやろう。感謝するが良い」

 

「…ライオス。ありがとうございますと言うんだ」

 横からネオトスが囁く。

「国王陛下は、何より貴重な宝をくれると言っているんだ。ありがたいことじゃないか」

 そう言ったネオトスからは、王と同じ不快な匂いがした。

 

 ふいに気付く。

 …これは、嘘の匂いだ。

 王だけではない、本当はネオトスからもずっと感じていた。気が付かないふりをしていただけだ。

 一番最初、「僕は君の父親だ」と言った、あの時だって。

 

 

 急に、何もかもがどうでも良くなった。

 

『嘘つきめ。…嘘つきたちめ』

 自分は何故、何のために、人間たちを守ってきたのだろう。

 クトナからは嘘の匂いはしなかった。だが、彼女は死んだ。

 嘘の匂いをぷんぷんとさせた王は、ネオトスは、今もこうして生きている。

 間違っている。こんな事は間違っている。

 

『…我はもう、お前たちを守らない!!』

 

 

 ライオスは王の首の宝玉に手を伸ばし、奪い取った。飾り玉がぶちぶちと弾け飛ぶ。

「き、貴様!返せ…!!」

 縋り付いてくる王を、ライオスは振り払った。贅肉のたっぷり付いた身体がよろめき、黄金の玉座に大きく頭を打ち付ける。

「へ、陛下…!!」

 周囲の者たちが色めき立つ。ひときわ派手な服を着た男がライオスを指さした。

「護衛兵!!竜人を取り押さえろ…!!」

 

 たくさんの人間たちが襲いかかってくる。

 ライオスは咄嗟に彼らを風で吹き飛ばそうとしたが、突然びりびりと身体が痺れた。動けない。

 その場に倒れ込みながら、身に着けている腕輪や耳環のせいだと気付く。どんな時も絶対に外すなとネオトスから言われてたものだ。

 

「待ってくれ!!ライオスは唯一の成功例なんだ、次は完成していない…!」

「だめだ!!その者は陛下を…!!」

 炎や雷が降り注ぎ、肌を裂き、肉を焼く。

 苦痛に叫び声を上げた瞬間、握りしめた宝玉が赤く輝き、急に身体が自由になった。

 

 

 

 

 数時間後。

 闇夜の中を、ライオスは飛んでいた。

 その姿はぼろぼろだった。ネオトスからもらった上着も、靴も、鬱陶しくなって脱ぎ捨てた。腕輪も、壊して捨てた。

 耳環は外せなかったので、耳たぶから無理矢理引きちぎった。血が流れたがどうでもいい。

 

 …人間を殺した。きっと何人も。

 最初の王はただの事故だったが、その後襲いかかってきた兵や魔術師たちは、分かっていて殺した。自分に向かって攻撃してくる敵は殺せと、ネオトスからそう教わっていた。

 だが、人間は守るべきものではなかったのか。怒りに任せて殺してしまったのは間違いではないのか。

 一体どうすれば良かったのか。激しい罪悪感が心を苛む。

 

 

 身体がだるく、とても重い。全身に突き刺すような痛みを絶え間なく感じる。

 手足に力が入らず、空を飛ぶだけで精一杯だ。

 負傷のせいだけではない。人を殺したせいでこうなったのだと、何となく分かった。

 何者かが、人を殺した自分を罰しているのだと。

 

 ついには翼にも力が入らなくなり、どこかの山の中腹に降りた。小さな洞穴を見つけ、その中に入り込む。

 ただぐっすり眠りたいと思った。

 クトナが整えたベッド。清潔な匂いのするシーツの中でゆっくりと眠りたい。

 しかしそこは暗く湿っていて、そして硬かった。ライオスは小さく丸くなった。

 

 …ああ、もうここでもいい。ただ、眠らせてくれ。

 懐の中に抱え込んだ赤い宝玉が、静かに光った。

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