世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
ライオスが次に目を覚ました時、洞穴の外の景色は記憶とはかなり変わっていた。
季節が違うだけではない。生えている草木も違うような気がする。
かなりの時間が経ったのだと、ぼんやりと感じた。
同時に、自分がずいぶん空腹な事に気付く。
あたりを見回すと、鳥が木の上で何かの果実をつついているのが見えた。食べ物らしい。
研究所で出される物以外は食べた事がなかったのでしばらく迷ったが、空腹に耐えられず手を伸ばした。
果実はとても渋くて酸っぱかったが、とりあえず空腹を満たす事はできた。それだけでかなり気分が落ち着いた。
まずは周囲の状況を確認するべきだと考え、翼をはばたかせて空高く飛び上がる。
そうして確認した景色も、やはり記憶のものとはずいぶん変わっていた。
川の流れや、地形すら変わっている。遠くを見れば、新しく現れた町もあれば消えた町もある。
周辺からはいくつかの魔獣の気配を感じる。どれも弱く、数は少ない。
以前とは比べ物にならないくらい、やけにはっきりと気配を感じ取る事ができる。
手のひらに握った赤い宝玉を見つめる。王から奪い取った宝玉。
きっとこれの力だ。恐ろしく強大な、不思議な力がこれには込められている。
とりあえず元の場所に降りようとすると、遠くにまた別の気配を感じた。人間の気配だ。
目を凝らすと、山の麓にいくつかの人影が見えた。山菜を採っているらしい。
そのうちの一人は小太りで、なんだかクトナに似ている気がする。
あれからどれくらい時間が経ったのか、ネオトスたちはどうなったのか知りたい。
少しためらいつつも、ライオスは彼らの元へ向かった。
…その反応は、ライオスが想像もしないものだった。
「ひいっ!ば、化け物…!!」
「お父さん!!」
「早く!!早く逃げろ!!」
「きゃああああっ…!!」
顔面を引きつらせ、慌てふためいて逃げ出す人間たち。
恐れられ、遠巻きにされるのはよくある事だったが、化け物とまで言われ逃げられたのは初めてだった。
それは敵意を向けられるのとは違う衝撃をライオスに与えた。
その後、島のあちこちを飛び回った。
昔に比べて、人間も魔獣も数が少ない。その分、平和そうに見える。
人間の文明はずいぶん様変わりしていて、服装も、住んでいる建物も、ライオスが知っているものとはまるで違っていた。
どうも言葉すら違うらしいが、聞き耳を立ててみると意味は理解できた。これも宝玉の力らしい。
男、女、老人、子供。
さまざまな人間を選んで姿を見せ、声をかけようとしてみたが、彼らの反応は同じだった。
悲鳴。恐怖。恐慌を来して逃げ出す者がほとんどだったが、中には命乞いをする者までいた。
それでわかったのは、彼らがライオスを…竜人を知らないという事だ。
ライオスが眠っている間に気が遠くなるほどの長い時間が経ち、人間は竜人の存在を忘れてしまったらしい。
そして自分の姿は、この時代の人間にとって見ただけで恐怖を感じさせるもののようだった。
だからライオスは、人に関わろうとするのをやめた。
そもそも関わってどうしようと言うのか。
自分は人間を殺してしまった。人間が竜人の事を思い出せば、その罪もきっと思い出されるだろう。
あるいはまた、魔獣との戦いに駆り出されるか。
もう戦いたくはない。魔獣とも、人間ともだ。
ライオスは一つの豊かな山を選び、その中で暮らし始めた。
崖が急なので人間はあまりここに近付かない。万が一近くに来た時も、宝玉の力を使って姿を隠す方法を覚えた。
どうやらこの宝玉は、思った以上に色々できるようだ。
触れているとさまざまな事が分かる。これはあのミーティオという竜が作ったものだ。
ミーティオはこの島の守護者で、神の言いつけを破り、人間を島から出そうとしていたらしい。
いくら遠くへ飛ぼうとしてみても、何故かこの島から出られない理由もわかった。人を殺した後、ずいぶん眠るはめになった理由も。
自分の身体の半分が竜でできているからだ。竜への戒めが、ライオスの身体をも縛っている。
忌々しかったが、すぐに諦めた。
きっと、どこに行っても同じだ。ならばここでいい。
山の暮らしは静かだ。
人間や魔獣はライオスを恐れるが、動物や鳥たちは恐れずに近付いてくる。この島の守護者の血を本能で感じているのだろうか。
追いかけ回したり、腕に抱いてみたり、動物たちと戯れるのは楽しい。彼らには邪気がない。
『そら、お前も食べるといい』
木の高いところから取ったリンゴを、地面の上に転がす。
それに近付いて来たのは、一匹のイタチだ。よく見かけるのでいつも餌をやっている。
出会ったばかりの時は小さかったが、ずいぶん大きくなった。普通のイタチよりも逞しいくらいだ。ライオスが餌をやっているせいかもしれない。
だが、いつもならすぐに齧りつくはずのイタチは、リンゴの前で首を巡らせた。
『?』
どうしたのかと見守っていると、草むらからもう一匹、イタチが出てきた。メスのようだ。
二匹のイタチは、仲良く一つのリンゴをかじり始めた。
『…そうか。お前にも家族ができたのか』
他のオスよりも少し大きく逞しいイタチは、どうやらメスにとって魅力的らしい。強いものが愛されるのがこの世界の法則のようだと、ライオスは一つ学ぶ。
春にはきっと、彼らの子供が見られるだろう。
去っていく二匹のイタチの姿を見ながら、ほんの少し羨ましいと感じる。
ライオスには仲間が誰もいない。一人だ。
ネオトスは恐らく父親などではなかったし、そもそも竜人と呼ばれていたのはライオス一人だけだ。他は皆人間で、ライオスのように翼や角がある者は誰もいなかった。
いくら強くても、仲間がいないのでは家族は作れない。
山の暮らしは気に入っている。
凶暴な魔獣と戦う必要などなく、ただのんびりと陽の光を浴び、好きなだけ魚や果実を採ったりして過ごせる。
ひたすら自由で、そして時折ひどく寒かった。
身体ではなく、胸の奥がとても寒いと感じる時がある。
そういう時はただ丸くなって眠った。それ以外にやり過ごす方法を知らなかった。
そうして何度も何度も季節を繰り返したある日、ライオスはふと、不思議な感覚を覚えた。
いつもとは違う気配を感じる。人間のようでもあり、自分に似ているようでもある。よく分からない。
姿を隠し、その気配に向かって飛んだ。
崖上の道を走る何台かの馬車。その中にいる。
気になって、ライオスは馬車を追い続けた。
できれば馬車の中を確認したいが、他に多くの人間の気配もする。迂闊に近寄れば騒ぎになるだろう。
仕方なくただ見守っていると、鳥型の魔獣がその馬車を追跡しはじめた。
魔術などで追い払おうとしているが、上手く当てられないようだ。
このままでは振り切れないと思ったのだろう、馬車は途中で停まり、中から剣や杖を持った人間たちが出てきた。
その中に、あの不思議な気配の持ち主もいる。
少しだけ期待して目を凝らしたが、見た目は普通の人間のようだった。銀の髪をしている。
すると、その銀の髪の人間が崖から滑り落ちた。
あれには翼がない。そのまま地面に落ちれば、きっと死ぬ。
気が付けば、その人間を助けていた。地面につく前に受け止め、森の木々の陰、他の人間から見えない場所に運ぶ。
ゆっくりと目を開けたその人間は、ライオスの顔を見た瞬間に大口を開け、しかしすんでのところで悲鳴を飲み込んだ。
ひょろりと細い、まだ若い男だ。子供と言ってもいい。とにかく驚いた様子でライオスを見たり、自分の身体を確かめたりしている。
やがてその者は、「ありがとうございました」と言って頭を下げた。ライオスに助けられた事を理解しているらしい。
この時代の人間で、ライオスを見て悲鳴を上げたり逃げようとしない者は初めてだった。わずかに怯えているようだが、その大きな青い目を逸らそうとはしない。
…それにやはり、自分に近い気配がする。
だが、ライオスの仲間ではないのかという問いに、その者はこう答えた。
「いえ、私は人間です。リナライト・ジャローシスと申します」
『…人間』
それほど期待していたつもりはないが、つい落胆してしまう。この者も、同族ではなかった。
ライオスの落胆が伝わったのか、リナライトと名乗った人間は少し慌てたようだった。あたふたと懐を探ると、何かを取り出し、礼だと言ってライオスへと差し出してくる。
淡紅色の紙に包まれた小さなそれは、飴玉というらしい。赤くて丸くて、なんだか甘く懐かしい匂いがする。
「口の中でころころ転がすんですよ」
言われた通り、リナライトの真似をして口の中で転がしてみる。
…あの味だ、とライオスは思った。
遠い昔、クトナが持ってきてくれた苺のゼリー。赤くて透明で、甘くて、美味い。
もう二度と感じられないだろうと思っていたあれの味に、この飴玉の味はよく似ている。
不思議で仕方がなかった。
この者は人間だというのに、自分に近い気配がする。
弱くて臆病そうに見えるのに、何故か自分を怖がらない。嘘の匂いもしない。
ライオスは何も求めていないのに、勝手に礼だと言って飴玉を差し出してきた。懐かしい味がする食べ物を。
リナライトはこうも言った。
「人の間には、貴方の…竜人のお話が伝わっていますが、私はあれは人の方が悪いと思うんです」
驚いた。この者はライオスの罪を知っているのに、責めないのだ。人間の方が悪いと言う。
「願いを叶えて欲しいと思うなら、誠意を尽くし、できる限りの対価を用意するのは当たり前だと私は思います」
ライオスはずっと人間のために戦っていた。何の対価も受け取らず、ただ言われるがままに。
それこそが間違いだったのだと、ライオスは今になってようやく理解した。
…では、もっと大きな、とても大きな願いを叶えれば、もっと大きな対価を得られるのだろうか。
たくさんの褒め言葉を。
甘くて美味しい飴玉を。
傍にいてくれる家族を。
首から下げた宝玉に小さく触れる。
この赤い宝玉があれば、きっとそれができる。どんな願いだって叶えられるはずだ。
彼は叶えたい願いなどないと言うが、生き物は年を取って変わっていくものだ。いつかきっと願いを抱くに違いない。
そして、対価として彼を仲間にする。彼ならきっと、ライオスの家族になれる。
彼と別れ、棲家に戻ったライオスは、もらった飴玉の包み紙を取り出した。
薄赤い紙にはあの甘く懐かしい、苺の匂いが染み付いている。
それを大事にしまい込み、ライオスはただ待つ事にした。