世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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挿話・28 竜人と苺の味・4

 およそ3年の後、その機会はやって来た。

 リナライトの気配は遠くからでもよく分かるので、時折飛んで様子を見に行っていたのだが、ある夜その気配が大きく乱れた。

 何かが起こったに違いない。急いでそこに飛ぶ。

 

 焼け野原になった森の中、彼は倒れていた。彼がやったのだろうか、辺りには焼け焦げた人間らしきものがいくつか転がっていたが、息をしているのは彼だけだ。

 しかし、その彼ももう死にかけている。輝いていた銀の髪は薄汚れ、あちこちから血を流し、手足の先は黒く焦げている。 

 このままでは、あとわずかで命を落とす。

 

『叶えて欲しい願いはあるか』

 焦る気持ちを抑え、そう問いかけた。

 どう見ても助からない傷だが、この宝玉ならばきっと助けられる。普段はごく一部の力しか操れないが、人の願いを叶える時、この宝玉は最も大きな力を発揮するのだ。

 彼がただ一言「助けてくれ」と言えば、それで願いは叶えられ彼の命は助かる。そうしたら対価として、自分の仲間になるよう求めればいい。

 

 

 しかし彼はライオスの問いに、予想外の答えを返してきた。

「…やり直し、たい、です…」

 息も絶え絶えに、青い瞳から涙を零し、呟く。

「私は、間違…を…しました…。殿下…とても、顔向け、できない…。もう一度…、…り直し…あの方…、救、たい…」

 

 既に意識が混濁しているのだろう。かすれたその言葉は虚ろで、何を言っているのかところどころ聞き取れない。

 ただ強く悔やみ、やり直したいと願っている事だけははっきりと分かった。誰かを助けたいと思っている事も。

 今にも己の命の灯が消えようとしている時に、彼が願うのはその誰かの命なのだ。

 あの日、自分よりも孫を助けてくれと願ったクトナの姿が重なる。

 

 

 …やり直す。過去に戻る。とても難しいが、きっとできる。

 やらなければ彼は死ぬのだ。クトナのように。

 青い瞳からは光が失われ、身体は冷たくなって、そのまま二度と動かなくなる。

 そんなのは嫌だ。ライオスは宝玉を強く握りしめた。

 

 戻れるのは、彼の命の始まりまでだ。

 だったらついでに女にしてしまおうと思いつく。宿る肉体をほんの少しいじって変えればいい。母親の腹の中にいるうちなら簡単だ。

 女ならばつがいになり、子供を作る事だってできる。家族を作れるのだ。

 それはとても良い考えのような気がした。

 

 

 

 

 魂となって時を遡ったライオスは、無事に彼の魂を母親の胎内に宿すことに成功した。

 しっかりと魂が定着したのを確認してから、自分の肉体に戻る。20年前の自分に近付くと、勝手に魂が融合した。

 どうやら同じ世界に同じ魂は2つ存在できないというのが神の理屈のようだ。

 意識を集中させれば、確かに契約が繋がっているのが分かる。後は、契約が満たされるのを待つだけだ。

 一人で生きてきた長い時間を思えば、何ということはない。

 

 

 17年の後、ライオスはリナライトと再会した。

 今ではリナーリアという名になったその者は、相変わらず大きな青い目を零れ落ちそうなほどに見開き、それでやっと契約を思い出したらしい。

 

 かつての約束を守るよう念を押したまでは良かったが、リナーリアは驚いた事にそれから何度もライオスを呼び出すようになった。

 その度に他の人間に会わせ、お茶とやらを飲ませたり、お菓子を食べさせたりする。お茶会と言うらしい。

 彼女が連れてくる人間は何故か、自分を怖がらない者ばかりだ。それどころか和やかに話をしたりする。訳が分からない。

 

 特に気になったのは、リナーリアの母だという人間だった。この者もライオスに近い気配がする。

 それに何故か、クトナを思い出す。外見は何一つ似ていないのに。

 ライオスの正体を知った時はずいぶん驚いていたが、しかしやはり怖がらない。

 おかしな事ばかりで混乱する。

 

 だが、リナーリアたちと会っている間は、胸の奥の寒さを感じない。

 いつの間にかお茶会とやらを少しだけ楽しみにしている自分に気付き、ライオスは戸惑った。

 

 

 

 巨大な魔獣が生まれる予兆を感じたのは、そんなおかしなお茶会に慣れてきた頃だ。

 瘴気が膨れ上がっていくのが手に取るように感じられる。

 そこから出てくるのは、クトナが死んだあの時の魔獣にも匹敵する大きさだろう。

 

 ライオスはリナーリアに逃げるように勧めた。脆弱な人間の力ではあれは食い止められないだろう。

 ところが彼女は、ライオスに共に魔獣と戦ってくれと頼んだ。

 戦いたくはない。だが、放っておけば多くの死人が出るのも確かだった。リナーリアやその家族、友人が死ぬ所は見たくない。

 しかもリナーリアは、自らも戦場に出ると言う。守りたいものがあるから、それで得られるものがあるからと。

 それが一体何なのか、ライオスは知りたくなった。共に戦いに出ることを承諾した。

 

 

 魔獣と戦う人間たちは必死だった。

 脆い肉体を、拙い魔術を使い、死に物狂いで戦っていた。

 気が付けばライオスは、人間たちを庇うように戦っていた。彼らに死んでほしくないと思っていた。

 自分はもう、人の死を見たくないのだ。

 

 戦いの後に得られたものは、嘘偽りのない笑顔だ。

 ただ生を喜び、お互いの無事を喜び、勝利を喜んでいる。

 彼らは口々にライオスに感謝した。「よくやった」ではなく、「ありがとう」という言葉で。

 こんなに素直に、こんなにたくさん感謝されたのは初めてだった。

 

 彼らを助けられて良かった。そう思っている自分がいる事に驚く。

 力を持っていて良かったと、そんな風に考える日が来るなど思わなかった。

 リナーリアが欲したものの価値が、自分にも理解できた気がした。

 

 

 

 

 …そして、そのリナーリアは今、ライオスに契約の変更を持ちかけてきている。

 かつての願いの対価を変えろと。

 ライオスの妻ではなく、姉にしろと言うのだ。

 

 愛していないと言われたのにはショックを受けた。全くの予想外だった。

 自分はどの人間よりも強いというのに、何故愛されないのか。

 だが彼女を姉にすれば、父や母、兄も同時に手に入れる事ができるのだそうだ。

 妻にはなりたくないが、ライオスと家族になるのは嬉しいと、彼女は言う。

 本当に意味不明で理解不能だが、思い出せばこの者は、初めて出会ったあの時からずっと、ライオスの予想しない事ばかり言ってきた。

 

 

『…我が、戦わなくてもか?』

 しかし彼女は、ライオスの力が欲しいだけではないのか。もし戦わないと言ったら、ライオスには価値がないと思うのではないか。

「すみません、もしかしたらまた、お願いしてしまうかもしれません。私たちには手に負えない魔獣が出ることも考えられますから…」

 リナーリアはとても申し訳なさそうな顔で答えた。

 ライオスは少し落胆したが、正直だとも思った。都合のいい言葉だけを並べ立てる事はしたくないのだろう。

 

 それからリナーリアは、真剣な顔でこう言った。

「でも、できるだけ貴方が戦わなくても良いように努力します。これは絶対にお約束します。貴方が平和に暮らせるよう、力を尽くします」

 これも、嘘の匂いはしない。

 彼女はいつもただ真っ直ぐに、大真面目に、必死で生きている。

 

 

 

 …それでもいいかと、ライオスは思った。約束は、それだけで十分だ。

 彼女には既にたくさんもらっている。かつては知らなかった事、理解できなかった事をたくさん教えてもらっている。

 笑顔の価値だけではない。色んなお菓子の味を。人間と会話する楽しさを。

 他人を守りたいという思いを。

 

 クトナが持ってきた苺のゼリーだけが特別だった理由も、今なら分かる気がする。

 自分はクトナを母親のように思っていた。家族ではなかったが、それに近いものだと感じていた。

 クトナが死んだ時、とにかく恐ろしくて、胸がとても痛かった。あれはただ怖かったのではない。悲しかったのだ。

 クトナと、クトナが守りたがっていた家族を守れなかった。それが悲しく、悔しかったのだ。

 

 戦いは好きではない。しかしいつか戦わなくて済む日が来るなら、その時までは戦っても良い。

 大切な人を守れないより、ずっといい。

 自分がこうして人間とは違う力を持って生まれてきた理由が、やっと分かった気がした。

 

 

 リナーリアの大きな青い目を見つめる。

 実はこの目が結構気に入っているのだ。いつも、決して逸らさずに見つめ返してくるから。

『…分かった。そなたとの契約を破棄する。その代わり、そなたの弟になるのが、新たな契約だ』

 そう答えた瞬間、ふと懐かしい、あの甘い苺の匂いがした気がした。

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