世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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挿話・29 彼女の罪と罰・1

「フロライアさま、ありがとうございます!!」

 配られたお菓子を抱え、子供たちが満面の笑顔を浮かべる。フロライアは優しくそれに微笑み返した。

「これはあなたたちが毎日頑張ってお勉強をしたり、お手伝いをしたり、お祈りを捧げたご褒美よ。私ではなく、神様がくださったものなの。感謝するなら、神様に感謝をしてね」

「はい!!ありがとう、フロライアさま!!」

 

 声を揃えて答える子供たちに、思わず苦笑する。言いたい事が全く伝わっていないようだ。

「仕方ありません。この子たちは、フロライア様の事が大好きなんですよ」

 老齢のシスターがくすくすと笑う。

 本当に困ったと思いながら、フロライアはシスターにも苦笑を返した。

 …こんなものは、偽りの優しさに過ぎないというのに。

 

 子供たちやシスターに手を振られながら、馬車へと乗り込む。ため息はもっと後、子供たちから姿が見えなくなってからだ。

 休日の慈善活動。孤児院への慰問も、モリブデン侯爵家令嬢としての勤めの一つだ。

 他にも騎士団や衛兵たちの元を訪れて労いの言葉をかけたり、学校に寄付をしたり、病院への慰問などもある。

 おかげで、領民たちからのフロライアの評判はすこぶる良い。慈愛あふれる心優しいお嬢様だと言われている。

 

 

 

 屋敷に戻ると、門兵が出迎えてくれた。

「ありがとう。お疲れ様」と声をかけてから中に入る。

 自室に向かう廊下を歩いていると、窓からは色褪せた庭が見える。今はまだ1月、木々はくすんだ色をしていて寒々しい。

 幼い頃は冬が嫌いだった。寒いし、花や葉を落とした草木は眺めてもつまらなかったからだ。

 だが、成長し王都と領を行き来するようになってからは冬が好きになった。

 …冬の間は、モリブデン領にいられるから。

 

 その時、廊下の角に人の姿を見つけた。

 あの後ろ姿はエメリーだ。憂鬱そうな顔で、紅茶のポットとカップを乗せたカートを押している。

「エメリー!」

 名前を呼ぶと、彼女はくすんだ灰色の髪を揺らしてこちらを振り返った。

「あっ、お嬢様、おかえりなさい!」

 

 

 エメリーはモリブデン家に仕える騎士の娘で、フロライア付きの使用人をやっている少女だ。乳兄弟で、幼馴染でもある。歳はフロライアと同じ、今年で14歳になったばかりだ。

 彼女の母親であるキノはモリブデン家傘下の下級貴族の出で、生まれつき魔力量に恵まれていた。フロライアの母と同時期にエメリーを身籠っていて、フロライアの母が産後体調を崩してしまったために乳母として選ばれたのだ。

 

 母はそれから数年で亡くなってしまったので、フロライアにとってキノはずっと母代わりの存在だった。読み書きや算術の基礎を教えてくれたのもキノだ。

 共に育った娘のエメリーもまた、姉妹のような存在と言っていい。立場はあくまで使用人だし、身分には大きな差があるが、フロライアにとっては一番の友人である。

 

 

「そうだわ、これ、お土産」

 フロライアは上着のポケットを探ると、小さな紫色の布袋を2つ取り出した。

「ポプリよ。孤児院の子供たちにもらったの。エメリーに片方あげるわ」

 孤児院は国や領、あるいは貴族たちからの援助で運営されているが、やはりそれだけでは厳しい。子供たちは様々な小物を作ってはバザーなどで売ってお金を稼いでいる。

 このポプリもそんな商品の一つのはずで、袋の中には子供たちが摘んだ花やハーブが詰められている。

 フロライアは申し訳ないからと固辞したのだが、どうしてももらって欲しいと言われ持って帰って来たのだ。

 

「えっ、それ、お嬢様がもらったものじゃないですか!だめですよ!」

「2つもあっても多いもの。もらってくれないかしら?」

 ポプリをエメリーの手に押し付ける。

「で、でも…」

 なおも遠慮する彼女に、フロライアはにっこり微笑んだ。手に持ったもう一つのポプリを指し示す。

「ほら、おそろいよ」

 

 フロライアの瞳と同じ、紫色の布で作られた2つのポプリ。エメリーは、たちまち顔を輝かせた。

 とても嬉しそうに、ぎゅっと小袋を握りしめる。

「あ、ありがとうございます、お嬢様…!」

 …本当に、2つもあったら困るから渡しただけなのだけど。彼女はいつも素直で可愛らしくて、単純だ。

 

 

「それで、どうしてそんなに憂鬱そうにお茶を運んでいたの?」

 さっきの様子が気になって尋ねると、エメリーは分かりやすく眉を曇らせた。

「…実は、旦那様の所にお茶を持っていくように頼まれたのですけど…」

「ああ…そういうことね」

 

 彼女は昔からドジな所がある。先日も父アンドラの前でいくつもカップを割ってしまい、叱られていた。

 父は使用人の仕事にいちいち口を挟んだりはしないが、エメリーはフロライアの専属の使用人である。他の貴族と会う時に同席する事も多い。

 フロライアは来年からは学院に通うので、その機会はますます増える。この調子では困ると、少々きつく叱ったらしい。

 父はきっともうその事を忘れているだろうが、エメリーは未だに気にしているようだ。

 

 

 父はフロライアが幼い頃はとても優しかったのだが、祖父から侯爵位を継いだ頃から変わってしまった。厳しい顔をする事が多くなった。

 時折、ひどく不機嫌な時もある。理不尽に周囲に当たるような事はしないのだが、そういう時はやはり近寄りがたい。

 

 先日エメリーが粗相をしたのも、運悪く父が不機嫌な時だったらしい。

 フロライアも不機嫌な父は苦手だ。いや、普段でも少し苦手になってしまった。昔はあんなに大好きだったのに。

 今でも十分優しいと思うし、領民からは慕われているのだが、娘であるフロライアには分かる。父は誰に対しても壁を作るようになってしまった。いつでも完璧な領主たらんとしている。

 

 父は息子や娘にも自分と同じ事を求めてくる。

 フロライアはモリブデン侯爵家令嬢として、いつも完璧でなければならない。

 勉強。音楽。ダンスに、社交。それから魔術。どれも完璧に、それでいて優雅でスマートにこなさなければいけない。

 幸い、人よりも少しばかり器用に生まれた。努力さえすれば大抵の事はできた。

 それがどんなにやりたくない事でもだ。

 

 

 うつむくエメリーに、フロライアは優しく微笑みかけた。

「ねえ、そのお茶、良かったら私が運ぶわ。丁度お父様に会いに行こうと思っていた所だから」

「本当ですか!?」

 エメリーはぱっと笑顔になった。

「ありがとうございます、お嬢様…!あっ、私、お庭の掃除も頼まれていたんです。そっちに行ってきます!」

 

 大きく頭を下げて去っていく彼女の後ろ姿を見送り、カートを押し始める。

 ため息が出そうになるのを、喉の奥で飲み込んだ。

 …父に会いに行く所だったなんて嘘だ。本当はあまり会いたくない。

 

 また勉強の進み具合について尋ねられそうだし、父の執務室を訪ねるのは少々気が重い。だが、エメリーがあまりに困った顔をしているから、つい引き受けてしまった。

 自分のこういう部分が、フロライアは嫌いだ。

 心優しい、慈悲深いご令嬢などと皆が褒めてくれるが、本当はただ良い子ぶっているだけだ。

 そういう振る舞いをするのがいつからか身についてしまった。親切そうな言葉、気遣うような言葉が勝手に口から出てくる。内心ではいつも憂鬱で、そんな自分にうんざりしているというのに。

 

 

 

「お父様。入ってもよろしいですか?」

 こんこん、と軽くノックをして扉越しに声をかけると、すぐに「入れ」という返事が聞こえた。

「どうした?」

 その声色に、今日の機嫌は悪くなさそうだと判断したフロライアは、ほんの少しおどけた調子で答える。

「お父様がまたお仕事にかかりきりだと聞いたものですから。ご休憩を提案しに参りましたの」

 フロライアの手元にある茶器のカートを見て、アンドラはふっと笑った。

「…そうだな。そうするか」

 どうやら、今日もちゃんと「正解」の対応をできたらしい。

 

 

「勉強の進み具合はどうだ?」

 カップへ紅い液体を注ぐフロライアに、父が問いかけてくる。

「順調です。学院でも上位の成績を修められるだろうと、先生にもお褒めいただきましたわ」

「ダンスは?お前も来年にはもう、社交界デビューだ」

「明日またレッスンの予定です。でも、先週の授業でも先生には合格点をいただいてますわ。いつデビューしても大丈夫だと」

「そうか」

 

 来年の夏には入学祝いのパーティーがあり、そこで社交界デビューする事になる。

 春になって王都に行ったら、有名デザイナーにドレスや宝石を発注する予定だ。恐らくどこのご令嬢よりも高価で、きらびやかなものを。

 だが、それを見せるべきファーストダンスの相手は決まっていない。正直興味もないしどうでもいい、とフロライアは思う。

 …どうせ相手は父が決めるのだ。自分が本当に望んでいる相手と踊ることなど、万に一つも起こらない。

 

 相手はどうせオットレか、あるいはどこかの名家の令息か。

 父は当初、フロライアが第一王子エスメラルドに近付く事を望んでいたが、どうやらそれを諦めたようだ。王子には既に親しい令嬢がいるからだろう。

 以前からその噂は聞いていたが、王子は昨年の視察の際、たっての希望で彼女の領を訪れたという。よほど仲が良くなければそんな事はしない。

 

 

 フロライアも、その令嬢の事は知っている。父と共に城に行った時、遠くからその姿を見かけたからだ。

 青みがかった銀髪の少女。ほっそりとして儚げで、しかしなぜか、芯の強そうな印象を受けた。貴族の間でも、彼女は実に礼儀正しく賢いご令嬢だと言われているらしい。

 

 そのまま何となく物陰から見守っていると、従者を伴った王子がやってきた。

 彼女の顔が嬉しそうに輝く。さっきまでの気を張った様子とはまるで違う、無邪気で無防備な笑顔だ。

 

 …これは他の者が入り込める訳がない、とフロライアは冷めた思いでそれを見つめた。

 あんなに真っ直ぐに慕われて、心が動かない者がいるはずがない。ましてやあれほど美しい少女なのだ。

 実際、彼女を見た王子もまた、ほんの少し笑っていた。いつでもどこにいても、常に無表情のあの王子がだ。

 

 王子が誰と恋仲になろうとどうでも良い。そう思いつつ、わずかに苛立ちのようなものを覚えた。

 彼女の家は末席とは言え侯爵家だ。魔術師系貴族は以前は冷遇されていたと言うが、現国王はそちらの派閥の支持が厚いと聞く。彼女が特に差別を受けている様子もない。

 彼女が王子妃になるには、すんなりとは行かないまでも、それほど大きな障害はないだろう。

 それが、妬ましい。

 

 

 

 紅茶を飲みながらいくつかの雑談をした後、アンドラはふと思い出したかのように言った。

「そう言えば、キノとエメリーがルビテ村に帰省するんだったな」

「あ、はい。伯父様の具合が良くないとのことで、来週から。お父君も同行する事になったようです」

 ルビテ村はキノの夫でエメリーの父である男の出身地だ。農家の次男だったが、剣の才能があったために騎士として登用され、モリブデン家に仕える事になった。

 キノとは大恋愛の末に結婚したのだと聞いている。

 

「…近頃は魔獣も多い。東の街道を通るように言っておきなさい」

 東の街道は川に沿っていて魔獣の出現率が低いし、他の馬車も多く行き交っているので安全だ。しかし結構な遠回りになる。ルビテ村に行くには北に向かうやや狭い道を通るのが一般的だ。

「分かりました。伝えておきますわ」

 父がわざわざそんな忠告をするなんて珍しい。そう思いつつ、フロライアはアンドラの執務室を後にした。




この挿話は全3話のエピソードになる予定です。
これからエピローグまで、ほぼ毎日更新で行く予定です。どうぞよろしくお願いします。
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