世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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挿話・29 彼女の罪と罰・2

 茶器の乗ったカートを厨房に返しに行くと、夕食の支度を手伝っていた使用人が慌ててフロライアを迎え入れた。

「まあ、お嬢様!エメリーったら、お嬢様に頼むだなんて…」

「私の方が頼んだのよ。お父様と二人で話したかったから。それに、エメリーは他の仕事もあったみたいだし」

 それを聞いて、料理人見習いの若い男が口を挟む。

「ああ、そういえば庭の方でお兄さんと一緒にいるのを見ましたね。本当に仲がいいなあ」

「えっ?」

 

 

 急いで庭へ出ると、楽しげな笑い声が聞こえた。

「エメリー!ビスマス!」

「あっ、お嬢様!」

「フロライア様」

 エメリーとよく似たくすんだ灰色の髪。彼はこちらを振り返ると、大きく頭を下げ、柔らかく微笑んだ。

 どきりと心臓が跳ねる。

 

 ビスマスはエメリーの兄だ。賢く、優しい性格の少年で、妹をとても可愛がっている。フロライアとも幼い頃から親しい。

「どうしたの?今日は塾ではないの?」

「今日は早めに授業が終わったんです。だから剣術の鍛錬をしようと思って、こちらの修練場に」

「頑張っているのね」

「はい。お嬢様や旦那様のご期待に応えたいので」

 

 ビスマスは今年の秋には王都の魔術学院に入学予定で、それに向けてずっと塾に通っている。

 貴族ではない彼が学院に入学できるのは、フロライアがアンドラに頼み、モリブデン家の名前で推薦してもらったからだ。学費も援助してもらうことになっている。

 ビスマスは父親譲りの剣の才能も母親譲りの高魔力もあり、性格も真面目だ。必ずモリブデン家に貢献してくれる。そう熱心に頼むフロライアに、始めは渋っていたアンドラもついには折れてくれた。

 

「もう、兄さんったら、いつも旦那様やお嬢様の事ばっかり!私だって兄さんを応援してるのに!」

「もちろん分かってるよ。…ありがとう、エメリー」

 優しく頭を撫でられ、エメリーは嬉しそうに目を細めた。胸がちくりと痛む。

 フロライアの兄ダンブリンは、妹の頭を撫でたりはしない。興味など持っていないからだ。

 兄の関心は、いかに父の期待に応えるかのみにある。冷静で優秀で、きっと父のような良い領主になるのだろうが、フロライアにとっては他人のような存在だ。

 

 

 正直に言えばフロライアは、エメリーが羨ましくて仕方なかった。

 フロライアは一見、エメリーが持っていないものをたくさん持っている。

 誰もが羨む美貌。波打つ蜂蜜色の髪に、艶々とした肌。輝く紫の瞳。教師が褒めそやす賢さ。裕福な身分。きらびやかなドレスに、宝石。

 だがそれらは全て、モリブデン家のものだ。いずれ名家に嫁ぐために磨かれ、与えられてきたもの。

 

 それに引き換え、エメリーは自分だけのものをたくさん持っている。

 鼻にはそばかすがあり、くすんだ灰色の髪は地味だが、愛嬌のある可愛らしい顔をしている。

 そして、優しい兄と父母がいる。他の使用人たちはドジな彼女をいつも叱っているが、それらは愛情が込められたものだ。

 明るく無邪気な彼女は誰からも愛され、いつも温かい人たちに囲まれている。

 

 …何より、彼女には自由がある。

 今はフロライアの専属の使用人をしているが、いずれはその仕事をやめ家庭に入るだろう。

 まだ恋などした事がないらしいが、彼女ならきっと良い相手が見つかる。好きな相手と結婚できる。

 例えば、そう、彼女の兄ビスマスのような優しい男と。

 

 

 ビスマスはフロライアにも優しい。いつも飾らない、自然な笑顔を向けてくれる。

 余計なお世辞を言ったり、取り入ろうとする事もない。フロライアが内心でそういう言葉を嫌っていると、聡い彼は気付いているのだ。

 それでいて、きっちりと身分をわきまえ一線を引いた態度を取ってくる。…憎らしいほどに。

 

 彼の落ち着いた、柔らかな雰囲気が好きだ。プライドばかりが高く、自己主張の強い貴族の子供たちとは違う。一緒にいて心が安らぐ。

 自分が彼に抱くこの感情が、果たして恋なのか、それともただの憧れなのかはフロライア自身にも分からない。

 ただエメリーが羨ましくて、嫉妬さえする。

 兄の隣で無邪気に微笑むエメリー。彼女の代わりに、自分があそこにいられればいいのに。

 

 

「ところで、兄さん。本当にルビテ村に一緒に来てくれないの?」

「ああ。来週は合同訓練があるんだ。前にも話しただろう?王都から来た騎士団も参加する、4年に1回の大きな訓練があるって。それに俺も見習い騎士の一人として加えてもらえる事になったんだよ」

「それは、確かにすごいけど…。伯父さんにも伯母さんにも、もうずっと会ってないでしょ。お祖母ちゃんの作るアップルパイ、兄さんだって好きだったじゃない」

「訓練で王都の騎士団の強さを見てみたいんだ。こんな機会滅多にないんだよ。分かってくれ」

 

「……」

 エメリーはふくれっ面になった。ビスマスは苦笑しながら、再びその頭を撫でる。

「ごめんよ、エメリー。伯父さんと伯母さんによろしく。アップルパイは、お前が俺の分まで食べてくれ」

「そんなに食べられないわよ!…しょうがないから、兄さんの分はちゃんと持って帰って来るわ。北の道を通れば早いもの」

「そうかい?でも、無理はしなくていいよ。気をつけて行ってくるんだ。近頃は魔獣も多いから」

 

 

 それを聞いて思い出した。父のアンドラが、ルビテ村に行く際には東の大きな街道を使うように言っていた事を。

 フロライアは口を開こうとし、またすぐに閉じた。

 …もし、魔獣が出たせいで足止めをされたり、道を引き返す事になったら。そうしたら、1日か2日は出発を見合わせ、帰りが遅れる事になる。

 その間はエメリー抜きでビスマスと一緒にいられるのではないかと、ちらりと頭に浮かんだからだ。

 

 フロライアは訓練の際、モリブデン家の令嬢として王都の騎士団に労いの言葉をかけに行く予定になっている。その時、将来自分の護衛になる予定だと言って、ビスマスも同行させるつもりだった。

 有望な騎士見習いとして彼の剣の腕を褒めれば、騎士団も彼に一目置くかもしれない。

 そうすればビスマスはきっと喜び、自分に感謝するに違いない。

 夢見るように、フロライアはそんな光景を思い描いていた。

 

 エメリーの帰りが遅れれば、その楽しい時間がほんの少し長くなる。

 そう思い、フロライアは父の忠告を伝えるのをやめた。

 

 出発の朝、エメリーはいつも通りの明るい笑顔でフロライアに頭を下げた。

「お嬢様、行ってきます!お土産、持って帰ってきますね!!」

 フロライアは微笑み、「気をつけて」と言って彼女たちを送り出した。

 

 

 

 

 …しかしフロライアの小さな独占欲は、思いもかけない最悪の結果を呼び込んでしまった。

「エメリー…!!父さん…母さん…!!!」

 ビスマスの慟哭が、鋭い刃のように胸に突き刺さる。

 

 エメリーとその父母は、物言わぬ亡骸となって帰ってきた。

 ルビテ村からの帰り道、彼らが乗った馬車が突然現れた中型魔獣の群れに襲われたのだという。

 騎士であるエメリーの父は、乗り合わせた男たちと共に必死に戦ったが、あまりに魔獣の数が多かった。

 馬車馬に乗り命からがら逃げ出してきた者によってそれは知らされ、魔獣の群れはただちに出動した騎士団が討伐したらしい。

 だが結局助かったのは、馬に乗って逃げた者だけだった。

 

 

 フロライアは泣きながらがたがたと震えていた。

 エメリーを、乳母のキノを喪った悲しみ以上に、自らの犯した罪が怖かった。

 こんな事になるなんて思わなかったのだ。

 まさか本当に魔獣に襲われるなんて。それが、優れた騎士であるエメリーの父でも太刀打ちの出来ないような数の群れだったなんて。

 

 生まれてからずっと厳重に警備された屋敷で暮らし、どこに行くにもたくさんの護衛が付き、年の半分を平和な王都の中で過ごす。

 そんなフロライアにとって魔獣とは、人の力で十分に対処できる脅威でしかなかった。

 戦う力を持ってさえいれば、特に恐れる事はない。死ぬのはたまたま運が悪かった者だけ。

 どこかでそんな風に思っていた。

 

 

 …自分のせいで、エメリーたちは死んだのだ。

 もし、この事をビスマスに、父に、皆に知られたら。どれほど軽蔑され、憎まれることだろう。

 怖くて、恐ろしくて、目の前が真っ暗になった。

 歯の根が噛み合わないほどに震え怯えるフロライアの肩に、誰かが手を置いた。

 父だ。

 

「東の街道を通らなかったのか…」

 小さく呟かれたその言葉に、フロライアはびくりと体を強張らせた。

 それに気付いているのかいないのか、父は言葉を続ける。

「お前のせいではない。気の毒だが、彼らは不運だったのだ」

 涙に濡れたビスマスの顔が、こちらを振り返るのが見えた。

 

 

 

 

 数日後。

 ビスマスの様子がおかしいと聞いたフロライアは、彼がここ数日出入りしているという町の図書館にやって来た。

 彼の姿はすぐに見つかった。その異常さも、すぐに分かった。

 顔色が酷く悪い。目の下には隈ができ、頬はこけ、それでいて瞳だけがぎらぎらと光っている。

 何かを調べ回っているようなのは確かだが、一体何を調べているのか。

 直接声をかける勇気はなく、フロライアは彼が何を読んでいるのか司書に尋ねた。

 

 彼が見ているのは魔獣に関する本や資料ばかりだった。

 特に過去100年以上にわたっての、この領に出没した魔獣の記録。それと、住民名簿。

 …どうしてこんなものを。

 そう疑問に思いながら、古い記録をめくっていく。何か気になるものがあるはずだが、見てもさっぱり分からない。

 

 

「…お嬢様」

 しばらくただ記録を眺めていた所にふいに声をかけられ、フロライアは思わず悲鳴を上げそうになった。

「び、ビスマス…!?」

 こちらを見つめる血走った目に、フロライアはぞっとした。

 あの優しかった彼はそこにはいない。

 

「お嬢様。おかしいんです」

「え、な、何?」

 問い返すフロライアに、ビスマスは手に持っていたいくつかの資料を広げて見せる。

 比較的新しい魔獣の記録と、住民名簿のようだ。

 

「ここ十数年、モリブデン領では不定期的に大型魔獣や、中型魔獣の群れが発生しています。明らかに他の領よりも多い数です」

「…え?」

「その割に騒がれていないのは、騎士団の対処がいつも早いからです。…でも、早すぎる。不自然なほどに」

 彼が指さす記録に目を走らせる。何ということのない魔獣の退治記録だが、そう言われてみれば古い記録に比べて解決までの時間が早い。

 だがそれは騎士団の動きが洗練され、連絡手段も充実したからではないのか。家庭教師にはそう教わった。

 

「それに、犠牲者の数が合わないんです。住民の死亡記録と照らし合わせると、魔獣の犠牲になっただろう住民の数が、魔獣の記録の方には少なく記載されている。単なる記載ミスじゃない、明らかに改竄されてます」

「…ど、どういう事?」

「それを聞きたいのは俺の方です」

 

 ビスマスは暗い、冷たい瞳でフロライアを見下ろした。

「旦那様に会わせていただけませんか。お嬢様」

 

 

 

 フロライアは怯えながら、ビスマスの言葉に従った。

 彼を伴い、父アンドラの執務室に向かう。

 怪訝な顔をしたアンドラに対しビスマスは、フロライアにしたのと同じ話をもっと詳細に説明してみせた。

 アンドラはしばらく沈黙した後、小さく嘆息した。

「フロライアはやけにお前に肩入れすると思っていたが。…なるほどお前は、間違いなく優秀だ」

 

 それから、アンドラは語った。

 モリブデン領で起こっている不自然な魔獣の事件は、魔獣の発生をコントロールする魔導具『死神の卵』の実験、あるいはそれを使った壮大な計画のためなのだという。

 それは、黄金の天秤と死神の卵の製作法を記した本を発掘した曽祖父の時代から始まっている計画なのだそうだ。

 長い時間をかけて準備し、完全に再現した死神の卵を量産する体制をようやく整えた。

 

 死神の卵を使う時は、できるだけ犠牲が出ないよう予め騎士団を準備させているが、魔獣の動きを完全に予測する事はできない。それでどうしても死者が出てしまうのだと、アンドラは言う。

 魔獣の記録を改竄したのは、卵の存在を国に気づかれないようにするためらしい。

「犠牲となった者たちには本当に申し訳なく思っている。…だがこれは、将来多くの民を救うためのものなのだ。彼らの犠牲は無駄にはしない。それが私の償いだ。彼らの死を、多くの民を活かす道へと繋げてみせる」

 

 

 きっぱりと迷いなく言い切る父の顔を、フロライアは呆然と見つめた。

 あまりに話が大きすぎてすぐには理解できない。ただ途轍もなく恐ろしい事をしようとしているのだとは分かった。

 アンドラがフロライアを見下ろす。見た事もないほど冷え冷えとした目で。

「お前にはいずれ話すつもりだった。…お前にはやるべき役目がある」

 

 怖気がした。その恐ろしい計画に、フロライアも既に組み込まれている。

 アンドラは更に、ビスマスの方を見た。

「ビスマス。お前にもそれを手伝ってもらいたい。お前ならばきっとやり遂げられる。多くの命を救える。エメリーやお前の父母が犠牲になって守ったものを、守れるんだ」

「……!!」

 信じられない気持ちで顔を上げる。遺族であるビスマスに対してそれを言うのか。

 

 

 しかしビスマスは、驚くほど冷静な、感情の籠もらない声で問い返した。

「…エメリーは。父は、母は、未来のために犠牲になった。そういう事なんですね」

「そうだ。…王国の騎士団の前で、モリブデン領が魔獣の危険に晒される所を見せる必要があった。奴らは長年の平和に慣れ、緩んでいる。危険がすぐそこにある事を忘れている。だから、やらねばならなかった」

 

 父の言い分はとても理解できない。

 きっとビスマスは怒り狂うだろうと思った。家族の死をあれほど嘆き悲しんでいたのだから。

 しかし彼は無言だった。身じろぎもせず、凍りついたかのように動かない。

 フロライアが焦り始めた頃になって、ようやく口を開く。

 

「…分かりました。お任せ下さい。家族の死を、決して無駄にはしません」

 

「び…、ビスマス…」

 彼は愕然とするフロライアを振り返ると、こう言った。

「フロライア様。エメリーのためにも、共に頑張りましょう」

 

 …そこに浮かべられた凄惨な笑みを、フロライアは一生忘れないだろう。

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