世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
ビスマスはきっと家族の死を受け入れられなかったのだと、フロライアは思う。
大切な家族が、愛する妹が、ただ無為に死んだとは思いたくなかった。そこに意味を、理由を見出したかった。
だからアンドラの言葉に縋り、計画を絶対に成功させなければならないと思い込んだ。
ひどくねじ曲がった彼の決意を、フロライアは止めようとはしなかった。そんな資格などある訳がない。だって、彼の家族が死んだのはフロライアのせいでもあるのだ。
ビスマスはそれに気付いているのだろうか。彼は笑顔を見せなくなった。冷徹で、事務的な態度でフロライアに接してくる。
その冷たい紫紺の目は、まるで「逃げるな」と言っているように見えた。
父の計画に協力するしかない。他の道を選ぶ事を、ビスマスが、エメリーが許すはずがない。
彼と共に父の計画を完遂させるのが、彼らへの償いなのだ。
ビスマスは予定通り学院に入学した。時折顔を見せてはフロライアに、アンドラの指示や必要最低限の情報だけを伝えてくる。
フロライアもまた、ビスマスに事務的な態度で接した。以前のように不要な会話をする事もない。胸の奥にあった憧れは、捨てて忘れ去る事にした。
そうして父の計画に加担するうち、フロライアはただ父の命令に従う事だけを考えるようになっていった。
愚かで善良な領民、友人、クラスメイトたちに、優しい優しい笑顔を向ける。
貴族たちに取り入り、情報を集めたり、都合のいい噂をばら撒いたりする。
死神の卵を使ったと思われる事件が起こっても、見て見ないふりをする。あるいは、悲しみ同情するふりをする。
そもそも、初めからこの道しかなかった。
父の望む通り作り上げられた道を歩く生き方しか、自分には与えられていない。
それに自分はどうせ、エメリーたちを殺した罪人だ。嘘をつき、罪を重ねるのがお似合いなのだ。
…そんなある日、父は一つの命令を下した。
我が家に滞在する予定の王子を殺せ、と。
どうも計画が漏れている節がある。王子を暗殺する事で国を混乱させ、無理矢理計画を推し進めるつもりらしい。
作戦は簡単だ。フロライアがあの令嬢リナーリアに化け、刺客がいる所まで王子をおびき寄せる。
痴情のもつれか何かという事にして、罪を擦り付けた上で彼女も殺すつもりらしい。殺してしまえば後はどうにでも言い訳できる。
乱暴な作戦だが、それだけ父は焦っているのだろうと思った。
計画の詳細はフロライアには教えられていなかったが、上手く行っていない事は感じていた。
特に致命的だったのは秘宝事件だ。父はもっとゆっくり慎重に進めるつもりだったのに、フェルグソンが暴走してあれを起こしてしまったらしい。
ビスマスは暗殺作戦への参加を申し出た。ここで失敗したら何もかも終わりだと彼も感じていたからだろう。
彼は学院にいた事もあり、今まで連絡係や情報収集ばかりをしていたが、剣の腕に優れている。何より、父の計画に忠実だ。望み通り刺客の一人に選ばれる事になった。
王子の死が国に与える影響は計り知れない。そしてフロライアは、直接人を殺した事などなかった。
恐ろしくてたまらなかったが、ビスマスの鬼気迫る顔を見たら何も言えなかった。
恐怖を押し殺し、作戦に参加した。
だが、作戦は失敗に終わった。父や兄、ビスマスと共にフロライアも捕らえられた。
王子の暗殺未遂。死罪は免れないだろうが、これで父の計画から解放されると思うと、むしろほっとしている自分がいた。
ただビスマスへの罪悪感だけがあった。彼はこれで、生きる目的を見失ってしまうのではないか。
…それでも、彼には死んで欲しくないと思っている自分がいた。
牢の中で、死神の卵によって超大型魔獣が発生し、多くの犠牲が出たという話も聞かされたが、耳を塞いだ。
どうしようもない。自分には父を止める事などできなかったのだ。
「…フロライア・モリブデン。面会だ」
扉の外からかけられた声に、フロライアは顔を上げた。
冷たく狭い石造りの牢。ここの囚人となってから恐らく一ヶ月以上経つが、今まで面会などほとんどなかった。許可されていないのだろう。
それが通されたのだから一体誰かと思ったら、扉の窓から見えたのは青みがかった銀髪の少女だった。
リナーリア・ジャローシス。あの夜、自分を捕らえた少女。
「お久し振りです。お元気でしたか」
静かなその質問に、フロライアは落ち着いて返答する。
「ええ。元気よ。とてもゆっくり過ごせているわ」
別に嫌味でも当てこすりでもない。フロライアは今ここで、久しぶりにゆったりとした時間を過ごせている。
何せここには誰の目もない。完璧なご令嬢など演じなくて良い。
「貴女の供述調書を見ました。…自分や父、兄よりも、ビスマス・ゲーレンの助命を願っているとも聞きました」
取り調べには概ね本当の事を話した。ごく個人的な感情を除いて、だが。
「…分かるでしょう。お父様はどうせ許されない、間違いなく死罪だわ。助命なんて願うだけ無駄。そして私は、自分や兄の命乞いをするほど落ちぶれてはいないわ」
「では、ビスマスは?」
「だから、分かるでしょう?彼は被害者よ。命じられてやっただけ。そんな人を道連れにするなんて、私のプライドが許さないわ。助命を願ったのは、それだけの理由よ」
「……」
ビスマスの事を尋ねられるのは、余計な詮索をされているようで癇に障った。だからわざと突き放すように言うと、彼女は青い瞳を伏せてしばし黙り込んだ。
「…貴女の言う通りです。モリブデン家は取り潰しになり、アンドラ・モリブデンは死罪。嫡男ダンブリンもです。殿下の暗殺未遂だけが理由ではありません。今回、死神の卵のために超大型魔獣が現れ、多くの犠牲が出ました。あの卵を作り、隠匿してきたモリブデン家の者の罪はあまりに重い」
引き起こした事態が重大すぎた。父とて、こんな事になるとは思っていなかっただろう。
「ビスマス・ゲーレンは黙秘を続けているためにまだ処遇が決まっていませんが…彼の役割は、目立たない容姿を活かしての王都での情報収集や、死神の卵の設置と回収が主だった。それが本当なら、死罪にまではならないでしょう」
そして彼女は、じっとこちらを見つめる。
「貴女は身分を剥奪され、遠い地の修道院に送られる予定です。一生そこから出る事は叶わないでしょう」
「…ど、どうして?死罪ではないの?」
自分も計画に関わっていたし、直接王子を殺害しようともしたのだ。死罪か、あるいは毒杯での自害を勧められるだろうと思っていたのに。
「モリブデン領の民から、貴女への助命嘆願の署名がたくさん届きました。モリブデン家の騎士たちからもです。心優しい貴女が計画に加担していたのは、父に逆らえなかったからに違いないと…。それが死罪を免れた最も大きな理由です」
フロライアは愕然とした。やっとこれで解放されると思ったのに、まだ生きて罰を受けなければいけないのか。
「署名…!?馬鹿じゃないの!?ずっと騙されていたというのに、私が偽善者だったとまだ気付かないの!?」
ずっと嘘をついて生きてきた。良いお嬢様のふりを続けてきた。彼らが見ているのはフロライアが作った幻影で、本当のフロライアではない。
リナーリアは冷ややかな、しかし大きな感情を孕んだ瞳でこちらを睨んだ。
「私は、貴女の事を許しません。殿下を殺そうとし、あの危険な卵の存在を知りながら計画に協力してきた。そんな貴女を、これから先もずっと許すつもりはありません」
「そうよ!私は許されない罪人だわ!だったら殺すべきでしょう!?どうして助命されるの!!」
「…昔の話ですが。貴女は、私を助けてくれた事があります」
突然話が変わり、フロライアは戸惑った。
「…寒中水泳の訓練の時の話?あれは、ただの点数稼ぎだけど」
「いいえ、それではありません。貴女は覚えていないでしょうが、でも私ははっきりと覚えています」
「…?」
何の事を言っているのか、心当たりがない。怪訝な顔をするフロライアに構わず、彼女は話を続ける。
「
フロライアは目を見開いた。
「彼らは今まで、貴女に感謝を伝えませんでしたか?笑顔をくれませんでしたか?…貴女のやった事が偽りの気持ちからだったとしても、それに対する人々の感謝は本物です。貴女には、彼らの気持ちまでは否定できない」
どれだけ偽善だと主張しても、受け取る者にとってはそれは善だ。…彼女は、そう言っているのだ。
「彼らの気持ちに、心から応える機会だってあったはず。どこかで別の道を選ぶ事だってできたはずです」
「……!!」
「…貴女が受ける罰は全て、貴女がやった事の結果です。それを忘れないで下さい」
言葉を失ったフロライアを一瞥し、青銀の髪の少女はくるりと背を向けた。
「さようなら。お元気で」
「……っ!」
遠ざかる背中と足音をただ呆然と見送り、がくりとその場に膝をつく。
拳を握りしめ、ぎりぎりと歯を食いしばる。
…思い出す。休日の度に声をかけていた領民たち。モリブデン家の騎士たち。
お菓子をあげた孤児。労った兵や人足。歌を聴かせた病人。花を贈った学校。
私はいつも面倒で、そんなものやりたくない、行きたくないと思っていた。
彼らは私の、モリブデン家の「理想の貴族ごっこ」に付き合わされているだけだと思っていた。
しかしその外面のための慈善活動で救われている者だって、確かにいた。
彼らは皆笑顔になって、「ありがとう」と私に言っていたのだ。
なのに私は感謝を素直に受け取る事を拒み、自分は偽善者だと思い込んだ。騙される彼らは愚か者だとすら思っていた。
みんな外面ばかり見て、私の中身など見ようとしない。だから騙されるのだと。
だがリナーリアの言う通り、彼らの気持ちに応え、胸を張れるような善良な人間になる道だってあったのではないのか。
…ビスマス。優しい人。兄のような人。
学院への入学を推薦した事を伝えると、すごく恐縮して困った顔をし、辞退しようとした。
推薦したのは彼の気を引きたかったからだけど、でも彼が優秀で才能もあると思っていたのは本当だ。その事を一生懸命説明し、いつか彼の父のようにモリブデン家の役に立って欲しいのだと言うと、やっと受けると言ってくれた。
合格通知が来た時には、本当に嬉しそうに「お嬢様、ありがとうございます」と笑ってくれたのだ。
エメリーと3人、心から笑いながら喜び合った。
その時分かち合った温かな気持ちを、ずっと忘れようとしていた。
父の計画は余計にビスマスを追い詰め傷付けるだけだった。どこかでそう分かっていたのに止めようとしなかった。
責められるのが、憎まれるのが怖かったから。
罪を重ね続けて、そんなものが償いになるはずがない。ただ逃げていただけだ。
どれだけ憎まれようが、彼を止めるべきだった。
…エメリー。
冷たくなって帰ってきた彼女の懐には、あの紫色のポプリがあった。ただ袋の口には刺繍入りのピンク色のリボンが結ばれていた。エメリーの一番好きな色。
荷物の中にはもう一本、全く同じリボンが入っていた。
あの日エメリーは私に、お土産を持って帰ってくると笑顔で言って出発したのだ。
無邪気で、ちょっとだけ無神経で、ドジばかりする困った子だった。私の方が彼女を助ける事も多かった。
でも彼女は明るくて、いつも私を楽しませてくれた。その笑顔は胸が温かくなった。
彼女を助けるたび、私は良い子を演じる自分にうんざりして、でも最後は笑い合っていた。しょうがないわね、と言いながら。
そんな時、少しだけ私は自分の事が嫌いではなかった。
ずっと彼女が妬ましかったけれど、彼女は確かに私の親友だった。
彼女がこんな事を望むはずがないのに。罪悪感に溺れ、償いなどと言って、ただ流されるままに父の計画に加担してしまった。
…父の事だってそうだ。優しかったのに、突然変わってしまった父。
父があのように周囲に厳しくなり心を閉ざしたのは、私と同じ理由だったのではないのか。
本当は父だって、こんな事は間違っていると心のどこかで気付いていたのではないのか。
娘の私が、こんなのは間違っている、やめて欲しいと言うべきだった。
誰かに助けを求め、計画を明るみにする事だってできたはずだ。
そうすれば父の怒りを買い、さまざまなものを失っていただろう。それでもきっと、今よりはずっとましだったに違いない。
今更。今更フロライアは、自分が犯した罪の本当の重さに気が付いた。
他人の本心を知る事を拒み、逃げてばかりいた。
そこに目を向ける勇気があれば、たくさんの人が巻き込まれ犠牲になる前に止められたかもしれないのに。
エメリー達にしたのと同じ事を、また繰り返してしまった。
死ななくていい人達を大勢死なせてしまった。
父が、ビスマスが、罪を重ねるのをただ見ていた。
それでもフロライアは、死ぬ事など許されない。
生涯罪の意識に苛まれながら、生き続けなければいけないのだ。
…なんて酷い罰だろう。
「…ああ…ああぁっ…!!」
慟哭と共に落ちた雫が、石床の上にいくつもの染みを作った。