世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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エピローグ※

 帽子のつば越しでも感じられる強い日射しが降り注ぐ中、涼やかな風を胸に吸い込む。

 ちょっと生臭いような、独特の匂いだ。

「海ってこんな匂いがするんですね。何だか意外です」

 そう言った私の隣で、殿下が遠くを見ながら目を細める。

「…しかし、とても美しい」

 

 視界いっぱいに広がる眩しく青い海。

 日射しを反射してきらきらと輝き、引いては寄せる波が白い泡を立てている。

 見上げれば空には白い雲が流れ、海の色とはまた違う鮮やかな青を引き立てている。

 

 

 …ここは、このベリル島の南端にある砂浜である。

 この島の海は全て、魔獣を生み出す恐ろしい場所だ。近付けばすぐに魔獣が寄ってくる。

 そのため人間が海岸に近付く事は禁じられていて、海に面した場所に領地がある私ですら、遠くからしか海を見た事がなかった。

 それが何故こんなすぐ傍まで来ているのかと言うと、船を探すためだ。

 遠い昔、ミーティオがセレナの願いを叶えるために創り上げた船。それは、この浜に隠されているのだと言う。

 

「ミーティオのおっさんが言うには、この辺りっぽいんだが…」

 スピネルが辺りをきょろきょろと見回す。

 首に下げた宝玉に触れたライオスがうなずいた。

『間違いない。ここだ』

 

「分かりました。…では、少しの間お借りして良いですか?」

『ああ』

 ライオスから宝玉を手渡される。それから後ろを振り返ると、セナルモント先生がこちらへと黄金の天秤を差し出した。

 右手に宝玉、左手に天秤を捧げ持ち、静かに呼びかける。

 

流星(ミーティオ)見つけた(トゥーヴェ)

 

 

 

 ゴゴゴゴゴ…と地面が揺れる。

「わ、わ、わっ…」

「リナーリア!」

 下が柔らかい砂浜なのもありバランスを崩しかけた私を、殿下が支えた。

「あ、ありがとうございます」

 危ない、大事な宝玉と天秤を落っことす所だった。

 

 その間に目の前の砂浜は大きく膨れ上がっていた。

 巨大な何かが、滑り落ちる大量の砂の中から姿を現す。

 

「うわ…っ!!」

「お、大きい…」

「これが船…!?」

「すげえ!!」

「これが水に浮くってのか…!?」

 驚嘆の声が背後から聞こえる。私は目と口を大きく開けて、声もなくそれを見上げた。

 波打ち際に現れた大きな影。その先端は尖り、大きな帆柱が何本も立っている。

 

 

「こ、こんなに大きいものなんですね…」

 ようやく声を絞り出す。凄い。大きな屋敷くらいありそうだ。高さもあるし、川を下るための船とはまるで違う。

「これくらいでなければ海は渡れないという事か…?しかし、これでは重さで水に沈んでしまうのではないか?」

「言い伝えによると、海の水は普通の水よりも物が浮きやすいんだそうですが…」

 何でも海の水には塩がたくさん溶け込んでいるかららしいのだが、いざ目の前にするとにわかには信じられない。

 

「…これは調べ甲斐があるねえ…!!」

 先生がにんまりと笑った。ちょっと気持ち悪い笑顔だ。

「魔獣の気配はありませんよね?」

『ダイジョウブ。ソレガアルカラ、近クニコナイ』

 ライオスに尋ねると、彼は片言で答えて私の手の宝玉を指さした。

 彼はもともと古代語しか話せない。ずっと謎の力で言葉を通じさせていたが、あれは宝玉の力によるものなんだそうだ。今は私が持っているのでその力が働いていないのである。

 少しずつ私たちの言葉を勉強しているのだが、まだ発音はあまり上手くない。

 

 

「はしごを持ってきて下さい!予定通り、手分けして調査を始めます!細かい指示はその都度僕が出します!」

 先生が声をかけると、背後に控えていた兵士や魔術師たちが「はい!」と声を揃えた。

 調べる事はいくらでもある。内部の広さ。構造。仕組み。ある程度はミーティオが教えてくれるが、実物を見なければ分からない事もある。

 調査が終わったら一旦ライオスに宝玉を返し、また船を隠す予定だ。

 

 実際にこの船が航海に出るまでには、きっと何年も時間がかかるだろう。

 どのくらいの人間が乗り込めるのか、どんな物が必要なのか、どんな危険があるのか。あらゆる方面から考え、あらゆる場面を想定して計画を練らなければいけない。

 それから乗員を募集し選定する事になる。勇気と強い力、知恵を持つ者たちを。

 

 更に乗員に訓練を行って、物資を用意して…と考えると、想像するだけでも大変な計画だ。

 そしてどれだけ入念に準備をしても、いざ出発してみれば思いもかけないような困難や危険が待ち受けていることだろう。

 だが、それでもやるしかない。これにはヘリオドール王国の未来がかかっているのだ。

 

 

「…殿下?どうしたんですか?」

 無言のままじっと船を見上げる殿下に、私は尋ねた。

「この船が海に出るまで、どのくらいかかるだろうかと考えていた。そう長く時間をかける訳にも行かないが、準備には時間が必要だ」

 殿下も私と似たような事を考えていたらしい。

 この国の人口は確実に増えている。それと共に魔獣も増え、民の被害も増えていく。あまりのんびりしてはいられないが、焦って失敗しては元も子もない。

 

「海に出てからも、新天地を見つけるのには更に時間がかかる。その頃には俺たちの子供や孫の世代になっているかも知れないな」

「そうですね…」

 私はうなずき、それからちょっと焦った。こ、子供…子供かあ…。

 

 

 あのプロポーズを受けてから早一年。

 一応婚約者なんて立場になった訳だけど、未だに実感が沸かないというか、信じられない部分が残っている。

 だってあの殿下と。殿下と!

 いや嬉しいんだけど、すごく嬉しいんだけど、今でも時々「何で?」だとか「本当に良いんだろうか?」だとか思ってしまう。あの殿下と私が、け、結婚って。

 しかも国王陛下や王妃様が物凄くやる気満々で、既に式の準備を始めさせてるし。いや、そりゃまあ、早く結婚して世継ぎを作った方が良いんだろうけど…。

 

 そんな事を考えて一人であわあわしていると、ふいに名前を呼ばれた。

「リナーリア」

「はい!」

 思わずびくっとした私に、殿下の翠の瞳が向けられる。

「楽しみだな」

「え、た、楽しみ!?あ、は、はい、私も、その、が、頑張るつもりではありますが…」

「ああ。頑張って準備をしよう。俺たちは見送る側になるが、この船が旅立つその日は必ず盛大に祝おう」

 

 

「……」

 …子供の話ではなかった。船の話だった。

 突然口を噤んだ私に、殿下が不思議そうな顔になる。

「どうした?」

「な、な、何でもありません!!わ、私も楽しみです!必ず計画を成功させましょう!!」

 

「頼もしいな。君がいてくれれば、どんな事でも上手くいく気がする」

「そ、それは大げさですよ…。あ、もちろん、上手くいくよう精一杯努力は致しますが!」

「すぐにそうやって気負うのは君の困った所だ。そんな所も好きなんだが」

「すっ…!!」

 

 今の私の顔は多分、ものすごく真っ赤になっているだろう。

「…わ、私も、で、殿下が、す、すき…です…」

 消え入りそうな声で言ったそれは、ちゃんと殿下の耳に届いたらしい。私を見て優しく微笑む。

「ありがとう。とても嬉しい」

 

 

 

「…もうすっかりバカップルだな、おい」

 呆れた声が聞こえてきて、私は後ろを振り返った。

「き、聞いてたんですか!!」

「しょうがねえだろ、いくら宝玉の力があるったってちゃんと近くで護衛しとかないと」

 肩をすくめるスピネルの隣で、ライオスも仏頂面をしている。は、恥ずかしすぎる…。

 

「まあまあ、恋人がいない男たちのやっかみだよ、気にする事はないさ」

 横から口を挟んだのはスフェン先輩だ。スピネルが「余計なお世話だ!」と叫ぶ。

「大体、何でお前が付いて来てるんだよ!」

「僕はまだ見習い騎士だけど、いずれは白百合騎士団の一員としてリナーリア君の護衛をする予定だからね。頼み込んで同行させてもらったのさ」

 

 それから先輩は感心したように船を見上げた。

「それにこんな面白そうな物、見てみたいに決まってるじゃないか!いやあ、本当に凄いね。来られて良かったよ」

 その気持ちは分かる。実際に見てみると、想像していた以上の迫力だ。

「ある程度調査が終わったら、私達も中を見せてもらいましょう。先生はミーティオに尋ねたい事がたくさんあるでしょうし」

「おう…」

 スピネルは今から既にげっそりした顔だ。質問攻めにあうのは間違いないだろうしな。

 

 

 

 

 …船の上にはちらほらと人影が見え、何か声をかけ合っている。

 波の音が聞こえる。日射しは強いが、風があるのでそれほど暑くはない。

 魔獣さえいなければ、海はこんなに美しくて気持ちが良い場所なんだな。

 普段は近付けない事を残念に思う。

 

 青い空へ向かってそびえ立つ帆柱に海鳥が止まるのを見上げ、それで私はふと思い出した。

「あの、殿下。この船の名前、私が付けてもよろしいでしょうか」

「もちろんだ。どんな名前を?」

 

「…『蒼穹(アズラム)』。古代語で、深く青い空のことです」

 私の遠い先祖。未来への希望を託して付けられた子供の名前。

「アズラム号か。青は空の色であり、この海の色でもある。この船にふさわしい、良い名前だ」

「ありがとうございます!」

 

 

 アズラム号が出航する日が待ち遠しい。

 かつてその子の母が抱いた夢、願いが叶う、その日が。

 

 遥かなる未来、遠いどこかの地へと思いを馳せ、私は再び空と海を眺めた。

 その新しい大地を私が見る事はない。私はここでこの国を守り続ける。

 たくさんの命を。紡がれていく歴史を。その先の未来を。…一番大切な人と共に、守り続ける。

 それがずっと胸に抱いてきた私の夢、私の願いだった。

 

 かつて描いた夢とは少し立場が違ってしまっているけど、殿下が私の一番大切な人である事は変わらない。

 数々の奇跡と多くの人たちに支えられて願いを叶えた私は、これからもここで生きていくのだ。

 

 

 

 吹き渡る風が髪を揺らし、手に温かなものが触れる。

 

「二人で導き、見守っていこう。この国の未来を」

「…はい」

 

 私は微笑み、その大きな手を握り返した。

 

 

【挿絵表示】

 




これにて完結です。ここまでお読みいただき有難うございました!!
少しでも面白いと思っていただけたなら、評価やいいね、感想などいただけると大変ありがたいです。
物語は完結しましたが、不定期で番外編や後日談なども書いていきたいと思っています。

活動報告も更新いたしました。
作者Twitterでもお知らせやイラスト投稿をしていく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
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