世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
バルコニーでぼんやりと夜空を眺めていると、後ろに人の気配を感じた。
振り返ったエスメラルドの目に映ったのは、月明かりでもはっきりと分かる鮮やかな赤毛だ。
「おかえり、スピネル」
「おう、ただいま」
身長こそ昔よりもずいぶん伸びたが、その片頬を持ち上げる笑い方は子供の頃からずっと変わらない。
エスメラルドの隣にやって来ると、手すりにもたれかかって空を見上げた。
「ライオスはちゃんと送り届けて来たぞ」
「そうか、すまないな」
「面倒臭いけどしょうがねえ。いくら空飛べるっても、なるべく俺たちの移動手段に慣れさせた方が良いだろうしな」
ライオスは様子を見る意味もあって、大体週に2回は城に顔を出す事になっている。
主にセナルモントと話をしたりこの国の文化や言葉を学んでいるようだが、兵の調練の相手をする時もあるようだ。
最初は来るのを渋っていたが、ずっとジャローシス侯爵邸にいるのも暇なようで、最近は特に不満そうな様子もなく通って来ているらしい。毎回大量の食事や酒を平らげていくそうなので、もしかしたらそれが目当てなのかもしれないが。
しかし放っておくとすぐ空を飛んで帰ろうとするので、スピネルは時間がある時はライオスを馬車に乗せて送り届けるようにしているのだ。
「やはりお前は面倒見が良いな。ライオスにもずいぶん懐かれたんじゃないか」
「懐かれてねえし、俺よりでかい男に懐かれても全く嬉しくねえ」
スピネルは顔をしかめたが、すぐににやにやと笑った。
「ま、殿下よりは仲良くなったけどな」
「俺も努力はしているんだがな…」
ついため息をつきたくなる。
ライオスは相変わらずエスメラルドが嫌いなようで、会うと大体睨んでくるのだ。彼はいずれ義弟になるのだから、できればもっと仲良くなりたいのだが。
「でも、前よりマシだろ」
「そうだな」
あのエキシビジョンマッチ以来、話しかけたら一応返事が返ってくるようになった。少しは認めてくれたのだと思う。
「お前のおかげだ。ありがとう」
「ありゃ国王陛下の提案だぞ」
「だが、実現したのはお前が色々と走り回ってくれたからだろう」
あの『お膳立て』を整えるのはなかなか大変だったはずだ。
学院長や教師たちに許可を取り、王宮魔術師団に結界用の人員派遣を依頼し、セナルモントと共にライオス相手の試合の模擬練習。
姿を見かけない事が多いのには気付いていたが、てっきり剣の修練でもしているのかと思っていたのだ。今回の武芸大会ではライバル同士、別々に練習したいというエスメラルドの希望を叶えたのだと。
「…世話をかけたな」
「これも俺の仕事のうちだ。それに、あいつと模擬練習やるのは結構面白かったからな。いい鍛錬になった」
心配しなくても、きちんと剣の修練はできていたと言いたいらしい。
「それなら良いんだが」
再び夜空を見上げる。
満月までは後数日という所だろうか。今は特に月が大きい季節なので、この時間でも結構明るい。
「武芸大会は楽しかったな。お前に勝てたし、一応はライオスにも勝てた」
「一応でも、勝ちは勝ちだろ」
「一人で勝たなければ本当の勝利とは言えない」
「殿下も頑固だよなあ…」
苦笑を浮かべるスピネルの顔を見つめる。
「…だからという訳ではないが。俺はやはり、お前に勝てた事が一番の満足だ。2年連続優勝を目指すと言っていたが、本当の目的はお前との真剣勝負だったからな」
「そうなのか?」
少し不思議そうな彼に、「ああ」とはっきりうなずいた。
「一つのけじめのつもりだったんだ。リナーリアに気持ちを伝えるのは、お前に勝ってからにしたかった。どうしても」
「何でだよ?」
尋ねられて、エスメラルドは少し笑って問い返した。
「心当たりがあるだろう?」
途端にスピネルが憮然とした顔になる。やはり、心当たりがあるのだ。
「…あのな。言っとくが、俺はとっくにあいつに振られてるぞ」
「そうか。やっぱりな」
あっさりうなずいてみせると、彼は驚愕して目を瞠った。
「気付いてたのかよ!?」
「まあ、何となくな」
「はあああぁぁ…」
スピネルは大きくため息をついてその場にしゃがみ込んだ。
「バレてねえと思ってたのに…」
「何年お前と一緒にいると思っている」
「くっそぉ…誰にも言うなよ、絶対。あいつ多分、告白されたって気付いてすらいないからな」
「分かっている、誰にも言わない。…しかし一体、どんな告白をしたんだお前は」
「うるせえ!」
きっと彼の事だから、余程ひねくれた回りくどい言い方をしたのだろう。内心で少し呆れると、スピネルは珍しく子供っぽい表情で膨れっ面になった。
「…俺のも、ただのけじめだったんだよ。別に伝えたかった訳じゃない。あいつは友達だ。そう約束したからな」
「約束?」
初耳だったので少し首を傾げる。
「あいつが火竜山の遺跡で行方不明になった時だよ。あん時、俺はあいつじゃなく殿下を助けて、あいつも『殿下を助けてくれ』って言った。…殿下は『二度とあんな事するな』って怒ったよな。それで、俺もあいつも大人しく『わかりました』なんて答えたけどさ…。本当は二人共、言う事聞く気なんかなかったんだ」
「…何?」
「俺は、次は絶対両方の手を掴むって決めた。殿下とあいつと、両方助けてみせるって。でも、まだ力が足りないってのも分かってた。だからあいつに言ったんだよ、『俺は次も殿下を助ける』って」
スピネルもまた、夜空の月を見上げる。
「脅しのつもりもあったんだ。いつでも助けられる訳じゃない、だから危ない事はすんなって。…ところがあいつと来たら、『そう言ってくれて安心した』とか言いやがる。たとえ命令を裏切ることになっても、自分より殿下を守って欲しいってさ。信じられるか?目ぇ覚まして家族と会った時には、グシャグシャになって泣いてた癖にだぞ。…でもあいつ、本気で言ってたんだよ」
「…それは、リナーリアらしいな…」
今度はエスメラルドが憮然とする番だった。
どうもあまり納得していない気はしていたが、知らない所でそんな事を言っていたとは。
「それで思ったんだ。ああ、こいつは正真正銘のバカで、…殿下が何より一番大事なんだって」
「……」
「まさかあんな七面倒臭い事情があるとは思わなかったけどな。で、まあ、そこであいつに言われたんだ。友達になってくれって」
「しかし、あの時にはもうお前達は友達だったろう。口喧嘩ばかりしていたが、仲が良かったじゃないか」
「俺も結構ショック受けたぞ、まだ友達認定されてなかったのかって。どうもあいつ、マジで友達いなかったから、どこからどこまで友達なのか分からなかったっぽい」
「本当にリナーリアらしいな…」
すっかり呆れている様子のエスメラルドに、スピネルが笑う。
「本っ当バカだよな、あいつ」
「いや、お前にも呆れている。お前も相当にバカだ」
「ああ!?」
…その約束を守るために、ずっと気持ちを隠し、わざと伝わらないように思いを告げたのか。
あんなに器用に何でもこなす癖に、不器用にも程がある。
そう思ってじっと鋼色の瞳を見つめると、ぷいっと目を逸らした。
「良いんだよ、俺はこれで。…本当に良かったって、心から思ってる」
その言葉からは嘘は感じられない。己の選択に後悔などしていないのだろう。
腰に差した剣の柄、その先にぶら下がる小さな赤い護符に触れながら、スピネルは言う。
「俺はあんたの従者で、友達だ。誰より大事な友達二人に、幸せになって欲しい」
それからスピネルは、エスメラルドを振り返って笑った。
「できるだろ?殿下なら」
エスメラルドもまた、笑って答える。
「ああ、もちろん。俺はお前の主で、友達だからな」
「…約束だ」
月明かりの下、どちらからともなく拳を持ち上げ、軽く打ち付け合った。