世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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不思議な小箱・1

 コンコンと軽いノックの音が聞こえ、エスメラルドは剣を磨いていた手を止めた。

「入れ」と言うと、ドアから顔を覗かせたのは案の定スピネルだ。

 何故かきょろきょろとして室内を見回している。手に持っているのは、古びた絵本だ。

 

「リナーリアは来てないのか?」

「いや、来ていないが」

「何だ、そうか。あいつを見かけたってメイドが言ってたから、てっきり殿下の所だと思ったんだけどな」

「セナルモントの所じゃないのか?」

 そう答えながら、静かに剣を鞘に収める。

 

「それがリナーリアが探していた絵本か」

「ああ。ナントカ版…200年くらい前のやつだな。やっと見つけたから、渡そうと思ったんだが」

 スピネルが絵本を示して見せる。隅の方は擦り切れているものの、表紙の絵は鮮やかな色を保っていて綺麗なものだ。

 描かれているのは気取ったポーズで帽子を被り、ブーツを履いた猫。エスメラルドもよく知っている童話だ。

 近頃彼女はライオスに現代語を教える傍ら、古い童話について調べるのに夢中らしい。

 ライオスは今の時代では既に失われた童話をいくつも知っていて、それらをまとめて本にしたいのだそうだ。

 

「じゃあ、セナルモントの所に行ってみるかな」

「なら俺も行こう」

 エスメラルドは剣を腰に差すと、椅子から立ち上がった。

 特に用がある訳では無い。単に、彼女の顔が見たいと思っただけである。

 

 

 

 王宮魔術師団を訪ねると、リナーリアの姿はすぐに見つかった。セナルモントの研究室ではなく、入口近くのロビーにいたからだ。

 数人の魔術師達と共にテーブルを囲み、何やら話し合っている。

「リナーリア」

 後ろから声をかけると、彼女はすぐにぱっと振り向いた。

 

「殿下、スピネル。どうしてここに?」

「ほら、これ。探してたやつ、見付かったぞ」

「あっ!ありがとうございます!」

 リナーリアは絵本を受け取ると、ぱらぱらとページを捲った。

「ああ、これです。間違いありません。王宮の図書室で見た覚えがあったんですけど、何故かあそこになかったんですよね…」

 懐かしそうに微笑みながら、猫の絵をそっと撫でる。

 

「わ、しかもこれ、初版じゃないですか。よく見付かりましたね」

 リナーリアは深く感心している。どうやら珍しいもののようだ。

「レグランド兄貴の伝手だ。返すのはいつでも良いってよ」

「本当に顔が広いですね。今度お礼をすると伝えて下さい」

「分かった」

「ずいぶん古い絵本だそうだが、今の物と何か違うのか?」

「はい。今もこのブーツを履いた猫の絵本は出回っているんですが、それとは少し内容が違うんです。ライオスから聞いた話ともまた違っているようなので、比べてみたくて」

「なるほどな」

 

 

 それからエスメラルドは、魔術師達が集まっているテーブルの方を見た。

 そこには精緻な彫刻が施された緑色の小さな箱が載っている。

「あれは、かなり古い時代の魔導具みたいなんです。詳しくはまだ分かっていませんが、恐らく3000年以上前のものだそうです」

 エスメラルドの視線に気付き、リナーリアが説明してくれた。

 集まっていた魔術師の一人が補足する。

「彫り込まれた文字を解読した所、記憶に関する魔導具だという事は分かったのですが、発動させる方法が全くわからないのです」

 

「記憶に関する魔導具…?」

「はい。動かすにはかなり多量の魔力が必要みたいなので私も協力していたんですが、やっぱり発動しないんですよね。何が足りないのか…」

 困ったように言うリナーリアに、エスメラルドは少し眉を寄せた。

 何だろう。何か分からないが、あの小箱に不思議なものを感じる。

 

 

「少し見せてもらっても良いか?」

 尋ねると、リーダーらしい魔術師が「はい、構いません」と答えた。こんな場所で皆で囲んでいるくらいだし、特に危険なものではないのだろう。

 リナーリアが「よいしょ」と言いながら箱を持ち上げ、手渡してくれる。見た目よりもずっしりと重い。

 掘られている模様は、よく見ると文字になっているようだ。エスメラルドには読むことができないが、奇妙な印象を受ける形をしている。

 

 すると、横から覗き込んだスピネルが小さく首を傾げた。

「何かそれ、前のとこ光ってないか?」

「どこだ?」

 目を凝らしたエスメラルドは、確かに光っている部分がある事に気が付いた。箱の前面部分、彫り込まれた模様の隙間がわずかに光っている。

 

「どこですか?」

 リナーリアもまた箱を覗き込んでくる。

「ここだ」

「ここだよ」

 スピネルと同時にそこに触れた瞬間。

 目の前を光が塗り潰した。

 

 

 

 

「…ここは…?」

 瞼を開くと、あたりの景色が一変していた。

 前後左右に並んでいるのは、ずらりと大量の本を収めた大きな本棚だ。部屋は少し薄暗く、空気はひんやりとしている。

「どうなってんだ、こりゃ」

 隣のスピネルも、眉を寄せながら周囲を見回している。だが他の者の姿は見当たらない。リナーリアも、魔術師達も。

 この本棚の間にいるのは、エスメラルドとスピネルの二人だけだ。

 

「見たところ、王宮の図書室っぽいが…」

「ああ、そういえば」

 道理で見覚えがあるはずだ。封印区画にある禁書庫ではなく、自由に閲覧できる書物が置かれている図書室の方である。

 エスメラルドもたまに足を運ぶことがある場所だが、どことなく違和感がある気がする。

 

 しかしそれよりも、今のこの状況が問題だ。

「転移したのか…?」

 そう呟きつつも首を傾げる。あそこには転移魔法陣などなかったし、転移した時特有の浮遊感も感じなかった。

「あの箱の力か?…って、箱どこ行った?」

「…分からん」

 思わず自分の両手を見つめる。気が付いた時には何も持っていなかった。

 

 

「どうにも妙だが、とりあえず王宮魔術師団の所に戻ろうぜ。あっちでも驚いてるはずだ」

「そうだな」

 いきなり二人が姿を消したのだから、きっと大騒ぎしているだろう。リナーリアも心配しているに違いない。

 エスメラルドはうなずき、本棚の間を歩き出した。そして角を曲がって図書室のカウンターが見えた所で、慌てて本棚の後ろに身を隠す。

 

「どうした?」

「シッ!何か妙だ」

 口の前で人差し指を立て小声で言うと、スピネルはすぐに表情を引き締めた。

 息を潜めて腰を低くし、そっと顔を覗かせて前方を確認する。

 

「…?司書のおっさんじゃねえか。一体何だってんだよ?」

 確かに、そこに座っている人物はエスメラルドも顔を知っている司書だ。名前はマーカスと言ったか。

「いや、おかしい。絶対に変だ」

 自分が知っているマーカスと、あそこにいるマーカスには明らかに違っている部分がある。エスメラルドは、重々しくそれを指摘した。

 

「髪が多すぎる」

 

 

「……。そう言えば、フサフサしてるな」

 微妙な沈黙の後、スピネルも同意した。

 マーカスは元々白髪交じりの黒髪をしていたのだが、ここ数年ほどでかなり生え際が後退した。よく晴れた日などは眩しいほどだ。

 しかしカウンターの上で何かの書類にかりかりとペンを走らせているマーカスの頭には、しっかりと髪が残っている。

 

「かつら…って訳でもなさそうだな。顔もなんか、若い気が」

「一体どういう事だ…?」

 よく似た別人かとも思ったが、それにしてはそっくりすぎる。本人が若返ったかのようにしか見えない。

 思わず二人で顔を見合わせた時、小さなノックの音が聞こえた。誰かがこの図書室に来たらしい。

 慌てて頭を引っ込めた直後、静かに扉が開いた。

 

 

「こんにちは、マーカスさん」

 少年の声だ。高い、どこか生真面目そうな印象を受ける声。

「やあ、こんにちは。また読書かい?」

「はい。今日は夕方まで時間があるので。…これ、ありがとうございました」

「おや、もう読んだのかい。相変わらず早いね」

「とても面白かったので、あっという間に読んでしまいました」

 

 少年はマーカスと親しげに会話を交わしている。

 ずいぶん慣れている様子だが、一体誰だろう。妙に気になる。

「しばらくここにいるつもりなら、ちょっと留守番を頼んでも良いかな。この書類を届けに行きたいんだ」

「はい、大丈夫です」

 少年はやはり生真面目な声で答えた。

「それじゃあ、よろしく頼むよ。リナライト君」

 

「…!?」

 

 その名前に、エスメラルドは思わず顔を上げた。それは以前、彼女から聞いた名前だ。

 驚いているエスメラルドに、スピネルが怪訝な顔をする。

 

 

 マーカスは数枚の書類を手に図書室を出て行った。

 少年はごそごそと棚から本を取り出し、カウンターの横にある机の前に座ったようだ。

 利用者用の読書スペースである。

 エスメラルドとスピネルは無言で目配せをし、本棚の陰からそっと様子を窺った。

 

 大きな椅子に腰掛けて分厚い本に目を落とす、10歳くらいの小さな少年。

 青銀の髪をかき上げる横顔を見て、呆然と呟いた。

「リナーリア…」

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