世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「…という訳で、光に呑まれて気が付いたらあの図書室にいたんだ」
「でも、転移したって感じじゃなかったな。魔法陣なんて見えなかったし」
エスメラルドとスピネルは、この世界に来た時の状況を語った。
リナライトは真剣にそれを聞き、「ううーん…」と難しい表情で首を捻る。
「その箱の光ってる部分に触ったのが、魔導具を発動させるスイッチになったんでしょうね。二人で触ったから、二人同時に魔導具に巻き込まれた。そこに書かれていたっていう文字の意味が分かれば、戻る方法も分かるかも…」
「…すまない、見た事もない文字だったから意味は全く分からない。どんな形だったかもうろ覚えだ」
自分はリナーリアほど記憶力が良くないので、ちらりと見ただけの模様など覚えてはいない。
スピネルも同じなのだろう、両手を上げて肩をすくめる。
「じゃあやっぱり、帰る方法は前後の状況から推測するしかないですね…」
「推測とか、お前難しい言葉知ってんなあ」
スピネルが横から口を挟む。確かに、10歳とは思えない語彙だ。
「いっぱい本を読んでますから!」
リナライトは得意げに胸を張った。それから、ちょっと恥ずかしそうにごほんと咳払いをする。
「えっと、それでですね。そういう魔導具って、目的を果たせば動きを止めるはずなんです。スイッチを押す時、何か目的になりそうな事を考えていませんでしたか?」
「特に、何も」
「変わった箱だなとか、そんな事くらいしか考えてなかったと思うぞ」
「うーん…じゃあ、お二人の前に触った人は?」
「そりゃお前だが。お前が何考えてたかなんて分からねえよ」
「あっ、そうか、僕が殿下に箱を手渡したんでしたっけ」
「そうだ。それに、箱に魔力を込めたのも君だったはずだ」
「ええっ…でも、未来の僕が何を考えてたかなんて、僕にだって分かりません」
リナライトの言う事は最もだった。リナーリアは彼にとっては見知らぬ未来の存在で、その記憶などないのだし。
「記憶…記憶か…」
ここがリナーリアの記憶を元にした世界なのは間違いない。何しろ、あの場にいた者で「リナライト」の姿を知っているのはリナーリア本人しかいないのだから。
だが、その記憶はあまり他人に見られたいものではないはずだ。
彼女が生まれ変わっているという事実を知っているのは、自分たちを含めたごく僅かな者だけ。記憶を覗かれれば、他者にその秘密がばれてしまうかもしれない。
つまりこの状況は、彼女が望んで作り出したものではない。
「たまたまあの瞬間だけ、発動する条件が整ってしまった…だから予想外の目的が設定されてしまった…?」
ただの勘だが、きっとそうに違いないと確信する。
鍵はやはり、彼女の記憶だ。
「…あの時、君は何を思い出していたんだ…?」
思わず呟きながらリナライトを見下ろすと、彼はとても困った顔になった。
「…いや、待てよ?」
スピネルが首を傾げる。
「だったらその目的ってのは、あの図書室にある物なんじゃないのか?目的から離れた場所に出てきたってしょうがねえだろ」
「あっ、なるほど。そういう事か」
リナライトがぽんと手を叩く。
「その時の僕って、何か図書室に関する話とかしてませんでしたか?」
エスメラルドとスピネルは顔を見合わせると、同時に叫んだ。
「…ブーツを履いた猫の絵本だ!!」
それから15分ほど後、「図書室で探して来ます」と言ったリナライトが部屋に戻ってきた。
ぞろぞろと3人でまたあそこに向かえばマーカスに不審がられるだろうし、とりあえず彼に絵本を持ってきてもらう事にしたのだ。
「ありましたよ、これの事ですよね?」
「ああ、間違いない」
ブーツを履いた猫の絵本。スピネルが持ってきたのと同じものだ。
「どこかの貴族が10年くらい前に寄付してくれたものだと、以前マーカスさんが言ってたと思います」
「そうなのか」
理由は分からないが、今世では寄付されなかったのかもしれない。だから、あの図書室にはなかった。
本を受け取り、ぱらぱらとページを捲ってみる。綺麗な挿絵だ。
「…特に何も起こらないな」
きっとこの絵本が関係していると思うのだが、触れただけで帰れるほど簡単ではないらしい。
「そもそも、未来の僕は何故これの話をしていたんですか?」
尋ねるリナライトに、スピネルが答える。
「未来のお前は、この絵本を見たがってたんだよ。でも図書室にはなかったから、俺が兄貴の伝手で探して借りてきた所だったんだ」
「僕がこれを…」
リナライトは何故か、探るようにエスメラルドの方を見た。
「どうした?」
「いえ、あの…。…殿下、この絵本の事、覚えてませんか?」
覚えていない。いや、知らない。
今のエスメラルドは、彼の主だったエスメラルドではないからだ。
「……。すまない」
そう答えると、彼はとてもがっかりした顔をした。
きっと何か、大切な思い出があったのだろう。
「本当にすまない…」
「あっ、いえ!そうですよね。子供の頃の事なんて、覚えてないですよね」
彼は笑って首を振ったが、やはりどこか悲しそうだ。
胸の痛みを覚え、エスメラルドは「良かったら、話して聞かせてくれないか?」と言った。
「君との思い出を俺も知りたい。いや、思い出したいんだ」
「…分かりました」
リナライトは、遠慮がちにうなずいた。
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