世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「この絵本を殿下と一緒に読んだのは、僕が城に来てからまだそんなに経ってなかった頃です。本を読むのが好きだと言ったら、あの図書室に連れて行ってくれて…。僕の方が字を読むのが上手かったので、声に出して読み上げて、殿下に聞かせました」
懐かしそうに、リナライトは語り始めた。
「このお話は、粉挽き職人の父親が死に、息子の三兄弟が遺産を分ける所から始まります」
「ああ」
童話のあらすじを頭の中に思い浮かべる。
父親の遺産は少なく、長男は粉挽き小屋、次男はロバを貰えたが、三男は猫しか貰えなかった。
三男はがっかりして猫を食べてしまおうか迷うが、思いとどまる。
すると猫は「私に立派なブーツと袋をください。そうしたら、あなたが貰ったのは素晴らしいものだったと分かります」と言い、三男はその通りにする。
そうしてブーツを履いた猫は知恵を働かせて王様と親しくなり、悪い魔法使いを倒して大きな城をも手に入れる。最後はお姫様と三男を結婚させて、ハッピーエンドだ。
「…殿下は『この猫は偉いな』と言いました。『知恵だけで貧しい三男を見事に出世させてすごい』と。僕は『本当に偉いのは三男です』と答えました。だって猫が三男のために知恵を使ったのは、最初に三男が猫の言葉を信じ、ブーツを与えてくれたからです。殿下は、『なるほど』ととても感心して下さいました」
絵本を前に語り合う幼い二人。その光景が、目に浮かぶような気がする。
「それで殿下と約束しました。この童話の三男と猫みたいになろうって。…殿下はどんな時も必ず、僕のことを信じる。そして僕はたくさん勉強して賢くなって、殿下のために知恵を使う…って」
「そうか…」
道理でさっき、エスメラルドが覚えていないと聞いてがっかりしていた訳だ。
彼はその約束をとても大事に思っている。…生まれ変わっても、決して忘れないほどに。
エスメラルドはその場にしゃがみ込むと、リナライトの青い目を覗き込んだ。
「教えてくれてありがとう。君に誓おう。俺はもう二度と、その約束を忘れない」
「はい…!!」
彼はとても嬉しそうに笑った。
…その瞬間、背後で何かが眩しく光る。
「おい、あれ…!」
スピネルが指差す。光の中に浮かんでいるのは、間違いなくあの緑の小箱だ。
「もしかして、あれが出口か…?」
もう一度リナライトの顔を見るが、目を丸くして驚いている。彼にもよく分かっていないらしい。
「じゃあ、今ので目的を達成したって事か?」
スピネルは少し考え込み、「なるほどな…」と呟いた。
「どういう事だ?」
「多分あいつは、さっきの約束を殿下に思い出して欲しかったんだよ。別にそのつもりで魔導具を使った訳じゃないんだろうが、あの箱を殿下に渡した時、頭ん中でその事を考えてたんじゃないか?」
…言われてみれば心当たりがある。
あの絵本を手に取った彼女は、とても懐かしそうで…そして、どこか寂しそうでもあった。
あれはきっと、失われてしまった前世での約束に思いを馳せていたのだろう。その気持ちが、魔導具に触れた時に目的として設定されてしまったのか。
「すみません…なんか、僕のせいだったんですね…」
原因が自分だと察したリナライトは申し訳なさそうにしている。
だからエスメラルドは、笑って首を振った。
「いいや、俺はむしろこの世界に来られて感謝している。君に会えて本当に良かった」
「殿下…、ありがとうございます」
「じゃあ、そろそろ帰ろうぜ。出口がいつまで開いてるか分かんねえし」
「ああ、そうだな」
とても名残惜しいが、元の世界に帰らなければ。彼女が待っているのだから。
「リナライト、本当にありがとう」
「助かった。なかなか楽しかったぜ」
スピネルと二人で礼を言うと、彼はぺこりと頭を下げた。
「はい。…殿下、スピネルさん。お元気で」
その笑顔は寂しそうで、エスメラルドは手を伸ばして彼の頭を撫でた。少し迷いつつも、意を決して口を開く。
「…リナライト。君はこれから、とても辛く、苦しい経験をするだろう」
「え?」
リナライトがきょとんとしてこちらを見返す。
…分かっている。これは記憶を元に作られた世界であって、過去の世界ではない。彼は記憶が作り出した仮初の存在で、現実ではない。
ここで何かを伝えても、彼の辿る運命は変わらない。彼の主は命を落とし、彼もまた生死を彷徨う。それは既に起こってしまった事だからだ。
頭ではそう分かっていても、伝えずにはいられない。
「だけど、怖がらなくていい。君ならば大丈夫だ。君は必ず、皆が幸せになれる未来を掴み取れる。俺はそれを信じている」
リナライトは不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせた。
だがすぐに真剣な顔になり、力強くうなずく。
「…分かりました!僕、頑張ります。殿下が信じてくださるなら、どんなに辛くても絶対に諦めません!!」
「うむ。その意気だ」
もう一度頭を撫でると、えへへ、と彼は照れたように笑った。
光の中の小箱に向かい、ゆっくりと近付く。
スピネルがリナライトに向かい、片手を上げた。
「じゃあな!頑張れよ!」
「はい!あなたも、殿下に迷惑をかけないようにして下さいね!」
「本当一言多いな!」
エスメラルドも、リナライトを振り返って手を振る。
「元気でな」
「はい!大きい殿下にまた会えるの、楽しみにしてます!」
「…ああ!未来で会おう…!」
スピネルとうなずき合い、二人同時に小箱に手を触れると、あっという間に目の前が光に包まれた。
「……殿下!!スピネル!!」
「リナーリア…?」
聞き慣れた声。長い青銀の髪。
こちらを心配そうに見つめているのは、いつもの彼女だ。
手の中には、あの小箱のずっしりとした感触がある。
「…現実に戻ってきたのか?」
「そうらしいな…」
隣を見ると、スピネルも夢から覚めたかのような顔をしている。
「一体どうなさったんですか?箱がピカッと光ったかと思ったら、急に二人共ぼーっとしだして、びっくりしました」
「ぼーっとしていた?どのくらいの時間だ?」
「まだ1分も経っていませんが…」
あちらの世界には一時間以上滞在していたと思うが、こちらではほんの僅かしか経っていなかったらしい。
「…どうやら俺とスピネルは、この小箱が作った世界の中に行っていたようだ」
「え!?」
「ああ。昔のお前に会ってきたぞ」
「ええっ!??」
「ど、どういう事ですか!?」
彼女と共に、色めき立った魔術師達が集まってくる。スピネルがどうどうとそれを宥めた。
「待て、待て。ちゃんと順序立てて話すから、ちょっと待て」
「昔の私に会った…?それって…」
困惑する彼女に、エスメラルドはうなずく。
「ああ。…君は、その、と、とても可愛かった…」
「いや、何で本人相手になると急に恥ずかしがるんだよ」
「う、うるさい!」
吹き出したスピネルを横目で睨みつける。
「…それとだな。俺はリナーリアに、ブーツをプレゼントする必要があると分かった」
「え?ブーツ?」
大きな青い目を見開いてきょとんとする表情は、やはり彼とそっくりだ。
「そこはガラスの靴にでもしとけよ」と、スピネルがおかしそうに笑う。
「そうだな、じゃあ、ガラスの靴を。ブーツはスピネルにやる事にしよう」
笑いながらそう言うと、リナーリアはますます訳が分からないという顔をした。
「後でゆっくり話そう。…君の思い出話を」
失われた思い出の話。聞きたいことは、きっとまだまだたくさんある。