世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「殿下、見て下さい。あのカエル、背中にもう一匹背負ってますよ」
そう言ってリナーリアが指さした先には、2匹重なったカエルがいる。
「本当だな。つがいか」
今日は休日だ。いつもの城の裏庭で彼女と二人、のんびりとカエルの観察を楽しんでいる。
昨夜降った雨のおかげで、カエルたちの動きは普段よりも活発なようだ。
「…あ、でもあれ、両方オスですね」
「本当だ…」
あのカエルはオスメスで少し模様が違うので見分けやすいのだが、重なっているカエルは両方ともオスのようだ。
カエル達はお互いに雌雄の区別がつけられないのか、あのように同性でつがいになろうとしているのもよく見かける。恐らくは、途中で気付いて異性を探しに行くのだと思うが。
「あのままじゃ子供を作れません。ちゃんとメスを見付けられるといいですね」
「そうだな」
エスメラルドはうなずき、それから顔を上げた。
「…そう言えば、時間は大丈夫か?」
「あっ。そろそろ行かなければいけませんね」
リナーリアは今日これから、ライオスと共に師匠のセナルモントの所に行く予定になっている。詳しくは聞いていないが、何やら魔術の実験がしたいのだそうだ。
彼女だけが一足早くやって来て、こうして一緒に散歩をしていたのだが、ライオスももう城に到着する時間だろう。
「昼食は一緒に取ろう。スピネルを連れて行くから、ライオスやセナルモントも誘っておいてくれ」
「分かりました!」
リナーリアと一旦別れたエスメラルドは修練場へと向かった。午前中は時間が空いているので、スピネルと共に剣の鍛錬をするのだ。
修練場に行くとスピネルは既にやって来て素振りを始めていた。
急いで稽古用の服に着替え、そちらに向かう。
手合わせはかなり白熱した。
決着を付けるのに時間がかかり、思ったよりも体力を消耗してしまった。
「すっかりいい時間になったな…腹が減った」
「殿下があんなに粘るからだろうが!はー、汗でびしょびしょだ」
「お前だって随分しつこかっただろう」
冷たい井戸水を浴びた身体をタオルで拭きながら、スピネルとあれこれ言い合う。
タオルを肩に掛け、半裸のまま更衣室に向かった。シャツへと袖を通しながらスピネルが口を開く。
「しかし、最近あんまり手合わせできてなかったから良い鍛錬になったな。今のうちにしっかりやっとかねえと、また親父にしごかれる…」
そうぼやいて、エスメラルドの方を見る。
「殿下も、油断してるとビシバシやられるから気を付けろよ。うちは手練揃いだからな」
「ああ」
スピネルが言っているのは、来月の水霊祭の事だろう。
王家の者が五公爵領のどこかを訪れ執り行うこの祭礼は、今年はブーランジェ領の番なのだ。
ブーランジェ家は国でも有名な武闘派の騎士家なので、祭礼の後も数日滞在し、騎士団を見学したり手合わせをする予定も組まれている。
今年は父である国王の体調も良く、久し振りに親子揃って行けそうなので楽しみだ。
「カーネリアがすげえ張り切ってんだよな。リナーリアに色々見せて回るって」
「カーネリアらしいな」
祭礼には今年もリナーリアを一緒に連れて行く予定だ。
カーネリアもブーランジェ家の一員として、王家一行を迎え祭礼に出席するはずだが、それよりも自分の故郷を友人のリナーリアに見せるのが楽しみで仕方ないらしい。
リナーリアもまた、ブーランジェ領を訪れるのを楽しみにしている様子だ。
去年はモリブデン領での暗殺未遂事件、一昨年はブロシャン領での巨亀事件と毎度ばたばたしていたが、今度こそはのんびりと旅を楽しめるだろう。
そんな事を考えていると、「ああ、そうだ」とスピネルが思い出したように言った。
「行く時は、あれを忘れずに持って行けよ?」
「あれ?」
「あれだよ、あれ。学院の入学祝いに俺がやったやつ、あるだろ」
…スピネルに、入学祝いに贈られた物といえば。
「これは男のエチケットだからな、いざって時ちゃんと使えよ。もし子供ができたら困るってのももちろんだが、こういうとこしっかりしてない男は女に嫌われるからな」と言われて渡された、あの。
「……一体何の話だ!!??」
思わず手のひらで壁を叩くと、ばーん!!と激しい音がした。
「ちゃんとしとかねーと、結婚前にできたりしたら外聞悪いだろ」
「そういう事を訊いてるんじゃない!!!」
真っ赤になっているのを自覚しつつ叫ぶと、スピネルはこれみよがしに肩をすくめてみせた。
「だってチャンスだろ?こういう機会でもなきゃ、なかなか進展しないじゃねえか。プロポーズしてからもうすぐ1年近く経つってのに」
「ちゃ、チャンス…!?」
「まあ、城じゃやり辛いのは分かるけどな。でも泊まりなら大丈夫だろ。俺らも気付かないふりするし」
スピネルの言う通り、城は人目が多いし侍女たちには色々と筒抜けなので、それを気にしている部分はある。
だが、それ以前にも問題があるのだ。
「…相手はリナーリアだぞ…?」
「もう婚約してんだし、別に嫌がったりはしないだろ。あいつそういうのには理解ある口ぶりだったじゃねえか。殿下が春画本持ってても何も気にしてなかったし」
「それは、そうだが」
男だった記憶があるからなのか、彼女はその手の話題になっても意外と平然としている。むしろこっちが動揺したくらいだ。
スピネル曰く「絶対耳年増なだけだぞ、あれ」だそうだが。
「しかし、リナーリアだぞ…?」
彼女は時々、こちらの予想もしないような反応をしてくる事がある。
まあそんな所も意外性があって良いのだが、この問題ばかりは絶対に間違える訳にはいかない。
万が一拒否されたりしたらしばらく立ち直れない自信がある。
「…そう言われると、俺も自信なくなってくるけどよ…あいつ訳分かんないとこあるからな…」
スピネルも同じ事を思ったのだろう、何とも言い難い顔つきになった。
微妙な沈黙の後、スピネルは小さくため息をついて上着を羽織った。
「まあいいさ、殿下の好きにしろよ。まだそんなの興味ないとか、式挙げるまでは我慢するつもりだとかなら、別にそれで良いんだし」
「…興味なんてそんなもの、あるに決まっているだろうが!!」
つい大声で言った瞬間、ゴンッという音が背後のドアのあたりから響いた。
スピネルと顔を見合わせ、振り返ってドアを見つめる。
…物凄く嫌な予感がする。
スピネルは無言で歩き出すと、エスメラルドが止める間もなくドアを開けた。
「ひゃあっ」という情けない悲鳴と共に、ドアの陰にいた誰かがつんのめりながら部屋に入ってくる。
「…あ、あの、すみません、遅かったので、昼食、呼びに、来たんです、けど」
リナーリアだった。しどろもどろで、顔は真っ赤である。どこかにぶつけたのか、額も赤い。
「あっ、えっと、わ、私……何も聞いてませんので!!!」
…尋ねてもいないのにそう言ったあたり、完全に答え合わせがされていた。
「…で、では、あの…さ、先に行ってますね!!!」
リナーリアは脱兎のごとく駆け出していった。
ばたばたと遠ざかるその後ろ姿を、ただ呆然と見送る。
スピネルはしばし無言で静止していたが、エスメラルドの方を振り返ると爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「悪い、俺も先行ってるわ!!」
「……スピネル!!!!!!」
エスメラルドの怒声が部屋の中に響き渡った。
リナーリアさんは他人の話なら平気だけど、自分の話は苦手というタイプです。