世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第85話で登場したエレクトラムお姉さまのお話です。


お姉さまの新たな扉

「うううう…卒業したくありませんわー!!!」

「まあ、まあ」

「落ち着いて」

 叫びながらテーブルに突っ伏したエレクトラムを、スフェンとシリンダはどうどうと宥めた。

 

「確かに、3年間親しんだこの学院に別れを告げるのは寂しいけどね。これは僕たちの新しい旅立ちでもあるんだよ?」

「でも…卒業したら皆さんに会えなくなってしまいますわ…」

 エレクトラムは涙目で呟く。

 卒業式を間近に控えたこの頃、彼女は毎日この調子だ。

 

 

 エレクトラムとシリンダの二人は、スフェンのファンクラブをまとめ上げるトップメンバーだ。

 スフェンにとっては頼れる友人でもあり、学院生活においていつも支えられてきた。

 

 穏やかなシリンダに比べ、エレクトラムはいつも高飛車な態度なのでとっつきにくいように見えるが、その実とても面倒見の良い性格だ。人一倍仲間の事を気にかけていて、メンバー皆から慕われている。

 しかし今は、その情の深さが仇になってしまっているようだ。

 卒業して仲間たちと別れるのが寂しくて仕方ないらしい。

 

「大丈夫よ、卒業したっていつでも会えるわ。皆それぞれの道を行くだけで、スフェン様のファンをやめる訳ではないのだし」

 シリンダはそう言って慰めたが、エレクトラムは涙目のままで睨みつける。

 

「…でも、近頃ちょっと集まりが悪いじゃありませんの!皆して彼氏ができたとか、婚約者ができたとか…。わたくし達の結束はどこに行ってしまったの…!?」

「うん…まあ…それはねえ…」

 嘆くエレクトラムに、スフェンとシリンダは顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

 この学院の女子は、大半が在学中に婚約者を作り卒業後に結婚をする。

 スフェンに熱を上げていたファンクラブメンバーとて、それは例外ではない。

 中にはだいぶ感情を拗らせてしまい、「私はスフェン様一筋です、絶対に男とは結婚しませんわ!!」などと気炎を上げている子もいたのだが、それも近頃はずいぶん落ち着き、恋人を作る者が増えた。

 

 それと言うのも、今の学院内には恋愛旋風が吹き荒れている。

 これはスフェンの親友にして後輩であるリナーリアが、武芸大会の大観衆の目の前で王子エスメラルドからのプロポーズを受けた影響だ。

 

 二人で試合の勝利を喜び合った後での劇的なプロポーズ。

 女子ならば誰しも、あんな風に情熱的に愛を告げられてみたいと憧れるだろう。

 きっと後世ではあの台詞が、演劇やら小説やらで何百何千回と演じられるに違いない。いや、目敏い者は既に公演の準備を始めているかもしれない。

 そう思うほどにドラマチックな一幕で、その煽りを受けて恋人や婚約者を作りたがる女子が急増したのだ。

 

 ハードルが上がりまくってしまったせいで、男子は当初腰が引けている者が多かったが、そのうちに「女子たちが熱に浮かされている今がチャンス」と告白し、成功する者がぽつぽつと現れ始めた。

 そうすると我も我もと皆が後に続き、今学院内では物凄い勢いでカップルが発生しつつある。

 その中にはもちろん、ファンクラブのメンバーだっていたのだ。

 リナーリアはスフェンの友人としてメンバーたちとも親しんでいたので、受け入れやすかったのだろうと思う。

 

 

 スフェンとしては、そんな彼女たちに正直少しホッとしていた。

 自分自身は恋愛に興味などないし、夢を叶えるために女騎士となる道を選んでいる。だが、仲間や友人たちに同じような道を歩んで欲しいとは思っていなかった。

 恋愛や結婚に幸せを見出だせるなら、それで良いと思っている。

 

 何故ならこの学院に通う多くの令嬢たちは、親から結婚を望まれているからだ。

 家族と争ってまで自分を貫くのはとても難しく厳しい道だと、スフェンはよく知っている。

 本当に夢や希望があってその道を選ぶのならば心から応援するが、若さゆえの勢いだけで走り出し、のちのち後悔する事になったら。

 そのきっかけを作ったのが自分だったとしたら。

 そう思うと、少しだけ怖かったのだ。

 

 シリンダなどは「仮にそうなったとしても、スフェン様のせいではありませんわ。それに、結婚したからと言って幸せになれるとは限らないのですし」とシビアな意見を言ってくれていたが。

 彼女は人当たりが柔らかく優しげだが、非常に芯が強いといつも思う。ツンツンしているが涙もろいエレクトラムとはまるで正反対だ。

 

 

 

 …まあとにかくそんな訳で、スフェンの学院卒業と恋愛ブームとが重なった事により、多くのファンクラブメンバーたちがそれぞれの道を歩み出そうとしている。

 

 そしてエレクトラムは、結婚とは違う道を選んだ者の一人だ。

 元々結婚願望がなかった彼女は、卒業後は実家が経営する劇場で働く予定だ。勉強していずれは立派な支配人になり、スフェンが書いた台本で演劇を上映したいと言ってくれている。

 それはとても嬉しいのだが、どうやら恋人や婚約者を作ったメンバーたちとの間に若干の温度差が生まれてしまっているようだ。

 

 これはどうしても仕方のない事だと思う。

 大切な人間、大切な場所ができたのなら、そちらが優先になるのは当然なのだ。エレクトラムだってきっと本当は分かっている。

 しかし感情はそう簡単に割り切れないというのも、当然の話だろう。

 

 

「うう…皆薄情ですわ…」

 めそめそと泣き続けるエレクトラムの肩に、スフェンは優しく手を置いた。

「大丈夫だよ、少しくらい疎遠になったって、僕たちの絆は切れやしないさ。常に側にいるのだけが仲間じゃない。離れていたって、いつでも必ず支えてくれる」

「スフェン様…」

 

 皆と別れ別れになるのは寂しい。

 だが、未来へと踏み出すその一歩は明るく前向きなものであって欲しいというのが、スフェンの願いだ。

 

「それでもどうしても寂しい時は、僕に会いに来るといい!僕はお城勤めになるから、王都にいる君とはいつでも会えるよ。…あ、それに、リナーリア君もだね!彼女はあともう一年学院にいるし、結婚後はお城住まいになるからね。君が会いに行けば、きっと喜ぶよ」

「リナーリアさんに…」

 リナーリアの名前を出すと、エレクトラムは非常に複雑そうな表情になった。

 

「もう、そんな顔をしてはだめよ、エレクトラム。あの時は、ちゃんとリナーリア様にお祝いを言えていたじゃありませんか」

「だって…わたくし、お姉さまですもの。妹の幸せは、ちゃんとお祝いしませんと…」

 嗜めるシリンダに、エレクトラムはなおも表情を曇らせる。

 

 後輩から頼られるのが大好きなエレクトラムは、武芸大会の練習の時に世話をしたリナーリアの事を、大変気に入って可愛がっていた。

 男兄弟ばかりの家に生まれたエレクトラムは姉妹というものにずっと憧れていて、リナーリアから「お姉さま」と呼ばれるのが嬉しくてたまらなかったらしい。

 

 プロポーズの件では娘を嫁に出す父親のごとくショックを受けていたのだが、本人の前では強がって祝福してみせていたのである。

 結構ボロボロな様子だったので多分皆が察していたが、リナーリアは気付いていないようだったのが幸いだ。

 

 

「…でも、リナーリアさん、結婚したらわたくしの事なんて忘れてしまうんじゃないかしら…」

「リナーリア君はそんな人ではないよ。君だって知っているだろう」

「そうなんですけど…」

 睫毛を伏せるエレクトラムの両肩を、スフェンはガシッと掴んだ。

 驚いたその両目をしっかりと見つめる。

 

「あの時、寂しさをこらえて祝福する君はとても立派だったよ。リナーリア君だって、そんな凛々しい君だからこそお姉さまと慕ってくれたはずだ。…それとも君は、気弱で情けないお姉さまになりたいのかい?」

「い、いいえ!そんなの嫌ですわ!!」

「だったら顔を上げて、前を向こうじゃないか。大丈夫、立場が変わったって、変わらないものは必ずあるよ」

 

 力強く励ますと、エレクトラムはようやく少し元気を取り戻したようだった。

「…分かりましたわ!わたくし、立派なお姉さまを続けてみせます…!!」

「うん!その意気だよ!!」

 

 

 

 

 …そして、卒業式当日。

 夕方から行われるダンスパーティーで、タキシードに身を包んだスフェンは、真っ赤なドレスで着飾ったエレクトラムをエスコートしていた。

「うふふ、スフェン様にエスコートしていただけるなんて、とっても光栄ですわ…!」

 エレクトラムは頬を上気させて感激している。卒業式では随分と泣いていたので心配したが、何とか気を取り直したらしい。

 

「先輩、エレクトラムお姉さま、こんばんは!」

 早速声をかけてきたのはリナーリアだ。濃い青紫に、銀糸の刺繍が美しいドレス。エスコートをしているのはもちろん王子である。

「お二人共、今日もとっても素敵です」

「君の方こそ、今日は一段と綺麗だよ。王子殿下もさぞ鼻が高いだろう」

「そ、そんな…」

 

 照れるリナーリアはとても可愛らしく、見ているこちらまで口元が綻んでしまう。

 エレクトラムもスフェンと同じ気持ちのようで、微笑ましげに目を細めている。

「…おっと、そろそろダンスが始まる時間のようだ。リナーリア君、後で僕とも踊っておくれ」

「はい、もちろん!では、また後ほど」

 前奏が始まる中、リナーリアは王子の手を取って去っていった。

 

「リナーリアさん、本当に幸せそう…良かったですわ」

 呟くエレクトラムはやはり、少しだけ寂しそうだった。だがすぐに笑顔に戻りスフェンを振り返る。

「わたくし達も行きましょう、スフェン様!」

「ああ!今夜は目一杯楽しもうじゃないか!」

 スフェンはにっこりと笑って手を差し伸べた。

 

 

 

 それからスフェンは、エレクトラムやリナーリアだけでなくたくさんのファンクラブメンバーたちと踊った。

 皆別れを惜しんでくれているのだ。できる限り多くの子と踊りたいが、さすがにずっと踊りっぱなしではいられない。

 途中で休憩を挟み、壁際にいるエレクトラムの所に向かった。

 

「どうだい、エレクトラム。楽しんでいるかい?」

「ええ、もちろん。このオレンジを使ったカクテル、とても美味しゅうございますわ」

「それは良いね。僕ももらう事にしよう」

 

 ボーイからカクテルを受け取り、一息つきながら会場を見回す。

 誰も彼も、とても楽しそうだ。生き生きとダンスを踊り、あるいは華やかな会話に興じている。

「エレクトラムは、たくさん踊ったかい?」

「何曲かは。でも疲れたので、もう結構ですわ」

 エレクトラムはそう肩をすくめたが、特に疲れた様子には見えない。彼女はスフェンのトレーニングにもよく付き合っているので、令嬢としてはかなりの体力があるのだ。

 

 だが、彼女はあまり踊る相手がいない。

 彼女は多くの後輩女子たちから慕われているが、その棘のある態度のせいで親しい男子がほとんどいないのだ。きっと、家ぐるみで親しくしている何人かと踊っただけだろう。

 

 

 だからだろうか、やがてエレクトラムは遠慮がちに微笑むとこう言った。

「少し早いですけれど、わたくしそろそろお(いとま)いたしますわ。スフェン様は、どうぞ楽しんで…」

 

「…お待ち下さい!!」

 

 高く澄んだ声が辺りに響いた。

 その声の主を見たエレクトラムが、驚愕に目を見開く。

「り、リナーリアさん…!?その姿は…」

 

 驚くのも無理はない。

 リナーリアは長い髪をポニーテールに結い上げ、青いタキシードに身を包んだ凛々しい男装だったからだ。

 

「お姉さまの卒業と新たな門出を祝うため、おめかしをして参りました」

 胸を張るリナーリアを、エレクトラムや周りの者達が唖然として見つめる。

 

 

 スフェンはにやりと笑いながらエレクトラムの顔を覗き込んだ。

「ふふふ、びっくりしたかい?僕の昔の服を貸したのさ。…ああ、アイディアを出したのは僕だけど、君を驚かせて喜ばせたいって言い出したのはリナーリア君だよ」

「わ、わたくしのために?」

「はい。お姉さまが寂しがっているご様子でしたので、少しでも元気付けられたらと…」

「衣装替えや髪のセットには、ファンクラブの皆が協力してくれた。君に気付かれないように、こっそりとね」

 

「……!!」

 感極まったように胸元を抑えるエレクトラムに、スフェンは優しく微笑みかける。

「これで分かっただろう?リナーリア君も、他の皆も、いつだってちゃんと君の事を気にかけてくれている」

「はい…はい…!!」

 目尻に涙を溜め、こくこくとうなずくエレクトラムに、リナーリアがさっと手を差し出す。

 

「…私と、踊っていただけますか?」

「ええ…!!」

 

 

 

 奏でられる音楽の中、エレクトラムと男装のリナーリアは会場中の注目を集めながらくるくると踊っている。

 リナーリアが前世の記憶のお陰で男性側のダンスを踊れるという話を思い出し、ちょっとした悪戯心もあって行った提案だったが、結果は大成功だ。

 エレクトラムは本当に幸せそうにうっとりと頬を染めていて、間違いなく一生の思い出になる事だろう。

 

「…ちょっとばかり、新しい扉を開いてしまった気もするけど…」

 遠くから眺めながら、スフェンは一人呟く。

 エレクトラムだけではなく、幾人もの女子がこの光景に頬を染めている。いや、男子もだ。王子や従者までぽかんとして見つめているので少し笑ってしまう。

 リナーリアは普段はむしろ可愛らしいたおやかな外見をしているのだが、そういう少女が男装をするというのもまた新たな魅力があるようだ。

 

「まあ、いいか!これはこれで!はっはっは!!」

 スフェンは胸を反らして高笑いをした。

 

 …それから10年後、エレクトラムが女性だけで構成される歌劇団を作り大反響を呼ぶことを、この時はまだ予想もしていなかった。




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このまま復活できなかったらどうしよう…。
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