世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「…勝者、スピネル・ブーランジェ!」
王子の手が上がり、周囲の野次馬からわっと歓声が上がる。
対戦相手の生徒は少しの間呆然としていたが、気を取り直したように笑顔を浮かべると、兄と握手を交わした。
「お兄様、お疲れ様!」
「…おう」
試合を終え闘技場のリングから降りてきた兄は、一応返事はしたもののムスッとした表情だ。少々機嫌が悪い。
「じゃあな」と片手を上げると、王子と共にすぐに立ち去ってしまった。
少し肩を落としたカーネリアに、隣にいたヴァレリーがにっこりと笑いかける。
「食堂でお茶にしませんか?私、最近あそこのスコーンがお気に入りなんです」
「良いですね。私もご一緒してもよろしいですか?」
その隣のリナーリアも同調し、カーネリアは気を取り直して笑い返した。
「そうね、行きましょ!」
ほんのり温かいスコーンを2つに割り、ブルーベリージャムとクロテッドクリームをたっぷりと付けて口に運ぶ。
さっくりとした歯ごたえのスコーンにはこの組み合わせがよく合うのだ。
更に、紅茶を一口。紅茶というのはこういうお菓子を引き立てるためにあるとカーネリアは思っているが、紅茶好きの兄の意見は真逆であるらしい。
「…お兄様、今日も不機嫌だったわ」
ポツリとそう言うと、ヴァレリーがティーカップをソーサーに置いた。
「えーと、スピネル様はこれで先週から5度目の試合でしたよね?」
「そう。…本当、あんな事言うんじゃなかったわ…」
大きくため息をつく。兄が今やたらと試合を申し込まれているのは、カーネリアが原因なのだ。
「お兄様より強い人となら、お付き合いしてもいいわ」
そうカーネリアが言ったのは、今から2年半も前…まだ学院に入学して間もない頃だ。
その頃は単なる虫除けのつもりだった。兄の剣の腕前は既に噂で広まっていたし、実際にそれが目的で試合を申し込む者はそれほどいなかった。
やって来るのはよほど腕に自信がある上級生だけで、兄もそういう相手との試合を楽しんでいた。
だが、今は違う。試合を申し込んでくるのは下級生ばかり、それも度胸試しとばかりに遊び半分で挑んで来る者ばかりだ。
どうせ敵わないだろうが、万が一勝てたらラッキー。そうでなくても箔がつく。そんな気軽さなのである。
それでも数人程度なら問題なかったのだろうが、命知らずな生徒は思った以上に多かった。
いっそ思い切り叩きのめせれば良いのだが、下級生相手にあまり大人げない対応もできず、兄はだいぶ嫌気が差しているようだ。
それもこれも、全て…。
「本当に、ユークにも困ったものねえ」
…ヴァレリーの言う通り、ユークレースが悪い。
カーネリアだってもう自覚している。
仮に兄に勝てる者が現れたとしても、カーネリアがその手を取る事はない。
自分が待っているのは、あの生意気でひねくれ者でプライドが高い、意地っ張りの年下の少年なのだ。
向こうだってきっとカーネリアが好きに決まっている。
一緒にいる時間だって長いし、他の女の子と自分とでは態度が違っている。
テストでいい成績を取った時、他の生徒に魔術戦で勝った時、どうだと言わんばかりに最初にカーネリアを見る。
カーネリアが別の男子と話している時、チラチラとこちらを気にしている。そこで会話を打ち切ってユークレースの方へ行くと、ちょっとだけ上機嫌だ。
バレンタインに手作りのお菓子をくれた時だって、カーネリアへのものが一番丁寧で綺麗だった。
でも、やっぱり何も言ってこないのだ。カーネリアはもう、あと数ヶ月で卒業してしまうというのに。
最近は王宮魔術師団に通うのが忙しいとかで放課後いつもいないようだし、ランチに誘っても「クラスメイトと食べる」などと断られがちだ。
どうも避けられている気すらしてくる。
別に卒業したら関係が絶たれる訳ではないけれど、それでもきっと距離が開いてしまう。生活が変わってしまうからだ。
卒業後はブーランジェ家の女騎士になる予定だが、両親はきっと数年以内に家中の騎士の誰かと結婚するよう勧めてくる。強制はしないだろうが、いつまでも独身でいる事を良くは思わないだろう。
カーネリア自身、騎士をやりつつ結婚だってしたいし子供も欲しい。
どうして何も言ってくれないのだろう。
あの賢い少年なら、そのくらいの事はとっくに分かっているはずなのに。
それとも、自分は思っていたほどに彼の「特別」ではなかったのだろうか。
下級生たちが兄を倒そうと盛り上がっているのも、カーネリアが誰とも婚約しないままでいるからなのだ。
「ユークじゃスピネル様には勝てないのは、どうしようもないと思うんですけど…」
「そうですね。そもそも魔術師と騎士では役割が違いますから」
ヴァレリーの言葉にリナーリアがうなずき、カーネリアは口を尖らせた。
「でも、それなら他にも方法はある訳じゃない?助っ人を連れて来るとか、別の方法で勝負するとか」
チェスだとかカードだとか、あるいはテストの成績でも良い。
兄はだいたい何でも優秀だが、どれかではきっと勝てるはずなのに。
「スピネルが不機嫌なのはそのせいもあると思うんですよね。ユークが何の行動もしないから…まあ、行動したらしたで不機嫌になりそうですけど」
「スピネル様って結構面倒な人ですよね」
「そうなのよ…」
兄の機嫌は日に日に悪くなる一方だ。カーネリアとしてもさすがに申し訳ない。
もういっそ自分の方からユークに言うべきだろうかとも思うが、でもそれは嫌なのだ。
だってカーネリアはいつもこちらから彼に近付き、その手を引っ張ってきた。
こういう時くらい、男らしく向こうから来てくれても良いではないか。
ついに動きがあったのは、それから更に5日後の事だ。
昼休みの終わり際、ユークレースに「放課後、闘技場に来い」と言われたのである。
カーネリアは胸を躍らせた。いよいよ待ち望んでいた時が来たのだ。
…闘技場なら、やっぱり試合をするのかしら?ユークの事だから、きっと勝算があるに違いないわ。
考えるだけでつい口角が上がってしまう。
おかげで午後の授業は全く身が入らず、ずっとニマニマとしていたせいで教師にも注意されてしまった。
そして放課後。
カーネリアは深呼吸をすると、わざとゆっくりと歩いて闘技場に向かった。
本当はすぐにでも走り出したかったが、そんな風に喜んだ態度を見せるのは癪だったからだ。
闘技場に入るとすぐに、兄の鮮やかな赤毛が見えた。その隣には王子とヴァレリー。同級生たちも近くにいる。
「お兄様?どうして観客席にいるの?」
「俺はあの小僧に言われて試合を見に来ただけだ」
兄は今日もムスッとしている。一体どういう事かと思ったら、闘技場のリングに人が上がってきた。
ローブを羽織ったユークレースとリナーリア、それから制服姿のミメット。
「…試合相手って、リナーリア様なの!?」
「ユークはリナーリア様に勝つ事をずっと目標にしてましたからねえ」
「それはもちろん知ってるけど…」
入学してから何度も繰り返し魔術戦を挑んで、まだ一度も勝てていないはずだ。だが最近は挑んでいる姿をちっとも見かけなかった。
本人は修行中だとか何とか言っていたが…。
ヴァレリーがこそっとカーネリアに耳打ちする。
「ユーク、今日はいつも以上に本気みたいですよ。絶対に勝つつもりです。…ほら、リナーリア様はスピネル様に勝ったことがありますし…」
「あ、それじゃあ…」
リナーリアに勝てば、兄に勝ったも同じという理屈か。近頃忙しげにしていたのもこれのためか。
内緒話が聞こえてしまったのか、兄の顔がますます不機嫌になった。
話を聞きつけたのだろう、周囲には野次馬の生徒がかなり集まってきている。
「両者、開始位置に付いて下さい」
ミメットが片手を前に出して声を上げる。きっとリナーリアに審判を頼まれたのだろう、やや緊張した面持ちだ。
「手加減はするなよ。絶対に」
「分かりました」
ユークレースとリナーリアがお互い静かに杖を構える。
「…始め!!」
それから20分後。
「…えっと、凄く頑張ったと思います。本当に凄かったです。でも仕掛けるタイミングがほんのちょっと遅くてですね…私を十分追い込んだという確信が欲しかったんだと思いますが、それが逆に良くなかったというか…」
がっくりと両膝をついたユークレースに、リナーリアが必死で声をかけていた。
闘技場内にはかなり気まずい空気が漂っている。観戦に来た野次馬達はだいたい皆、今回の事情を知っているからだ。
この学院の生徒は皆噂好きだし、カーネリアもユークレースも結構な有名人だ。
ユークレースは戦いを有利に運んでいた。凄まじい威力の風と炎の魔術を操り、リナーリアが繰り出す反撃もしっかり抑え込んでいた。
観客は大いに盛り上がり、ユークレースの勝利に期待する者が多いようだった。
あのユークレースがついにカーネリアに告白するのか。リナーリアに勝てたならスピネルよりも強いという屁理屈を、カーネリアは、スピネルは受け入れるのか。
皆、その結末がどうなるか見たがっていた。
…しかし、結果はリナーリアの逆転勝利である。
リナーリアも会場の雰囲気を感じ取っているのだろう、非常に申し訳無さそうにしている。
だが彼女は悪くないのだ。彼女は手加減などできる性格ではないし、そもそも手加減するなと言ったのはユークレースだ。カーネリアだって、手加減されての勝利など望んでいない。
ただ、皆ががっかりしているというのも事実だった。
「あの、ユーク、これは本当に限りなく引き分けに近い勝負だったというか…」
「…もういい。お前、慰めるの下手くそすぎ」
「!?」
ボソッと言ったユークレースに、リナーリアがショックを受ける。
「どうせ、僕じゃお前には勝てないんだ」
「ゆ、ユーク…」
くるりと背を向け、ユークレースはとぼとぼと歩き出す。
「…待ちなさいよ!!」
カーネリアは走って観客席から降りると、闘技場を出ようとするユークレースの前に回り込んだ。
「ユーク、貴方、このくらいで諦めちゃうの!?」
「このくらいとは何だ!!僕はこの2年間ずっと努力してきたんだぞ!?勉強して、練習して、頑張ってきた!…それでもあいつは、僕の上を行く…!!」
「たった2年が何よ!!」
カーネリアはビシッと王子を指差した。
「殿下なんて、お兄様に勝つまで10年もかかったのよ!?それでも頑張ったのは、リナーリア様の事が好きだったからだわ!!」
「はわわっ…」
「そ、それだけが理由ではないぞ」
リナーリアと王子が揃って赤くなるが、カーネリアはお構いなしに続けた。
「ユークだって、私の事が好きなら何年かかっても勝ってみなさいよ!!!」
「…ぼ、僕は、別に…」
「ユーク!!」
目を背けようとするユークレースの顔を両手で挟み、無理矢理こちらを向かせる。
「好きなんでしょ!?」
「……っ」
ユークレースの頬が赤く染まる。
ギュッと目を瞑り、歯を食いしばると、それから叫んだ。
「…す、好きだ!!!」
周囲から「おおっ」というどよめきが上がる。
…やっとだ。やっと、聞きたかった言葉が聞けた。
強引に言わせたのだが、それでもやっぱり嬉しい。
カーネリアは満面の笑顔を浮かべた。
「だったら私も、ちゃんと待っててあげる!大丈夫、ユークなら絶対にリナーリア様を倒して、お兄様に交際を認めさせる事ができるわ。…だってユークは、天才魔術師なんですもの!!」
「……は、離せ」
ユークレースは少しの間無言で固まっていたが、カーネリアの両手から逃れると、ぷいっと横を向いた。
「…ふん!さっきは、ほんのちょっと弱気になっただけだ。僕は必ずあいつを超える。勝ってみせる。…だから、しっかり見てろよ!」
「ええ…!もちろん!!」
観客から歓声と拍手が沸き起こる。
「良いぞー!!」
「頑張れー!!」
カーネリアはニコニコと笑い、ユークレースは再び赤くなった。
…そして、少し離れた所では。
「…あの、できれば早めにお願いします…試合は構わないんですけど、何だか私が悪役みたいでいたたまれないので…」
「何で俺がこんな茶番に付き合わなきゃならないんだよ!!!ふざけんな、俺は二度と見に来ないからな!!!」
「スピネル様、落ち着いて」
リナーリアは困った顔をし、兄は激怒してヴァレリーに宥められていた。
新連載「流星の天秤~令嬢になった元従者、現従者と共に王子を救う~」を開始しました。
世界の天秤のアナザー(スピネル)ルートですが、似ているけど所々設定が違う、別の世界の物語になります。リナーリアの名字も違っています。
楽しく面白い物語にして行きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
https://syosetu.org/novel/325969/
活動報告も更新しております。
世界の天秤の後日談も、のんびり更新で続けていく予定です!