世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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新たな女神の伝説

 静かな室内に、カリカリと鉛筆を走らせる音が響く。

 詩文の問題で出てきた作者名が思い出せず、カロールは懸命に記憶を探った。

 何だっけ。ディなんとか、いやヴィなんとかだっけ…?

 目を閉じて考え込んだ時、すぐ横から聞こえていた鉛筆の音が止まった。

 

「できました!」

「えっ、早っ!」

 驚いて顔を上げると、隣のネフライト王子は母親譲りの青銀の髪を揺らして少しだけ得意げな顔をした。

 答案を受け取った教育係が赤鉛筆を持ち、素早く採点していく。

 

「…大変よくできました、満点です。これなら、明日の午後はお休みを差し上げて大丈夫ですね」

「やった!」

 喜ぶ王子に少し焦る。

 自分は従者だというのに、このままでは置いて行かれてしまう。せっかくのお忍びのチャンスなのに。

 

 カロールは必死に鉛筆を動かし、それから10分ほど後。

「はい、カロール様も合格です」

「やったね!!」

 カロールとネフライトは笑顔でハイタッチをした。

 

 

 

 …ネフライトが「城下町に行きたい」と言い出したのは、つい3日ほど前の事だ。

 カロールは初めちょっと驚いた。ネフライトが自分からこういう事を言うのは珍しかったからだ。

 

「どこか行きたい場所でもあるんですか?」

「うん。ギロルっていう画家の個展に行きたいんだ」

 それを聞いてカロールは思わず脱力した。

 

「…それって確か、この前陛下と王妃様が行ったやつですよね。王妃様が若い頃モデルをした絵も展示されてるっていう…」

「そう!僕はその日別の用事で連れて行ってもらえなかったから、どうしても見に行きたいんだ!」

「まあ良いですけど…もうちょっと他に興味持ちましょうよぉ」

「いいだろ、別に」

 

 少し頬を膨らませるネフライト。

 カロールの主であるこの少年は、将来はこの国を継ぐ予定の第一王子だ。

 控えめだが穏やかな性格、両親に似て容姿は整っているし、勤勉で頭も良い。実によくできた王子なのだが、一つ困った点を挙げるとすれば、とにかく母である王妃の事が大好きだという点だ。

 確かに美人だし優しいし素敵な人だとはカロールも思うが、もう14にもなるというのに二言目には「母上」というのは、将来が少々不安になってくる。

 

 

「そうだ、姉上には内緒にしてよ。城下町に行くなんて言ったら絶対付いて来るから」

「別に一緒に行けばいいじゃないですか」

「やだよ!姉上が大人しく絵なんか見るわけないだろ!すぐ飽きて他のとこ行こうとするに決まってる!」

「それは…確かに」

 

 ネフライトの姉のヴィヴィア王女は弟とは真逆の活発的な性格だ。一つ所にじっとしている事がないので、絵の個展のような静かな場所とは致命的に相性が悪いだろう。

 そのパワフルで気の強そうな…というか強い所がカロールには好みだったりするのだが。あと顔がすごく可愛いし。

 

「じゃあヴィヴィア様は置いといて、誰か連れて行きたいご令嬢とかいないんですか?城下町にお忍びと言えば、デートの定番じゃないですか」

「いる訳ないよ」

「やっぱりですか…」

 

 まあ王子にとってご令嬢達とは皆、向こうからグイグイとやって来るものだ。腰が引けてしまう気持ちも分かる。

 特に積極的なのはランメルスベルグ侯爵家のスティーラ嬢などで、このご令嬢がまた気が強い。しかもヴィヴィア王女の自称ライバルで、犬猿の仲だったりする。

 

 ネフライトは二人の喧嘩に巻き込まれる事も多く、姉の次くらいにスティーラの事を苦手としているようだ。

 カロールから見れば彼女もとても魅力的だし、内心応援していたりもするが、「母上こそ理想の女性」と言うネフライトの好みからは大分外れているのも事実だ。

 今の所進展しそうな様子は全くない。

 

「とにかく、個展の期間中に行けるようにしてよ」

「分かりました」

 この手のスケジュール調整も従者の仕事の一つだ。それに絵にはあまり興味はないが、城下町に行けるのは嬉しい。

 カロールは女官や教育係と相談し、今週分の座学の予習を済ませテストに合格したら、お忍びに行っても良いという約束を取り付けたのだった。

 

 

 

 …そして、テストの翌日。

 使用人風の服に身を包んだ痩せた男を見て、カロールとネフライトは目を丸くした。

 

「あれっ?今日はセナルモント先生が護衛魔術師なんですか?」

「うん、何だか皆忙しいらしくてねえ。『あんたもたまには働け!』ってユークレース君に頼まれちゃったんだよ」

「それは頼まれたと言うか…」

 

 王宮魔術師のセナルモントは、王妃リナーリアの魔術の師匠だ。王子は直接師事している訳ではないが、母親に(なら)ってこの男を先生と呼んでいる。

 変わり者だが優秀な魔術師で、昔から考古学研究ばかりしているが、今は特に古代の封印に関して調べているのだと言う。

 王妃によれば国にとってかなり重要な研究らしいのだが、詳しい事はカロールにはよく分からない。

 公爵家出身とは言え20歳以上も後輩のユークレースに顎で使われているくらいだし、本当は大した事ないんじゃないかとちょっと疑っている。

 

 

「でも、先生って全然使用人っぽく見えないよね」

「うーん、そうかなあ?」

「そうですね。せいぜい教師って感じです」

 いかにも学者然とした雰囲気のせいか、変装が少々浮いているような気がする。

 

「きっと教師を首になって使用人になったんですよ」

「酷い設定だなあ!」

 ぼやくセナルモントに、ネフライトとカロールは同時に吹き出した。

 

 

 

 それから馬車に乗って城下町へと向かった。セナルモントの他に2名の護衛騎士も一緒だ。

 着いたのは小さめだが小綺麗なホールだった。受付で料金を払って簡易なパンフレットを貰う。

「ギロルは所用にて席を外しておりますが、何かありましたらお申し付け下さい」

「はい」

 受付嬢にうなずき、ひんやりした空気が満ちる展示室へと入った。

 

「わあ…、凄いですね」

「うん」

 ネフライトと共に一つ一つの絵をじっと見ていく。

 どの絵も美しい。色彩のコントラストが強く、印象に残る。

 

 豊穣の女神を描いた絵が特に多いが、時々風景画なども混じっているようだ。

 銀の髪をして狼を連れた女性の絵もちらほらある。これも何かの女神らしいが、どことなく王妃に似ているような気もする。

 

 

 やがてネフライトが「あっ」と小さく声を上げた。

 見上げているのは銀の髪をした女神の絵。

「あ、これ、王…じゃなくて、えっと」

「うん。これだ。母上だと思う」

 

 並んでいる絵の中でも比較的古いもののようだ。タイトルは『新たなる女神』。

 幻想的なタッチで描かれていて、流れる青みがかった銀の髪と繊細な面立ちが王妃によく似ている。

 若い頃にモデルをしたという絵は、きっとこれだろう。

 

「凄く綺麗だ…」

「うむ。まさに我が女神の姿そのものでありますな」

「!?」

 突然答えたその声に、ネフライトとカロールはビクッとして横を見た。

 30代半ばくらいだろうか、物凄く立派な逞しい体格をした貴族らしき男だ。胸板がはち切れんばかりに分厚く、丸太のように太い腕をしている。

 

 

「えっと、この絵の女神を知っているんですか?」

「絵の事は知らぬが、描かれた女神の事は知っております。まこと美しき、我が女神であります」

「はあ…?」

 何だかよく分からない。

 王子と二人首を傾げていると、「おやあ?」とセナルモントが声を上げた。

 

「これはまるで、古の戦女神だねえ」

「先生も知っているんですか?」

「うん、何年か前に発掘された古文書で、僕が仕事の合間にちょっとずつ翻訳してるやつなんだけどね。神話を集めた本みたいで、それに書かれてる女神によく似てるよ」

 

「それってどんな女神ですか?」

「ちょうどこんな感じに銀の髪をした美しい少女で、狼を連れてるんだ。どうも豊穣の女神の妹らしいんだけど」

「へえ。豊穣の女神に妹がいたなんて初耳だなあ」

「歴史の中で埋もれた神話なのかもねえ。何だか、戦士の強く鍛えられた肉体に加護を与えるらしいよ」

 

「鍛えられた肉体…つまり筋肉!!?」

 横で聞いていた逞しい貴族が物凄い勢いで食いついた。

 

「うん、そうだね、筋肉の加護と言ってもいいかもねえ」

「その女神とは、何という名前なのだ!?」

「古代語だから発音が難しいんだけどねえ、ノウリアとか、ナウレアとか、そんな感じだね」

「ナーリア…筋肉女神ナーリア…!!!!」

 

 微妙に発音が違っている気がするし戦女神じゃなくなっている。

 しかし、逞しい貴族は何やら感動に打ち震えていて突っ込みにくい。

 

 

「某、エンスタット・スペサルティンと申す者。某にもその神話を読ませてはくれまいか!?」

「おや、スペサルティン家の方でしたか。でしたら構いませんよお。僕は王宮魔術師のセナルモント・ゲルスドルフです、いつでも訪ねて来て下さい」

 

 セナルモントに向かって名乗った男に、カロールは思わず驚く。

 スペサルティン家と言えば魔術師系の貴族のはずだが、男の洋服越しにもムキムキと盛り上がった筋肉は、どこからどう見ても魔術師には見えない。

 王子も同じ感想であるらしく、二人で顔を見合わせた。

 

 

 

 その日の夜。

 夕食の席で王子が今日あった出来事を話すと、王妃は思い切りゲホゴホとむせ返っていた。

「あ、あの方、まだ筋肉女神とか言ってるんですか!?」

「揺るがぬ信仰心だな…」

 国王陛下は何やら苦笑していて、ヴィヴィアが首を傾げる。

 

「お父様もお母様も、その逞しい貴族の方をご存知なの?」

「ああ。エンスタットとは学院のクラスメイトだったんだ」

「そうなんですか」

「筋肉女神というのは、エンスタットが…」

「陛下!」

 王妃に横から睨まれ、国王が口を噤む。

 

 ただし国王は、食後にこっそりとネフライトに囁いていた。

「今度、スフェンに聞くと良い」

 

 

 後日、王妃の守護騎士であるスフェンに尋ねてみると、エンスタットについて面白おかしく語ってくれた。

 何でも王妃とスフェンが学生時代に武芸大会で優勝した際、一回戦で戦ったのがあのエンスタットだったのだそうだ。

「自分が勝ったら結婚を前提に交際して欲しい」という条件で戦いを挑み、負けた後も王妃を筋肉女神と崇めていたという。

 

 優勝した事は有名なので知っていたが、筋肉女神の話は初めて聞いた。

 ヴィヴィアは「お母様が筋肉女神!!」と笑い転げていたが、ネフライトは何とも言えず複雑な顔だ。

 

「…ねえ、僕もその筋肉女神を信仰するべきだと思う?」

「いや、好きにすれば良いんじゃないですかね…」

 真剣に問われ、カロールはそっと目を逸らした。




第80話にて登場したエンスタット君です。
今も元気に筋肉を鍛えていますが、リナーリアに似た女神の絵があると聞き、個展にやって来たらしいです。
ギロルは第117話で登場した挿絵師さんですが、この頃には画家としても名を上げ始めています。
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