世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「ヴィヴィア!!またお勉強をサボりましたね!しかも、窓から逃げるなんて…!」
今日も落ちた母リナーリアの雷に、ヴィヴィアは小さく首をすくめた。
「学業も大事だと何度言えば分かるんですか!あともう2年もすれば学院に入るんです、今からちゃんと勉強しておかないと、授業についていけなくなりますよ!」
母の口調は厳しい。こうして叱られるのは毎度の事で慣れっこなのだが、今日は何だかいつもより怒っているような気がする。
またスピネルに襲いかかろうとして、廊下の花瓶を割っちゃったからかしら。
それとも、勉強部屋から逃げる時にカーテンを破っちゃったから?
剣術の稽古で力を入れすぎて、ネフライトを半泣きにさせたせいかも…。
これはお説教が長くなりそうだわと内心で思っていると、母は言葉を切って静かに見下ろしてきた。
「…ヴィヴィア、あなた、ちっとも反省していませんね?」
「そ、そんな事ないわよ?」
「お説教が終わったら、また剣の稽古に行こうと思っているでしょう」
「……」
完全に見透かされている。ヴィヴィアは内心で冷や汗をかいた。
「…剣が好きなのは分かります。好きな事に真っ直ぐに打ち込めるのはあなたの長所です。才能もあると、私だって思っています」
「だ、だったら」
「だけど、好きな事だけをやっていればいいという訳にはいきません。あなたは王女なのですよ。王家の者として、国や民の役に立つ事を…」
「何でよ、別に良いじゃない!どうせ王様になるのはネフライトだわ。それに、剣だって国の役に立つもの。強くなって騎士になれば、それで皆を守れるでしょ!」
「ええ、その心がけは立派です。でも、騎士というのは強ければそれで良いというものではありませんよ。ネフライトを泣かせて、スピネルに迷惑をかけて、メイド達を困らせて…。それがあなたの騎士道なんですか?」
「うっ…」
思わず言葉に詰まると、母は小さくため息をついた。それから少し考え込む顔になる。
「あなたはもう少し、周りの事に目を向けなくてはいけません。…そうですね、一ヶ月後に、中央広場でクリスマスツリーの点灯式があるでしょう。あれを点灯する役を、あなたがやりなさい」
「えっ?…私が?」
ヴィヴィアはびっくりして口をぽかんと開けた。
あの大きなツリーの点灯は、毎年王妃である母が魔術で行っているものだ。
ヴィヴィアも王女として何度も出席しているが、凄く難しい魔術だったような気がする。
「少々難易度は高いですが、今から練習すれば何とかなるでしょう。ビリュイに指導をお願いしておきます」
「え、えっ」
「きちんと役目を果たすように。…これは命令です」
有無を言わせぬ口調でそう告げ、母はにっこりと笑った。
…クリスマス近くになると家の中や街角にある木々を飾るのは、元々は古代にあった風習なのだという。
ヴィヴィアの父であるエスメラルド王がそれを復活させたのは、今から15年ほど前の事。
冬の殺風景な街を彩るこの風習は、王都の民に歓迎され、瞬く間に国中に広まったらしい。
そしてこの王都で最も有名なのが、中央広場にある大クリスマスツリーだ。
広場にもツリーが欲しいという民の声に応え、エスメラルドが遠くから大きなモミの木を運ばせ植えたものである。
始めは城の兵士が脚立を使って飾り付けをしていたのだが、5年ほど前から魔術によってツリーを光らせる方式に変更された。
「…このツリーを七色に光らせる魔術を開発したのが、他ならぬ王妃リナーリア様です」
「ええ。もちろん知ってるわ」
ビリュイの説明にヴィヴィアはうなずき、それから半眼になって横を見た。
「…で、なんでネフライトまでいるのよ?」
母の命令に従うべく、王宮魔術師ビリュイの元に練習にやって来たヴィヴィアだったが、そこには2歳下の弟ネフライトがいたのだ。
この前泣かせた事はもう気にしていないようで安心したが、一体何故いるのか。
「だって、姉上ばっかりずるい!僕だって母上の作った魔術覚えたいんだもん!」
ネフライトは父譲りの翠の目に真剣な光を浮かべていて、ヴィヴィアはちょっと唇を尖らせた。
「いつもは遊びに誘っても全然付き合いたがらない癖に、こんな時だけ…。まあ良いけど」
この弟は母に似て魔術が好きなのだ。
まだ幼いが自分よりもよほど上手に魔術を使うし、一緒に練習しても別に問題はないだろう。むしろ手助けしてもらえるかもしれない。
ビリュイは姉弟の様子を微笑ましげに見ると、背後の黒板に大きな紙を貼り付けた。
「では、早速説明に入ります。まず、こちらが魔術構成図です」
「…な、何これ!?」
そこに描かれた複雑怪奇な図面に、ヴィヴィアは悲鳴を上げた。
「すごい、細かい!さすが母上…」
「さすがって…」
感心して食い入るように構成図を見つめる弟を、ヴィヴィアは信じられない気持ちで見る。
「ざっくりと解説しますと、この部分が基本となる発光の構成。こちらの部分が光の色を指定する構成。7色分あるのでかなりの面積を占めていますね。ここは周囲の明るさに合わせて光の強さを調節する構成で、そしてこっちが一定時間ごとに点滅させるための構成です」
聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。こんな複雑で難しい魔術、今まで一度も使った事がないし、使える気もしない。
蒼白になるヴィヴィアの横で、弟が「はい!」と元気に手を挙げる。
「ここの部分はなんですか?」
「ああ、よく気が付かれましたね。これは長時間魔術を維持するための構成です。ツリーは3日間ほど光らせますから」
「そっか!なるほど!」
ネフライトはやる気満々の様子だ。本当に信じられない。
それからビリュイは、姉弟の顔を交互に見た。
「ヴィヴィア様、ネフライト様。難しい魔術ですが、頑張って練習いたしましょう」
ビリュイによる魔術指導はなかなかに厳しかった。
ヴィヴィアはすぐに投げ出したくなったが、「点灯式で失敗したら恥をかくのは姫殿下ですよ」と言われれば、練習しない訳にもいかない。
「でも、こんな魔術覚えたって絶対何の役にも立たないじゃない…ツリーを点灯させる以外、使い道ないでしょこれ…」
「パーティーの飾り付けにも使えるよ?」
「そんなの魔導具でいいわよ!」
「魔導具の飾りより、この光の魔術の方がずっと綺麗だよ。姉上だって知ってるでしょ」
「でもぉ…!」
ぶうぶうと文句を言うヴィヴィアに、ビリュイが苦笑する。
「確かに、この魔術自体は使い道が少ないものです。でもこれに使われている構成は、幅広く色々な魔術に応用が利きます。使いこなせるようになった暁には、他の魔術も必ず上達している事でしょう。王妃様もそう考えて、ヴィヴィア様に習得をお命じになったはずです」
「私は魔術なんかより、剣術がやりたいのに…」
つい頬を膨らませた時、コンコンと部屋のドアがノックされた。
そこから姿を表したのは、赤毛を一つ結びにした背の高い男。
「よう、頑張ってるか?差し入れ持ってきたぞ」
「…スピネル!」
スピネルが持ってきたのは、可愛らしく飾り付けられたカップケーキだった。
メイドによってお茶が運ばれ、しばしの休憩を取る。
「リナーリアにお前の様子を見てきてくれって頼まれてな」
「お母様に?」
「ああ。で、どうだ?やれそうか?」
「全然ダメ。もう2週間も練習を続けてるけど、ちっとも使える気がしないわ…」
「ネフライト殿下は?」
「僕もまだ無理。でも、もう少しで出来そうな気がする」
「ほう。さすがですね」
褒められて、ネフライトはちょっと得意そうな顔になった。
逆に顔をしかめるヴィヴィアに、スピネルはニヤリと笑う。
「いつも熱心に勉強してる王子殿下と、剣ばっか振り回してるヴィヴィアじゃ、差が出るのは当然だな」
「何よ、スピネルまで!いいでしょ、私には剣があるもん!」
「それじゃダメだから、リナーリアはこれを勉強させてるんだろ」
「…私はお母様やネフライトとは違うもん。魔術なんてできないわ」
「そんな事はねえよ。お前は母親譲りの魔力がある。やると決めたら必ずやる頑固さだって、昔のあいつにそっくりだ。それが出来ないってのは、単にやる気がないだけだ」
「……」
黙り込んだヴィヴィアに、スピネルはやれやれと苦笑した。
「まあ、リナーリアがお前に点灯式をやれっていう一番の理由は、他にあると思うけどな」
「何よ、それ?」
「さあな、自分で考えろ。…とりあえずは練習を頑張れ。上手くやれたら、少しはご褒美をやってもいい」
「本当!?手合わせしてくれるの!?」
「上手くやれたら、な」
スピネルは立ち上がると、ひらりと手を振って部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送り、ぎゅっと拳を握る。
「…やってやろうじゃない!!」
そして、点灯式当日がやって来た。
夕暮れの中、正装に身を包んだヴィヴィアは胸に手を当て深呼吸をする。
「頑張れ、ヴィヴィア」
「はい、お父様」
小声で励ましてくれる父にうなずき返し、広場の中を見回す。
等間隔に並んだ護衛騎士達の後ろには、民衆がぎゅうぎゅうに詰めかけている。
王族が自ら広場を華やかに輝かせるこの点灯式は、王都に住む者達に大人気の行事なのだ。
ヴィヴィアも王女としてもう何度も見てきた光景のはずなのだが、今日に限っては彼ら一人一人の表情がよく見える。
あのたくさんの人々の、期待に満ちた視線を意識せずにはいられない。
お母様もいつもこんな気持ちだったのかしら…と、緊張しながら思う。いざこうして行事の主役になってみれば、傍で見ているのとは大違いだ。
「…それでは、ヴィヴィア第一王女による点灯を行います!」
名前を呼ばれ、大きなモミの木の前へと進む。
…大丈夫、必ず成功するわ。あんなに頑張って練習したんだもの。
父や母、弟と妹、そして大勢の民衆が見守る中、ヴィヴィアは両手をツリーに向かってかざした。
「…わあっ…!」
周囲から歓声と拍手が沸き起こる。
見上げた大きなツリーには、無数の小さな光が灯されていた。
赤、青、黄。鮮やかな七色の光が、暗くなり始めた空の下で瞬いている。
…やった。成功だわ。
ホッとすると同時に、喜びが湧き上がる。
頬を紅潮させながら振り返ると、母と妹は笑顔で拍手をしてくれていた。父や弟も誇らしげな顔をしている。
たまらなく嬉しい。
ドレスの裾を持ち上げ、少しばかり早足になって家族の元に戻ると、普段は無表情な父が「よくやった」と笑って褒めてくれた。ますます喜びが湧き、えへへと笑う。
すると、母がニコニコとしながらヴィヴィアの肩に手を置き、耳元で小さく囁いた。
「よくご覧なさい、ヴィヴィア。ここに集まった人々の顔を」
ヴィヴィアは振り返り、周りの人々の顔を見た。
男。女。子供。老人。
誰も彼もが皆、笑顔だ。
嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうにして、美しくきらめくクリスマスツリーを見つめている。
「…どうです?この笑顔は、あなたの魔術によってもたらされたものなんですよ」
「……」
言葉にならず、ヴィヴィアはただ無言で彼らを見つめた。
胸がいっぱいで、とても熱い。母が毎年自ら点灯をしていたのは、きっとこれが見たいからだったのだ。
父や母がよく言う「国」だとか「民」という言葉。その本当の意味が、少しだけ分かった気がする。
「この光景をよく覚えておきなさい。これが、私達が…あなたが、守り育てていくべきものです。剣は確かに、人を守れます。だけど、魔術はこのように人々を笑顔にする事ができます。もちろん、どちらが偉いというものではありません。どちらも国にとっては必要なものです」
「…はい」
ヴィヴィアは素直にうなずき、傍らの母を見上げた。
優しく穏やかな微笑み。いつもお説教ばかりで口うるさいけれど、こういう時の母は、確かにこの国の王妃なのだと思わずにいられない。
「もちろん、他にも大切なものはたくさんあります。剣だけでも、魔術だけでもいけません。ヴィヴィア、もっとたくさんのものを見て、たくさんの勉強をし、たくさんの人を知りなさい。…それはあなたを豊かにし、いつか必ずあなたの役に立ちます」
「はい。…ありがとう、お母様。私、このお役目をやって良かったわ!」
すると、横で話を聞いていた弟が頬を膨らませた。
「姉上ばっかりずるい…僕だってこの魔術、使えるようになったのに…」
「あら、じゃあ来年はネフライトが点灯役をやりなさいよ。私、その頃には絶対この術を忘れてるもの」
「まあ」
母が呆れた声を出す。
「確かに楽しかったし、やって良かったけど…私はやっぱり、剣術がやりたいわ。もっと強くなりたいの」
「ヴィ、ヴィヴィア…」
困り顔になった父と母に、ヴィヴィアは「でも」と続ける。
「剣以外の事もやるべきだっていうのも、ちょっと分かったわ。これからは、もう少し他の勉強もする」
「そうか…。良かった」
「ええ。分かってもらえて安心しました」
ホッとした様子で微笑み合う父と母に、ヴィヴィアはニッと笑った。
「…だから、スピネルにはちゃんと約束を守るように言ってよね!一回や二回の手合わせじゃ、絶対に許さないんだから!」
「へっくし!…今日は、なんか冷えるな…」
その頃、城で留守番をしていたスピネルは、背筋に悪寒を覚えていた。