世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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スピネルの重石

「こんにちは、王子殿下!」

「ああ。よく来てくれた」

 

 応接室の中、元気な挨拶に少しばかり懐かしくなり、エスメラルドは小さく微笑んだ。

 どこか素朴さを感じる、人の良さそうな小柄な青年。つい2年前までクラスメイトだった、ニッケル・ペクロラスだ。

 

 彼とはパーティーなどでしばしば顔を合わせているのだが、このような他の貴族たちがいない場所で会うのは久しぶりである。

 季節は秋、貴族たちがそれぞれの領地へと帰り始める頃。帰郷前の挨拶という事で、彼はこうして個人的に会いに来てくれた。

 他に同席しているのはスピネルだけで、ニッケルはちょっと不思議な顔をした。「リナーリアさんは?」と尋ねる彼に、スピネルが肩を竦める。

 

「今日はちょっと用事があるってよ。あとヘルビンも誘ったんだがな、訓練があるからって断られちまった」

「あれ、そうなんすか」

「来月には大規模軍事演習があるからな。その準備だろう」

 

 大規模軍事演習は年に一度、王都近郊の広い平原で行われるものだ。王国直属の兵全員が参加し、3日間にわたって様々な戦闘訓練をする。

 ニッケルの親友であり、エスメラルドやスピネルとも親しいヘルビンは、卒業後に念願叶って近衛騎士団に入った。見習い期間を終えて正騎士になったのは今年の事で、演習に加わるのは初めてのはずだ。

 

「今年は特に派手にやる予定のようだ。皆忙しそうにしている」

「へえー。いいなあ、俺も見たいっす」

 

 この演習は王都の警備にも関わるものなので一般には公開されておらず、見学できるのは基本的に王族だけだ。

 第一王子であるエスメラルドは子供の頃からほぼ毎年見学しているが、大勢の兵がぶつかり合う様は迫力があり、なかなかに見応えがある。

 

「次会った時にたっぷり話してやろう。楽しみにしているといい」

「……」

 

 そう言うと、ニッケルはエスメラルドの顔をまじまじと見た。

 

「なんだ?」

「いや…殿下、ちょっと雰囲気変わったっすよね」

「うむ、そうか。実は近頃よく言われる」

 

 雰囲気など自分では分からないのだが、原因については大いに心当たりがある。

 だからエスメラルドは大真面目にうなずき返してこう言った。

 

「ニッケル。結婚はいいぞ…」

 

 

 

「は~、やっぱそれっすよねぇ。何か溢れてますよね、幸せオーラが」

「ほんとそれな…」

 

 ニッケルはにこにこしているが、スピネルはうんざりだと言わんばかりの顔だ。

 

「スピネルさん、嫉妬は良くないっすよ」

「ちっげえーよ!!毎日毎日これを聞かされる身にもなってみろ、胸焼けなんてもんじゃねえぞ!!」

「仕方あるまい。本当に毎日感じているんだ。結婚は良い」

「新婚3ヶ月ですもんねえ…」

 

 そう、エスメラルドはつい3ヶ月前に結婚したばかりだ。

 次期国王にふさわしい盛大な式を挙げ、妻…つまり王子妃となったリナーリアは共に王宮で暮らし始めた。

 彼女との生活はきっと楽しいだろうとぼんやり想像はしていたのだが、実際に結婚してみて初めて実感した。

 

 朝目覚めた時に、愛する人が隣にいる。

 それがどれほど幸福で、温かく、満ち足りた気持ちになるのか。

 愛おしさに突き動かされ、白い頬にそっと手を伸ばせば、柔らかな微笑みが返ってきて…それがまた、切ないほどに幸せで。

 

 人生で一番幸福な朝を迎えたあの日から、とにかく毎日が充実している。周りの何もかもが明るく輝いて見えるほどだ。

 この素晴らしさを少しでも伝えたいと思っているのだが、残念ながらエスメラルドは口下手な質で、そこで出て来るのが「結婚はいいぞ」という言葉なのである。

 初めは苦笑していたスピネルも、今では聞くたびに顔をしかめるようになってしまった。

 

「まさか殿下がこんな浮かれポンチになるとはな…」

「浮かれポンチとはなんだ。俺は真剣だが」

「だから余計にタチ悪いんだろ!」

「スピネルさん、リナーリアさんに言いつけるっすよ」

「おいやめろそれだけはやめろ。絶対燃やされる」

「リナーリアは俺を愛しているからな…ふふ」

「見ろ!惚気(のろけ)の無限ループだ!こんなの付き合ってられるか!」

 

 そう訴えるスピネルに、ニッケルはちょっぴり唇を尖らせた。

 

「文句あるんだったらスピネルさんも結婚すれば良いんじゃないっすか?最近はずいぶん、色(・)男(・)ぶ(・)り(・)が(・)上(・)が(・)っ(・)て(・)る(・)って噂を聞きますけど」

「ああん?」

 

 言われたスピネルが、思い切り嫌そうな顔になる。

 

 

「大きなお世話だ。お前には関係ないだろ」

「関係あるっす!スピネルさんの女性関係の噂が耳に入るたび、妹に一喜一憂される身にもなってくださいよ!」

「ああ、テルルか」

 

 エスメラルドはニッケルの妹である小さな少女の事を思い出した。

 初めて会った時には年齢よりも幼い印象を受けた彼女だが、この1~2年ほどでずいぶんと背が伸び、可憐な少女として成長しつつある。

 内気だった性格も明るくなり、同年代の友達もできたようだ。

 

 そんなテルルは、相変わらずスピネルに憧れている。

 お茶会やパーティーなどでたまに会う事があるが、頬を染めてスピネルを見つめる目は間違いなく恋する乙女のものだ。

 

「スピネルさんはテルルの教育に悪いんすよ!」

「そんな事言われてもな…」

 

 スピネルは不満そうだが、そう言いたくなるニッケルの気持ちもわかる。憧れの相手がいつまでも独身なのでは、テルルも諦めるに諦められないだろう。

 テルルは愛らしい顔立ちをしているし、気立ても優しい。年頃になればきっともてるだろうに、年上の男に何年もずっと熱を上げているというのは縁談の足を引っ張りかねない。

 ニッケルも頭が痛いだろうと思ったところで、ふと顔を上げる。

 

「いや…これは案外良縁ではないか?スピネルと、テルル」

「殿下!??」

「…は?」

 

 ギョッとして叫んだのはニッケルだ。スピネルは一瞬唖然とした後で顔をしかめる。

 

「いやいや、何言ってんだよ殿下。相手はまだ子供だぞ」

「何、すぐ大きくなる。きっと美人になるぞ」

「だからってな…」

「そ、そうっすよ!早すぎますし、そんなの駄目っす!」

「駄目なのか?」

 

 どうもニッケルは反対らしいと、エスメラルドは少しばかり不思議に思う。

 確かに年は離れているが、このくらいの年齢差の夫婦は時折いる。

 何よりスピネルは地位も身分もあり、頼れる男だ。まあ近頃少々遊んでいる素振りはあるが、根は誠実だし、家族ができたらきっと大事にするだろう。

 同級生であり友人でもあるニッケルは、そのくらい分かっているはずなのだが。

 

「スピネルの何が不満なんだ?」

「……。いや、申し分ない相手なのは分かってるんすけど、スピネルさんが義弟になるのは何か嫌っていうか…」

「何か嫌で断られんのも腹立つな…いや別になりたくねえし良いんだけどよ…」

 

 ムスっとしたスピネルは心底から不本意そうだ。これはだめかと残念な気持ちになる。

 

 

「名案だと思ったのに」

「そんな思い付きが名案になるなら誰も結婚で苦労してねえっての!」

「…苦労していたのか?」

「してねえよ!ものの例えだ!」

「じゃあとっとと結婚してくださいよ」

「そうだな。早く結婚した方がいい」

「うるせえ!俺の勝手だろ!」

「お前のために言っているんだがな」

 

 これは別に惚気ている訳では無い。

 スピネルには誰か重石(おもし)になる存在がいた方がいいのだ。だって彼は、誰かを守っている時が一番強い男なのだから。

 リナーリアも似たような事を感じていたらしく、以前こんな風に言っていた。

 前世のスピネルは今世よりずっと自由な立場だったが、どこかつまらなさそうだった。王子の従者でいる今世の方が、ずっと楽しそうにしている…と。

 

 エスメラルドの従者という立場は、彼の性に合っていたのかもしれない。

 しかし今の自分は既に成人し、彼の助けがなくとも色々な事ができるようになった。もちろん助けが必要な時も多々あるのだが、彼に頼らなくても良い場面は随分と増えた。

 その分、きっとスピネルは手持ち無沙汰になってしまったのだろう。

 だからそろそろ、別(・)の(・)誰(・)か(・)に手を差し伸べても良い頃だと思うのだ。

 

「仕方がないな。お見合い相手を探すようにスタナム辺りに頼むか」

「はあ!?」

「あ、それは良いっすね。貴族のお嬢さんの中に見つからないなら、騎士のお嬢さんを探しましょう!」

「おい!!」

「それでも見つからなければ、リナーリアに相談して魔術師系の」

「いやいやいや待て本当にやめろ!!!」

 

 本気で慌てだすスピネルに、エスメラルドは思わず笑う。

 

「それが嫌なら、自分でさっさと相手を見付けて来る事だな」

 

 スピネルは、両手で頭を抱えて突っ伏した。

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